本当に存在するのだろうか
「どうしたミリア? さっきから上の空だが、体調でも悪いのか」
「あ、なんでもありません。ありがとうございますフォルティナ」
そう誤魔化すようなミリアだったが、またすぐに上の空へと戻ってしまう。
彼女がなにを考えているかなんて、私にはいとも容易く見破れるというのに。
だが、だからこそ私は腹立たしい。原因が歴然としていながらもミリアの関心を引き戻せずにいるのだから。
ミリアの心の在処はこの場に姿のない魔導布、忌々しい聖女殿だろう。
その名をクロシュと呼び、現代に目覚めた彼女は第二次魔獣事変を食い止め、失われた魔法を操るという名声に相応しい実力を秘めていた。
さらに類まれな美貌の持ち主でもあり、あの容姿だけでも注目を集めるほどだ。
……加えて、これが私にとって最も重要なのだが、聖女殿はミリアを救った。
この件だけに関して言えば私も心から感謝しているし、だからこそ彼女を正真正銘の【聖女】であると敬っていたりもする。
私個人で出来得る限りの感謝を送りたいほどに。
だが、それはそれだ。
私とミリアの間に割って入る聖女殿には、残念ながら心を許せそうにない。
無論ながら、エルドハート家にとって【魔導布】がどれだけ大きな存在であるかは熟知しているため、ミリア自身が過去に見た覚えのない明るい笑顔を聖女殿に向けていても、それは仕方ないと割り切れた。
……そうとも、ミリアは悪くない。
伝説上の存在に命を救われたのなら舞い上がっても当然と言える。
となれば、やはり問題は聖女殿か。
学士院ではあんなに親しげに、そして見せつけるようにミリアと触れ合い、あまつさえ私とミリアのお茶会にまで土足で踏み込むなど無遠慮にもほどが……!
待てよ私……聖女殿を誘ったのはミリアだったではないか。それに参加の許可を出したのは私だから……そうだな、これは良しとしよう。うん。
えーっと、つまりだ、とにかくミリアの心を掴んで離さないのは許せん!
当然、私はミリアを呪縛から解き放つべく何度もお茶会へ誘った。
それこそ聖女殿との接点を絶つが如く、毎日のようにだ。
だというのに事態は一向に改善しないどころか、むしろミリアの心は日に日に聖女殿へ傾いている気さえした。
……あれだろうか。両想いの男女が逢えない日が続くと、逆に燃え上がって仲が進展するというやつか?
そんな展開をこっそり隠し持っている恋愛小説で読んだ覚えが……まさか。
え、ええい、なにを考えている私は!
このままではダメだ!
もっと大きな波を立てるしかあるまい。それも聖女殿の信用を覆してしまうほどの荒波でなければ……!
いくら聖女と称えられようが隠し事のひとつや二つはあるはずだからな。
とはいえ、いくら私が第一皇女であり、独自の情報網を持っていたとしても、そうそう簡単に聖女殿の秘密を暴くことなんて……。
挙動不審な兄を問い詰めたら、簡単に吐いてくれた。
以前より知っていたが、優秀な我が兄もまた聖女殿に心を奪われつつあるのだ。
だからこそ私も知らない情報を握ってないかと久方振りに部屋を尋ねてみれば、実にわかりやすい反応を示すのであった。
こうなれば交渉のカードが多い者の勝利である。
知っているぞ? 父上にナイショで海中を進む船を所有しているのを。
そしてつい最近、なにやらこそこそと動いていたのを。
私がそっと囁けば、絶対に秘密だからと念を押しながらも観念した様子ですべてを語ってくれたよ。
なんと【魔導布】が元人間の転生者だと言うではないか!
転生者と聞けば、誰もが伝承に残る逸話を思い出すだろう。
かつて勇者を陥れようとした悪しき者こそが、転生者だったのだから。
それを題材とした教訓も有名だが、なんにせよスキャンダルに違いはない。
なにより本人が隠したがっているのは非常に大きな裏を感じられた。ミリアにも知られたくないのだとすれば、そこに歪みがあるからだろう。
「だがミリア、実は聖女殿に関して気になる噂を耳にしてな」
「気になる噂ですか?」
「あれの正体が、元は人間……つまり転生者だというんだ」
切り札を手にした私は、いつものようにミリアをお茶会に誘うと自然な流れの中で聖女殿を告発した。
これでミリアの心の内では、聖女殿の信用は地の底まで失墜するだろう。
一方、私は以前からの付き合いも相まって、この情報をミリアにもたらしたことでさらなる信頼を得られる。
まさに非の打ち所のない、完全勝利だ!
「ふふふ、まさか聖女殿にこんな隠し事があったとは思いも――」
「フォルティナだけではなく、ジノグラフ殿下も知っていたんですね」
「……は?」
聞き間違いだろうか?
まさか、まさかとは思うが……知ってたの?
そ、そうだとしたら、待て待て待て!
すでに発覚しているのに、なぜミリアの心は聖女殿から離れない?
いや、それよりも、この空気をどうするんだ!?
今さらな話を、自信満々にしたり顔で語るなど道化にもほどがあるだろう!?
あまりの滑稽さに、私は顔が熱くなりそうなのを必死に堪える。
皇女として冷静な態度に努めるのは日常的であり、その程度は造作もない……はずだったのだが。
「え、えーとだな、ミリア……そ、そうだ! 提案があるんだ!」
どうにか空気を変えようとした言葉は上擦り、とても冷静とは言い難い。
私が隠し事できないミリアが相手なのだから仕方ないが……い、いったい私は今どんな顔をしているんだ!?
他の者が相手であれば、ここまで狼狽えたりなどしないものを!
くぅっ、もはやミリアを正面から見るのも難しい……。
せめて動揺を悟られていないのを祈りながら、私はもうひとつの切り札を明かすことにした。
本来ならダメ押しの一撃、完全にミリアの心を掌握するべく秘密裏に用意していた計画だったが、ここで切らなければ挽回はできないだろう。
意を決して、私はミリアを旅行に誘った。
内容としては、観光旅行になるか。
無論ただの観光なんかではミリアの興味は引けないだろう。
故に、行き先は特別な場所となっている。
帝都より遥か北方、常に吹雪によって閉ざされた極寒の地『永年凍土の大地』と呼ばれる地域に眠っている古代の遺跡。
ここは以前より吹雪が弱まる季節を狙って調査が進められていたのだが、つい最近になって持ち出した遺物の研究からわかったことがある。
それはミリアが愛用している螺旋刻印杖、その出所が当の遺跡だということだ。
ミリアなら、これに必ず興味を示すだろうと私は確信していた。
そして遺跡への旅路となると、片道だけで数日はかかる。
なにせ耀気機関車が通っていない地域だからな。万全を期すなら七日、往復だけで十四日はかかると見ていい。
もちろん遺跡内を見て回るのにも時間は必要だ。多めに見積もって六日ほどか。
となれば、二十日もの間をミリアと寝食を共にできる!
さらに移動は雪中すらも進める専用の耀気動車を使う。狭い車内だから多少の密着はしょうがないだろうな。うん。
宿泊する施設も、護衛を考えれば部屋数を抑えたほう効率がいいからな。私とミリアが同室になるのもしょうがない。うん。
考えれば考えるほど完璧な計画……のはずだった。
「それはクロシュさんも同行できますか?」
「……な、んでだ?」
「螺旋刻印杖の扱いもクロシュさんのほうが上手ですし、遺跡の調査が終わっていてもクロシュさんなら新発見ができるのではと思ったのですが……すみません」
なぜか謝罪するミリアだが、もっともな提案だった。
あの聖女殿なら、調査隊が気付けなかった遺跡の神秘を暴けるかも知れない。
同時に断れば、ミリアは旅行に来ないのではと最悪の想像をしてしまう。
そう思ってしまったが最後、もはや断る理由が私には浮かばなかった。
……断れるほどの勇気が湧かなかった。
「いや、ミリアがそうしたいのなら構わないさ……いいとも」
だから結局、また私は了承してしまった。
ひょっとしたら、その弱さこそがミリアの心を取り戻せない要因ではないかと気付きながら……。
決まったものは仕方ない。
お茶会を終えてミリアを見送った私は、すぐさま旅行計画の見直しを伝えた。
計画などと言っても私が立てたものではない。
こういう旅行をする、と宣言すれば周囲が勝手に場を整えてくれるからだ。
だから変更点は同行者に聖女殿を加えると言えば、最高峰の護衛が付くのは大変ありがたいと喜んでいた。
たしかに、護衛として考えれば聖女殿は適任かつ最上級だろう。
その実力もそうだが、なにより女性であるというのが大きい。
私とミリアの部屋に留まり、場合によっては二十四時間を付きっきりで警護できるのだから、他の護衛からしても安心できる。
……せめて聖女殿が男であれば難癖を付けて、いや情けない考えは捨てよう。
もっと建設的な思考に切り替えなければなるまい。
「例の者を呼んでくれ。大至急だ」
私は続けて、とある商人を呼び付けた。
複数いる帝室御用達というやつだが、その商人は私個人と繋がりがあるため時折こうして贔屓にしている。
なにより重宝するのは、私が公に注文できない物も用意してくれる点だ。
別に犯罪に手を染めているわけではない。ミリアとのお茶会に際して珍しい焼き菓子や、南方の高級茶葉といった品々を私に流してくれたりと、そのくらいだ。
だが望めば、恐らく違法すれすれの品でも用意してくれるだろう。
例えば『とある二人の仲を引き裂く呪いのアイテム』……とかな。
本気でそんな物があるなんて信じていないが、ただ無理難題でも押し付けてやりたい気分だった。
あの商人は常々、どのような品物でも取り寄せます、などと豪語していたから問題ないだろう。
これが単なる八つ当たりだとしても、商人としての能力を推し量るには良い機会でもある。
代用品を探すも良し。
無理だと素直に認めるも良し。
偽物を用意するようなら、そこまでだ。
どうであれ、ミリアの関心を引ける品のひとつでも出せるのであれば、それ以上は望むまい。
その程度の、冗談半分の注文だった。
しかし商人が出した答えは、私の予想を大きく覆すことになる。
本当に存在するのだろうか……そんな物が。
お互い相手の様子にまったく気付いていません。




