私を持ち上げてどうするんですか
後方に海賊船を引き連れながら船旅は続き、ついに陸地が見えてきた。
それと同時に待っていたかのように勇王国側の軍船が現れ、港までの誘導と護衛を引き受けるとの打診を受ける。
すでに海賊に襲われているので遅い気もするけど、ここで港へ入る前に捕虜の海賊たちを船ごと引き渡すことになったのはちょうどよかった。
せっかく勇王国の民衆にお披露目するのに、よくわからない船を牽引したままってのは、ちょっと格好が付かないからね。
周囲に軍船を伴いながら悠々と海を走る姿こそ、このフォルティナちゃんの船には似合うと思うのだ。
もちろん海賊を討伐した功績については、後でしっかり宣伝するとのこと。
そうして湾内へ入ると、海の上に浮かんでいるかのような街並みが望める。
たぶん岩などを積み上げて埋め立てているのだろうけど、一部はまるで要塞のように堅牢な造りだ。
実際、それは海賊から港町を守る城塞なのかも知れないな。
船着き場へ向かう際中、他の船がまったく見当たらなかった。恐らく事前に規制されているからだろう。
それを裏付けるように、港から街の民家と思われる建物の屋根にまで、多くの人々が帝国の船を一目見ようと殺到している。
今回の式典と、参加する帝国への注目度の高さが窺い知れるな。
「これは降りても大丈夫なのでしょうか?」
「聖女殿、よく見てくれ。民衆は近付けないよう勇王国の衛兵が仕切ってくれているし、先に現地で待機していた皇帝国の騎士たちが見えるだろう」
部屋の窓から覗いているので見辛いが、言われてみれば船着き場で整列して出迎える騎士らしき人垣が確認できた。
これなら万が一にも暴徒が押し寄せたとして、問題なく対処できるだろう。
「とはいえ、さすがにこれはプレッシャーがすごいですね……」
何千という数の視線がすべてこちらに向けられるのだから当然か。
いつぞやのパレードを彷彿とさせる……うっ、急に胃が。
「なに、対応は私にすべて任せてくれればいいさ。聖女殿は気楽に後ろから付いて来るだけで問題ない」
「それを聞いて安心しました」
「なんなら順番も、もう一度確認しておくとしようか」
「こちらをどうぞ」
メイドさんがテーブルに広げた紙には、フォルティナちゃんを先頭にして護衛騎士たちが随伴し、その後ろに俺とメイドさんたちが続く隊列が書かれていた。
事前に説明されていたが、これなら俺はそこまで目立たないだろうし、勇王国側の外交官との挨拶もフォルティナちゃんに任せて本当に良さそうだ。
ちょっとだけ気が楽になったよ。
「まあ軽く手を振るくらいはすると良いアピールになるぞ?」
「あくまで私の目的は護衛ですから、それはフォルティナに任せますよ」
「ふむ、無理強いはしないが……さて、そろそろ支度を始めようか」
勇王国の大地に到着するまで、もうすぐだ。
港町クラールク。
暖かい気候が長く続き、薄着で日に焼けた者が行き交う街はいま、普段以上の活気に包まれていた。
勇王国と皇帝国による貿易同盟の締結と、式典に参加するフォルティナ皇女、並びに聖女クロシュの来訪……。
平穏であるが故に娯楽に飢えていた民衆が、この一大イベントに沸かないはずもなく、式典を待たずに連日お祭り騒ぎであった。
そんな最中、ついに皇帝国から船が到着したとの声が大通りに響く。
誰もが港へ押し寄せるが、広いとはいえ全員が収まるほどのスペースもなく、遅れてしまった者は見通しが悪い場所しか取れず苦労するだろう。
賢い者は港近くの建物に上り、屋根の上から眺めている。真似をする者が続出したが、すぐに屋根の上も一杯になってしまい、てんやわんやである。
この国の民たちは皇帝国の皇女や聖女がどういう人物で、どんな人柄なのか、といった細かい部分について深くは知らない。
ただ平民では目に触れることも稀な、もしくは一生かかっても謁見すらできないであろう高貴なる身分であり、それなら見た目も相応に美しいに違いないと単純な印象を抱いていた。
だからこそ一生に一度の機会を、見逃してはならぬと必死になっている。
とある漁船で見習いとして働く少年……マルクも、そんなひとりであった。
マルクは運が良かった。
警備上の漁船が沖に出ることすら禁止されていたが、代わりに船内での作業を許されていたため、見習いである彼は甲板での清掃をしていたのだ。
おかげで船上でも特に見晴らしの良い場所を確保できたし、後からやって来た船員たちは大人で背も高いため、わざわざマルクを押し退けたりもしない。
そうして水平線から太陽の如く、白銀の輝きが昇るのをマルクは目にした。
まず驚いたのは、それが金属の船であったことか。
皇帝国でも最先端技術による耀気機関を用いた第一皇女専用の『インペリアル・アイザムバード』は内装こそ木材も使われているが、大部分の船体がミスリル合金によって構成されており、表面には純ミスリルを特殊加工したコーティングがされていた。
近くに見知った勇王国の軍船があったのも比較するのにちょうど良く、皇帝国が遥かに進んだ文明国として改めて認知された瞬間である。
やがて白銀の船は停泊し、乗り降りするためのタラップが取り付けられた。
いよいよ民衆が待望した瞬間だ。あれほどの船に乗るのは、いったいどんな人物なのだろうか? 否応なしに期待が膨らむ。
まず勇壮な騎士たちを伴って降りたのは、白く透き通るような肌と、船体と同じように陽光を受けて輝くプラチナブロンドの髪を持つ少女である。
多くの視線を受けてなお威風堂々と歩み、民衆に向かって小さく手を振る慣れた様子は、誰もが彼女こそ皇女であると確信する。
その服装も勇王国では見慣れないデザインで、夜に似たダークブルーの外套には皇帝国の紋章が金糸で刺繍され、隙間からは雪のように白いロングワンピースが見え隠れしていた。
煌びやかなドレス姿のお姫様を想像していたマルクからすると、どちらかといえば大人しい服装にイメージが裏切られてしまったが、あれは旅装でドレス姿など自分のような平民ではお目にかかれないのだと逆に納得する。
ちなみにフォルティナの服装は勇王国の民にお披露目するためついさっき着替えたもので、いきなりドレスはあざとく感じるし、少しもったいつけたほうが希少度が上がるという計算があった。
それまでは別の服装であり、なんなら船内では慣れない気候にダレて身内の目しかないのを良いことに、ロングキャミソール一枚でベッドをごろごろしてメイドさんたちを困らせていたりする。
それを注意すべきか悩む素振りを見せつつ、公務の前の息抜きとしてクロシュは暖かい視線で見守ったとかなんとか。
そんな事実をマルク少年が知る日は、きっと訪れることはないだろう。
続けて次の集団が船から姿を見せる。
先ほどの騎士たちと比べたら数こそ少ないが、それでも多くのメイドを連れ立って先頭を歩くのは黒髪の美女であった。
古風ながらも清廉さと厳格さを併せた、黒髪と真逆である純白のローブに身を包む姿から、皇女の従者ではなく一定の地位を持つ者だと予感させる。
つまり彼女こそ、聖女クロシュではないかと。
それを肯定するように、ところどころで本人だと確信する声があがった。その手には黒髪の美女が写った紙……写し絵を持っている。
実のところ【魔導布】という名はインテリジェンス・アイテムが表舞台に登場していない勇王国では認知度が低く、一方で聖女クロシュの名は新聞を介して知れ渡っていたのだ。
写し絵を持っていたのは、その美貌を見てみたいと商家連合と貿易していた頃に高値で取り寄せた一部の者たちである。
マルクの乗る漁船にも、そうした一部が乗っていたようで話題になっていた。
だが彼女が本当に聖女かどうかなど関係なく、すでにマルクの視線は釘付けであった。先の皇女を目にした時は『あれがお姫様か……』などと、ぼんやり思うくらいだったのに対し、雷に打たれたような衝撃が走ったのである。
それもそのはずで皇女フォルティナはマルクよりも幼い少女であり、聖女クロシュは妙齢の美女なのだ。
さらに当のクロシュは固い表情でまっすぐ前を見ていたのだが、その動きまでもぎこちなく見受けられ、皇女フォルティナのような慣れた感じがない。
端的に言ってしまえば初々しいのだ。
そんな美女が途中で振り返ったフォルティナと向き合い、なにか言葉を交わしたかと思ったら、同じように民衆へと手を振った。
明らかに慣れていない、照れながらのそれは皇女とは別の魅力があり、一瞬の静寂の後、爆発的に民衆が沸き上がったのは言うまでもないだろう。
船上も似たような状況だったが、やはりマルクはなにも聞こえていないかのように、ただひたすら聖女を見続けていた。
その後に他の船員から、聖女に一目惚れした少年、身分違いの恋などと散々にからかわれるのも、語るまでもないだろう。
「私より民衆の心を掴むのが上手いじゃないか聖女殿」
「急に指示を出さないでくださいフォルティナ。焦りました。あと偶然です」
「なに、聖女殿が緊張しているようだったのでな。それに心象を良くしておいて損はないだろう?」
「私を持ち上げてどうするんですか」




