ローリターン
フォルティナちゃんが皇女として他国に行かなければならない……かも知れないとのことで、遺跡旅行の予定が前倒しになった。
まだ決定じゃないそうだけど、決定したら旅行どころじゃなく、外交から戻ってからだと遅くなってしまうので先に楽しむワケだ。
もちろん俺とミリアちゃんに異論はないので、順調に話は進んで五日後の出発が決まった。
ここで重要なのが安全の確保……つまり護衛だ。
細かいことを言えば極寒という大自然に対する備えも必要だが、そちらはフォルティナちゃんの側近さん方が手配してくれるので心配いらない。
問題は皇女を狙う不届き者や、盗賊団の襲撃、予期せぬ事故だろう。
同行する護衛騎士の数を増やせば危険は減るが、お忍びの形にするには、あまり多くは連れて行けないジレンマを抱えていた。
そこで俺やヴァイスの出番である。
俺が護りを担当し、ヴァイスが攻撃を担当すれば、例え魔獣事変が起きようとも無事にミリアちゃんたちを屋敷まで帰らせられるだろう。
騎士の隊長さんとも打ち合わせをして、表向きは騎士たちが護衛としてトラブルに対処するが、いざとなれば俺とヴァイスが動く段取りだ。
さらに切り札としてラエちゃんが控えている。
この布陣を破れる暗殺者や盗賊がいるなら、ぜひ見てみたい。フラグではない。
準備が整ったところで、あとはのんびり待つだけとなった。
詰まっていたスケジュールも、ほぼ解消済みだ。
まあカード生産所の視察に訪れて欲しいとグラスから頼まれていたり、シリーズ第二弾が発売直後から爆売れしているそうで、早くも第三弾のモデルをどうするかとミルフィちゃんたちから相談が寄せられているけど、どちらも遺跡旅行から戻ってからだな。
視察はいつでも良いと言っていたし、新しいカードの作成は少し休むと言っていたから、急いで対応する理由はない。
強いて言えば、魔法の授業くらいか。
頼み込んできた学士院側が非常に協力的で、やろうと思えば明日からでも開始できるのだが、旅行中は帝都から離れるので当然ながら授業もできない。
すると一回目の授業の後、それなりに間が空いてしまうワケで、それはちょっと教える子供たちに申し訳ない気がする。
俺なら転移で戻れるけど、あの魔法陣の存在は公表できないから辻褄が合わなくなってしまうし、なによりミリアちゃんが授業に出られない。
やっぱり授業を開始するのは旅行から戻ってからにするべきかな。
こちらも準備は済んでいるし、落ち着いてゆっくりじっくり始めるとしよう。
そう考えていた矢先のことだ。
学士院より重要なお知らせとする封書が届いた。
内容は挨拶から始まり、回りくどい文言が羅列されて難読すぎるのでノブナーガに読んで貰ったが、簡単に言えば窃盗事件が起きた報告と、謝罪だそうだ。
というのも犯人は捕縛されて尋問中らしいが、大きな問題が二つ浮上していた。
ひとつは警備上の問題だ。
学士院には皇女を筆頭に、貴族の子息令嬢が多く在籍している。
もちろん騎士が常駐しているはずなのだが、今回の事件は起きてしまった。
これだけでも警備体制の甘さを指摘される不祥事だが、被害が少なければ挽回はできただろう。
もうひとつの問題は、被害者だ。
犯人の懐からは、なんと聖女さまの私物が見つかったという。
その影響は凄まじいものだった。
まだ世間に公表されていないものの、耳聡い貴族は学士院が大失態を犯したと非難を浴びせており、当時の警護を担当していた騎士たちにも厳しい処罰が下るのは間違いないとか。
そして二度と賊の侵入を許さないよう、徹底的な警備体制の見直しが言い渡されており、しばらく学士院は休校となってしまったのだ。
ここで少し情報を整理すると、聖女さまの私物とは俺が作成した書類だ。
魔法を教える参考書みたいなもので、それを学士院に用意された専用の教室に保管しておいたのが狙われた。
……ほぼ誰にも教えていないはずだが、なぜ犯人は盗んだんだ?
あと控えはあるし、別に盗まれても困らない、そんなことを言ってみたら。
「だからといって学士院に責任があることに変わりはないさ。これがもし生徒に危害を加える目的だったら、取り返しの付かない事態になっていたからな」
などと厳しい意見をノブナーガは返した。
まあ俺もミリアちゃんたちのことを思えば同感だが。
結果として、学士院の立場はかなり悪くなっているらしい。
「しかし、犯人は何者なんでしょうか?」
「尋問中としか書かれていないが、詳細が判明したらまた連絡が来るだろう。クロシュちゃんは被害者だからね。すぐに盗品も返却されるよ」
「それは別に気にしていないのですが……」
「大した品ではなかったのかな?」
「ええ、まあ私が書いた魔法の参考書ですので、控えもあります」
「……ちょっと待ちなさい」
ノブナーガは顎に手を当て、深く考えているようだった。
「どうしました?」
「まず、クロシュちゃんからすれば大した物ではなくとも、世に出れば高額になる物もあるんだ。その魔法書も今後は扱いに気を付けてくれないかな?」
「自分から手放すつもりはありませんが、わかりました」
たしかに盗まれても良い物とは言い難いか。
例え魔力を持たない者が手に入れても役に立たない参考書だったとしても、希少品としてオークションなんかに出品されて大儲けされたらめちゃくちゃ腹立たしいからね。
「それと、クロシュちゃんを標的にしたのは恐らく裏で魔道具協会か、あるいは聖女教のどちらかが糸を引いているからだろう」
「盗品から判断できるのですか?」
「学士院に侵入するのは誰かの手引きなしでは難しい。そこから推測すれば、ある程度の力を持った組織に絞られる。それが魔法の参考書となれば尚更だ」
「魔法を使いたい貴族の誰かが狙った可能性はないのでしょうか?」
「クロシュちゃんが学士院で教えることは公表されているんだ。少し大人しく待っていれば、間接的にでも学べる機会がやって来るからね。ここで危険を冒してまで動く理由としては少し弱いな」
愚かな貴族の中には危険を顧みずに動く者もいるそうだが、そういう輩は準備段階で失敗し、成功する見込みがある者なら愚かではない。
つまり学士院に手を出すのはハイリスク、ローリターンというワケか。ローリターンの響きはとても楽しいが、実態は地獄だ。
「そうして残った候補が、その二つと……聞き覚えがある気はしますが」
「魔道具協会は以前、夜会で騒ぎを起こした貴族の裏にいると思しき組織だよ」
ああ、ミリアちゃんに絡んできた不審者か。
そういえばノブナーガから魔道具協会がどうのと聞いた気がする。
「なぜその協会が?」
「簡単に言ってしまえば利権問題だよ。もし魔法によって魔道具の需要が減ってしまえば、協会としては面白くないからね」
「参考書を奪って魔法を広めないようにしようというワケですか」
逆に言えば、その程度の妨害しかできないなら無視しても問題なさそうだ。
もし過激化するようなら、その時は皇帝に動いて貰うように頼もうか。
「では聖女教とは?」
「文字通り聖女を信仰する宗教だな。昔は聖女ミラだったが、今はクロシュちゃんも対象に入っているかも知れん」
「初耳なのですが……」
「なるべくクロシュちゃんの耳には入らないようにしていたからな。あそこは色々と問題のあるところなんだよ」
詳しく聞けば、聖女教の内部は金や権威を求める亡者と、聖女を崇める狂信者という二つの勢力が占めているそうだ。まともな信者はいないのか?
「そもそも、そんなに大きな勢力ではなかったからね。ただ今はクロシュちゃんの活躍で、なにかと活発的になっているんだ」
「私のせいですか……」
「いや、言い方が悪かった。やつらはクロシュちゃんの威光を笠に着て、布教活動を強めているだけだ。もちろん実権は持たないから気に病む必要はないさ」
「それならいいのですが」
ミラちゃんの名を借りて悪事を働いているようなら物理的に潰すつもりだったけど、ひとまずは放っておいて良さそうだ。
「ですが、なぜ聖女教が魔法の参考書を盗むのですか?」
「魔法の参考書だからではなく、クロシュちゃん……つまり聖女の私物を手に入れたかったんだろう。これまでも聖女ミラの遺物として【魔導布】を譲渡するよう通告して来たくらいだからな」
やっぱり潰そうかな。
「それと気にしなくても大丈夫だとは思うが、もしクロシュちゃんに物をねだるような人物が現れたら、決して与えないようにするんだ。それを口実に聖女から授かったとして、自分たちの活動の正当性を主張し始めるからね」
「面倒ですね」
「ああ、面倒だが表立って問題を起こしたわけでもないから処罰もできない。とにかく付け入る隙を見せないことが一番だ」
じゃあ問題を起こしたら即座に皇帝から正式に許可を貰って潰そう。物理で。
残念ながら参考書を狙ったのが魔道具協会と聖女教、いったいどちらなのか不明だから、尋問を受けている実行犯が口を割るまでは保留だ。
しかし困ったのが学士院の休校か。
具体的にいつまでなのか決まってもいないらしく、追って連絡するとしか封書には書かれていなかった。
つまり魔法の授業が、旅行から戻っても無期限延期になる可能性が高い。
黒幕が悪いのはたしかだが、学士院側にも不手際があったのも事実だ。
残念だが仕方ない。
そこでふと、黒幕が魔道具協会なら授業妨害という目的は達成できたことになるのではないかという疑いが再浮上する。
別の手段で揺さぶりをかけてみるべきだろうか?
それはそれで面倒事になりそうだけど、今さらとも言えるな。




