待ちたまえ
皇帝国から勇王国へ向けて出発すること四日目。
俺は立派な造りをした船の上で、優雅な旅を満喫していた。
昨日までは。
「……勇王国まで、あと三日でしたか」
「……ああ、その予定だな」
すぐ隣で表情を失ったフォルティナちゃんの声がする。
彼女も俺と同じく、気怠い姿勢で船端の手すりに突っ伏しながら、どこまでも広がる青い海と空の境界を眺めていた。
そう、どこまでも……無限に続きそうなほど広い……広すぎる。
「……ヒマです」
「……聖女殿、私が敢えて言わなかったのだぞ」
言おうが言わまいが頭の中にある思いは変えられないのだ。
フォルティナちゃんもわかっているのか、ただ相槌を打っただけで、やはり感情が込められていない声だった。
視線もひたすら遠くへ向けられているままである。もちろん俺も同様に。
なぜ二人して亡者みたいになっているのか。
答えは単純で、この船には娯楽が欠けているからだ。皆無と言っていい。
最初はまだよかった。旅をしているわくわく感もあって、フォルティナちゃんも心なしかうきうきしている様子だったからね。
港までの旅もカードやボードなど、道中で遊ぼうと用意されていたゲームで楽しく過ごしたし、お世話係のメイドさん方とも仲良くなれた。
そうして二日が経ち、ついに俺たちの命運を託す船と対面する。
それこそが、この白銀に煌めく荘厳な船。
皇帝国所属『第一皇女専用耀気機関船』だ。
見た目にも、これに乗るのは超が付く大金持ちか、一国の王族だろうなってわかるくらいゴージャスでありながら上品な美しさを持つ船である。
なんでも今回の使節団のためだけに、ほぼ丸ごと換装した船だとか。
皇女様が乗る前提だからか、船体の後部にはプライベートエリアが設けられていて、他の船員は立ち入ることもできない。
さらに小さな上部甲板が増設されて、下部甲板とは完全に別けられた。ここより高い場所は帆を張るマストくらいなので、外から覗き見るのは不可能だろう。
このスペースを潰せば、もっと人を乗せられるんじゃない?
などと考えてしまう俺は庶民的というか、貧乏性というか……まあ、どちらにせよそれで追加できる人員は十人から二十人ほど。
たったその人数の護衛を増やすのに、フォルティナちゃんの快適な旅路を支える空間を壊すなんてまったく割に合わないな。
それに、ここにはメイドさんたちの部屋も用意されている。つまり男だらけの船員室から遠く配置され、色々な防犯的にみなさんも安心して過ごせるのだ。
ついでに俺も嬉しい。ついでにね。
ちなみに船員とは、船を動かすのに必要となる船乗りたちと、勇王国での交渉を時にフォローして時にメインで行う外交官。それと現地に残る要職が何人か。
つまり合計三百人ほどが、この船に乗っているワケだ。
もっと細かく言えば片道分の物資が余裕を見て搭載されているので、たぶん乗せようと思えばもう少し無理はできそうだけど、逆に言えば無理しないで悠然とした様を勇王国に見せつけられるのが、この人数なのだろう。
だから結構ギリギリなワケで、どうせなら遊戯室も作っておいてとか、そんな無理難題は冗談でも口にしてはいけないのだ。
例え覚悟していたとはいえ、たった一日で変わり映えしない空と海を眺めるのに飽きて、用意したゲームも遊び尽くして、ひたすら上部甲板でぼけーっとするしかなくても。
そんな日々が、あと三日も続くとしても……。
「遊戯室を用意させるべきだったか……」
「フォルティナ、私は敢えて言わなかったのですよ……」
ああ、フォルティナちゃんがぽろりと本音を零してしまった。
でも皇女様なので誰もそれに文句は言えない。
後ろでは無言で控えていたメイドさんたちが、そんな俺たちを優しい瞳で見守ってくれている。彼女たちも退屈しているのだろうか。
そういえば初日に、船を案内させようかと船長に聞かれたのを思い出す。
白いヒゲを生やした眼光の鋭い男で、海賊みたいな顔だけど清潔な白いコートをを着こなしていたから不快感はなかった。
だが俺もフォルティナちゃんも、これっぽっちも興味がなかったので丁重にお断りしたのだ。
今ならヒマつぶしになりそうだけど……さすがに今さら迷惑かな?
「フォルティナ、船長が船を案内すると言っていたのを覚えていますか?」
「む、そんなことを言っていたか……」
未だに興味が持てないのか、そもそも覚えていないのか、虚ろな目をこちらに向けるフォルティナちゃん。
「ここにいても仕方ありませんし、どうですか?」
「いや、いくら退屈とはいえな……」
「一応ご自分の船ですし、一度くらいは見ておいていいのでは?」
「これを私のだと認めると、また派遣されそうで嫌なんだがな……」
とはいえ名前にがっつり第一皇女専用って入ってるんだよ。
これは【鑑定】でも表示されるので確定だった。
「やはり私は遠慮したいな」
「そうですか……では私ひとりで」
「ま、待ちたまえ」
移動しようと手すりを離れたらフォルティナちゃんに服を掴まれた。
それも結構な勢いで、おまけに顔色が悪い。何事だ?
「どうしました?」
「せ、聖女殿が離れてしまっては、また船に酔ってしまうではないか!」
「ああ、そういえばそうでした」
俺の常時展開しているスキル【聖域】によって船酔いは防止できる。
事実、最初の一日は何事もなく過ごせたのだ。
しかしあまりにも変化がなかったので……。
『すぐに癒せるなら、一度くらいは船酔いを経験しておきたい』
フォルティナちゃんが好奇心から、そんなことを言い出したのだ。
これにはお付きのメイドさんたちから、いざという時に備えて試したいと名乗り出る勇敢なる忠臣が現れたので、しばらく【聖域】の効果範囲を狭めた。
その結果、一時間ほどすると具合が悪くなった。
さらに時間が経つと、なにも喋らなくなった。
最後はベッドで横になり、呼吸をするだけの生き物になった。
あの時の顔色は青を通り越して、もはや血の気を失ったかのようだったな。
フォルティナちゃんがそんな感じだったので、同じくチャレンジしたメイドさんも似たような状況だ。
中にはまったく大丈夫だったメイドさんもいて、俺の近くに退避していた他のメイドさんと一緒に、ダウンした面々を介抱するくらい元気である。
ここで素直に【聖域】に頼れば傷も浅かったのだが、フォルティナちゃんは用意していた薬を試しておきたいと続行した。してしまったのだ。
この薬だが……残念ながら瞬時に酔いを収める効果は期待できない。
というのも薬学が未発展なので酔い止めの薬もまた、半分は気休め、もう半分は迷信染みたものだからだ。
例えばお香を焚いた香りで治そうとしたり、ものすごく苦い偽薬でプラシーボ効果に頼ったり、なんか枝付き葉っぱを枕元に置いたり……。
だが、それでも歴とした酔い止めに効くとされている方法だからか、メイドさんたちは復調した。まったく意味がないワケでもないのだろう。
そうして船酔い体験は終了した。
『ひゅーっ、ひゅーっ、ひゅーっ』
ヤバそうな呼吸音のフォルティナちゃんを残して……。
もう周りのメイドさんたちもオロオロするしかなかったし、本人から言い出す気力も残ってなさそうだったので、俺からドクターストップをかけたね。
さすがは【聖域】で、あっという間にフォルティナちゃんの顔に血の気が戻っていき、むくりと起き上がった。
『聖女殿、船上では私から離れないようにな』
なんだか、カッコいいような惜しいようなセリフである。
きっと戦場で言われたら、ときめいちゃっただろうな。
それ以降、俺は【聖域】の効果範囲を広く設定するようにした。
おかげで誰も船酔いにはならなくなったのだが、フォルティナちゃんと一部のメイドさんが俺から離れようとせず、なにかと距離が近くなってしまったのだ。
そのこと自体は別にいいんだけどね。
「では一緒に……」
「ここにいる全員を連れて行くのか?」
「ああ、それもそうですね」
フォルティナちゃんだけではなくメイドさんたちまで同行したら、いくら大型船でも通路を塞いで邪魔になってしまう。
これにはメイドさんたちも申し訳なさそうな顔をしたけど、誰も遠慮しない辺りから心の距離が近くなったのを感じられるね。
ということは、だ……。
「こうして空と海の境界を眺めているしかないワケですか……」
「……部屋に戻ってもいいぞ?」
「いえ、こうして広い場所に出ていたほうが、まだ気分が晴れるので……」
「……そうだな」
とはいえ、あと三日だ。
これは暇潰しになる遊びを見つけなければ……ヒマに殺されてしまうぞ。




