ぷしゅー
「ひとつ頼みがあるのですが……」
「了解しました」
「……ヴァイス、せめて話を聞いてから引き受けるか決めてください」
「師匠の頼みであれば断るはずがありません」
という感じで、あっさり俺のスケジュール管理を引き受けてくれたヴァイス。
常日頃から彼女はなにかと役に立ちたがっていた。
しかし現実は厳しく、ヴァイスに頼めそうな仕事は少ない。
仕方なく屋敷の警備を任せてみたものの、本職の騎士たちがいる上、庭では魔獣のコワタが放し飼いにされ、最近は悪魔も住み着いている。
ただでさえ治安の良い帝都だというのに、なにを想定した警備なのだろう。
おかげでヴァイスは、半ば置物と化してしまっていた。
そこで今回の一件だ。
俺は大事な予定を滞りなく進められるし、ヴァイスからしても仕事を頼まれるのは嬉しい……俺にはまるで理解できない話だが、本人がそう言っているので一挙両得、一石二鳥というものだろう。
なによりヴァイスは驚くほど忠誠心が高く、能力を含めて信用できる。
俺にはちょっと惜しい弟子(暫定)だ。
「それでは今後、ヴァイスは私の専属秘書という形にしましょうか」
「はっ、ありがたき幸せです……!」
片膝をついたヴァイスは、騎士が誓いを立てるように了承した。
いちいち大袈裟だけど、本人が望んでやっているので俺からは特に止めたりもせず好きにさせている。ちょっと恥ずかしいけどね。
「あとは給料と勤務時間について相談したいのですが……」
「いえ、師匠から対価を受け取るなどとおこがましいです。我の力が必要であれば二十四時間、常に師匠の傍で控える所存です」
「……休みは必ず取るように。二十四時間とか真っ黒な労働環境は絶対に認めませんので。それからヴァイスはあまりお金を必要としないんでしたね。なにか他に欲しい物はありませんか?」
「師匠のお役に立てる事実こそが最上の喜びです」
「うーん、物ではなく私にして欲しいことでも構いませんよ?」
「勿体ないお言葉ですが我は……っ!?」
まともに取り合うと無休無給で働き続ける道具になってしまうので、ある程度スルーしていた俺だが、ここでヴァイスの変化に気付く。
なにか欲しい物……あるいは、やって欲しいことを思い付いたようだ。
「どうしましたヴァイス?」
「い、いえ、なんでもありません……」
「隠さなくていいんですよ。それがヴァイスの求めるモノなのでしょう?」
「で、ですが師匠……」
「さあ打ち明けてみなさい。私にできる範囲なら用意しますよ」
「うっ……くぅ……」
あの冷静沈着で、常にクールな印象しかないヴァイスが言葉を詰まらせて戸惑っている。そんなに言いたくないだろうか?
だけど断らない辺り、かなり迷っているようだ。
迷うのは、本心では言いたいからだろう。俺はそう判断し、黙ってヴァイスの答えを待とうと決めた。
ゆっくりと時間が過ぎていく。
やがて覚悟を決めたらしいヴァイスは、漂わせていた視線を俺へまっすぐに向けて、僅かに頬を赤らめながら口を開いた。
「……して欲しいです」
「なんですか?」
「あたま……を、なでて……欲しいです」
ふむふむ、頭を撫でて欲しい、と。
途切れ途切れで聞き取り難かったけど、はっきりとそう聞こえた。
……本気だろうか?
「ヴァイス、私には頭を撫でて欲しいと聞こえたのですが……」
「う……申し訳ありません。身のほど知らずな望みでした」
「撫でるだけなら、いくらでも構いませんよ?」
証拠とばかりにヴァイスの頭をそっと優しい手つきで撫でてみた。
前にも一度だけ撫でたが、ミリアちゃんに負けず劣らずの髪は、その時と変わらない柔らかな白銀の絹のようで、指をさらりと滑る。
ずっと触れていたいと思うほどに、大変触り心地の良い感触だ。
というか実際に触っている。
もう何往復も撫でまくっている。
すでに愛犬をわしゃわしゃ愛でる領域である。
これはむしろ俺に対するご褒美だ。
だから俺は、もっと他にないの? と尋ねてみるつもりだった。
「ヴァイス?」
「…………」
ふと気付けばヴァイスの反応がない。
しまったと手を離すと、せっかくの綺麗な髪が乱れてしまっていた。
いくらなんでも触りすぎだろう。慌てて直す直す……。
途中でヴァイスが少しでも嫌がってくれたら俺も止めたのだが、彼女の性格を考えるに怒りすらしないだろうし、嫌だったとしても断らない気がする。
ヴァイスも女の子で、髪は女性の命とも言う。
つまり俺がもっと注意すべきだった。
「すみませんヴァイス、髪をもしゃもしゃに……」
「……もっと」
「はい?」
深く反省していた俺だが、ヴァイスの様子がおかしい。
顔どころか耳まで赤くなっているし、どこか虚ろというかぼぉっとしている。
心配になった俺は、ヴァイスの顔を覗き込んで……。
「もっとです……」
「おぉ?」
ぐらりとヴァイスの体が傾き、もたれかかってきた。
俺は驚きながらも優しく抱き止めると、ヴァイスの顔がちょうど胸に埋まる形になってしまう。いわゆるラッキースケベってやつか。
これが男だったら張り倒して埋めるところだが、ヴァイスなので問題はない。
「どうしましたヴァイス?」
「…………」
返事がない。ただのしかばね、ではないはずだ。
さっきなにか言っていたけど……もっと撫でろってことかな?
いい感じの位置に頭があるので、とりあえず引き続きなでなで……。
「ぷしゅー」
ヴァイスからなにかが漏れている音がする。
あれ? 大丈夫これ? 魂とか抜けてない?
そんな俺の心配をよそに、ヴァイスは甘えるように頭をぐりぐりと擦り付けてきた。大きな白猫かな?
「えーっと……あの、ヴァイス?」
「はっ!?」
ようやく我に返ったのか、急に離れたヴァイスはとろけた表情をキリッと整えると、いつもの冷静な姿に戻ってくれた。
「失礼しました師匠。あまりの幸福に我の精神では耐えられませんでした」
「そ、そうですか……」
あれ、この子ってこんな感じだったっけ?
もうちょっとマジメな性格だったと思ったんだが……。
「まあでも喜んでくれたんですよね? これを対価とするにはアレですけど」
「はい。師匠が仰る通り、師匠の手は価値が高すぎるので、我の労働には見合わない報酬かと……いえ、ですが月に一度ぐらいであれば……」
「ヴァイスにとって私の手はなんなのでしょうか」
こういう時は本人が望むなら、その望み通りにするのが俺の主義だけど、さすがに撫でるだけってのは心苦しく感じる。
もうちょっとヴァイスの働きに報いる対価を支払わせて欲しいな。
「ではこうしましょう。ヴァイスが求めたら撫でてあげましょう。それとは別に対価として、お金を支払うことにします。それなら私も納得できますので」
「……師匠」
あ、あれ? なにか不満そうな雰囲気だ。
やっぱり撫でるのが対価のひとつって無理があったかな……。
「師匠……ぎゅっとしてくれるのはコースに入っていますか?」
「コースってなんです?」
今日のヴァイスはちょっとおかしいな。
まるでワガママを言う子供のようだ。それにしては控えめだけど。
でも、それなら師匠として、このくらいのワガママは応えてあげないとね。
「ヴァイス、こちらにどうぞ」
「は、はい」
「これがいいんですか?」
「はぃ……」
両手を広げてヴァイスを迎え入れると、素直に引き寄せられて再び胸に顔を埋めたところで頭を撫でてやる。
すると同じようにヴァイスの表情がとろけて、ただの甘えん坊になった。
……うん、これは俺も癖になりそうだ。
できればミリアちゃんにもしてあげたいな。
「これから秘書の仕事、よろしくお願いしますね」
「おまかせくだひゃいぃ……」
ふにゃふにゃヴァイスになってしまった。
やりすぎると危なそうだから、ほどほどにしておこう。
俺は自分自身に言い聞かせるように固く誓った。
「さて、改めてヴァイスに私のスケジュール管理を頼みます」
「了解しました」
たっぷり楽しみ……もとい、報酬の前払いを終えた俺は、一息付いて冷静になってから、気力に満ちるスッキリした顔で話を進める。
こうして普通に会話する分には、ヴァイスはまともなので俺も安心だ。
……ただ心なしかヴァイスも満足気な顔をしている。
やっぱり、なでなでは月イチくらいがちょうどいいのかも。
「早速ですが師匠、今後の動き方を教えてください」
「ええ、まずは……」
俺自身も頭の中を整理しながら、ヴァイスに予定を教える。
まず外せないのはミリアちゃんの魔法訓練だが、これは学士院での授業に合わせるから少し後になるかな。
次に村の子供たちの様子を見るのと、ルーゲインに子供たちに教えている魔法について相談がある。
それからカードゲームの製作でミルフィちゃん、販売でグラスと打ち合わせをしないといけない。
あ、思い出したけどラエちゃんが屋敷にいることをヘルに連絡しないとだ。
……他にも忘れている予定はなかったかな?
「師匠、優先するべき事柄はありますか?」
「学士院での授業ですが、まだ少し先になりますね。他はどれも同じです。ああでも、グラスとの打ち合わせは、こちらから都合のいい日を近く連絡することになっています」
「では、そちらを優先しましょう。ですが先にミルフレンスとの打ち合わせを済ませるべきです。カードは共同開発とのことなので、話を通しておいたほうが後で揉めません。それから他を順番に片付けていき、準備を整えてから最も重要事項である授業に臨む形がよいかと思われますが……どうですか師匠?」
「……なんだか慣れていませんか?」
「冒険者として活動していた経験から、多少の心得があります」
秘書の心得……ではなく、予定を立てるほうか。
ヴァイスも他の冒険者と揉めたりしたんだろうか。
「特に問題なさそうなので、それで行きましょう」
「了解しました。詳細な日程を詰めますので明日までお待ちください。先方との打ち合わせ日時は我から連絡しますので、グラスとミルフレンスの連絡先をお願いします」
「わ、わかりました」
思った以上にヴァイスが有能な感じで動揺してしまった。
本当になでなでと給料だけで雇っていいのだろうか。
俺がヴァイスの忠誠心に報いる方法を探すのも、こっそり予定に入れとこう。




