一度だけなら問題ないぞ
二杯目のオレンジジュースを飲みつつ、カノンが差し出したクッキーをもぐもぐするラエちゃんは、それはそれは大層ご満悦だった。
どうやらカノンは美味しい物をくれる人間……という認識になったらしい。
そのおかげなのか、ミリアちゃんだけではなくカノンの言葉にも比較的、素直に聞いてくれるようになっていた。
俺もお菓子をあげれば仲良く……不審者感がすごいからやめておこう。
そんなラエちゃんは現在、庭でコワタと戯れている。
いつの間にか幼女神様の姿が消えてしまい、コワタはカードゲームの対戦相手を失ってヒマそうにほわんほわんしていたのだ。
それをラエちゃんが見つけると、あの森にいた魔獣と同類だな! と瞬時に見抜いて突撃し……現在に至る。
悪魔的にも、あのもふもふには抗い難い引力めいた魅了効果があるらしい。それとは対照的にコワタは、悪魔にもふられて堪るものかと反抗していた。
傍目に見れば、幼女と毛玉が戯れているので実に微笑ましい。
「さて、ばたばたしましたがミリアに話があります」
「私にですか? なんでしょうクロシュさん」
カノンはラエちゃんの部屋を用意しに出て行ったので、この場には俺とミリアちゃんだけが残されていた。
ちょうどいいから、ここで魔法を教えることを打ち明けよう。
「前にした約束を覚えていますか?」
「私がクロシュさんに相談したことですよね?」
「ええ。ミリアが望む強さを手に入れられるようにする……そのための時間をくださいと言いましたね」
「ということは……」
「ミリアに魔法を教えようと考えています」
「本当ですか!?」
「もちろんです」
なんて言ってみたけど、俺は奪った【水魔法・中級】しか使えないから、あまり偉そうなことは言えないんだよな……。
これで俺が転生したのが賢者だとか、そうでなくとも、せめてまともな魔法使いなら、もう少し胸を張って宣言できたんだけど、布である以上は仕方ない。
そんな不安を解消するために色々と準備していたワケだが、やはりまったく不安がないとは言い切れなかった。
「簡単に魔法を教えると言っても、正直なところ私は誰かに教えた経験がなかったので、あまり自信があるとは言えないのですが……」
「構いません! いえ、教えて頂けるだけでも凄いことですから、そんなこと気にしません! ……あ、だから学士院からの依頼も迷っていたのですね」
ようやくミリアちゃんは、あれが誤解だったと気付いたようだ。
そうそう。あの時に俺が躊躇していたのは、きちんと魔法を教えられるか心配だったのであって、立派な教師になれるか不安だったワケじゃないんだよ。
「学士院からの申し入れに関しては、まだ決めかねています。それはそれとして準備が整ったので、ミリアにだけ優先して魔法を教えようかと思いまして」
「私が優先……な、なんだか凄くわくわくします!」
「期待に応えられるよう努力しますよ」
まず俺は先に、前段階として【魔力感知】を習得する必要性があり、そこから幾つかのスキルを経て【魔法】へ至るのだと説明する。
細かい内容に関しては、また後日だ。
今日のところは概要だけを教えておく。もうすぐ日も暮れるからね。
「実際に始めるのは明日以降で、ミリアの都合の良い時間にしましょう」
「今日からでもいいですか?」
「まあ、別にそれでも私は構わないのですが……では今夜から、夕食の後にでも始めましょうか?」
「はい! 頑張ります!」
このミリアちゃんから満ち溢れる魔法への好奇心、向上心、憧れ、やる気、その他諸々は期待できそうだ。
スーちゃんの例から考えるに、どうもスキルは本人の感情によって取得難易度が大きく左右されるっぽいからな。
より簡単に言えば、強く望むほど得られやすい、という感じだ。
インテリジェンス・アイテムも似たようなものだし、きっとスキルの法則みたいなものだろう。
「むー? どうしたミリア、なにか楽しそうではないか?」
そんな声に振り向けば、とうとう魔の手に屈したコワタを、頭の上にリフトアップしたラエちゃんがいた。
どうやら笑顔のミリアちゃんを目にして、なにか面白そうな気配でも察知したらしく、とことこと近寄って来る。
ちなみにコワタは形をぐにょぐにょ変えて逃げ出そうとしているが、しかし上級悪魔からは逃げられない。大魔王と対峙したかのような絶望感だな。
「えっとですね、ラエさん。実はクロシュさんから魔法を教えて貰えることになったんです」
「ふむむ、魔法か。では、そのポーションを使うのか?」
「え、どうしてそれを……」
「なんの話をしているのでしょうか、ミリア?」
急にポーションなどと言い出したラエちゃんも不思議だが、それに対してミリアちゃんは心当たりがありそうだった。
具体的には、手が制服の胸ポケットを抑えている。
無意識なのかミリアちゃん本人は気付いていないようだけど、そこに何かが収められているのは誰が見ても察せられるぞ。
「あの、これはですね……」
しかしミリアちゃんは知られたくないことだったのか、なんとか誤魔化そうと視線を彷徨わせている。わぁ、わかりやすい。
いつもの俺なら聞かなかったフリをするところだけど、どうもポーションというのが気になった。
ポーションとは、あのポーションだろうか?
ゲームで定番の飲んだら回復する魔法薬みたいなあれだ。
もし想像通りなら形のない魔法よりも、そういった物のほうが神秘を身近に感じられて俺好みである。店にずらっとガラス瓶が並んでいたりすれば文句なしだ。
いずれは俺も調合とかしてみたいけど、これって魔法じゃなくて、錬金術の領分なのかな?
錬金術のスキルなんてあったら楽しそうだ。
……などと俺が改めて異世界にファンタジーを感じていると、ラエちゃんは首から下げた輪っかのアクセサリーを手に取り、それを通してミリアちゃんの胸の辺りを注視していた。
「む、たしかにそのポーションを使えば、一時的にミリアの魔力を高めるのに役立つだろうが、ワタシは使うべきではないと思うぞ」
「……ミリア、隠したい理由はわかりませんが、確認させて貰えますか?」
どうやらラエちゃんは、そのポーションとやらを【鑑定】したらしい。あの輪っかも魔道具なのだろう。
問題は、本当にポーションがよくない物なのかどうかだ。
上級悪魔のラエちゃんが言うのなら、俺も無視はできない。
どこで手に入れたのかを含めて、確認する必要があるだろう。
「……わかりました。これがそうです」
さすがに隠し通せる状況ではないと理解したミリアちゃんは、素直にガラス製の小瓶を取り出した。
中身は透き通った青色の液体で満たされている。
見た目はキレイだが、その実態はどうなのか……。
【増強の魔水薬】(Bランク)
服用者の身体能力、魔力を一時的に向上させる。
悪魔に伝わる特殊な製法でのみ調合できる魔法薬。
以上が俺のスキル【鑑定】の結果だった。
……ん? これだけ?
製法が悪魔に伝わるっていうのは不穏だけど、効果だけを見れば特に悪いようには思えない。
「すみませんラエ。私も【鑑定】を使えるのですが、このポーションは危険なのですか?」
「一度だけなら問題ないぞ」
この言葉にはミリアちゃんも驚きを隠せない。
一度だけなら……では、二度目なら?
「それは、ラエさん……もし二度飲んでしまったらどうなるのですか?」
「なんだミリア、興味があるのか? では面白い話を教えようではないか!」
ミリアちゃんからの質問だからか、ラエちゃんは張り切って語ってくれる。
内容は……なかなか衝撃的なものだった。
それはかつて、どこかにいた愚かな男の話だ。
男は強大な力を求めて悪魔を頼り、悪魔はポーションを与えた。
飲むだけで肉体も魔力も強くなれる魔法の薬だが、効果は一時的であるため服用するタイミングを考えなければならない。
ポーションを飲み続ければいいのではないか?
男は尋ねたが、悪魔は否定する。
なぜならこのポーションを連続して飲むと、とても悪い結果になるからだ、と悪魔は男に嘘偽りなく教えた。
故にポーションを服用する頻度は数日置きに一度にするべきだ。
そう助言すると悪魔は『一年分の量』を残して去って行った。
……予想通り、男は悪魔の言いつけを守らなかった。
最初こそ怖がって慎重だった男も、いつしか強化された自分自身に酔いしれてしまい、それを失うのが苦痛になり始めたのだ。
やがて男は常にポーションを服用するようになり、充実した日々を送る。
当然、早々にポーションを使い果たしてしまい……男は発狂した。
薬によるまやかしの力を己のものだと勘違いしていた男は、久方ぶりに本来の自分へと戻り、脆弱な肉体という現実に耐えられなかったのである。
すぐに悪魔を呼び出し、追加のポーションを頼む。
それこそが悪魔の狙いだったと気付かずに。
結局、男はポーションのために財産から家族、友人、最後は己の魂までを売り払い、生涯に渡って服用し続けた。
こうして男は悪魔の操り人形となり、なんのために強大な力を求めたのかも忘れて、ただ搾取される家畜へと成り果てたのである。
「ワタシたち悪魔が最初に教わる『上手な契約の仕方』で、素晴らしい好例として挙げられる有名な話だぞ。ワタシもいつかは、そんな契約がしたいものだ」
末恐ろしいラエちゃんの感想はともかく……これって麻薬じゃないか?
なんか日本でそういう物語を聞いたような気がする。
最初は気前よく薬を渡しておいて、依存症が出てから急に絞り上げる辺りなんてそのままだ。悪魔ってヤクザなの? それともヤクザが悪魔なのか。
でも、なんで【鑑定】では判別できなかったんだ?
そんな恐ろしい依存性があるなら、毒物が盛られていた時のように、なにかしら表示されていてもおかしくないはずだ。
……それとも物語の中の悪魔やラエちゃんの言う通り、正しい用法用量を守っていれば危険はない、ということなのか?
明らかに守れるような代物じゃないと思うが、文句を言ったところで【鑑定】の効果は変わらないからな。【鑑定】も万能ではないのだと肝に銘じておこう。
それよりも今は、優先すべきことがある。
「ミリア……すべて話してくれますね?」
「そう、ですね……」
俯いたまま答えるミリアちゃんの顔色は悪い。
さっきまで大事にポケットに入れて、俺にすら秘密にしようとしていたポーションが、そんな危険物だと知らなかったのだろう。
だとすれば……これを渡した者は説明していなかったというワケだ。
とてつもない怒りが込み上げて来るが、我を失っているヒマはない。
まずは落ち着いてミリアちゃんから話を聞くべきだ。
犯人を処分するのは、それからでも遅くはない。
「実はこの薬……フォルティナから頂いたものなんです」
しかし、まさかの告発に俺は言葉を失った。
一瞬、聞き間違いかと疑ったほどだ。
あれほどミリアちゃんの親友を自称していたフォルティナちゃんが、このポーションを渡したというのか……?
あまり信じられない、いや信じたくない話だったけど、ミリアちゃんがウソを吐くワケがない。
おまけに確認すると、お茶会の席で本人から直接受け取ったそうなので、なにかしらの誤解だったり、ミリアちゃんが騙されている可能性は低かった。
「フォルティナは、私がもっと強くなりたいのを知って、この薬を用意してくれたみたいです。ただ貴重なものだから二人だけの秘密にして、絶対にクロシュさんにも教えないよう念を押されました……」
なるほど……だから隠そうとしていたのか。
俺にも秘密というのは他の誰かだったら怪しむべき発言だが、フォルティナちゃんは俺に対抗心を燃やしていたから、その点に関して違和感はない。
となれば、フォルティナちゃんもポーションの危険性を知らなかったとか?
「これは本人と話をする必要がありますね。それも早いうちに……」
もしかしたらフォルティナちゃんも、何者かに利用されている可能性すら浮上していた。彼女に危険が迫っているかもしれない。
「この時間でしたら、まだ会えると思います……行きましょう!」
真実をはっきりさせたいのはミリアちゃんも同じ思いのようだ。
動くなら早いほうがいい。
俺はミリアちゃんの言葉に頷いて動き出す。
「む、なんだミリア? どこかに行くのか?」
……ひとまずラエちゃんは、カノンにお世話を任せておこうかな。




