ぜったい、だいじょうぶだよー
皇帝国の北部に位置する、雪と氷に閉ざされた『永年凍土の大地』で眠る遺跡。
それは以前ミリアが、クロシュたちと共に旅行で訪れた場所である。
遺跡の正体が【怠惰】の魔王の遺した兵器群を有する施設であると判明し、同所で出会った管理用魔導機巧人プラチナから『魔導機鋼士レギンレイヴ』を借り受けた日のことは、ミリアの記憶にも新しい。
次に訪れるのはレギンレイヴを返却する時だろう。
そう考えていたミリアだったが……今まさに、ミリアは遺跡に足を運び、ひとつの目的のためレギンレイヴのコックピットに搭乗していた。
「ミリアよ、調子はどうだ?」
外部の様子を映し出すモニタから話しかけるのはクロシュではなく、狼を象った氷の彫刻を伴う紫髪の美女……【幻狼】アルメシアである。
なにかとミリアに協力的な彼女は、帝都から遺跡までの足を買って出たのみならず、今もなおミリアに付き添ってサポートをしていたのだ。
なにがアルメシアを突き動かしているのか。まだミリアが理解するには早い。
「今のところ問題ありません」
「そうか。では改めて忠告しておくが、そのスーツは未だ完成とは言えん。もちろん最低限の機能は保証するが、長時間の連続稼働はできないものと心得るのだ」
「わかりました」
二人が話すスーツとは、ミリアがアルメシアに依頼し、今も着用している操縦者保護用プロテクトスーツである。
少しデザインに難はあるものの、その性能は確かなものだ。
ただし着用者の魔力を用いるため、並みの人間ではすぐに魔力が枯渇してしまい、まともに稼働できるのは短時間という未完成品でもあった。
これを渡すのはアルメシアとしても不本意だったが、レギンレイヴの全力運動に耐えられないミリアが乗りこなすにはスーツに頼る他なかったのだ。
おかげでミリアは、僅かな間だけレギンレイヴの性能を引き出せる。
「発進シークエンスを開始します。わたくしにできるのは、ここまでです。後は魔導キーの所有者ミリア……あなたに託します」
別の小型モニタにプラチナの無表情が表示される。
こちらはオペレーター用であり、出撃準備が整ったことを知らせていた。
「はい! 任せてください!」
なぜミリアがレギンレイヴで出撃しようとしているのか?
それは二日前、勇王国で甲殻球ことヨルムンガンドが起動した日まで遡る。
ヨルムンガンドが起動した日。
レギンレイヴとスーツの性能テストをしていたミリアは、プラチナからの通信によって勇王国で起きている騒動を断片的ながらも把握していた。
このままではクロシュやフォルティナの身が危ないとなれば、黙って待つことなど到底できないだろう。
一方でプラチナもまた、ミリアを派遣しようと画策していた。
彼女はヨルムンガンドの信号をキャッチすると、すぐに通信を試みるも、呼びかけに応答がなかったのだ。
それどころかヨルムンガンドは、主たる【怠惰】の魔王から下された全軍待機命令を無視して、勝手に動き出したのである。
決して許される行為ではない。
そう判断したプラチナは、ヨルムンガンドの暴走を止めるようと決めるも、ただの管理用として生み出された彼女が持つ権限は少ない。
独断で兵器を動かせる状況になく、唯一それが可能だったのは、ミリアに預けられたレギンレイヴのみだった。
こうして両者の利害が一致し、出撃の準備が急ピッチで進められたのだ。
まずプラチナはレギンレイヴを『対ヨルムンガンド戦用』装備に換装するのと並行して、完全破壊までは難しくとも、沈黙させられるプランを立案した。
しかし現地の情報がまったく入らない、というのがプラチナを悩ませる。
装備を換装する時間的猶予、ヨルムンガンドの動向、詳細な座標、そしてクロシュやフォルティナの安否などなど。
とにかく不明な要素ばかりであり、これではまともな作戦など立てようがなかったのだが……予想外のところから情報が届けられる。
『――――こちらは皇帝国第一皇女フォルティナだ! 繰り返す。私はフォルティナだ! 聞こえたら返信を求む!』
焦燥した聞き覚えのある声は、レギンレイヴから発せられていた。通信システムがキャッチしたのだ。
換装作業のためレギンレイヴをプラチナに預けようとしていたミリアは、慌ててコックピットに乗り込むと、慣れた手つきで素早くタッチパネルを操作する。
「フォルティナ? フォルティナですか!?」
『……その声は、まさかミリアか? なぜ……いや、そうかレギンレイヴが受け取ったんだな? やはりアンテナの向きがズレていたか……』
勝手に納得するフォルティナに、ミリアもなんとなく推察する。
遠方との会話を可能とする魔道具については、理論上は可能であると見解を得ていた。恐らく、それに類似する物を使っているのだろうと。
『久しぶりに言葉を交わせたのに悪いが……ミリア、落ち着いて聞いてくれ。こちらは少々トラブルがあってだな……』
「大丈夫ですよフォルティナ。こちらも少しだけですけど、なにが起きているのか知っているので」
『なんだと?』
お互いに情報交換をすると、ミリアたちにも現地の状況が見えてきた。
ただし、それはミリアたちの想像を越えた事態となっている。
王家六勇者のひとりギニオスの裏切りと、その共謀者による『宵月喰らい』ことヨルムンガンドの起動。
封鎖された王都からの脱出、そして囮となったクロシュ……。
降って湧いた情報からプラチナが作戦を練り始めるのを横目に、ミリアは滔々とフォルティナの苦労をねぎらう。
「フォルティナが無事でよかったです」
『ミリア……』
「クロシュさんなら、絶対に大丈夫ですよ」
なんの根拠もない言葉だったが、ミリアは確信していた。
必ずどこかに逃げ延びて、反撃する機を窺っているはずだと。
ならばミリアは一刻も早くレギンレイヴで駆けつけ、クロシュの一助となるだけだ。
そうミリアが告げると、フォルティナもまた戦う意志を見せる。
『実はこちらも少し、聖女殿の力になれそうな話を聞いてな。上手くいけば、ミリアと私で挟撃しようじゃないか』
「急がないと、先に終わらせちゃいますよ?」
『ならばパーティーに遅れないよう注意するとしよう』
親友と言葉を交わしたおかげか、初めこそ焦燥感のあったフォルティナの声は、随分と穏やかなものとなっていた。
表情が硬かったミリアも、少し安心して笑みを浮かべる。通信先のフォルティナも、きっと同じ表情をしているだろう。
二人は状況を理解すると、どちらともなく別れを惜しむように沈黙する。
その間、たった三秒ほど。
とても短い時間だが……そこには言葉を交わすよりも濃密で、深い心のやり取りがあった。
再会を約束する言葉はいらない。フォルティナが帝都を発つ時に、想いを交わしたからだ。
この通信が単なる偶然ならば、まだ約束は果たされていないと、二人は通じ合っているのだから。
『では、私は先を急ぐとしよう』
「こんなことしか言えませんが、頑張ってください」
『ああ、それに……ミリアもな』
「もちろんです」
最後にフォルティナが笑った気配を感じたミリアは、通信を終えるとコックピットから降りる。
そこにアルメシアが声をかける。
「もう、よいのか?」
「私にもフォルティナにも、やることがありますから」
このままレギンレイヴは換装作業に入るため、プラチナに預けられる。
それを待つ間にミリアも、できる限りの用意をするつもりだ。
「そうか……ならばその意志、決して無駄にはしないと誓おう」
こうしてミリアとアルメシアの二人が取りかかったのは、スーツの改良だった。
より上の性能を目指せるのであれば、それだけミリアは安定したレギンレイヴの運用ができるし、着用者の安全性も高まるだろう。
とはいえ、すでに一度はミリアの要望通りに仕上げたスーツである。
今から手を付けたとして、どれだけの向上が見込めるかは疑問だったが……それでもミリアは諦めない。
例え、僅かな変化だとしても、今できることをしたかったのだ。
……二日後。
順調にレギンレイヴの換装作業は終わり、スーツに関しては未完成ながらも高性能を実現できた。
見た目こそ変化のない全身を覆う黒色のプロテクトスーツは、相変わらず身体のラインが浮き彫りとなり、なぜか胸と腰回りだけに装着するプレートが逆に扇情的なデザインとなっていたが、現段階でこれ以上ない仕上がりと言えるだろう。
そんなスーツを着用し、ミリアはレギンレイヴに搭乗していた。
まさに今から、勇王国へ向けて出撃するために。
家に書き置きだけ残し、黙って出て来てしまったので、手紙が見つかる前に戻らなければ説教どころでは済まないだろう。
かといって正直に話せば両親だけではなく、エルドハート家に仕える者たち全員が止めるのは目に見えていたので、これはミリアとしても苦渋の決断だ。
もちろん、これから向かうのは危険な戦場だということは理解している。
ためらう心は今もミリアにあるし、怖い気持ちだって少しはあった。
それでもミリアの中に、行かないという選択だけは最初から存在しない。
モニタに発進開始のカウントが表示された。
まだ、中止にすることも可能だ。
ほんのちょっとの弱音が心に浮かんだが、ミリアは深く息を吸って呑み込む。
「待っていてください、クロシュさん……」
助けに行かないで後悔するようなことだけは、絶対にイヤだった。
例え、無意味だったとしても、助けに行きたい。
後悔するなら、それからがいい。
すでにミリアの心は固く決まっていた。
ぜったい、だいじょうぶだよー。
「えっ」
誰かに応援された気がしたミリアは、コックピットの中で左右に振り返るも、ひとり用のレギンレイヴに人が忍び込む余分なスペースはない。
「気のせいでしょうか……?」
緊張から幻聴が聞こえたのだと、ミリアは納得するのと同時に、不思議と胸の内側が暖かく感じた。
心に巣食っていた恐怖は消え去り、代わりに湧き出すのは立ち向かう勇気だ。
じんわりと熱が全身に伝わり、強張っていた筋肉が弛緩するのを感じて、ミリアは思ったより緊張していたようだと自覚する。
それも、もう大丈夫だ。
カウントが残り、三秒を表示した。
「レギンレイヴ……行きます!」
事前にプラチナから教わった通り、コールサインと共に出撃を宣言した瞬間、永年凍土の大地からひとつの光が放たれた。
それを知る者は、もうこの時代に存在しない。
かつて戦場の空を駆け抜け、数多の敵を屠った最後の『魔導機鋼士』が、再び空を往く。
今度は滅ぼすためではなく、護るために。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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