では敵ですね
「……師匠、始まったようです」
「……ちょっと聞こえ辛いですが、まあなんとか聞き取れる範囲ですね」
声を潜めて話す俺とヴァイス。
なにをしているのかと言えば、耳を澄ませて隣室の様子を窺っているのだ。
視界はスキル【魔眼・透】を発動すれば壁を透かして見通せるので良好だが、音だけはどうにもならない。
そこで仕方なく壁に耳を押し当てる原始的な手法によって、くぐもった声を聞いているのである。
二人して盗み聞きしている絵面はちょっと悪いが、この部屋には他に誰もいないので、気兼ねなく見学させて貰おう。
さて、その隣室では現在、有名どころから小さなところまで、帝都内に本店を置いている複数の新聞社から記者が訪れていた。
相手をしているのは、もちろんマオ・スイレンだ。
ひとりに対し、複数人の記者が囲んであれこれ聞きだしている光景は、なんだか記者会見のような様相である。
その内容も、新進気鋭のスイレン商会が売り出すカードゲームは、いかにして今の成功を手にしたのか? そして今後はどのように展開するつもりなのか?
といった基本的な質問ばかりが続き、あらかじめ用意していたような答えをマオが話している最中だ。
俺たちにとっての本題は、この後に控えている。
すなわちカード制作に聖女が関わっている、という宣伝だ。
この情報が広まれば、ほかの商会からの嫌がらせを抑制できる……とマオとグラスは言っていた。成功するかどうかは俺に判断できないが、協力できそうなのはこれくらいだし、特に損もしないので構わないだろう。
「――という予定で動いていますね」
「ありがとうございます。もうひとつ気になっている質問ですが、カードの題材に聖女クロシュや、エルドハート家のご令嬢を選んだ理由をお聞かせください」
ようやく記者から核心に迫る質問が飛び出した。
ついでのような口振りだが、グラスたちの予想では、これこそが目的らしい。
それだけ帝国の聖女という称号が重要視されている証だろう。
「ええ、実はカードの製作者の意向なんです」
「というと、そのお方は聖女と面識があるのでしょうか? 失礼ながら、もし無許可であれば問題視されるのではないかと」
「それは――」
「まったくもってその通りだっ!」
うん?
いきなり知らない声が乱入してきた。
耳を離して透視すると、反対側の扉から変なおっさんが入り込んでいる。
なんだ? いったい誰だ?
マオも突然のことで腰を浮かせて戸惑っていた。
「あ、あなたはなんですか?」
「ほう……私を知らないのかね?」
いや知るわけないだろ。
マオに同意していた俺だが、記者陣には心当たりがあるようだ。
「もしやドルゴー商会長では……?」
「あの顔は間違いないぞ」
「しかし、なぜここに?」
ざわざわと記者たちが囁きあっている。
察するに、どこかの商会のトップでそれなりに有名人っぽいが、だとしても取材会見の場に突撃するなんて暴挙にもほどがある。
そもそも、どこから入って来たんだろう。
などと思っていたら従業員らしき人も続けて現れ、侵入者に対してあれこれ文句を言っていた。正面突破したのか。
普通ならそのまま追い出す場面だが、ここでマオが動いた。
従業員を手で制止すると、自らが対峙する。
「あなたがドルゴー商会長でしたか。せっかくお越しのところ申し訳ありませんが見ての通り取り込み中でして……例の件はお断りしたはずですが」
「いやなに、私も記者のみなさんがお集まりだと聞いて、今日のところは引き返そうと思っていたが……先ほど気になる言葉が聞こえたのでね。つい体が動いてしまったよ。中断させて悪かったな」
言葉だけで悪びれる様子はない商会長とやら。
「師匠、ドルゴー商会はスイレン商会に買収を持ちかけていた商会です」
「では敵ですね」
このタイミングで直々に乗り込んできたのも偶然ではなさそうだ。
ひとまず狙いはなにか様子を見よう。
「その通りだ、と仰っていましたね」
「うむ、そちらの記者が言っていただろう? 君の商会で売り出している例のカードはたしかに素晴らしいが、聖女様を無断で利用したのはよくなかった。まあ噂によると君は他国から来たばかりだというじゃないか。この国の事情に明るくなくても仕方ないだろう。仕方ないが、だからと言って見逃されるほど甘くはない」
「はぁ……」
一方的に捲し立てる周防会長に、マオは気のない返事をする。
心なしか片眼鏡のレンズが曇って見えた。グラスも呆れているのだろう。
こっちからすれば、お前はなにを言っているんだ? という感じだからな。
「私は立場上、多くの貴族とも関わり合いになる機会が多いのでね。まあ、そこで今回の一件も話題に上がったのだよ」
「といいますと?」
「どうやら聖女様の耳に入ったそうだ。今のところ気分を害された様子はないと聞くが、いつ覆るか予想できない。エルドハート家も、この件に関しては苦言を呈していたそうなのでな」
「そ、そうですか」
マオは引きつった笑みを浮かべていた。きっと驚いているのだろう。黙って成り行きを眺めている記者陣も息を呑んでいた。
これには俺ですら初耳で驚いたからな。
なるほど、聖女様がねぇ。
「師匠、あの男を詐称の罪で処分する許可を」
「いえいえ、ここからが面白くなるところですよ」
もしかしたら俺の出番もありそうだし、もう少し道化のダンスを楽しもう。
「このままでは小さな商会は抵抗もできずに潰されてしまうのではないか、そう心配をして今日は訪ねたのだよ」
「それはそれは、わざわざありがとうございます」
「うむ、そこでだ。以前より打診していた我が商会との――」
「あ、結構です。許可は出ていますので」
「……なんだと?」
得意気だった商会長の顔が訝しむものに変わった。
「聞き間違いであればいいのだが、許可を取ったと言ったのかね?」
「ええ、そうですよ。と言いますか、カードの製作者は聖女クロシュですからね」
「マ、マオさん、それは事実ですか!?」
「それが本当ならビッグニュースになるぞ!」
「なにバカを言っているっ!」
記者たちの声を遮るように商会長は怒号を上げた。
「い、いいかね! 私はエルドハート家とも繋がりがある! その気になればノブナーガ辺境伯にお伺いを立てることも可能なのだぞ!? 下手な嘘は身を滅ぼすだけだとわからんのか!」
その剣幕に記者陣は黙り込んでしまった。
一気に場の流れを持って行った感じだが、ハッタリではマオに通じない。
「今ならまだ、我が商会の傘下に入れば上手く取り計らってやれるだろう。悪いことは言わん。エルドハート家の怒りを買う前に決断したまえ」
「それには及びませんよ。なにせ――」
さっきからマオの視線がこちらに向いていた。
やっぱり出番か。
素直に引き下がれば見逃したのに、下手なウソは身を滅ぼすって本当だな。
「ヴァイスは待っていてください。すぐに終わらせますので」
そう言って俺は扉を開けて姿を現す。
いきなりの登場にマオ以外は怪訝そうな目をしていたが、よくよく観察しているうちに見覚えがあったのか、徐々に見開かれていった。
自己紹介の手間が省けたな。
「さて、私から説明が必要でしょうか?」
「ま、ままっ、まさか、本物の……?」
「聖女クロシュ……あの写し絵で見た通りだ」
「う、美しい……」
いいぞ。もっとだ、もっとミラちゃんの美貌を褒め称えろ。
マオのほうも流れに乗って、記者陣に語りかける。
「ご覧の通り、聖女クロシュは認めているどころか、彼女がカード制作に携わっているのです。この場に居合わせていることが、なによりの証拠でしょう」
「ではエルドハート家は……?」
「ノブナーガからは特にこれといって口出しされてはいませんね。まあ、なにかあっても私が責任を取るので心配いりません」
いざとなったらミリアちゃんを引き合いに出せば折れてくれるだろう。
娘にめちゃくちゃ甘いからな。ネイリィ共々。
「ところで、そちらの商会長さんでしたか。先ほどエルドハート家と繋がりがあると聞きましたが事実でしょうか」
「う、それは……その、ですね……」
「ノブナーガに確認を取ってもいいですか?」
「おっと! もうこんな時間だったとは! いやはや長居をしすぎましたな!」
わははは、とあからさまに話を反らし、マオを一瞥すると商会長は慌てて逃げるように部屋から出て行った。
まだ面倒事を起こしそうな予感がするな。
あとでノブナーガに告げ口しておくか。
「あの、聖女様……よろしければお話を聞かせていただけないでしょうか?」
「写し絵をお願いします!」
「あ、こっちも!」
「どうか一枚だけでも!」
「あー、まあ仕方ないですね……」
取材にまで関わる気はなかったのだが、ここで素っ気ない態度は印象が悪い。
あんな露骨に騙そうとするやつがいるのだから、この記者たちは味方に付けておいたほうが、今後なにかとやりやすくなるはずだ。
敵に回すくらいなら、味方を増やしたほうがいいに決まっているからね。
後日、商会の記事というよりも、聖女の写し絵が見出しとなった記事が一面を飾ってしまった。これはちょっと想定外だ。
しかし大々的にカードが宣伝されたことで売上はさらに伸び、結果的にスイレン商会は飛躍的に成長するので、嫌がらせを跳ね除けるだけの力を備えられる。
結果オーライだろう。
十年ぶりにPCを買い替えました。
環境が変わって少し操作に慣れないですね。




