さもなくば命は保証しない
本日二回目の更新です。
自由商家連合国の刺客たち、総勢五十一人。
その内、異世界から召喚された者のみで構成される二十人と、総指揮を任されていたリヴァイアが、ひとり残らず捕縛されていた頃のことだ。
暗い夜の深森へ駆け込む集団があった。
彼らは残りの三十人。
商家連合国の正規兵のみで構成される、歴とした軍人だ。
遥か上空で戦闘を繰り広げたリヴァイアとルーゲイン。
嵐の竜を正面から討ち果たした、螺旋を描く黄金の光。
吹き荒れる風雨を止め、夜を真昼に変えるほどの……伝説に謳われる魔法。
それらを目の当たりにしてしまい、さらにリヴァイアの敗北を悟った彼らが取った行動は、即座の撤退である。
恐怖に駆られながらも隊列を崩さない辺りは、さすが軍人と言うべきか。
「なんで、あんな化物が、いるんだよ……」
駆け足の最中でも軽口を飛ばす余裕があったらしく、ひとりがそう愚痴る。
すると、緊張を誤魔化すように次々に賛同する声が上がった。
「まったくだ、おかげでこっちの計画も、台無しだ」
「作戦は成功が約束されてる、つってたのは、どこの誰だよ」
「貴様らは、まだいい、こっちは大損だ」
「そういえば隊長は、奪還した商品の一部を、貰えるんでしたね」
この場合でいう商品とは、召喚された子供たちである。
隊長と呼ばれる男は、特別報酬として奴隷をひとり受け取る予定だったのだ。
「え、まさか隊長殿、そういったご趣味が?」
「馬鹿者、私ではない。あれはツテさえあれば、高く売れるからだ」
「だいたいそっちは、あいつの得意分野だろ」
そこで話を振られた男が、薄気味悪い笑みを浮かべる。
「ふひっ、ええまあ、隊長殿から調教を、頼まれていましたね」
「そのまま売るよりも、しっかり躾けられたほうが、価値は上がるからな。かといって、私は子供なぞに興味はない」
気色悪い男の言葉を隊長が引き継ぎ、肯定した。
要するに隊長は、適材適所だと言いたかったらしい。
調教を頼まれたという男も、それを快く引き受けていた。
周りで聞いていた部下たちは、とんだ変態野郎だと笑いを堪える。
「くくっ、だったら次の商品を、自分で買ったらどうだ?」
「そりゃいい、数年もしたら、俺たちも使わせて貰うからよ」
「おいおい、あいつの使い古しなんて、勘弁しろよ」
「ふひひ、構いませんよ、年寄りに興味は、ありませんからね」
「くっくっくっ、あいつマジかよ」
「面白そうだから、たまに様子見に行くぜ」
次々に軽口が飛び交う様子からは、先ほどまでの恐怖など感じられない。
ゆっくりとだが歩調も緩み始め、そろそろ小休憩を取ろうと隊長は判断した。
その時だった。
『武器を捨てて投降しろ。さもなくば命は保証しない』
前触れもなく脳裏に響いたのは、降伏勧告だった。
発信源は、もちろんクロシュである。
遠方より一方的に、そして冷酷に告げるだけ告げると、その返答すら待たずに途絶えてしまった。そんな謎の声に、男たちは互いの顔を見合わせる。
自然と歩みは止まっており、中には腰に帯びた剣へ手を伸ばす者もいた。
「な、なんだ今のは……?」
「隊長、どうしますか?」
「決まっているだろう。捕まれば極刑は避けられん。仮に本国へ送還されても、すべての責任を被せられるだけだ」
彼らの役割は商品の運搬と、実働部隊として同行させた異世界人たちが裏切らないように見張る監視……そして後始末である。
つまり作戦の成否に関わらず、異世界人たちは皇帝国の村を襲ったならず者として、すべての罪を被せられ、切り捨てられる定めにあったのだ。
しかし作戦は失敗した。
その上、正規兵の彼らまで捕虜となってしまえば、間違いなく商家連合国は彼らまでも躊躇いもなく見捨てるだろう。
隊長と呼ばれる男は、それを十分に理解していた。
「で、ですが隊長……」
「安心しろ。異世界人どもがなにを喋ろうが、我々の正体さえ隠し通せれば皇帝国は口を出せん。碌に証拠もないのだからな。故に、我々は急ぎ離脱する必要があるのだ。それを理解しない本国ではない」
商家連合国の正規兵である彼らが捕縛されれば、皇帝国に付け入る隙を与えることになるのは間違いなかった。
そもそも強襲作戦の総指揮はリヴァイアであったことを踏まえれば、隊長は多少の責を問われることになろうと、自力での帰還が望ましいと決断する。
「了解しま……っ」
部下である男が返答しかけた時だった。
「おい、なにか言ったか?」
「俺じゃねえよ」
「静かにしろ、お前ら……!」
なにかが聞こえたのだ。
そこは深い森の中。とにかく身を隠すことを優先したため、詳細な位置情報などは誰も持っていなかった。
夜明けまで潜伏する腹積もりだったが、もし魔獣の類であれば、すぐにでも森を抜けなければならない。
だが彼らも訓練を積んだ正規兵である。これが悪名高い魔の森や、ダンジョンの深層であるならばいざ知らず、ここは地上の片田舎だ。
その程度の魔獣を相手に、三十人からなる小隊が後れを取ることはない。
誰もが、そう確信していた。
「待てよ……あの村、たしか調査用の拠点だとか言ってなかったか?」
「はっ、たしかに資料によると、表向きは森に生息するオーガの調査拠点となっておりますが、これは隊長もご存知の通りカモフラージュであり、一度も森へ調査隊が入ったという記録はありません」
淡々と答える部下に対し、隊長は不安を拭い切れずにいた。
どうしても疑いが消えないからだ。
「それにしてもオーガの発見に伴い、調査隊の拠点を建設などと、またわかりやすいカバーストーリーですね」
商家連合国側が用意した資料では、それが偽装であると結論付けていた。
なぜならオーガの存在は確認されなくなって久しく、もはや絶滅したとも言われている。加えて部下の言うように調査隊が動いた形跡が見られないのも、それどころか僅かな騎士のみが駐留していることも、それを裏付けているだろう。
だというのに、隊長の男はなにかを見落としている気がしてならなかった。
あからさまな嘘の中に、恐ろしい真実が息を潜めているかのように。
ひょっとして、もしかしたら、あるいは。そんな憶測ばかりが浮かび――。
そして虚ろだった疑念は、現実のものとなる。
「う、うわあああぁぁぁぁぁッ!?」
「なんだ! どうした!?」
「た、たすけべばっ」
「落ちつけぇ! 状況報告しろッ! なにがあった!」
「ひぃっ! くるなくるなあああごがッ」
隊列の外周部から誰かの悲鳴が上がったのを皮切りに、続けて二度三度、断末魔にも似た叫び、剣戟の音、肉や骨を圧し潰したような雑音が溢れた。
隊長がぐっと目を凝らしても、周囲は深く濃厚な闇ばかりであり、すぐ傍にいる部下の顔すら判然としない。
突如として騒然とする部隊に、しかし隊長は努めて冷静に思考すると、すぐに意識を切り替える。
「敵襲だ! 周囲を警戒し、密集陣形を組め!」
混乱の最中にあった部下たちは、この号令を受けて瞬時に反応した。
異世界より召喚されたちょっと強い一般人と、軍人の違いがこれだ。
日頃から訓練を受けてきた彼らは、例え眠っていたとしても、上官からの命令があれば即座に動けるよう細胞に叩き込まれている。
故に指示を出す隊長さえ冷静であれば、態勢を立て直すことも容易であった。
そうなれば、もう怖れるものなどない。
多少の負傷者は出ただろう。すでに手遅れの者もいるかも知れない。
だが、彼らはまだ生き残っている。
であれば、あとは敵を撃滅するのみ。
……そのはずだった。
これが人間であれば、または見知った魔獣であれば、彼らは被害を出しつつも無事に森を抜け、望んだ通りに本国へと帰れただろう。
しかし誰もが忘れていた。
『武器を捨てて投降しろ。さもなくば命は保証しない』
あの言葉の重要性と、その意味するところを深く受け止めなかった。
あるいは、何人かは脳裏を掠めたかも知れない。今からでも投降すべきではないかと、部隊から抜け出してでも命乞いをするべきではないかと……。
無論、それはあまりにも遅すぎる後悔だった。
なぜなら彼らは、すでに狩るモノの眼に留まっているのだから。
雲間から月明かりが差し込み、重い幕を開けてショーの開始を合図するかのように、すべてを包み隠していた闇が明らかとなった。
「う、まさか……あれは!?」
ここへ来て、ついに隊長は思わず唸ってしまう。
円を描くような陣形を組んだ部隊の前に、木々を掻き分けるようにして現れたのは、醜悪な巨人であった。
身の丈は三メートルほどあり、岩石と見紛うばかりの筋肉と、手にした大斧は歴戦の戦士を彷彿とさせる。
顔は人間と似ているようで、まったく似ていない。鋭い眼光は世界を憎んでいるかのようで、口内に並んだ荒々しい牙は人間の骨肉を噛み砕くことなど容易い。
そんな怪物が、十体。
闇夜の隙間から顔を覗かせていた。
「お、オーガだ……!」
誰かが苦しげに呟くと、それに返事があった。
もちろんオーガからである。
「グゥォォォォォオオオオオオーーーーーーーーッ!!」
空気が震え、腹の底にまで響くほどの轟咆。
怯みながらも逃げ出さずにオーガたちを見据えていた彼らは、あるいは勇敢な兵士だったのだろう。
もっとも、それは蛮勇だが。
「ぎゃばっ」
「ひぶぉ」
奇妙な二つの言葉を残して、二名の兵士が絶命した。
その死因は、頭を大斧で叩き潰されたことによる僕殺と、薙ぎ払うように振るわれた大斧で胴体が泣き別れしたことによる惨殺か。
隊長は目の前で起きたことが、ほんの一瞬だけ夢に思えた。
同時に、先ほど聞こえた奇妙な音の正体に思い至る。
恐らく視界の外には、五名の惨殺死体が転がっていることだろうと。
訓練された彼らがオーガの接近に気付けなかったのは、その足音すら立てない機敏な動きによるものだった。
そしてそれは、間近で凶器が振るわれるまで反応できない速さでもある。
現に最前列にいた二名が死ぬまで、誰もオーガの動きを捉えられなかった。
同時に、攻撃を防ぐという手段すら意味を成さないと理解させるには十分な結果だった。身を守ろうと突き出した腕ごと、肉と骨が引き裂かれるのだから。
つまるところ、これは戦いなどではなかった。
……ただの殺戮だ。
「撤退! 撤退だぁ!」
限界ギリギリのところで理性が働き、隊長は指示を飛ばす。
交戦などもってのほかであり、ただ惨めに逃げるしかない。
だがオーガの戦闘意欲が、これで収まるわけもない。
実はこのオーガたち、つい先ほどクロシュから【念話】を受けて殺到した、オーガの集落でも血気盛んな戦士である。
恩人からの頼み、それも子供を商品として扱うケダモノ退治となれば、やる気を出さない臆病者はいない。
こぞって誰もが、どれだけの数を屠れるか競う腹積もりである。
その功をもって恩人へ報いると共に、集落一の戦士として認められる絶好の好機でもあるからだ。
彼らオーガの戦士にとって、これ以上ない獲物だろう。
ただ、あまりに手応えがなさすぎて、拍子抜けではあったが……。
そんなオーガの心情を知らないケダモノたち。
もはや隊列など気にしている余裕もなく、ただ必死に駆け出すも、その無防備な背中を見逃すほど戦士たちは甘くはない。
ひとり、二人、三人、四人、五人、六人、七人、八人、九人。
とうとう十人目の断末魔が木々に吸い込まれ、やがて静かになった。
(ど、どうなった……?)
無我夢中で逃げた隊長は、背後から聞こえる音から部隊の人数を把握していた。
残っているのは自身を入れて、およそ半数の十五人ほどだろう。
しかし不意に部下たちの悲鳴も、オーガたちの雄叫びも途絶えた。
訪れたのは奇妙な静寂だけだ。
「……隊長、ご無事ですか?」
「……お、おお、お前か」
声を潜めて部下が姿を現す。
すると仲間を求めてか、生き残った者たちが次々に集まり出した。オーガの気配が近くに感じられないのも、その理由だろう。
「どうして追って来ない?」
「逃げ切ったのか?」
「わからんが、このまま立ち止まっているわけにもいかん」
単純に飽きたという可能性も考えられた。
そんな理解不能な怪物よりも、今はどうやって生還するかが問題だろう。
完全に道に迷った彼らは、正規兵であることなど関係ない。ただの迷子だ。
多くの仲間も失っていたが、そこに悲しみはなかった。あるのは犠牲になったのが自分ではなくて良かったという安堵だけである。
だからこそ身の安全を確保するべく、神経を研ぎ澄ませて周囲を警戒する。
そして、それが現れた。
「お、おい、あれ見ろ……!」
緊張した声に、誰もが指差された方向へ振り向く。
だが想像していた巨人の姿はなく、あるのは……。
「毛玉?」
「なんだありゃ?」
「この森は、あんなでかい綿花が生えてんのか?」
そこには片手では溢れる大きさの真っ白な毛玉が、ぽつんと佇んでいた。
ふわふわと柔らかそうな質感と、一目で上質だと思える繊維に、部下のひとりが思わず手を伸ばしてしまう。
すると風が吹いたわけでもないのに、毛玉が動き出した。
「さ、下がれ!」
「うわっ!」
危険を感じた隊長の言葉は遅く、部下へ向かってぴょいんと跳ねる毛玉。それを突き出していた手で払うと、手応えのなさに眼を見開いた。
所詮は毛玉だったかと一安心し、その行方に目を向ける。
「おや、どうしました隊長?」
「な、な、な……」
気付けば隊長や、他の者たちまで恐怖に駆られた顔を向けていた。
当の本人だけが理解できず何事かと振り返るが、背後にはなにもいない。
「いったい、なんなんですか?」
「お、お前……その腕は大丈夫なのか……?」
「は?」
言われてようやく気付いた。
毛玉を払った片方の腕が……さっぱりと消失していることに。
そして、毛玉がどこへ行ったのかだが、隊長たちは全員が見ていた。
ずっと後ろに、肩の辺りにくっ付いていたのだ。
「う、うわあああっ! あぁぁぁぁぁぁあああっぁっ――」
響き渡る絶叫。
それも不意に途絶えた。
毛玉がうるさいと言わんばかりに声の発生源の頭に乗っかり、そのままストンと地面に落下したからだ。
残されたのは、円形にくり抜かれるように削られた肉塊。
かろうじて人の形を保っているが、頭部は完全に消えてしまい、首元の辺りから胸、そして腹にかけての前面部だけが削がれて内側が曝け出されている。
あまりに奇妙でおぞましい物体であり、見てしまった者に怖気が走った。
そして毛玉は、この綿毛のような白い悪魔は、一匹ではない。
一匹、また一匹と音もなく木々の陰から現れる。
「ひっ、にげ……」
ひゅんと白い影が過ぎ去ったかと思えば、声を出しかけていた部下は全身に丸い穴を空けていた。その顔にも風穴がぽっかりと……。
「ぎゃああぁぁあぁああっぁああ!!」
「なんなんだこいつはぁ!?」
「ちくしょうっ! だからオーガ共がいなくなって、おごぉッ――」
「い、いやだ、こんな毛玉に、こんな死に方はいやだぁぁ!!」
ようやく自分たちが犯してはいけない領域に、土足で立ち入ってしまったことに気付いたが、なにもかもが遅すぎる。
「わ、私はこんなところで死ぬわけには……ひ、ひっ、ひぃぃぃぃッ!?」
最後に隊長がそんな言葉を言い残して、森に静寂が戻る。
そうして三十人の正規兵は、襲いかかって来たオーガと毛玉に成す術もなく、そして存在した痕跡すら欠片も残さず消えて、人知れず全滅したのだった。




