もちろんですとも!
城塞都市イル・ブラインハイド。
第二次魔獣事変において騒乱の渦中にあった都市も、今は落ち着きを取り戻しており、以前の活気ある様相を取り戻していた。
それは城塞都市の名に相応しい中心部に悠然とそびえ立つ城……冒険者ギルドもまた同様である。
一時は暴れ狂う魔獣の大群に心を折られ、冒険者を引退する者が続出してしまう事態に陥ってしまったが、大半のたくましい者たちは魔獣を狩り続けたのだ。
おかげで民衆からは魔獣事変にも耐え得る堅牢な城塞都市と、そこで活躍する勇敢なる冒険者たち、という名声が以前にも増して高まりつつある。
そして活気あるところに人は集まり、人が集まる場所に商人……つまり金が動くものだ。それも莫大な金額が。
一度そうして勢い付いてしまえば、面白いように後押しする者がやって来る。
気付けば城塞都市は、皇帝国においてもっとも熱い都市として商人たちから注目される結果となっていた。
すると必然的に、納められる税もまた莫大なものとなる。
これには魔獣事変の損害から頭を悩ませていた城塞都市の領主代理も一転して大喜びし、好景気の一因となったギルドへ感謝の勲章が送られたのだった。
巡り巡って功績は正しく還元され、まさしく絶好調の冒険者ギルド。
――その、はずだった。
「なぜこんな事に……」
ギルドの執務室でソファに腰掛けた初老の男が、深く溜息を吐く。
彼は冒険者ギルド城塞都市支部の最高責任者ギルドマスターだ。
つい最近までは上機嫌で、領主代理から授かった勲章を眺めていた。
……ちなみにこの勲章とは、貴族が感謝の証として贈呈するだけの非公式な物であり、その価値が感謝の度合いを表すものとなる。今回の場合、贈られたのは宝石を嵌め込んだ貴金属の短剣だったので、よほど儲かったのが察せられるだろう。
そんな名誉ある宝剣をヒマさえあれば舐め回すように鑑賞していたギルドマスターなので、悩みなどとは無縁だったのだ。
ほんの数日前、あの『二人』がふらりと現れるまでは。
事の始まりはオーガ級に昇級したばかりの冒険者たちが起こした騒ぎだ。
ランクが上がったばかりの者にありがちなことで、舞い上がって普段なら抑えられている本性が表に出てしまい、無用な騒動にまで発展させるのである。
いわゆる『魔が差した』というものだ。
今回も、まさに発端はそれで、冒険者登録をしたばかりの美しい女性を強引にパーティへ勧誘していた……との証言を職員から得られた。
通常ならすぐに取り押さえられるべき事案だったが、仮にもオーガ級。一般の職員では歯が立たないどころか、下手をすれば返り討ちにされてしまう恐れがある。
そういった事態のためギルドでは、引退した熟練の冒険者を抜擢し、対高ランク冒険者用の鎮圧部隊として雇っている。
彼らは普段、職員と同様にギルド内で勤務しているため、連絡すれば即座に駆け付けるのだが……人間である以上それまでに僅かな間が空いてしまう。
その合間に、彼女がやって来た。
――白龍姫。
世界に二人しかいないドラゴン級冒険者、通称『紅姫と白姫』とも称されている片割れだ。
後にヴァイスの名で呼ぶよう通達された彼女は、オーガ級冒険者たちを赤子どころか、羽虫を手で払う程度のぞんざいさでもって蹴散らした。
そんな彼女の目的こそが、男たちに言い寄られていた女性である。
ドラゴン級冒険者が師匠と仰ぎ、恭しく接している様子からも一般人ではないのが一目瞭然だ。
二人が立ち去ってから冒険者ギルドはあらゆる手を使って情報を集めると、答えはすぐに出た。
当の本人が登録した際、名前を堂々とクロシュと記していたからだ。
担当した職員は同名だと解釈していたが、ここに至って誰もが直感する。
あれこそ間違いなく、この城塞都市のみならず皇帝国の危機を魔獣事変から救った聖女であると。
以上が後から報告された騒ぎの概要であり、ギルドマスターの悩みの種である。
つまるところ、稀代の英雄二人に対してギルドに所属する冒険者が無礼を働いてしまったのだ。
当人たち……特にヴァイスから直接『どうでもいい』と断言されたものの、それで済まないのが責任者たるギルドマスターである。
もしどこからか一連の騒ぎが外部に漏れたら、これまでのギルドの名声は一気に失われてしまうのは容易に想像できた。
まだヴァイスだけならば同じ冒険者同士の争いとして処理が可能だが、皇帝国が公式に認めた聖女への無礼だけは看過されないだろう。知らなかったでは済まされないのが貴族社会の常識だ。
だからといって謝罪に意味はない。二人はすでに許しているのだから、むしろ余計な干渉を嫌うヴァイスの機嫌を損ねるだけであり、ギルドマスターは頭を振る。
ドラゴン級冒険者を手放すどころか、敵対しては絶対にならないのだと。
そうして打てる手を模索しながら、手をこまねいて胃を痛める日々を送るギルドマスターだったが、予想だにしない転機が訪れた。
驚くべきことに聖女クロシュと、白龍姫ヴァイスが再来したのである。
一度でも立ち寄って貰えればギルドとしては名誉な出来事だというのに、二度目となると常連と称しても良いくらいだ。ギルドマスターは新たな観光名所として宣伝するところまで意識が飛びかけて、すぐに現実へと戻る。現実逃避している場合ではないと。
もしも、また失態を繰り返せばギルドマスターの地位すら危ういのだ。
「いいや、むしろこれは好機だ!」
訪れた理由は定かではないが、ここで少しでも二人の助力をし、ギルドとの関係が良好であるアピールをすれば悩みは解決するだろう。
つまり恩を売るチャンスだとギルドマスターは奮起して、急ぎ部屋を出た。
幸いにも二人の顔を覚えていた職員が気を利かせて貴賓室へ通してくれていたおかげで、ここまでの対応に問題はない。
あとは自分が、どこまで二人の要望に応えられるかだと覚悟を決める。
ギルドマスターが入室すると、二人分の視線が突き刺さった。
貴族向けとして設えられた高級ソファに座るのは、そこらの貴族令嬢では相手にもならない美姫が二人。
以前のラフな服装とは打って変わり清楚な純白のローブを纏った艶やかな黒髪の聖女クロシュと、上から下まで真っ白な儚い印象を抱かせる白龍姫ヴァイスだ。
自身が責任ある立場ではなければ、無遠慮にじろじろと視線を這わせていただろう美しさを持つ両名に対し、ギルドマスターは強い意志で正面を向くと、そう遠くないはずのソファがやけに遠く感じつつ、どうにか口を開いた。
「お待たせして申し訳ありません。私はギルドマスターを務めている……」
「挨拶は必要ない。すぐ本題に入る」
まずは軽く自己紹介をしてから用件を聞き出すつもりだったギルドマスターの言葉は、ヴァイスにばっさりと切られてしまった。
これにギルドマスターが驚き、ソファに座ろうとした腰を浮かしたままの無様な姿勢で閉口していると、見かねたようにクロシュが隣に向かって窘める。
「ヴァイス……あなたに仲介を頼んだのは、たしかにドラゴン級という地位の特権を使わせて貰いたいという意図がありましたが、だからといって横暴に振舞うのは良いことだと思えませんよ」
「申し訳ありません、師匠」
「私ではなくギルドマスターに謝罪しなさい」
「はっ、申し訳ない」
「い、いえいえ、どうかお気になさらずに!」
素直に頭を下げたヴァイスに、ギルドマスターは慌てて取り成す。こんな場面を誰かに見られでもしたら、それこそ問題だと。
同時に二人の力関係と……聖女という存在を思い知った。
実のところ先ほどの物言いは貴族では珍しくなく、それをドラゴン級とはいえ冒険者のヴァイスがしていたのに驚いただけだったのだ。
むしろ貴族に近しいはずのクロシュが咎め、その言葉にヴァイスが従った辺りから聖女クロシュの人間性を実感する。
少なくとも二人の再来は、自分に取って悪いようにならないだろう。
そうギルドマスターは予想すると改めて紹介を済ませ、ようやく落ち着いて本題へと入るのだった。
結果から言えば、ギルドマスターの恩を売るという目論みは大成功である。
魔物図鑑を拝借したいとの聖女からの申し出を快諾し、貸し出しではなく写本をそのまま贈呈したのだ。
通常ならば写本であっても簡単には渡せない代物だったが、相手は聖女。その身分は皇帝国が認めているため、これ自体に大きな問題ない。
ただしギルドマスターと言えど魔物図鑑を自由にできるわけではなかった。
図鑑の蔵書数と所在はすべて皇帝国が管理しており、移譲する場合は報告の義務が伴うのだ。
だからといって特段、なにが起きるわけでもない。
悪用を防ぐため把握しておきたいというだけで、これまでも口出しされたりはしなかった。
だからこそギルドマスターはいつも通り、帝都の情報統括部へ向けて報告書を送ると、それと共にエルドハート家にも同様の書状を送ることにした。
理由は二つ。
クロシュは、皇帝国の聖女であると同時にエルドハート家が所有するインテリジェンス・アイテム【魔導布】でもあるからだ。その扱いは非常に難しいものの、少なくともエルドハート家の庇護がある以上は無視できない。
もうひとつは、単純に城塞都市がエルドハート家の領地だからである。
領内の重要資料が個人へ渡ったと、領主へ報せない道理はない。
ただ城塞都市の領主代理へ報告する手もあったのだが、今回はエルドハート家と直接関係のある【魔導布】だったため、こちらを選択していた。
こういった報告を怠ると、後々になって責任問題へ発展するのをギルドマスターは知っていたからだ。多少は面倒でも、しっかり仕事は果たす。
そんな事後処理も終えると、ギルドマスターはようやく人心地が付いた。
一点だけ、聖女がなぜ魔物図鑑を欲しがったのかは気になるが、それはギルドマスターが関与すべきではないだろうと、意識して考えをやめる。
報告はしたのだから、あとは上に任せようとして……それは叶わなかった。
「では、よろしくお願いします」
「ははっ、お任せください!」
後日、再びギルドを訪れた聖女クロシュと白龍姫ヴァイスに、ギルドマスターは配下の如く低姿勢で従っていた。
今回の二人はギルドカードの発行にも用いられる『刻印珠』を借りられないかと打診したのだが、ギルドマスターは図鑑の時と同様に贈呈したのである。
「しかし、今さらですが本当によろしいのですか? 借りるだけではなく、そのまま譲って頂けるなどと……」
「もちろんですとも! お気になさらずお受け取りください!」
さすがに訝しむクロシュだったが、ギルドマスターとしても拒まれては困る事情があった。
たしかに刻印珠は、魔物図鑑よりも扱いが重くなる。
なにせ機材さえ揃えば、ギルドカードの改竄が可能となるからだ。
皇帝国においてギルドカードは身分証にもなるため、悪用すれば他国からの密偵を潜伏させることも可能となる。
もっとも、冒険者の身分では大した諜報活動はできないが、なんらかの破壊工作をするか、あるいは犯罪者が逃亡するには打ってつけだろう。
通常であれば貸し出しすらあり得ない代物だ。
そもそも魔物図鑑の件も含め、いったい何に使うのだろうかという疑問を抱かずにはいられないギルドマスターだったが、無用な詮索はしない。
彼の脳裏には、二通の書状が浮かんでいたからだ。
それがギルドマスターの元に届いたのは、ほんの数日前のことである。
差出人は皇帝ウォルドレイクと、エルドハート家の領主ノブナーガ。
魔物図鑑について報告した、双方からの直筆の返事だったのだ。
突然のことにギルドマスターは戦々恐々としながらも開封してみれば、これもまた予想外の内容に目を丸くする。
双方ともに、これからも聖女クロシュへの援助は積極的に行うように、とのお達しだったのだから無理もない。
これが領主だけの通達ならば、まだ理解できた。身内を贔屓にしろと言っているようなものだからだ。
だが皇帝からも直筆でとなれば話は大きく変わってしまう。
事はより重大になる。
皇帝の意図をギルドマスターは、こう理解した。
あの聖女クロシュを味方に留めておきたい、あるいはどこかの派閥へ引きこまれるのを阻止し、有事に備えたい、という意図だ。
そう懸念する候補として聖女教と、いくつかの大貴族からなる派閥がある。
聖女教とは、聖女ミラを信仰している団体のことだ。
過激な活動で知られ、以前から【魔導布】を聖骸布と勝手に定め、これを寄贈するようエルドハート家に通告していた。
今では【魔導布】自身が聖女として認められているとなれば、彼女を迎え入れようと動いているのは目に見えている。
出自、能力、容姿、どれを取っても完璧な聖女像であるクロシュの生きた偶像化が実現すれば、聖女教は一気に力を増すことになるだろう。
皇帝国としても、無視できない勢力にまで成長するのは阻止したいのだ。
貴族の派閥に関しては、ちょっと複雑だ。
現在、図らずも聖女を擁する格好となったエルドハート家ですら大きな注目を集めているのだ。自陣に引き込めれば、あらゆる場面で力となるのは間違いない。
やはり誰もが水面下で動いていることだろう。
とはいえ、エルドハート家は【魔導布】の正統なる後継者であるミリアのおかげで半ば黙認せざるを得ない状況になっているだけで、これがなんの由来もない貴族であったら、周囲からの反感は相当なものとなる。
そうなってしまえば、聖女を求めての争いすら招きかねない。
言わばエルドハート家は、クロシュにとって収まるべき場所なのである。
それとギルドマスターは、ひとつの情報を掴んでいた。
魔道具協会が、なにやら怪しい動きを見せているというのだ。
これは魔法を扱える聖女クロシュに対し、なんらかの働きかけがあるものと考えられたが、現状ではそれ以上の動向は掴めなかった。
どうであれ、現状維持こそが最善であるという皇帝の意図をギルドマスターは正確に汲み取っている。
であれば冒険者ギルドの責任者として、皇帝国の民として、愛する母国の平穏が続くことを祈り、自身にできることをするまでだ。
「さすがに悪いと言いますか……」
「いえいえいえっ! 本当にお気になさらずにどうぞっ! お願いですからお受け取りくださいぃぃぃ!」
「えぇ!? あの、わ、わかりましたから頭を上げてください……」
そのために、まずは聖女クロシュに刻印珠を受け取って貰えるよう、もはやどちらが頼みに訪れたのかわからないほどの平身低頭っぷりで懇願するのだった。
ギルドマスターは今後も出番があるかは不明だったので
名前は出さないようにしました。
あと2話ほど別視点が続きます。




