食べすぎです
「たしか、ここにいるはずだと……」
「おやクロシュ殿ではないですか」
「ああ、ナミツネ。貴方に用があったのです」
近くにいたメイドから総長ナミツネの居場所を聞いた俺は、この時間なら警備隊詰所にいるはずと言われて訪ねて来たのである。
警備隊詰所とは目立たない屋敷の裏手に建てられた小屋であり、要するにその日の警備を担当する者が待機する場所らしい。ここから見回りに出たり、あるいは休憩したりするそうだ。
すでに日も落ちていたが渡り廊下で繋がっていたので迷うことなく辿り着き、中を窺うとメイドの言う通りあっさりとナミツネを発見できた。
詰所内はイスや机など最低限の調度品だけが置かれている他に装飾品は一切ないようだ。奥にも部屋が続いているようだが特に興味はない。
「立ち話もなんですな。どうぞ」
促されてイスに座ると奥の部屋から何人かがこちらを覗き見ていた。
あれは警備隊の者だろうが、いったいなんだ?
「ううむ、すみませんなクロシュ殿。話は通しておいたのですが実際に見てない者は……やはりクロシュ殿の美貌は目を引いてしまうようで」
ふむ。あれらはミラちゃんの容姿に心を奪われたというワケか。
ならば仕方ないな。てきとうに微笑んで印象を良くしておこう。
見よ、衝撃の大天使ミラちゃんスマイル!
「うおぉぉ! オレを見て笑ってくれたぞ!」
「ばっか野郎お前じゃないって!」
「おい押すなっ、誰だ足踏んでるのは!?」
ミラちゃん……なんと罪作りな人だ。
だがこれで終わりではないぞ。抹殺のセカンドスマイルを――。
「クロシュ殿、なにか用があったのでは?」
おっとそうだった。
「ここへ来たのは騎士隊の総長であるナミツネに、警備体制がどうなっているかを確認するためです」
「警備体制というと?」
「昨日の襲撃があった場所はエルドハート家、つまりこの家の敷地内だったとカノンが口走っていました。それと番兵がどうとかも」
番兵というのは見張りとか、警備員みたいなものだろう。
そいつらがしっかりしていれば、あの襲撃は未然に防げたと思うのだ。
当初こそは情報を敵へと流しているスパイの可能性も疑っていたけど、それはこっそりと行った【鑑定】によって却下された。
だからと言って、現に警備を掻い潜って侵入されているので、どこからか情報が流出していないとも言い切れない。
ともかく騎士たちのトップであるナミツネには事情を聞かなければなるまい。
「話は理解しました。すでにお嬢様やクーデル殿には説明しましたが、よろしければクロシュ殿にもお話ししましょう。ただそれには、まず先にアーティファクトについて説明しなければなりませんな」
ナミツネの話によると、アーティファクトというのは古代の魔導技術が使われた遺物であり、身近な物でいえばミリアちゃんの螺旋刻印杖もアーティファクトなのだそうだ。
それにどんな関係があるのかと思えば、なんとこの屋敷の周辺には警備用のアーティファクトが設置されていたようだ。
遠隔監視尖塔とミリアちゃんに名付けられたそれは、実際は柱とも呼べる程度の大きさで、先端に取り付けられた珠が動く物体を捉えると、詰所に設置された球に赤い光を灯すことで侵入を報せるそうだ。警報装置のような物か。
「そんな便利な物があるというのに、なぜ襲撃を察知できなかったのです?」
「実はですな、お嬢様の提案で半年ほど前から導入しているのですが……野生の動物にまで反応してしまい、何度も無駄な出動を繰り返しているうちに誰も気にしなくなっていたようで……」
要するに装置は仕事を果たしていたのに扱っている者に問題があったと。
って、結局は怠慢じゃないか!
「当番の者を解雇処分にするべきか悩みましたが、これは偶然その者が当番だっただけで他の騎士たちも同罪ですし、お嬢様からも無闇に導入したのが悪かったとお言葉を頂きましたので、今回に限っては不問となりました」
ミリアちゃんが決めたのなら俺も口出しはできないな。
ちょっと甘いと思うけど、信頼できる者を手放したくない一面もあるような気がするし、これから心機一転して励んで貰えれば構わないだろう。
だが信頼と信用は別物だと俺は考えている。
どれだけ味方であると信頼できても、ちゃんと与えられた仕事ができると信用できなければ結局は同じことになる。
つまり、今後の警備が心配なわけで……。
「ご安心ください。問題の遠隔監視尖塔はひとまず使用を中止することになりましたので、今は以前のように見回りや見張りを強化しておりますゆえ」
それが無難かな。
しかし動物にまで反応するというのは聞き覚えがある話だけど、せっかく魔法などと便利な技術があるのだから、どうにか対象を絞れたりはしないのだろうか。
残念ながら俺には見当も付かないし、そんな片手間で改善できる物でもないだろうから、もったいないけど現状では諦めるしかなさそうだ。
……これで聞くべきことは聞いたかな。そろそろ行くとしよう。
「では私はこれで失礼しますね」
「おっと、もう行ってしまうのですか」
「他にも用がありますので」
そう言うとナミツネは少し残念そうな顔をした。
「いやぁクロシュ殿がいると騎士隊の士気が上がりそうなもので」
「はぁ……?」
ふと視線を奥の部屋に向ければ、たしかに飽きもせずにこちらを覗いている連中がいた。あれでバレてないとでも思っているのか。
だが待てよ。
思わず生返事で返してしまったが、今後も彼らには奮起して貰わなければならないのだ。ここで士気を向上させておけばミリアちゃんのためになるか。
面倒だが、もう少しだけ留まることにしよう。
「それでしたら、お茶を一杯だけ頂けませんか?」
飲み終わるまではここに残ってやるという意味だ。
というか仮にもミリアちゃんに仕えている騎士なら、言われなくてもお茶くらい出して欲しいものである。どうも礼儀に欠けている節があるぞ。
言われて気付いたのかナミツネも慌てたように指示を飛ばした。
「お前たち、ぼけっと見てないで最高のお茶を出すんだっ!」
「よっしゃ! 総長が隠してる高級茶葉を持ってくる!」
「ついでに総長の隠してる高級お菓子も持ってこい!」
「じゃあオレは総長の高級クッションを!」
「総長のへそくりも献上しろ!」
「ちょっと待て!?」
急にドタバタと騒がしくなり、こいつら警備は本当に大丈夫なのだろうかと少し心配になってしまった。
やっぱり、さっさと引き上げたほうが良かったのでは……?
などと後悔している内に薄い緑色のお茶と、パウンドケーキのようなものと、尻に敷くクッションと、マジで封筒に入った現金が差し出された。
総長の顔が急な腹痛に耐えてる人みたいになっていたので封筒だけは慎んでお断りし、さっさとお茶を頂くことにしよう。
騎士たちが注目するせいで妙な緊張感に包まれた中、まずはお茶を一口。
む……なかなか。
それに緑茶っぽいから苦いかと思ったら苦味はまるで感じず、むしろまろやかな口当たりで飲みやすい。
さすがは高級茶葉というだけはある……が、ハッキリ言ってしまえばメイドさんが淹れてくれたお茶のほうが格は上だ。茶葉自体が違うのだろうけど技術の差も大きいのだろう。努力は認めなくもないんだからね!
というツンデレ批評はともかく、続けてお茶受けとして出されたパウンドケーキのようなものを食べてみよう。
見た目は食パンの断面のように四角い。中は黄色で耳の部分は茶色と、見れば見るほどパウンドケーキを小さなフォークで一口サイズに切り分け、パクリ。
こ、このパウンドケーキみたいなの美味いぞ!?
しっとりとした食感にくど過ぎないバターの甘さ、口に含んだ際に鼻孔をほんのりと抜ける小麦の香り。
それだけじゃない……このお菓子には、このお茶がよく合っている!
なるほど、組み合わせというものがあったか。
お茶がお菓子を引き立て、お菓子がお茶を引き立てるってアレだ。
ふふ……完敗だな。素直になろう。このお茶とお菓子は……。
「とても美味しいですね」
心の底からの笑顔でそう言うと、詰所は歓喜に沸いた。
「よっしゃぁぁぁ!」
「さすがは総長が隠してた高級品だ!」
「まさに、天使の笑顔……っ!」
「もっと遠慮せずにどうぞどうぞ! いっぱいありますので!」
「私もとっておきを出した甲斐がありましたな!」
ははは、こやつらめ。
どうやら士気向上という目的も果たされたみたいだし、そこまで言うのなら俺も遠慮はしないぞ。
それから俺はパウンドケーキのようなものを食べ尽くして大変満足でした。
騎士たちも終始にこやかだったけど、ナミツネだけは笑いながらも涙を飲むことになった。だって遠慮するなって……。
今度こそ詰所を出ようと扉に手をかけた時、この際だからと軽い気持ちで以前より気になっていたナミツネの名前について聞いてみた。
明らかに和風な響きで、もしかしたら日本と関係があるのではと考えたのだ。
すると、ナミツネは意外な答えを口にする。
「私の名前はお館様、つまりお嬢様の父君であるノブナーガ様と同じく、かつて召喚されたという勇者に由来するそうです」
まずノブナーガってなんだよとツッコミを入れたかったが話が進まないので受け流しておいた。肝心なのは召喚された勇者とやらだ。
だがナミツネも詳しくは知らないそうで、フォル爺なら歳のせいかその辺りも詳しいという。
ちょうど良かった。フォル爺にもちょっとした用があったのだ。
通りすがりのメイドに訪ねるとフォル爺は調理室にいることが多いようだ。
しかし場所がわからないので案内を頼むと、なぜかメイドが五人に増えて周囲を取り囲まれながら移動することになった。
別に不都合はないんだけど、これって傍目に見たらメイドを侍らせている軽薄な男に……ってそれはないか。ミラちゃんの姿なんだし。
安心したところで調理室に到着した。意外と近かったらしい。
メイドたちには、ここまでで十分だと礼を言って仕事に戻るようにお願いする。放っておくとどこまでも付いて来そうな予感がしたのだ。
案の定というか、残念そうな顔をしながらも去って行ったのをしっかりと確認してから、俺は調理室へと入った。
「むっ、そこの君、勝手に入らないでくれるか。というか見ない顔だが誰だ?」
「新しいメイド……にしては美しすぎる気もするけど、いいね」
「どことなく、お嬢様に似てる気も……」
なにかの作業をしている最中だったのであろう調理服を着込んだ男たちに注意されてしまった。恐らくはフォル爺の部下か。
これは無断で立ち入った俺が悪いので素直に謝ろうとしたのだが……。
「やあ、お嬢さん。ここは少し立て込んでいてね、よければ向こうの部屋で話さないかい? ちょうどカルトネーラ産の良いお茶が手に入ったんだ。今ならフォルゴの銘菓も用意できるよ」
軽薄な男ってのは、こういうやつのことを言うのだろうな。
どうやら俺を新しいメイドかなにかだと勘違いしているようで、客か使用人かの確認も取らないのは問題に思えるけど、良いお茶と銘菓とやらは気になります。
「おい、やめとけよ」
「でも彼女も満更じゃなさそうだぜ?」
おっと、ついつい釣られてしまうところだった。
「勝手に入ったことは誤ります。私はフォル爺の用があるのですが」
「総帥なら奥で作業中だけど……あっ」
「じゃあ別室でオレと話しながらゆっくり待つというがっ!?」
「なに馬鹿なことをやっておる!」
軽薄な男は後ろからヌッと現れたフォル爺に気付かなかったようで、空の寸胴鍋で頭部をぶっ叩かれて悶絶している。
同僚らも教える気配がなかった辺り、普段からこんな感じの光景が繰り広げられているのだろうと察せられるな。
「明日の仕込みは終わっとるんだろうな?」
「はい総帥! そいつはまだみたいですが……」
「ほほう?」
「いや、もう少しで終わりますんで! というか、この子がいきなり入って来たのでオレが注意していたんですって!」
口説こうとした相手のせいにする気かこいつ。
一言、いや二言くらい文句でも言ってやろうかと一歩前へ出るとフォル爺と目が合った。軽薄男の影に隠れて見えていなかったようだ。
「こりゃ、クロシュのお嬢じゃないですかい。なにかご用でも?」
俺の姿を認めるやいなや、険しい表情を朗らかに変えるフォル爺。
その様子とクロシュという名前を呼んだことから、ようやく周囲の者たちの表情にも理解の色が浮かんだ。
特に、目の前にいる男の顔色は劇的に変化している。
やはり俺の情報は伝わっていたけど、どんな姿かは知らなかったようだな。
「クロシュのお嬢、こやつらが無礼を働かなかったかのう?」
「そちらの方にお茶の誘いを受けましたね」
「……ほほう?」
今度のほほう? は先ほどよりもトーンが低く、そしてドスが利いていた。笑顔のままなのに心なしか、こめかみに血管が浮き出ているように見える。コワイ!
対する男はアワレ、顔を真っ青にして視線を泳がせるばかりであった。
しかし今回はさっさと名乗らなかった俺にも非はあるだろう。
なので、助け船を出してやることにする。
「ところでフォル爺に話があって来たのですが、少しよろしいでしょうか」
「おお、ちょうど仕込みが終わったところじゃよ」
どうにか話を移せたようだ。
軽薄男もほっと一安心し、にこっと笑みを見せる。
おやおや、誰も無償で助けるとは言ってないのだがね?
「それと、先ほどの話に出ていた良いお茶と銘菓に、とても興味がありますね。よほど美味しいのでしょう?」
ここから意図を察したフォル爺と俺による小芝居が展開され、軽薄男は抵抗も空しく銘菓を献上するハメになったのである。
ごちになります。
「今日は私の分の夕食までありがとうございました。とても美味しかったです」
「なぁに、そう言って貰えるだけでワシは満足じゃわい」
場所を調理室に隣接した休憩部屋に移し、俺は銘菓とお茶を楽しみながらフォル爺と話をしていた。
扉の外には聞き耳を立てている気配を複数感じるが放っておこう。
「しかし、そんなに食べて大丈夫なのかのう?」
単に夕食の後なので心配しているのだろうけど、そういえばここに来るまでにクーデルからもお茶を、ナミツネのところではお菓子まで完食していた。
だというのに満腹感は依然として訪れない。
これが甘いものは別腹ってやつなのか。
ちなみに銘菓というのはチョコレートがかかったビスケットだった。
フォル爺によるとチョコの産地は遥か南方の国で、流通の問題から皇帝国内では珍しいのだとか。なおさら美味しく感じられるね。
さくさくと頬張る俺の食べっぷりから杞憂だと考え直したのか、フォル爺もそれ以上は言及しなかった。
「それで、ワシに話とは?」
「ひとつは先ほどの通り、お礼を言いに来たのですが、それともうひとつ……」
俺はナミツネから聞いた勇者について尋ねると、フォル爺はウワサとして知っている程度だと前置きしてから話してくれた。
あまり詳しくないのかと少し残念だったけど、それも仕方ないというもの。なんと当の勇者とやらは300年前……要するに俺とだいたい同時期に召喚されたらしいというのだ。
ミラちゃんや魔導布としての俺の情報、魔法についての技術まで喪失している現代だ。複数いるという勇者なんて断片的にしか伝わってなくても不思議ではない。
そんな僅かな情報の中、和風な名前の勇者はたしかに300年前にいたという。
ただし、存在したということくらいしか判明していないのだとか。
より詳細な記録は、かつて一度滅びて復興した東の国か、その南にある勇者の子孫が興した国じゃないとわからないようだ。
なんか魔王がどうとかで見た気がするな。
どちらにせよ、その両国には行くことはそうそうないだろう。
せめて本当に日本人だったのか、チートスキルは持っていたのかは知りたかったんだけど、まあ単なる好奇心だったし諦めるとしよう。
「次はワシからも質問するぞい」
「私に答えられることであればどうぞ」
「なに簡単なことじゃよ。食べ物に好き嫌いはあるのかと思うてな」
なるほど。料理を作る側として、それは重要だ。
だが過去の俺ならともかく、味覚がミラちゃんのものと同等になった俺には嫌いな食べ物というのがわからない。それはすなわち、ミラちゃんが嫌いな食べ物だからな。甘いものが好きだったのだろうということしか推測できないのだ。
隠すことでもないので、俺は正直にその辺りの事情を説明する。
「甘いものは……まあ見れば分かるわい」
おや、いつの間にかチョコビスケットも完食してしまったようだ。
「しかし味覚まで聖女様と同じということは、あのテーブルマナーもやはり聖女様と同じだったのかのう?」
「テーブルマナー?」
「うむ……その様子では気付いとらんかったようじゃな」
どういうことか理解できずにいると、驚くべき事実を教えてくれた。
夕食の時、俺は普通に食べているつもりであり、食事形式もマナーを気にしなくていいように配慮してくれているとさえ感じていたのだが、他人から見れば俺はしっかりとマナーを意識した所作をしていたらしいのだ。
「私はマナーについて明るくないのですが……」
「ワシもそう思っておったし、お嬢もわざわざワシにそう伝えに来てのう」
あの食事形式はミリアちゃんの指示だったのか。なんと良い子なのだろう。
「そうなると、クロシュのお嬢は聖女様の作法を身に着けてしまったとしか考えられんと思うが……どうじゃ?」
味覚だけではなく無意識的な動きまでミラちゃんのものになっていたと?
さすがに、それは自分では気付けなかったな。
なにせ実際は優雅な立ち居振る舞いをしていたとしても、俺自身は普通に歩き、普通に話し、普通に食事をしているつもりなのだから。
まさか考え方までミラちゃんになっていたり、もっと言えば人格が……と少し怖くなってきたのでやめておいた。
俺は、俺のはずだ。
そしてミリアちゃんを護ると誓った……なら問題ない。
「すっかり話し込んでしまいましたね。そろそろ失礼します」
もうすぐ夜も更ける。
今夜は最後に、ミリアちゃんに会いに行こう。




