私は怒っています
蒲田くんを見ていたら遅くなりました。
「お父様っ! お母様っ!!」
俺たちが探す人物を知っているというオーガの案内によって、地図にも描かれていない領域へと踏み込んだ。
すぐに居場所を教えて欲しいと頼んだ当初は、険しい表情で仲間と相談していたのだが、こちらの事情を打ち明けた途端に柔らかい笑みを見せた。
もしかしたら、本人から娘について聞かされていたのだろうか。
言葉が通じないはずという疑問は後にする。ミリアちゃんが急かすからだ。もうオーガへの恐怖など吹き飛び、微塵もなくなったらしい。
途中で集落らしき場所も確認できたけど、そちらへは向かわずにオーガたちは慣れた様子で木々を掻き分け、しばらく後を追いかけて行き……。
そうして幼い少女は、ようやく待望の瞬間を迎えていた。
「まさか、ミリアなのか?」
「え、ミリアなの?」
二人の男女が驚きと喜びを混ぜた顔で迎える。
男のほう、ノブナーガは長らく森で生活していたせいか黒髪は乱雑に伸び、ヒゲも顎から頬と口周りに生えているものの、それが却って野武士のような面持ちとなり、俺からすれば名前に似つかわしい状態となっていた。
アミスちゃんの父親であるジェノが西洋風のヒゲなら、ノブナーガは東洋風のヒゲといったところか。
体格は予想よりもひょろっとした印象だが、精悍な顔つきがただ者ではないと予感させる。
一方、ミリアちゃんの母親であるネイリィは片側だけ後ろでまとめた銀髪に、透き通るようなアイスブルーの瞳をした妖艶な女性だ。
こんな状況下でも身だしなみはしっかりとしており、このまま街に出ても違和感はないだろう。衣服もノブナーガは薄汚れたシャツとズボンなのに対し、ネイリィは夜会に出てもおかしくない意匠を凝らしたドレス風の防具を身に着けていた。
なんとなく、例のブティックを彷彿とさせるデザインである。
二人に同行していた護衛騎士たちはノブナーガと同じように、くたびれた格好をしているので、きっと彼女だけ特殊なのだろう。
「ははは、どうやら心配をかけてしまったようだな」
「こんな危ないところまで来たらダメじゃない。でも、会えて嬉しいわ」
「あうぅぅ……」
涙こそ堪えているけど、感動のあまり言葉に詰まって唸るミリアちゃん。
感動的なシーンに俺も涙腺が緩みそうだ。アミスちゃんの瞳も僅かに潤んでおり、ソフィーちゃんとナミツネは完全決壊している。
しかし、すぐにでも両親に飛び付きたいだろうに……忌々しいことに彼女たちを阻む無粋な壁がジャマをしていた。
厳密に形容するなら、透明に光る薄い膜か。
あと少しで両親に触れられるというのに、その一歩手前で踏み止まざるを得ないミリアちゃんを見ると胸が締め付けられる。
「これがオーガたちの話していた結界ですか」
俺は屈んで地面を観察する。
すると足下で淡い輝きを放つ紋様が浮かび上がり、広範囲を覆う陣となって内側に立つノブナーガたちを外界から隔絶させているのだとわかった。
この魔法陣は生物だけを通さない性質があるらしく、そのせいで一カ月近くも足止めされていたそうだが……。
事前にオーガから聞かされていたけど実際に目にすると、やはり似ている。
だとすると前にナミツネらが報告した罠は、これと同じなのだろう。
罠にかけられた細かい経緯としては、オーガを探していたノブナーガ一行は奇妙な姿をした何者かに襲撃を受け、戦いの最中で誘い込まれるようにして魔法陣に囚われたそうだ。
しかし、敵はそれ以上の攻撃を仕掛けるワケでもなく撤退し、以来この森に放置されているという。
目的は不明。特になにか要求するでもない。謎だな。
それから実際にオーガらが何事かと現れたのだが、幸か不幸か魔法陣のおかげで争いも発生せず、結果的に友好的な関係を結べたのだとか。
もちろん最初はオーガの言葉がわからずに苦労したみたいだけど、そこはネイリィのおかげらしい。
どうやら彼女だけオーガと会話できるらしいけど、なにをどうやったのかが気になる……が、今は口を挟まずにおこう。
そうして物資を差し入れてくれるほど親交を深められ、簡易ながら小屋すら建てて生活する分には問題ないほど快適だったと……。
どうりで元気そうなワケだ。
なんだか思ったより余裕そうで、ちょっと複雑な感じがするけどミリアちゃんが喜んでいるので良しとしよう。
幼女神様がまったく助言しないのも頷けた。
「ところで、そちらの女性は……?」
「あ、そうでした。あちらはクロシュさんです。ここまで私を支えてくれた恩人でして……」
気付けばちょっと照れる紹介がされている。
そういえば、この中で俺だけ面識がないんだったな。
ちなみに捜索隊の男は空気を読んだのか後ろで待機していた。やるね。
「初めまして、お二人とも。私はクロシュといいます」
「貴女がミリアを護ってくれたそうね……ありがとう。感謝するわ」
すでに粗方の事情を話し終えていたせいか、好感度は高い様子だ。
「そうだな。こんな状況でなければクロシュちゃんに礼をしたいところだが」
「く、クロシュちゃん……?」
思わず繰り返してしまう。
いやまあ、それくらいに見た目も中身も歳は離れているだろうけど。
「アナタったら、淑女に対して失礼でしょ?」
「おおっと、これは申し訳ない。ミリアの友人と聞いてついな」
「話しやすい呼び方で構いませんよ。私は貴族でもありませんし」
「ええっ、そうだったの!?」
なぜかネイリィが目を見開いて驚いた。
そして顎に手を当てて、見定めるような眼差しへと変わる。
「もったいないわね……」
「と、ところでお尋ねしたいのですが」
その言葉の意図するところは不明だけど、面倒なことになりそうな予感がしたので強引に話を進める。
なかなかマイペースな性格みたいだ。
「なにかな?」
「実はこの魔法陣、以前にも見かけたことがありまして」
「じゃあクロシュさんなら……!」
期待からミリアちゃんが声を弾ませるけど、俺はとても悲しく思いながら首を振るしかなかった。
「残念ながら、注がれた魔力が尽きるのを待つしかありません」
方法があったとしても、少なくとも俺は知らないのだ。本当に残念である。
なにが残念って、ミリアちゃんの期待に応えられなかった俺が残念だ。
幼女神様に聞けば教えてくれるだろうけど、それは本当に最後の手段だし、欲を言えば俺自身の力でどうにかしたい。
だから魔力切れを待つ、という方法しかないのだが。
「ただ、私が知っているのは数時間も維持できないものでした。仮になんらかの工夫によって丸一日ほど維持できたとしても、一カ月近くもみなさんを隔離しているのは異常です」
おまけに、この陣は前に見たものよりも広範囲に展開されている。
見えているのは、ほんの一角のようで森の更に奥地まで届いているため、いったいどれほど大きな陣なのかも不明なほどだった。
おかげで過ごしやすいという利点はあったみたいだけど。
「ふむ……ならば、やはりあの者の仕業と考えて間違いないな」
「心当たりがあるのですか?」
ノブナーガによると、最初の襲撃者は姿を隠したものの未だに森のどこかで潜伏しているらしい。
というのも定期的に気配を感じるのだとか。比喩でもなく気配がわかるとは。
しかし事実なら、魔力を補充している可能性が高いだろう。
そうなると、ひとつだけ理解できない点がある。
「敵の目的は、ここに足止めするだけなのでしょうか?」
当主の存在がジャマというのは理解できるが、それなら殺してしまえば手っ取り早く済むし、あるいは利用価値があるなら連行すればいい。
だというのに現実は森に放置するだけ……。
なにがしたいのか、まったく意図が見えないので不気味だ。
「まあどうであれ、供給源が近くにいるのなら話は早いですね」
「……クロシュさん、お願いしたいことが」
「わかっていますよミリア。すぐにやっつけて……」
「いえ、私に戦わせてください」
「……え?」
あとをナミツネたちに任せ、俺はミリアちゃんに装備された状態で結界を維持している大元を叩くべく移動していた。
居場所はノブナーガが気配から大体の方角を察していたのもあり、オーガの情報と併せて推測してある。
でも、やっと再会できた肉親だ。もっと一緒にいたいだろうし、積もる話もあったはず……なのにミリアちゃんはこちらを優先させた。
それも自ら戦うなどと言い出して。
〈ミリア、あなたはみんなと一緒に待っていても構わないのですよ?〉
この場には俺とミリアちゃん以外は誰もいない。
確実に戦うとわかっている場所に連れて行けないからな。本当ならミリアちゃんもオーガたちのところに残って欲しかったくらいだ。
やつらは温厚だし、ノブナーガの一件からも信用できる。
そのオーガたちによれば、ノブナーガ一行を襲った怪物は少し前から森に棲み付いて魔獣のナワバリを荒らしているそうだ。
荒らされた影響により魔獣の生息域に変化が生じ、以前から使用していた水場が使えず、例の泉に出向くようになったのだとか。それは最近になってオーガの目撃情報が増えた原因でもあるだろう。
そして、怪物とやらは魔獣の棲み処を奪った可能性が高いらしい。
〈敵はオーガたちが怪物と怖れて近寄らず、魔獣がナワバリを横取りされるほどの力を持っています。もしミリアになにかあれば、ご両親に顔向けができません〉
「ご迷惑をおかけしますクロシュさん」
〈いえ、迷惑などでは〉
しっかりとした足取りで、ズンズンと突き進むミリアちゃん。
相変わらずジャマな草木は俺がどかしているので歩きやすいだろうけど、その様子が俺には、かなり不機嫌に感じ取れた。
〈あの、ミリア? ひょっとして怒ってます?〉
「当然です!」
突然の大声に驚き、伸ばしていた布が角張った形になってしまった。
本人も思わずといったところか、照れ隠しに咳払いをする。
「すみませんクロシュさん。でも、そうです。私は怒っています。お父様とお母様をずっと閉じ込めるなんて……許せません」
そう語るミリアちゃんの表情は普段と変わらない落ちついたものだったけど、もし属性が付くとすれば炎属性で、きっと背景が燃えていただろう。
しかし、これはちょっと予想外だ。
両親と再会したら気が抜けてしまうなどと考えていたけど、とんでもない。
むしろ酷い目に遭わせた犯人に対して、怒りの炎を燃え上がらせるとは。
〈で、ですがミリア、無理はしないでください。もちろん私が護るので戦闘になっても安全は保障しますけど、いざとなったら……〉
「その時はクロシュさんにお願いします」
――だから、それまでは私に力を貸してください。
妙な迫力で言い切られてしまい、俺はもう心中で頷くしかなかった。
なにか策があるようだったし、ひとまず様子を見るとしよう。
本当に危ないと判断した時は問答無用で【合体】させて貰うけどね。
俺がそう伝えると、ミリアちゃんも了承してくれた。
やがて俺とミリアちゃんは木々が開けた場所で大樹を見つけた。
樹齢何千年といった感じで、とてつもなく太い幹は苔むしており、枝は天を覆うかのように伸びている。
その根元には、ぽっかりと大きな穴が口を開けていた。
これこそ魔獣の巣穴であり、怪物が奪い取った棲み処だろう。
〈どうやら近くにはいないようですね〉
俺の【察知】は敵意を感じられるけど、敵対する意思がなければ反応しないので油断はできない。巣穴で寝ているだけでも反応できないだろう。
どこかに出かけている可能性も考え、ひとまず待ち伏せを提案する。
頷いたミリアちゃんは、てきとうな茂みの中に身を潜ませた。俺も【防護結界】を【円形】から【被膜】に切り替えて目立たないように努めよう。
するとミリアちゃんは懐から二本の折り重なったような細長い棒を取り出し、先端を掴むと慣れた手付きで見知った形へと変貌させた。
〈まさか、それは螺旋刻印杖ですか〉
コートの内側に隠していたようだ。まったく気付かなかった。
それに組み立て式だったとは。
「私だってクロシュさんに頼ってばかりではありませんよ。それに武器もないのに戦うなんて言いません」
もっともな話だ。
俺自体が武器みたいなものだから失念していたけど、普通の人はなにかしら武器を持つものだ。彼女にとって螺旋刻印杖がそうなのだろう。
謎の自信も、これがあればこそか。
魔力は俺を装備している限り、ほぼ無尽蔵で撃ち放題。おまけに威力は折り紙付きってやつだ。こいつで貫けない的などそうそうない。
防御に関しては【防護結界】があるし、落ち着いて狙えばミリアちゃんでも当てられるだろう……勝ったな。
ミリアちゃんは、始めからここまで考えていたのかな?
「前にクロシュさんが使っていた時のことを思い出しまして。あそこまで上手く扱える自信はありませんけど、勝算はあると踏んでいました」
〈そういえば撃つ前に、なにか呟いてましたね〉
「呪文です。定められた呪文を言葉にすると、ここに掘られている秘文字の通りに杖が魔力を放ってくれるんです」
〈私の場合は直接、魔力を操作しましたが〉
「前にもお聞きしましたけど、たぶん現代の人には誰もできませんよ」
〈……魔法が衰退していたんでしたね〉
「衰退、というより根絶でしょうか。魔法とは刻印術と、それによって作られた魔道具による奇跡に神秘性を持たせただけと教えられましたから」
〈いったい、どうしてそんなことに……〉
「決マッテイル。人間ハ愚カダカラダ」
猫みたいに勢いよく茂みから飛び出たミリアちゃん。
だが、完全に体勢を崩してしまっていた。このままでは派手に転んでケガをするかもしれないので俺がサポートして華麗に着地させる。
そして振り返ると、そこには奇妙な存在が立っていた。
山羊の頭骨を被って全身を黒のローブで隠すという、いかにもな格好だ。
「人間ハ、スグニ忘レル。ダカラ魔法モ失ッタノダ」
機械で加工されたような声質……魔法かなにかで変えているのか、ちょっと聞き取り辛い声で話を続ける山羊頭。その真っ暗な眼窩はこちらを捉えている。
身長は高いがローブのせいで体格まではわからない。人間なのかすらも。
そして、なによりも【察知】が反応していない。
〈何者ですか?〉
そう聞かれて答える者はいないと思いつつ、尋ねずにはいられない。
同時に、俺はすでに山羊頭の正体を察していた。
というより予想はしていたのだ。
本人ではないにしても、同族が関わっているのだろうと。
それは【鑑定】によって確信へと変わる。
「我ガ名ハ明カセナイガ、コウ言エバ人間ニモ理解デキルダロウ……」
なんと本人が教えてくれるらしいので譲ることにする。
「我コソハ悪魔ノ中ノ悪魔、上級悪魔デアル!」
補足:ミリアの母親の名前をネイリィに変更しました。
前の名前は別のキャラの印象が強かったもので。




