ちょっとだけなら
まだ現実世界へ戻るワケにはいかないが、今は誰とも話したくない。
そんな思いから俺の足は自然と庭園の隅へと向かい、植木で周囲からの視線が遮られた空間に辿り着いた辺りで、ようやく耳に届く声があった。
「師匠……」
ホワイトレイピアが表情を変えないまま、窺うように呼びかけていた。
さっきから呼ばれているのは気付いていたが、頭の中がごちゃごちゃしていて反応してやる余裕がなかったのだ。
見れば片眼鏡も後ろから追って来ているようだ。
完全に落ち着きを取り戻した頭で、なにも言わずに二人を置いて来てしまったと反省して振り返る。
「すみません、いきなり出て行ってしまって」
「心中お察しします」
この子の場合、本当にわかっているのか微妙だが、わざわざ気遣ってくれているのだから素直に受け止めておこう。
「でも、ひとつだけ確認しておきます。あなたは私の……」
「我は師匠の味方です。師匠が守護すると誓った主であれば、我もまた、この身を振るい怨敵を討ち滅ぼします」
俺が言い切る前に片膝をついて騎士然とした宣言をする。
そんな言動にも少し慣れたようで、そうやって答えてくれると思っていたよ。
この点のみでいえば信頼できるやつだ。
「愚問だったようですね」
苦笑しながら、おもむろに目の前にある白い髪へと触れた。
サラリと流れるクセのない髪質は触り心地もよく、光を反射して白銀にも似た美しい輝きを放っていた。
ホワイトレイピアも身じろぎすらせず、俺に心を許している証とでもいうかのように、むしろ撫でやすい角度にまで頭を下げたので心おきなく堪能する。
すると脳裏に、ある言葉が浮かび上がった。
いや……これはちょっと。
「どうかされましたか?」
「……そうですね」
しかし他に案も浮かばないし、いつまでもホワイトレイピアとか【白龍姫】なんて呼び方ではかわいそうだ。
意を決して、その名前を告げる。
「今からあなたの名は白の騎士です。ヴァイスと名乗るのが、いいんじゃないかと……思うのですが」
言ってから嫌がられたらどうしようと後悔し始め、尻すぼみになってしまう。
でも他に名前なんて思い付かなかったんだから仕方ないだろ!
恨むなら俺に名付けを頼んだ自分を恨んでくれ……。
恐る恐る手を離して反応を窺うと。
「あり難き幸せ! このヴァイスの名に恥じぬよう、忠義を尽くしてご覧に入れましょう」
より深々と頭を下げて、そんなことを言い出した。
もしかして気に入ってくれたのかな?
俺としては、あまりにそのままな意味でちょっと恥ずかしいのだが、本人が喜んでくれているのなら構わないか。
「う、うむ、励みなさい……」
「はっ!」
俺もこんな態度でいいのかな。
未だに接し方が探り探りといった感じだけど、ヴァイスは嬉しそうだ。
いずれこっちも慣れると信じよう。
「なんだか歴史的な場面を目撃した気分だね」
空気を読んで待っていてくれたのか、そんな感想を述べながら片眼鏡が近寄って来た。歴史的ってなんだ?
「言わば聖女と騎士の叙勲式かな。忠誠を誓う騎士に、聖女が祝福された名を授ける……場所も庭園っていうのが個人的かつ内密に行われたって感じでいいね!」
こいつはなにを言っているのか。
そういえば前にも突然おかしなことを口走っていたな。たしか星の輝きに照らされている間だけ開かれる夜会がどうとか……。
だいたい、その場合だと聖女はミリアちゃんの役だ。
正しくは俺を装備したミリアちゃんがヴァイスに跪かれる場面となるワケだが、まあ妄想の話はどうでもいい。
「あなたも、置いて来てしまって申し訳ないと思いますが、あの話を聞いてしまった以上は信用できません」
ルーゲインは仲間に作戦への参加を頼んでおり、半数以上はミリアちゃんの暗殺に反対だと話した。逆にいえば半数近くが賛成しているワケだ。
目の前にいる片眼鏡が、その内のひとりではないと言い切れない。
疑えばキリがないけど、全員が敵である覚悟をしていたのだから今さらだろう。
本来であれば逆手に取って、敵味方の区別ができていないと油断させておくつもりだったのだが、敵の正体がハッキリした今となっては意味がない。
こうなると僅かでもスパイの疑いがある者は近付けないほうが無難だった。
「うーん、やっぱりそうなっちゃうか。でも一応、言っておきたいんだ」
片眼鏡はルーゲインから誘われたこともなければ、あの計画について知らされたこともなく、もし事前に知っていれば反対していたという。
ただしそれを証明はできないし、自分が疑われる立場であると自覚しており、せめてもの誠意としてルーゲインには関わらず、大人しくしていると誓った。
「そんなわけだからすぐには無理でも、いずれ解決したら声をかけてよ。私としては、もっと色々な話とかしてみたいからね」
「…………」
それは本心からの言葉なのか、俺を油断させるためなのか、あるいは【人化】できる俺やヴァイスに取り入って情報でも探る算段なのか。
今は判断できないけど、すべてが終わってからなら、まあいいだろう。
「それじゃあ私は戻るとするよ。あ、でもその前にひとつだけ教えてくれるかな」
「なんですか?」
「まあ、ほとんどさっきの話で確信しているんだけどね」
こう呼ばれるのは嫌いみたいだけど、と片眼鏡は先に謝る。
「クロシュさんって、やっぱりあの【魔導布】なのかい?」
「まだ言ってませんでしたか?」
「聞いてないし、聞かせてくれなかったじゃないか」
言われてみれば、なにか聞きたいことがあるとかなんとか。
「てっきり【人化】についてかと思いましたよ」
「ああっ、それはそれで気になるんだけど……」
教えてやる気はないけどね。そもそも俺自身もよくわかってないし。
ふと、自己紹介した際に訝しんでいたのは、俺が本物のクロシュなのか、同じ名前なだけなのか悩んでいたのだろうと思い至った。
「答えてくれてありがとう。また会おう」
そして今度こそ、片眼鏡は消えて行った。
「ようやく邪魔が失せましたね」
「……まあ、うん」
身も蓋もない発言でも、事実であるだけに否定できない。
でもちょっと、この容赦の無さは賛同し辛いものがあったので流しておこう。
どうも心の機微に鈍いというより、興味のない相手にはとことん興味がないというべきのようだな。
これは場合によって厄介事を招きそうなので、よく注意しておこう。
「ところで私の味方をするということは、ヴァイスもこれまでのように庭園には来れなくなるのでは?」
俺自身はそうなっても仕方ないと考えているけど、ヴァイスまで影響が出てしまうのは、ちょっと可哀相な気がした。
「この庭園に我が通っていた目的は師匠の情報でしたので、もはや訪れる理由がありません。お気になさらず」
「そうですか。いやでも、クレハのことはいいのですか?」
「特に支障はないかと」
「ああ、ひょっとして現実の世界で連絡手段があったりとか……」
「いいえ。あちらで赤とは何度か出食わした程度です。我がどこにいるかなど知る由もないでしょうし、知らせるつもりもありません」
「……ヴァイスってクレハのこと嫌いだったりする?」
「考えたこともありません」
好きの反対は嫌いではなく無関心などと聞いたことがあるけど、ここまで興味を持っていないのは好き嫌いで語る次元ではないだろう。
「されど、師匠の懸念には一理あるかと」
「おお、理解しましたか?」
「このまま庭園から帰ってしまえば、師匠と連絡を取る手段がなくなってしまいます。どこかで落ち合う算段をつけましょう」
「そっちもそうなんだけど……まあいいか」
あまりにクレハが不憫なので、せめて仲直りできる機会くらいは作ってやりたかったけど疲れたので諦めた。なんとかなるさ。
意識を切り替えて、まずは俺がいる場所や現状についてヴァイスに教える。
すると彼女は隣国にいるそうで、すぐにでも合流すると意気込んだ。
しかし俺たちは城塞都市と東の森を行ったり来たりする予定なので、すれ違いになってしまわないか心配だった。
すぐに来ると言っても隣国からでは何日かかるかわからないしな。
そこでヴァイスには問題がない限り、城塞都市に滞在して冒険者ギルドに通って貰うことにした。いずれ俺も登録しに行こうと考えていたので落ち合うには絶好の場所である。時間帯も指定しておけば大丈夫だろう。
「そのミリアという御方は主の子孫であり、師匠の新たな主なのですね」
「ええ、きっと気に入ると思いますよ」
実際のところ、ミラちゃんを主と仰ぐヴァイスが、ミリアちゃんに同じ感情を抱いて主と認めるかは不明だったけど、なぜだか俺には確信めいた想いがあった。
このヴァイスなら、きっとミリアちゃんを護ってくれるだろうと。
「それから、もうひとつ確認しておきたいことが」
「なんなりと」
「ルーゲインの計画について、あなたはどこまで知っていますか?」
やつはミリアちゃんが最後の障害だと言っていた。
つまり暗殺は準備段階で、真の目的は別にあると取れる。
もしヴァイスが計画の一端でも掴んでいればと思ったのだが。
「申し訳ありません。我はなにひとつ知りませんでした」
「念のために聞いたまでです。気にしないでください」
やはりヴァイスにも話していなかったか。
あまり協力的ではなかったみたいだから予想はしていたけど。
「あとは推測するしかないですね……」
かく乱するため意図的に流したウソなのか、俺が味方をすると本気で信じていたのかは定かではないが、ヒントは得られている。
たしかにルーゲインは自分たちの国が手に入るのは、とある国と交渉した結果だと言っていたはずだ。
その某国がミリアちゃんの暗殺にも手を貸しているのは、手鏡が犯罪者を操って肉体としていたことからも明白なのだが……。
「だとしたら、なぜそこまで協力するのでしょうか」
「愚考しますに、作戦の決行は某国にとって利があるためではないかと」
「間違いないですね」
ヴァイスの的確な答えに賛同する。
だからこそ成功した暁には、新しい国を提供する契約なのだろう。
「ただ、どれだけの利益があれば国なんてあげてしまえるのか……」
国の価値なんて興味ないけど、例え都市国家であっても、そう簡単に用意できるものではないはずだ。その事実が作戦の規模の大きさも裏付けている。
「そういえばヴァイスは帝国の隣国にいると言っていましたね。私は長く眠っていたこともあって周辺国に明るくないのです。簡単に教えてくれませんか」
「御意に」
端的にいえば、帝国の周囲には二つの国があるようだ。
西に地続きの武王国、東の海を越えた先に自由商家連合国。
やはりヴァイスは興味がないようなので具体的な説明は期待できなかったが、なんとなく名前から察せられるな。ちなみに武王国に滞在しているらしい。
この二つの国のどちらかがルーゲインに味方しているのか……。
「師匠。もうひとつ疑わしい国があります」
「……帝国ですか」
まさかとは思うが、可能性としては捨て切れない。
仮にミリアちゃんが自国に命を狙われているのなら、ルーゲインを倒したとしても次の敵が現れるだけなのではないか。
なんらかの陰謀が動いているとしたら根本的な解決方法は……。
「いえ、これ以上はやめておきましょう。憶測で敵を決めつけたせいで真の敵を見逃しては本末転倒ですからね」
「出過ぎた真似をしました」
「私が気付かなかったことを教えてくれただけですから構いませんよ。それに敵の目的がわからずとも、どうすればいいのかはハッキリしています」
ミリアちゃんの存在が障害となっているのなら、彼女を護っているだけで作戦は進まず、俺たちは勝利できるはずだ。そうでなくとも俺はミリアちゃんを護るつもりなのだから真の目的なんて知らずとも、なんのことはない。
結局はいつも通りというワケである。
「承知しました。我らは主を護り通すまで」
「ヴァイスにも期待していますよ」
「はっ!」
とてもいい返事に俺も安心する。
そうして話を終えた俺は、さっさと帰ることにした。
この敵の本拠地とも言える場所に、あまり長居をしても良くないだろう。
しかし色々なことがあったので、ミリアちゃんたちにどう説明するか悩むな。
なんにせよ、まずは予定していた通りにご両親の安否から教えてあげよう。
懸念していたことに関しても、ひとつ思い付いたのでどうにかなると思う。
「では師匠。再会の時を心待ちにしております」
名残惜しそうに言って、ヴァイスは俺が消えるのを最後まで見届けていた。




