昨日の続きを頼むぞ!
勇王国までの日程が、残り二日と迫った頃だ。
つい先日の俺とフォルティナちゃんは暇を持て余した亡者となっていたが、今日の様子は少し違っていた。
いったいなにが違うのかと言えば、フォルティナちゃんがわくわくしている。
「さて聖女殿、昨日の続きを頼むぞ!」
「フォルティナも好きですね。そんなに気に入りましたか?」
「それを認めるのは少し悔しいが……う、うん」
なんと、あのシニカルなきらいがあるフォルティナちゃんが素直に頷いた。
それほど楽しみにしていたなら期待に応えてあげないとね。
昨日に引き続き、俺とフォルティナちゃんはメイドさんたちを引き連れて上部甲板へと出た。
相変わらず変わり映えしない大空と、水平線が三百六十度に望める。
「ではフォルティナ、どうぞこちらへ」
「あ、ああ、よろしく頼む……」
俺が両手を広げると、そこへ収まるようにフォルティナちゃんが控えめに抱き着いてくるので、こちらも優しく腕を回してあげる。
さらに安全面を考慮して布槍をしゅるしゅると伸ばし、フォルティナちゃんの華奢な肩回りや細い腰、ふともも辺りに巻き付けて俺と密着させる形で固定した。
これで準備は完了だ。
「す、少しキツくないだろうか?」
「万が一にも落ちたりしないよう、しっかり結ぶ必要がありますからね。まあ落ちたとしても途中で受け止めるつもりですが」
「そこはまったく心配していないが、もう少し離れてもよくないか? この位置では、その、なんだ……呼吸がし辛い」
「……おっと、これは失礼しました」
大天使ミラちゃんの驚異的な胸囲を忘れていた。
正面から抱き抱えると背丈の関係で、フォルティナちゃんの顔がちょうど埋まってしまうのだ。
「では昨日と同じように向きを反対にしましょう。後ろから支える形なら問題ありませんよね?」
「そ、そうだな。あれはちょっと怖いが……」
軽く躊躇していたけど中止するつもりもないようで、すぐに向きを変えて今度こそ準備は完了した。
「では行きますよ。心の準備はいいですか?」
「ああ、やってくれ!」
メイドさんたちが見守る中、俺はスキル【黒翼】を発動する。
背中から黒い翼を広げ、これからなにをするか……答えはひとつしかない。
それは昨日のことである。
あまりに暇だったので、暇潰しを求めた俺は【黒翼】で飛んでみたのだ。
すると人目を気にせず大海原を飛び回るのは思ったよりも快適だった。思い返してみれば、俺が【黒翼】を使うのは必要に迫られた時だったから、自由に飛ぶという経験はなかった。
街中を縦横無尽に飛び回るわけにもいかないからね。
そうして十数分ほど満喫した俺が甲板に戻ると、当然ながら見ていたフォルティナちゃんから、自分も飛んでみたいとお願いされたのである。
魔法や科学の代わりに耀気機関が発達した帝国でも、人間が飛べるような道具は未だに開発されていないので、空への憧れは強いのだろう。
その日はもうフォルティナちゃんが亡者になることはなかった。
そして現在に至る。
「どうですか、フォルティナ!」
「最高だ聖女殿! もっと速くても構わないぞ!」
「ならば、こういうのはどうですか?」
「ひゃー! いいぞー! きゃー!」
リクエストにお応えして船の周りを高速飛行したり、上空から一気に海面すれすれまで高度を下げれば、まるで絶叫マシンのような明るい悲鳴が青空に響いた。
フォルティナちゃんは両腕を左右に広げてはしゃいでいる。気分は渡り鳥といったところか。
船旅が退屈だったのもあるけど、すっかり遊覧飛行にハマったようだ。
実際、吹き付ける風圧は【聖域】で防いでいるから凪のようだし、塩気を含んだ風も弾いているのでべたつかず、実に快適なレジャー状態だった。
それから手を伸ばして水飛沫を上げながら青い大海原に白い線を引いたりと、フォルティナちゃんは大いに楽しんでいたけど、十分ほど経ったら甲板へ戻る。
あまり離れると船に残っているメイドさんたちが船酔いしてしまうし、うっかり船を見失っても大変だからね。
なにより空を飛びたがっているのはフォルティナちゃんだけじゃなかった。
「では、次はあなたですね。どうぞ」
「は……はいっ、よろしくお願い致します!」
緊張した様子のメイドさんが、さっきと同じ形で俺に抱き抱えられる。
これはフォルティナちゃんの粋な計らいで、彼女たちも退屈しているだろうから少しは労をねぎらいたいと俺に頼んできたのだ。
もちろん俺は了承して、高所恐怖症だといけないから希望者にだけ遊覧飛行を体験させてあげている。
結果は全員が手を上げたけどね。
ひとりにつき十分と短いのは、メイドさんが二十人もいるので仕方ない。
おまけに一巡したら、またフォルティナちゃんから二巡目に入るので休む間もなく飛び続ける。
ちょっと大変だけど、そこは人間ではなくインテリジェンス・アイテムの性能もあって、体力と魔力的にも余裕があったのが幸いした。
なにより、ようやく退屈な船旅に楽しみを見出せたのだ。ここで水を差したくはないからね。
今日は一日、空飛ぶ布に徹するとしよう。
「すまないな聖女殿。疲れただろう」
「いえ、私も楽しかったので平気ですよ」
ようやく終わったのは三巡目だったか。
途中で食事や休憩も入れたけれど、まさか本当に朝から夜まで一日中ずっと飛んで過ごすことになるとは思わなかった。
おかげで時間が流れるのが早かったけどね。
フォルティナちゃんも満足したのか、それから夕食の後すぐに寝入ってしまったとメイドさんから聞かされた。
つい忘れてしまいそうになるけど、彼女はまだ九歳なのだ。
あれだけ昼間にはしゃいだら体力が尽きてしまうのも無理はない。
他のメイドさんたちも眠そうだったので今日は休ませて、俺はひとりで夜の甲板へと出た。まだ寝るには早い時間だ。
月明りに照らされた上部甲板から、暗く黒い海を眺める。
帝国を出発してしばらくは凍えるほど冷たい夜だったが、この数日はすっかり暖かくなっていた。
勇王国は南国というほどでもないが、それなりに温暖な地域のようなので、それだけ遠くまで来たのだと実感させる。
ちょっとだけミリアちゃんが恋しい。
などとセンチメンタルに浸っていたら、下部甲板のほうに人の気配を感じた。
この時間帯は他の船員も多くが休んでいるので、あまり人気がないからこそ気付けたのだが……。
どこか覚えのある魔力だったので【黒翼】で下部甲板へ飛んでみる。
「あなたでしたか、リヴァイア」
「クロシュ様……私になにかご用件でも?」
そこには装飾としての頭冠を青髪に頂く青年、リヴァイアが佇んでいた。
いきなり空から現れた人間に対しても慇懃な態度だが、俺は降り立ちながら若干の気持ち悪さを感じる。
「普通にしていいですよ。ここには他に誰もいませんし」
「……そうか。だが別に演技というわけでもない。あなたには恩義があるからな」
「今さら畏まられても話しにくいんですよ」
「護衛対象に話しかけられれば、誰だって多少は言葉を改めるさ」
「そういうものですか」
妙にマジメに思えてしまうが、以前がおかしかっただけで元々そういう性格なのだろう。
というか、そうでなければ船に乗っていないか。
このリヴァイアはスキルを活かすため帝国の管理下で船員として働いていたはずなのだが、今回の使節団の派遣において護衛として抜擢された。
あくまで船旅の間……つまり海上だけの護衛であって、俺や騎士とは違う括りだったが、当人のスキルを考えれば妥当なものだろう。
そう納得して俺は上部甲板に戻ろうと踵を返す。
「……私になにか用があったのでは?」
「いえ、魔力を感じたので見に来ただけですが?」
「そ、そうか……」
ふと思えばリヴァイアの身柄を帝国に引き渡してからは、まともに話すらしていなかったな。
積もる話なんて微塵もないけど、こちらから話しかけておいて用はない、というのも失礼だろうか。
「ではせっかくなので聞きたいのですが、この船、ちょっと変わっていますね」
「あ、ああ、耀気機関を利用しているからな。他の船は常識的なものだが、これだけは皇帝国の技術が惜しげもなく使われている」
急に饒舌になったリヴァイアによると皇帝国所属『第一皇女専用耀気機関船』は特別製で、帝国の総力を結集させた最先端の船らしい。
なにがどう違うのかと言えば、耀気機関によって風向きに影響されることなく進み続けるのだとか。
だったら大きなマストに帆を張っているのはなぜかと聞けば、風がある時は耀気機関を休ませて燃料を節約するそうだ。
つまり風力と耀気機関で動くハイブリッド船というワケか。
「地球でも同じように燃料の問題や、新しい技術への信頼性などから機帆船というものがあったが、そう長く続かなかったと記憶している。この船も、いずれ耀気機関のみで動くようになるのだろう」
「詳しいですね」
「……そのようだ。何故か、な」
俺もそうだが、もう前世の記憶は、ほぼ思い出せなくなっている。
ただ知識として残っているため、なぜ知っているのかは本人にも理解できないような場合が多いのだ。
あまり気にしないほうが楽しく生きられるので、俺は気にしていない。
「加えて、緊急用の特殊な機能が組み込まれている」
「それは初耳ですが、どのような機能ですか?」
「一言で説明すれば……リニアモーターカーは知っているだろうか?」
すごい磁石によって浮かんで、すごい速さで移動できる乗り物なイメージだ。
「なんとなくイメージはできますけど、一般レベルですよ」
「私も詳しいわけではない。ただ船で似たようなことができる」
「……浮かぶのですか?」
「正確には船体の周囲にある海水が押し退けられる。傍目には海面に浮かんでいるよう自然に見えるが、船体との間には隙間が空いているため宙に浮いているとも表現できるな」
いまいち理解が難しいが、船を大きな泡が包み込んでいるとしよう。
決して割れない泡は海面を押し退けながら海に浮かび、中心にある船は海から僅かに離れている形となる。
そんな感じだろうか。
「どうやって進むのでしょうか?」
「同じく前方の海を押し退けるように割り開き、そこにできた空間へ滑り込むようだ。これを継続的に行うことで波の影響を受けずに高速航行ができると聞く」
「とんでもない発想ですね」
つまり無理やり海に即席レールを敷いて移動するワケだ。
だが、緊急用としている辺りから常用できる代物ではないのだろう。
「察していると思うが、これには膨大な魔力……耀気を消費する。ただでさえコストが悪い今の耀気機関では、一度でも使えば終わりだ」
「しかし、それに見合うスピードは得られるワケですね」
「少なくとも、この世界の船では太刀打ちできない加速ではある。もっとも、使わずに済ませるため私が乗船しているのだが」
リヴァイアのスキルなら海流を操って船を自由に動かせる。たしかに、そうそう使うほどの窮地はないだろう。
だが、いざという備えがあるだけでも精神的な余裕が生まれる。
これは知っておいてよかった。
「本来なら船を案内する際に船団長殿から説明されるはずだったのだが、できればクロシュ様から皇女殿下に伝えてくれないだろうか?」
「ああ、フォルティナは興味なさそうでしたからね。構いませんよ」
教えても聞き流しそうだけどね。
ともあれ有用な情報を得られたので、こうしてリヴァイアと話をした甲斐があったというものだ。
もう満足したので俺は今度こそ上部甲板へと戻る。
最後にリヴァイアは、なにか言いたげだったが気付かなかったことにしよう。
今さら謝罪の言葉なんて聞くつもりはないし、ルーゲインの時と同じく俺は許すつもりなどない、
だから、まずは馬車馬のように働いて、その結果で示して欲しい。
これ以上の話はそれからだ。




