ナイショです
遅くなりました。
厳重な警備の下、俺たちは港から大使館へと案内される。
いや正しくは大使館じゃなくて公館と呼ぶそうだけど、外交官が滞在して仕事する場所という意味では似たようなものだろう。
ちなみに、ちゃんとした大使館は王都に存在しており、すでにフォルティナ皇女の受け入れ態勢を整えているが、その道中は民営の高級宿に宿泊する予定だとかなんとか……。
そんな説明を受けているフォルティナちゃんの後ろで、俺は澄ました顔をして黙って聞いていた。
対応は任せていいと言われていたからね。
それでも面倒なことに立場上、勇王国のお偉いさんと軽く挨拶しなくてはならなかった。にやけ顔の太いおっさんだ。
すると、ほんの一言交わしただけで言葉が上手だとかお世辞を言われる。
急になんだろうな?
ともあれ、おかげでボロを出さずに乗り切り、今日のところはこのまま部屋で休むことになった。
式典が行われる王都へは明日から出発して、二日で到着する予定だ。
まだ開催日は一週間も先だから、ずいぶん余裕のあるスケジュールである。
「久しぶりの揺れない地面だからな。ゆっくりするとしよう」
部屋に入って周囲の目を気にしなくなった途端、フォルティナちゃんはそう言って肩の力を抜いてソファに沈み込んでいた。
本日はもう営業終了か。
「ここは警備がしっかりしているし、聖女殿も今日は羽を伸ばしてくれ。船旅の最中はずっと傍に控えさせてしまったからな」
「それは、ええ、まったく構わないのですが」
本当に。
「ですが……それでしたら少し外に出てきますね」
「外? となると護衛が大変そうだな。聖女殿の強さは知っているが、騒ぎになるのは間違いないだろう。あまり勧められないが……」
「そこは安心してください。こうすればお忍びという形で大丈夫です」
使わなさ過ぎて存在を忘れそうなスキルのひとつ【変装】を発動させる。
効果は単純に、見た目だけを変えられる一種の幻術みたいなものだが、一般人の目を誤魔化すなら十分だろう。
特に目立つ黒髪を、空のような優しい青色に変えるだけで印象がまるで違う。服装もローブから涼しげな白のワンピースとつば広の帽子、そして肩から薄手のショールを羽織っておけば……。
「どうですか? どこから見ても現地人でしょう?」
「そ、そうだな。完全に現地のご令嬢だが……まあ聖女殿と気付かない点においては問題なさそうだ」
少し引っかかる言い方だけど、これならバレないとフォルティナちゃん直々のお墨付きだ。
だが実のところ、この姿はミラちゃんを意識したものだったりする。
髪の色は当然のこと、服も清楚で大天使なミラちゃんに相応しい装いだ。
残念ながらフォルティナちゃんは気付かなかったようだが、ミラちゃんもカード化したとはいえ、最高レアは製作に関わっていないと見るのも難しい。
ミリアちゃんデッキにしか興味がなさそうだし、これは仕方ないか。
「もしよければフォルティナも行きますか?」
「いや、私は部屋で休んでいたいな。こちらは気にしないでくれ」
気を使っているワケではなく、きっと本気でごろごろしたいのだろう。
行動力の高さに隠れているけど、何気にインドア派なフォルティナちゃんだ。
「そうだ聖女殿。街を見て回るなら……あれを聖女殿に」
指示を受けたメイドさんから俺に渡されたのは、なんだか手触りの良い小さな布袋だった。
中身は少し重みがあって……どこかで覚えのある感触だ。
「もしかしてお金ですか?」
「この国の通貨だ。皇帝国の通貨で支払おうとすれば誰でも察するだろう?」
「それもそうですね……では借りておきます」
「大した額じゃないさ。それに聖女殿にはなにかと世話になっているからな。私個人からの礼だと思って受け取っておいてくれ」
「……わかりました」
幼女からお金を貰うのは気が引けるけど、皇女オーラを受けたせいか、つい頷いてしまった。これがカリスマというやつなのか。
しかし、これはこれで実にありがたい。
もしちょうど良さそうな土産物が売っていたら、ミリアちゃんたちに買って帰ろうと考えていたので渡りに船である。
意図せず軍資金も得られたところで、ちょっとだけお忍び観光と行こう。
大通りを歩けばそこかしこで騒ぐ声が聞こえる。
内容はすべて、帝国に関する話題ばかりだ。
特に皇女さまと聖女さまの美貌を褒め称える声は大きく、それを一目でも見られたのは自慢できると笑っていた。
元々、陽気な気質もあるのだろう。
誰もが笑顔で歩く大通りは活気に溢れ、それに乗じた露天商が声をあげれば、まるでお祭りさながらの雰囲気だ。
中には道端にテーブルとイスを引っ張り出して、ワインらしきものを飲んでいる姿も見られる。誰も気にしていないことから、日常的な光景なのか。
どことなく地中海の港街を彷彿とさせる。
いや地中海とか知らないけれど、真っ白い建物が並んでいるから、そんなイメージが浮かぶのだろう。
ともかく露天に行かなければ。
現地にしかない地方特有の変わった物や、面白い土産物がないか覗いてみようと近付くが、どこも混雑していて人間で壁が形成されているかのようだ。
揉みくちゃにされたくない俺は、一歩引いて遠巻きに眺めて歩くしかなく、人が少ないほうへ進んでいるうちに路地へ入り込んでしまう。
こっちには露店どころか人通りがない。建物の影になって薄暗い小道は涼しさと寂しさが漂う。明るい人々の喧騒が遠くに聞こえた。
「あれ、いま来た道は……?」
引き返そうとしたら小道が三本に分かれていた。
どれかひとつが正解のはずだが、いつの間にか複雑な地形に迷い込んでしまったらしい。はっきり言うと迷子である。
まあ最終手段として、公館から抜け出た時と同じように【迷彩】で透明化してから【近距離転移】、もしくは【黒翼】で上空から帰れるワケで、そこまで危機感はなかった。
しかし、このまま戻ったところで人ごみは避けられず、目的の露店を見て回るのは難しいだろう……と、そんな風に悩んで立ち止まっていたら、小道のひとつから小さな人影が飛び出した。
咄嗟に道を開けようと壁際に避けたが、その暗い赤髪によく日焼けした褐色肌の子は、まっすぐ俺に向かって来る。
「そこのお姉さん、こっち! 早く!」
「えっ、はい? あの……」
素早く手を取られると引き返す小さな手に、俺も引かれるまま駆け出す。
もちろん振り払うのは簡単だが【察知】に反応がない。厳密には後ろの方向から敵意は感じていたが、動かないので無視していたのだ。
やがて大通りへと戻って周囲が騒がしくなると、そこでようやく俺の手は解放される。
なんとなく理由は察してはいるけど……。
「あの、いきなりごめんなさい。さっきお姉さんを狙って、待ち伏せするって言ってたやつらがいたから、急いで教えないとって……でも路地に入ったの見て、それで慌てて……」
「ええ、事情はわかりました。どうやら君には助けられたみたいですね。危ないところをありがとうございます」
まだ高い声色に、幼い顔立ちから少女のようではあるけど、俺の感覚が違うと囁いている。
すると少年は意外そうな顔をした。
「どうしました?」
「その、最初からボクが男ってわかったの、お姉さんが初めてだったから……」
「ふふふ、私は人を見る目には自信がありますからね」
得意気にそう語ると、少年は尊敬の眼差しを送るのだった。
「それにしても待ち伏せて襲うとは、ずいぶんと治安が悪いですね」
「やっぱりお姉さんはよそから来たの?」
「……ナイショです」
うっかりしてしまったが、たしかによそ者だと白状しているようなものだ。
このタイミングだと帝国の関係者だと思われないか心配だったが、どうやら少年は違う意味で捉えたらしい。
「皇帝国の船を見るために色んなところから来てるから、ゴロツキたちがお金を持ってそうな人を狙ってるんだ。お姉さんも気を付けて」
「なるほど、お金は持っていませんが、そう見えてしまうなら仕方ありませんね」
「え、お姉さんって、お金持ちじゃないの?」
「お金持ちに見えますか?」
うん、と頷かれてしまった。
「そうですか。なにか視線は感じていましたが……」
「たぶん、お金だけじゃないけど……」
てっきり大天使ミラちゃんの美貌が人目を集めているのだと思っていたが、フォルティナちゃんが言葉を濁していたのはこれのことかな?
そこでなにかぶつぶつ言っている少年を見て、俺は閃いた。
「ところで君はこの街の子ですよね。道に詳しかったりしますか?」
「ま、まあ住んでるから……でも詳しいかはわからないけど……」
自信がないのか頼りない返事だが、これは性格だろう。
「それでも路地まで追いかけられるほどなら、私よりは詳しいと言えますね。そこで頼みがあるのですが、少しだけ街を案内してくれませんか?」
「え、ぼ、ボクがですか?」
「実は露店を見たいんですよね。案内してくれると嬉しいのですが」
「う、うん、わかった! 案内するよ!」
素直な少年の優しさにつけ込むようで申し訳ないけど、ひとりで観光は無理だと実感していたので、ここは頼らせて貰いたい。
あとでお礼もすれば、互いに得するワケだから問題ないだろう。
フォルティナちゃんがくれたお小遣いが足りることを祈る。
「それで君は……そういえば名前はなんでしたっけ?」
「あ、ボク、マルクって言います」
「マルク君ですね。私はク……ミラと呼んでください」
「ミラお姉さん?」
「ええ、では行きましょうか」
前回で100万文字を超えていたようです。
ちょっとした大台に乗りましたね。




