大丈夫ですか?
遅くなりました。
誰もが動きを止め、俺も意識はあるものの身動きひとつ取れなくなっていた。
そんな世界で、ただひとりの幼女だけが軽快な歩みで近寄って来る。
時にスキップで加速し、時に千鳥足でよろめき、時にケンケンパでころぶ。
間違いなく、間違いようもない。
こんなに傍若無人で無邪気な幼女など、俺は他に知らない。
てれるなー。
奇妙な【念話】っぽいこれも懐かしい。
でも、どうしてこんなところに幼女神様が……?
あいにきた、だけかなー。
会いにって俺に?
おはなしが、したかった、からねー。
たしか以前は【神託】というスキルで普通に話せていたけど、色々あって失われてしまったのだ。
だから、わざわざ俺と話をするために訪れたと。
嬉しいけど、ならばその姿はいったい……。
トテトテと歩いてようやく俺の目の前までやって来た幼女神様。驚くべきことにというか当たり前だが、容姿は見まごうことなき幼女だ。
その小さな体と、あどけない顔立ちから推測するに外見年齢はミリアちゃんよりも年下である7歳くらいだろう。
腰にまで届く長い艶やかな黒髪は左右を結んでツーサイドアップにされ、視線を合わせた瞳は神々しい黄金色の煌めきを放っている。
幼い体躯を包んでいるのは黒いインナーと、白を基調とした丈がお尻までをすっぽりと隠す長さのコートに、ちらりと覗かせる太股から下はニーハイソックスとブーツに覆われている。
まさに幼女の神と呼ぶべき御姿が顕現していた。
しかし過去に一度も、こんな素晴らしい姿は微塵も見えなかったというのに。
ようい、したー。
用意できるものなんだ。
でも、前に幼女神様の姿を見るには努力が必要って言われた気がするけど。
まつの、めんどう、だったからー。
俺が見えるようになるのを待てなかったと。
そういえば、そういう御方でしたね。
あまりにいつも通り過ぎて、久しぶりの再会なはずなのに驚けばいいのやら感動すればいいのやら混乱しちゃうな。
じゃあ、おはなし、いいかなー?
このマイペース感も懐かしいですね。はいはい、どうぞ。
クロシュくんは、いま、たのしんでるー?
俺が楽しんでいるかどうかが知りたいんですか?
ずっと、みてたけど、たのしく、なさそうだからー。
見てたというのは300年間ずっとなのだろうか。
ともかく、今が楽しいかと問われたら俺は楽しいと答えよう。
ミリアちゃんたちと一緒にいる時間は至福だからね。
ほんとー? かなかなー?
いや、本当ですよ。
うそだー。
いやいや、ウソだと言われても。
じゃあ、どうして、ここにいるのー?
どうしてって……見ていたんだから知っているでしょう?
ここにはミリアちゃんの両親を探すために来たんですよ。
あ、それともノンキに観光している理由のほう?
えっとねー、クロシュくんの、もくてきは、なんだっけー?
それはもちろん、ミリアちゃんを護ることですね。
もひとつ、しつもん、いいかなー?
なんです?
ようじょは、どうしたー?
……あれ、そういえば、いやでもミリアちゃんも幼女ですし。
別に間違ってないんじゃないですかね。
やっぱりー。
なにがです?
クロシュくん、よゆうが、ないんだと、おもうなー。
……すみません。まったく話が見えて来ないのでわかりやすく。
じかんは、あるから、ゆっくり、いこー。
長くなりそうですけど、お願いします。
まずー、クロシュくんは、こしつ、していると、おもうなー。
固執している、ですか?
むりに、まもる、ひつようは、ないんじゃ、ないかなー。
もしかしてミリアちゃんのことを言っているんですかね。
俺としては、護りたいからそうしているだけなんですけど。
だから、がまん、してるのかなー?
なにを我慢していると?
ごえー、とか、きぞく、とかー。
護衛や貴族は……たしかに面倒だと思うこともありますけど、でも護るってそういうもんでしょう。嫌だからって逃げてちゃなにも護れないですし。
にげて、いいんだよー?
……え?
クロシュくんが、まもるのは、クロシュくんが、たのしいからだよー。
……俺が幼女を護るのは、幼女のためじゃなく自分のためってことです?
ですー。
まあ否定はしませんけど、だからといって逃げてばかりじゃ……。
でも、そのせいで、たのしくない、よねー。
いやいや、充分に楽しんでいますってば。
だったら、あれも、たのしかったの、かなー?
あれ?
なんにん、ころしたっけー?
…………。
たのしかったー?
楽しくは……なかったかな。
わたしは、クロシュくんに、もっと、たのしんで、ほしいなー。
でも俺、やっぱりミリアちゃんたちを護りたいんですよ。
そっかー。
さっき楽しいって言ったのはウソじゃない、と思う。
ミリアちゃんたちと一緒にいると心が安らぐっていうか……とにかく今は大事な場面でもあるワケだから楽しんでばかりもいられないってだけだ。うん。
それに逃げたからって、その先に良いことが待っているとも限らない。
だったら俺は目の前の幼女を護って、それから思う存分に楽しみたい。
それなら、きょうりょく、しようかー?
幼女神様が協力……頼もしいけど、それは……。
300年前、別れ際にした会話を思い出す。
『再開する時には、もっと強くなっていますよ。それこそ幼女神様の手を借りずに済むくらいにね』
『楽しみにしてるねー』
俺は、あの時の言葉を覆したくはなかった。
幼女神様の力を借りずに、自分の力でこの問題を解決したい。
これってワガママかな?
わがまま、だなー。
すみません。
でも、クロシュくんは、いったよねー?
なんでしょう。
わたしにも、できることと、できないことが、あります、だったかなー。
もしかして、それってクーデルと話した時の……。
たよって、くれても、いいんだよー?
でも俺は……。
ひとりで、がんばらなくて、いいんだよー?
……なんかもう、幼女神様にはなにもかも、お見通しって感じですね。
だって、かみさま、ですからー。
だったら少しだけ、神頼みなんて情けないところ見せちゃっても、いいかな?
その、ことばを、まっていたー。
いつからか、俺は幼女神様に頼らないように頑張ろうと考えていた。
願いを叶えてくれた幼女神様に感謝していたし、なにより幼女神様だって幼女の括りに入るのだから、あまり手を煩わせるのは良くないと思い込んでいたんだ。
だけど幼女神様は、それを望んでいなかった。
だって、たぶんだけど、この幼女は……。
本当はとてもつなく、ヒマなんですよね?
よくぞ、みやぶったー。
やはり自分がヒマだから俺のところに来ただけだった!
だってー。
俺に楽しんで欲しいってのも、要は幼女神様が楽しみたいからなんでしょう?
そろそろ、おまちかねの、あどばいす、だよー。
誤魔化した。別にいいんですけどね。
幼女神様を楽しませるのも、信徒たる俺の役目ですし。
道化のように踊り狂ってやりますとも。そいやっそいやっ。
まあまあ、あどばいすは、ほんとー、だからー。
こうなったらトコトン付き合いますよ。
えっとねー、クロシュくん、ステータス、みてるー?
最近はあまり確認してなかった気がするけど、なにかあるのかな。
気になって表示してみると称号欄の最後に……。
【魔王の卵】
第二条件の解放を確認。残り三項目。
ちょっと幼女神様、また勝手に付けました?
やっぱり、きづいて、なかったかー。
俺はてっきり幼女神様がいつものように、おふざけで付けたのだと早合点してしまったが、どうも違うらしい。
そもそも称号は取得するとメッセージめいたものが流れるから、気付かないなんて考えにくいのだ。
だとすると、これは……。
あのときの、クロシュくんは、ちょっと、あれだったからねー。
あれ? というか、あの時というのは?
おぶつは、しょうどく、だー。
森で暗殺者を皆殺しにした時か……。
よく、わかったねー。
わからないと思うような答えを返さないでくれませんか?
まじめに、はなすと、つかれちゃうからー。
先は長そうだ。
意識はないだろうけど、止まりっ放しのミリアちゃんたちに心の中で謝罪する。
うーん、ずっと、このままなのも、つまらないから、まいてこー。
幼女神様の行動基準は楽しいか、楽しくないかのようだ。
でもせっかくなので重要な部分は巻かないでくださいね。
わかったー。
称号【魔王の卵】について、わかったことをまとめよう。
この称号は第一条件である魔王関連の称号を入手し、さらに第二条件である特定量の人間の魂を手にすることで得られるそうだ。
残りの条件は、100レベルを超過、魔王スキルの取得、称号【英雄】持ちの殺害による称号【英雄殺し】の入手となっている。
条件を満たすと覚醒し、称号【魔王の卵】は【魔王】へと変化する。
俺の場合だと【強欲の片鱗】という称号を持つから、そのまま【強欲】の魔王になるみたいだ。
そして、重要なのはここからである。
未覚醒の段階でも精神が汚染されるそうで、具体的には憎しみだとか怒りといった感情が何倍にも増幅され、魔王化が進めば見境なく攻撃するようになるとか。
やがて覚醒すれば俺の意識は消滅し、世界を滅ぼそうとする……と。
こんな感じですかね。
ほかにも、えいきょうは、あるけど、そんなかんじだねー。
前に本で読んだ時から疑問だったんですけど、世界を滅ぼそうとする魔王ってなんなん? なにがどうして俺が魔王にならなきゃいけないん?
まおーは、じゃしんに、つくられた、からねー。
魔王は邪神に作られた、ですか。
じゃしんは、ずっとまえに、せかいを、こわそうと、したんだよー。
ひょっとして幼女神様は、当時そこにいて戦っていたりとか?
そんな、ことも、あったかなー。
もしかして……いや、それより覚醒を止めたりできないんですか?
できるよー。
できるんだ。
しょうごうを、けしちゃえば、いいからねー。
なるほど。原因は称号なんだから、自在に付けたり消したりできる幼女神様なら簡単に覚醒を防げるワケだ。
でも、そうなると、クロシュくんが、よわっちく、なっちゃうからなー。
え、俺の強さの根源って魔王化にあるの?
だって、ねてた、だけだからねー。
てっきり幼女神様の加護と、ミラちゃんが頑張った結果かと。
よのなか、あまく、ないよー。
甘さの極致にいる幼女神様に言われても。
それも、そうだねー。
あっさり認めちゃってことは、解決策もありそうだなー。ちらっ。
あるよー。
本当にあるんだ。
たましいを、かいほう、すれば、いいだけだからねー。
つまり人間の魂の入手率をゼロにしちゃえば、魔王化は進行しないと。
そうすれば現状の強さを保ったままで、覚醒しなくて済むようだ。
前から思ってたけど、やっぱり幼女神様が一番のチートだ。
じゃあ、その方向でお願いします。
うん、もう、おわってるよー。
仕事が早いですな。
はやい、つよい、おさない、がモットーだからねー。
早い、強い、幼い。素晴らしい言葉ですね。聖典に記しておきましょう。
うわようじょつよい……と。
それからねー。
はいはい。
まおーは、ぜんぶで、ななにん、いるよー。
魔王は七人、なんとなく予想はしてましたね。
クロシュくんを、いれたら、よっつは、もう、あんしんだよー。
俺の他に、三人の魔王が討伐されたってことかな?
たいだは、ひゃくねんごに、でてくる、かなー。
たいだ、たいだ……怠惰? あれ、もう倒されたんじゃなかったっけ?
ミリアは、ミラの、クローンの、しそんだよー。
……は?
しきよくと、たたかって、いろいろあって、できたよー。
色欲って魔王のひとり? ていうか、え、クローンの子孫?
それからー。
待って、ちょっと待って!
さっきから、なにを言ってんです?
ねたばれー。
ネタばれだったの!?
たしかにネタばれっぽい情報もあったけど、なんでネタばれするの?
だって、わからない、ことがあると、ふあんでしょー。
……まあそうですかね。
ふあんだと、たのしくない、でしょー。
そうなる……のかな?
それでねー。
待って、平然と続けようとしないで。
えー。
あまりネタばれされたら、それこそ楽しくないでしょう?
教えてくれるのはありがたいんですけど、必要な情報だけにして貰えたら、もっと嬉しいなって。
それも、そうだねー。
理解してくれましたか。
てきの、もくてきを、おしえようと、したんだけど、わかったー。
あ、待って、それは知っておきたい。
いまは、まだ、しるときでは、ないよー。
うむむ……そもそも、なぜ幼女神様はなんでも知っているのか。
だって、かみさま、ですからー。
愚問でした。
ただ……ひとつだけ、どうしても知っておきたいんですが。
なにかなー。
ミリアちゃんの両親は、生きているんですか?
いきてるよー。
……ありがとうございます。
それだけで、いいのー?
充分です。あとは俺がなんとかしてみせます。
たのしみに、してるねー。
はは、それじゃ幼女神様が退屈しないよう頑張りますね
ところで、これから幼女神様はどうするんですか?
いっしょに、いくよー。
そうだろうなとは予想していた。
じゃないと、また話をするたびに来て貰わなければならないからね。
幼女神様が一緒にいてくれるなら不安などあるはずがない。
ただ、見た目が完全にただの幼女なので、常に同行させるのは難しそうだ。
クロシュくん、いがいには、みえないよー。
え、俺にだけ見える幼女?
ご褒美かと喜びかけたけど、俺の視線に鋭いミリアちゃんの前ではうっかりすると変人に思われてしまいそうだ。
見たいけど、見てはいけないなんて……。
それとねー。
はい?
さんだつは、ちゃんと、しらべてねー。
スキルの【簒奪】のことだろうか。
言われた通りにちゃんと調べる……というか注視すると新しい枠が表示された。
そこには【召喚術・上級】【悪魔の契約】【隷属の魔眼】といった物騒なスキルが……ってこれは!
さんだつは、そうやって、つかうんだよー。
なんと、俺のスキル一覧には表示されないということか。
どうりで見当たらないワケだ。しかもこれは暗黒つらぬき丸から奪ったスキルじゃないか。忘れかけてたよ。
これで奪ったスキルが使えるようになったぞ。使いどころは不明だが。
ありがとう幼女神様。
あとはねー。
おっと、まだあるのか。
つぎの、しんかは、れべる、ひゃくから、だよー。
レベル100で進化できるってことか。
今はレベル74だから、結構すぐにでもできちゃいそうだな。
また失態を晒さないように心がけておこう。
それと、さいごに、じゅうだいな、おはなしー。
お聞きしましょう。
あしたの、おひるに、あそこに、いってねー。
明日の昼に、あそこに行く……?
あしたで、いっしゅうかん、だからねー。
明日で一週間……昼に行くといえば。
もしかしてインテリジェンス・アイテムが集まる、あの、名前を忘れた。
つまり例の集会に行けってことでいいの?
あらたな、ちゃれんじゃー。
倒したら仲間になるのかな?
おたのしみー。
行ってみればわかる、か。
知りたい情報はほとんど得られたし、あの片眼鏡に会う必要もないと思ってたけど、これも忘れないようにしないとな。
ずいぶんと話し込んでしまった。
幼女神様からの『あどばいす』も終わりのようなので、そろそろ『神話領域』を解除して貰おう。……この呼び名も久しぶりだ。
そうだ、クロシュくん、かくにんだけ、するねー。
はい、確認ですか?
さっき、なんでも、しってるって、いったでしょー?
言いましたね。
なんでもは、しらないよー。
知ってることだけってワケですか。
うん、ちゃんと、もどった、みたいだねー。
……えーと、なにが戻ったんですか?
ふふふー。
不敵な笑い声と共に、静止した世界が何事もなかったかのように動きだした。
静寂から一気に街の喧騒に包まれて、少し耳の奥に痛みを感じながらも辺りを見渡すと、目の前で幼女神様がにこにこしている以外は、すべてが元通りだ。
「クロシュさん……?」
声に振り向けば、不安げな顔をしたミリアちゃんが俺を見上げていた。
クローン。
そんな単語が脳裏を掠めたが、だからどうしたというのだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「……ちょっと考え事をしていただけです。心配かけてすみません」
にこっと笑顔を見せて元気だとアピールすれば、ミリアちゃんは安心したように前を向いて歩き出した。
さあて、冒険者ギルドとやらは、どんなところなんだろうな。
不思議と心がワクワクし始めているのを自覚しながら後に続いて足を踏み出す。
その一歩は、やけに軽く感じられた。




