甘味は最強です
書物室は有り体に言ってしまえば本を保管している、ただの倉庫だった。
一応は個人で調べ物をする際に用いることを想定しているためか、ひとり用の机とイスが壁際に設置されているけど、それ以外は処狭しと埋め尽くされた本棚によって薄暗く、どうしても倉庫という印象は拭えない。
ただ掃除だけは行き届いているおかげで埃っぽさは一切感じず、ここで本を読むのに抵抗感はなかった。
ならばと案内してくれたメイドにお茶を頼む。
閉め切られていたカーテンを開いて日の光を室内に取り込むと、それだけでも結構な明るさとなった。
「さて、どこから始めようかな……」
ここには歴史書があると聞いていたので、まずはそれを探しつつ物色してみるとしよう。
端から順に目を通し、いくつかの本を手に取って机に並べた頃にお茶の用意が整った。ちょうどいいタイミングだ。
なかなか長期戦になりそうだからな……。
分厚い本を肩手に残りを積み重ねながら挫けそうな心をどうにか持ち直す。
用があればお呼びくださいと言い残してメイドが退出したのを確認すると手にしていた最初の一冊、歴史書に視線を向けた。
表紙には【皇帝国ビルフレストの栄華】と題されており、重厚な装丁はこれが皇帝国の長い歴史なのだと教えてくれる。
まずは軽く目を通し、目的の年代まで飛ばすとしよう。
「……しかし長いな」
パラパラとページを捲る音だけが耳に届く。
甘い香りのお茶を一口含むと、僅かな苦みが舌をくすぐり喉を潤す。
雲が太陽の下を横切れば光の落差に目が眩みそうになった。
人の体に戻ってからというもの、それらひとつひとつの感覚が懐かしくもあり、そして妙に楽しくもあった。戻る瞬間はあんなにも苦しかったというのに。
あれは、久しぶりに生命としての実感を得たからなのか。
……今はなんともないし、どうでもいいな。
それよりも、こっちに集中しよう。
「お、これだ」
ようやく見つけたページには『聖女の奇跡』と書かれていた。
最初に調べるのは、やっぱりミラちゃんについてだよな。
それによると新生歴400年、インテリジェンス・アイテムであるクロシュを身に着けた聖女ミラは皇帝国第二皇子マルケニウス・ルア・ビルフレストを救出したと記録されていた。
功績を称えられ聖女ミラは爵位を、クロシュは魔導布の称号を拝領する……と、ここまでは聞いていた通りの内容だな。
さらに読み進めて行くと魔獣の被害に触れられていた。
『魔獣事変』
皇帝国の南に広がる魔の樹海には、多数の魔獣が生息している。
樹海には魔獣の餌となる通常の獣も多く、はぐれが稀に近隣の街にまで出没する程度であり、時に被害を出しながらも討伐していた。
しかし、ある日を境に魔獣たちは積極的に街を襲い始めた。
魔獣の脅威的な数に三つの街が避難を余儀なくされるほどの被害が出てしまい、現代でも廃墟の街並みが残されているという。
被害が収まったのは聖女ミラによる功績が大きい。
彼女は単身での樹海探索の結果、強大な魔獣によって他の魔獣が棲み処を失っていたことが原因と突き止めたのだ。
その解決策は伝わっていないものの、聖女ミラは魔獣による被害を激減することに成功したとされる。
だが魔獣が完全に消えたわけではなく、同じ過ちが起きないようにと当時の皇帝であるマルケニウス・ド・ルア・ビルフレストは魔獣防衛線の設立を宣言すると、その拠点のひとつを聖女ミラに任命した。
こうして魔獣事変は終息したのである。
ふーむ、色々と無茶してそうだなミラちゃん。
この魔獣防衛線ってのが、現在のミリアちゃんたちに課せられた魔獣を抑える役割って奴に繋がるんだな。
そんなに魔の樹海ってのは広いのかな?
どこかに地図でも描かれていないかと探していたら、どこかのページに挟まっていたのか一枚の白い紙が滑り落ちた。
拾い上げてみると奇妙な模様が描かれている。
なんとなくだが右向きの犬が伏せの姿勢から顔だけ上げた……そんなシルエットのようにも見える。
もしかして、これ世界地図かな?
よく見れば犬の顔が点線で囲まれ、中心に皇帝国を示す文字があった。
尺度が正確だとすれば、かなり大きな国である。
その南側にまた別の大きな点線。森っぽいマークがあることから、多分こっちが樹海だろう。
これによると大陸の中心部一帯が魔の樹海で埋まっているようだ。
皇帝国に面している部分は樹海の北側すべて……広すぎじゃない?
どうやって魔獣の襲撃を防いでいるのか気になるけど、この本には載っていなかった。これは誰かに聞いたほうが早いな。
地図は他にも国らしき名前や、山脈や砂漠といった地名まで記されている。
これは今後も使えそうだから欲しいけど勝手に持ち出すのはマズいかな……っと、そういえば良い方法があるじゃないか。
俺は本体たるコートの内側に、大陸の形と各地名や国名を【色彩】で描き写して行く。単なるコピーではなく、あくまで俺が描かなければならないので間違えないよう少しずつ慎重に作業を進めた。
よし、これでいつでも地図が確認できるようになったな。
最後に一通り目を通して終わりにしようと、てきとうに読み飛ばしていたら気になるページを発見した。
『魔王の襲来』
新生歴512年。
東の果て、海を越えた先にある魔導国が魔王によって滅ぼされる。
これを受けて魔導国の南方、勇者の子孫とされる王が治める勇王国が討伐に名乗り出た。魔王軍と勇王軍との戦争が始まり、やがて世界を巻き込んだ戦いへと発展するも何者かによって魔王は封印されたという。
魔王については資料が少なく、かつて世界を滅ぼそうとしたとされる以外、今回もどこから現れたのかさえ定かではないが一説では魔導国が呼び覚ましたのではないかと考えられている。
以下は、とある手記を写した物である。いつの日か魔王が復活した時に役立つようここに記す。
怠惰なる魔王。漆黒の魔神とも崇められるその肉体は未知の金属であり、いかなる刃も通さない。城と見間違うほどに巨大な鎧を纏い、鋼の翼は天空を支配し、破滅の杖で大地を抉る。配下として無数のゴーレムを操り、最低でも10万に及ぶ兵力による物量作戦を得意とする。
唯一の弱点は戦いを配下に任せ、魔王自身は戦場へ出ないことだ。
しかし一度でも本性を露わにすれば生き残ることなど不可能。
決して無策にかの魔王を追い詰めてはならない。
あの悲劇を繰り返してはならない。
勇者を探せ。異端には異端を――。
……ここで終わってるけど、なんだこりゃ。
こんな恐ろしいのが実際に現れたっていうのか。
たしか、今がちょうど700年だったはずだから200年くらい前で、俺がスリープモードに入ってから100年後の話か。
その頃ならミラちゃんも生きてないはずだな。じゃあどうでもいいや。
復活する可能性もあるみたいだけど、その時は勇者様にでも頼もう。それまで俺はミリアちゃん幼女たちを護るからね。
さて、ひとまず歴史書はこのくらいでいいだろう。
続けて次の本は『魔導工学技術指南書』である。
前に魔法は存在しないと言われたのが気になっていたのだ。ちらっとミリアちゃんが口走っていた気がするけど、どうも魔導技術とやらが発達したおかげ、あるいは、そのせいで魔法が衰退しているっぽい。
なので、具体的に魔導技術とはなにか、どうして魔法が存在しないとまで言われるほどになったのかを知りたかったのだが……。
「……うむ、わからん。全然わからん」
いきなり専門用語の連発でちょっとなにを言ってるのかわかりませんね。
どうやら初心者が読むような本ではなかったらしい。選択を誤ったか。
しかし他にも数冊読んでみたものの、どれも似たような内容で基礎知識があることを前提とされていた。
理解できたのは従来の魔石炉は効率が悪いだとか、魔石から取り出した魔力を精製した人工魔力『耀気』の発見により耀気機関が開発されて普及したとか、それくらいだよ。ほとんどの本の前書き部分に書かれてたし。
そういえばミリアちゃんは魔導技術に詳しいんだったな。これも直接聞いたほうが早そうだけど……俺には勇気が足りないようだ。
ふと気が付けば、空はすっかり朱色に染まっていた。
備え付けのランプみたいなのがあるから灯りには困らないけど、今日はここらでやめておこうかな。そろそろ俺の集中力も限界だからね。
あとお腹の辺りが痛いような苦しいような……なんだ?
きゅ~くるるぅ……。
変な音が体内から響いて思わずビクッとなった。
今のはもしかして、腹の虫が鳴いたというやつか。
そうか、俺は空腹だったのだ。
疑問が解決したところで今日の夕食のことを思い出すと空腹感が強まった。やはり調べ物はここまでにするべきだ。
読み終わった本を戻し、空になったカップを手にいそいそと食堂へ向かった。
「ふぅ……満足」
フォル爺の料理はさすがと言うべきか、素晴らしく美味だった。
料理名は相変わらず聞いたこともなかったけど、新鮮な野菜を使ったサラダに、朱色の透明度が高いスープ、鶏肉を柔らかく蒸してトロトロの甘辛いソースをかけた料理をメインに据えており、さらにデザートとして赤くて甘い果物のシャーベットまで登場したのである。
俺に配慮してなのかフルコースではなく、大皿から自由に取り分けるというラフな形式なのも嬉しい心遣いだ。
いちいちメイドに頼まないといけないのは少し面倒ではあったけど、おかげで食事を楽しめたので良しとしよう。
もちろん念を入れて毒のチェックは怠らなかったのでミリアちゃんも安心して料理に舌鼓を打っていた。聞けば例の騒動のあとも昼食を取らずにいたという。あんなことがあれば食欲も失くすよね。今は本当に平気そうなのでよかった。
と、ここで意外な事実が判明した。
俺はそこまで甘い物が好きだとは思わなかったのだが、シャーベットを一口食べてみると天にも昇りそうな心地になり、しばし放心してしまったのだ。
そこからはスプーンが止まらず、一口ごとに口元が緩んで幸せな気分になってしまう。わかっていても止められない、やめられない……!
まさか味覚が変化したのか?
外見だけだと思いきや、味覚までミラちゃんと同じになってしまったのだとすれば充分に考えられる。
他に変わった部分がないか、今後も【人化】の影響に驚かされそうだ。
ともあれ美味しく食べられるであれば問題はないだろう。あっさりと思考を切り替え、残さずに頂いておいた。
ごちそうさまでした。
胃袋も満たされたので調べ物を再開するか、あるいは意を決しミリアちゃんに話を聞きに行くかを悩まずに書物室に向かおうと即決したところ、クーデルに話があると呼び止められた。
これはちょうどいい、俺も確認しておきたいことがあったんだ。
できれば二人だけで話したいそうなのでクーデルの執務室へと案内され、客用のソファーへと腰を下ろす。
すると、室内に甘い香りが漂い始めた。
「メイドほどの腕ではありませんが」
そう言ってティーカップが差し出された。
どうやらクーデルはお茶まで淹れてくれたようだが……どうしてメイドに頼まずに、わざわざ自分で用意したんだ?
「不思議に思っているでしょう。ですが、これは私なりの謝罪のひとつなのです」
「謝罪ですか?」
「私は初め、クロシュ殿のことを誤解していました。お嬢様には敵が多く、それに与する者ではないかと」
クーデルが打ち明けたのは俺に対する疑心だった。
心当たりはあるけど、それも気付いたら解消されていたので、あまり気にはしていなかったのだが……。
「しかし貴女は二度もお嬢様を守った上に……これは私たちとしても不甲斐ない話なのですが、私は貴女のおかげで久しぶりにお嬢様の笑顔を拝見しました」
自嘲が含まれているのか、クーデル自身も寂しげな笑みを浮かべた。
ふむ、ミリアちゃんの笑顔か。
何気にレアで俺もあまり見ていないんだよな。
……魔導技術の話を振ったらいくらでも笑顔になりそうだけど。
「私たちにどうしても出来なかったことを、いとも容易く、なんでもないように行えた貴女だからこそ、私はクロシュ殿であればお嬢様を本当の意味で支えになってくれると感じたのです」
「そうでしたか……」
「料理に毒が盛られているのを見抜いた際に、あのような物言いをしてしまった私にはこんな事を言う資格はないのかも知れませんが、どうか……どうかお嬢様をお願いします」
心の底からの懇願が声に滲み出ているかのようだった。
下げられた頭は、座っている俺が見下ろせるほどに低い。
こいつも……クーデルもまた、ミリアちゃんを守ろうと努力して来たのだろう。
だが自分にそこまでの力がないと自覚し、いきなり現れた俺にはあるのだと理解した。無力感や嫉妬に苛まれたかもしれない。でもミリアちゃんを思うからこそ自身の感情を押し殺して、俺に託したのだ。
その決意と覚悟、たしかに受け取った……!
「クーデル、頭を上げてください」
言いながら俺は口を付けていなかったカップへと手を伸ばす。
そしてクーデルが顔を確認してから、一気にお茶を飲み干した。
「クロシュ殿……」
「いとも容易くと言いましたが、私にもできることと、できないことがあります」
とてもそうは見えない、と言わないまでも表情に出ていた。
気にせずに続ける。
「私は戦うことができます。ミリアを護ることもできます。毒だって見抜けますし、ケガをすれば癒すこともできます。いずれは黒幕を明らかにして叩きのめすことだってできるかもしれません」
実際にそうする予定だけど。
「それでしたら……」
「ですが、私にできるのはそれくらいです。例えば領地の運営やお金の問題などは私に解決できません。この国の法律だってサッパリです。フォル爺のように料理ができないので美味しい食事も用意できませんし、カノンのように身の回りのことだって手伝えないでしょう。しかし貴方たちなら……」
俺はクーデルの瞳を見据えて言い切る。
「私は私にできる限りの最善を尽くしますが、ミリアを護るには、みなさんの協力が必要です。なので私こそお願いします。どうか力を貸してしてください」
頭は下げない。俺たちは同士なのだ。
ならば交わすべきは言葉と手であるべきだろう。
「……感謝します」
目に涙を浮かべながらも手を差し出すと、俺たちはしっかりと互いの意思を確かめ合った。
ミリアちゃん守護同盟が結束された瞬間である。
「ところで、私からも聞きたいことがありまして」
コートの前を開き、内側に描いた地図をクーデルに見せてみる。
例の地図を可能な限り再現しているはずだけど、そもそもあれが正しい保証なんてないからな。歴史書に挟まってたくらいだし、もし古くて各国の地名や国土が現代とはまったく異なっていたら困るのだ。
なので、ここはそういうのに詳しい人に確認するのが一番だろう。
「というわけで、この地図が正しいかどうかを……どうしました?」
「いえ、その……」
なにやらクーデルが挙動不審になった。
もしや地図に問題でもあったのだろうか。
だが、どうも視線を俺から無理やり外しているように見える。
「ちゃんと見てくれませんか? 間違いがあったら後々に困りますので」
「こ、コートだけ渡して頂けないでしょうか……」
言われてみれば、この格好じゃ見辛いか。
俺の配慮が足りなかったのでさっさと脱いで手渡す。
この程度の距離なら離れても【人化】は解けないからね。
結局、地図は現代の物と変わらないことが判明したのだが、クーデルは落ち着きを取り戻さないまま俺は執務室を後にした。




