気になる噂ですか?
「どうしたミリア? さっきから上の空だが、体調でも悪いのか」
「あ、なんでもありません。ありがとうございますフォルティナ」
私を身を心配する声に、宙を漂っていた意識がハッとして戻りました。
いけません。お茶会の最中に考え事でぼうっとするなんて失礼です。
せっかく久しぶりだからと、こうしてお茶会に誘ってくれているのですから、好意を踏みにじるような行為は慎まなければなりません。
……それでも私は、ついつい目の前のフォルティナを忘れて、また思考の海へと沈んでしまいます。
思い返すのはこの場にはいない、クロシュさんに関することでした。
最近、学士院ではクロシュさんの噂で持ち切りです。
それも当然と言えますね。伝説に語られる【魔導布】で、今では【聖女】の称号を与えられた凄い人なんですからっ!
私もクロシュさんに何度も助けられ、どれだけ感謝しても足りません。
そのおかげと言うべきでしょうか、クラスメイトから声をかけられることが増えた気がします。
……悪い方向で考えると、クロシュさんが属するエルドハート家に与したほうが利があると、親から唆されたとも推測できました。
中には本当に純粋な、尊敬の視線を送ってくれているクラスメイトもいます。
不思議なのは私に向けられている点ですが、きっと私がクロシュさんの知り合いだからですね。さすがクロシュさんです!
そんな大人気のクロシュさんですが、屋敷を空ける機会が多くなりました。
忙しい理由は、恐らく私のせいです。
以前クロシュさんに相応しい自分になりたいと相談した私のために、その方法を模索してくれているんだと思います。
とても嬉しいですが、それまでずっと付きっきりだったので少し寂しく……。
いえ、寂しくなんてありません。私はそんなに子供じゃありませんから。
ちょっとだけです。はい。
学士院にまで同行したクロシュさんが急に離れたら、ちょっぴり背中が肌寒く感じても仕方ないんです。
これはクロシュさんが悪いのであって……違います! クロシュさんは悪くありません! 悪いのは……そう、私です!
……なんだか、頭がぐるぐると回ってしまいそうですね。
話を戻しましょう。
実を言えば、私が悩んでいる本当の原因はわかっています。
それもクロシュさんに関することで、どれだけ私はクロシュさんに夢中なのかと自分で恥ずかしくなりますけど、紛れもない事実です。
カノンと同じように本当の姉か、あるいはそれ以上に慕っているのですから。
もちろん本人には恥ずかしくて言えませんけど……いつかソフィーのようにお姉さまと呼んでみたいです。
あ、でもカノンも私にとっては姉なので、同じだと紛らわしいですね。
もっと良い呼び方は……。
そういえばクロシュさんは魔法を教える先生になるんでした。
では、クロシュ先生。
……ちょっと他人行儀でしょうか?
私はただでさえソフィーと違って愛想がないのです。もっと可愛らしく呼びかけたほうがいいですね。
ええっと……クロシュせんせー。
やめましょう。
私には私の、ソフィーにはソフィーの振舞い方というものがあるはずです。
いつも通りの呼び方、クロシュさんがいいですね。
……また話が脱線していました。
どうしてもクロシュさんを考えると、頭の中がまとまりません。
それに加えて、つい先日……そうでした。これが原因です。
クロシュさんが保護した、ペンコさんというペンのインテリジェンス・アイテムの方とこっそりお会いした時、口を滑らせたように言っていたのです。
『そりゃ自分たち転生者は、前世の記憶があるっすからね』
どういう流れで口走ったのかは覚えていませんが、たしかに言いました。
転生者……という言葉は歴史を遡ると何度か登場します。
簡単に言ってしまえば、死んでも記憶を保ったまま別の体に生まれ変わった人のことだったはずです。
かつて異世界から召喚された勇者の時代に、この転生者が現れて混乱を招いたそうです。この時の転生者は悪者の扱いなので勇者ほど有名ではありませんが、転生者が悪なのではなく環境が悪にした、という教訓めいた言葉が伝わっていますね。
そんな転生者であるとペンコさんが言い出したのに私が驚いて尋ねると、すぐに失言だったと気付いたみたいに誤魔化していましたが間違いありません。
自分たちとはペンコさんの他に、きっとクロシュさんも含まれています。
つまりクロシュさんも転生者であり、元は人間だったのです。
おまけに、その事実を隠したがっているようでした。
その理由は、なんとなく想像できます。
過去の転生者のイメージも良くありませんし、元人間のインテリジェンス・アイテムというだけでも特異な存在ですからね。これを知られたら拒絶されてしまうのではと誤解しているに違いありません。
以前の私であれば、たしかに躊躇していたと思います。
見知らぬ他人を身に纏うなんて、勇気がなければ難しいでしょう。
それに悪しき心の持ち主であれば、きっと良からぬことを企んでいると邪推してしまってもおかしくありません。
事実、かつてクロシュさんが聖女ミラと共に戦ったのは、そういった邪悪な槍だったという伝承も残されています。
ですが……これは逆にクロシュさんは悪を滅ぼした正義だと証明する逸話になっていますし、私も初めは疑心暗鬼になっていましたが、今では心からクロシュさんを信用しています。
クロシュさんの心配は、すべて杞憂なのです。
私はすぐにでもクロシュさんを安心させたい衝動に駆られましたが、もしかしたら他にも言えない事情があるのでは、と思い留まります。
そこで私は、お母様に相談してみました。
お仕事が終わったので帝都に戻っていたそうです。学士院まで迎えに来てくれたので、ちょうど良かったのもありますが、誰かに相談したかったというのが本音かも知れませんね。
すると、お母様はこう言いました。
『ミリアはその答えを、とっくに知っているはずよ』
『私が……?』
『クロシュちゃんから打ち明けてくれるのを待つしかない、ということよ』
お母様の言う通りでした。
私は知っていて、なお他に方法がないかを相談していたのです。
『もどかしく思うのはわかるけれど、待つのも立派なひとつの方法よ』
『むぅ……』
それでも納得できなかったのですが、そんな憮然とした感情が顔に出てしまったようです。
お母様はさらに続けました。
『ミリアはクロシュちゃんが信じられないの?』
『そ、そんなことありません! 私はクロシュさんを信じます!』
『それなら、信じて待ちましょう』
ここまで言われたら、もう私に打つ手はありません。
ですがクロシュさんを信じているのは本当です。いつかは打ち明けてくれるでしょうけど……うぅ、早く言って欲しいです。
ちなみに、クロシュさんが転生者だと知ってもお母様が驚いていない様子だったので聞いてみると、もっと前から知っていたそうです。
それなのに慌てず待っていたのですから、私も娘として見習わないとですね。
「ミリア、なにか悩みでもあるのか?」
「え、あ……すみませんフォルティナ」
またしても意識が離れていたようです。
どこか呆れたようなフォルティナの視線を受けて、私は申し訳なくなります。
このままでは怒らせてしまうだけなので、今日のお茶会は終わりにしようと言いかけますが……。
「悩みがあるなら話してみるといい。私なら力になれるはずだ」
お茶会を台無しにした私を怒るどころか、彼女は私を気遣ってくれました。
いつも親友を強調してくれるだけはありますね。
ですが私の悩みを話せば、クロシュさんの秘密を暴露するのと同義になってしまいます。
とはいえ、ここまで親身になってくれる友人の好意です。大丈夫ですから心配はいりません、なんて無下な扱いをするのは心苦しいですし……。
考えた末に、私は代わりに重要な部分を伏せて、悩みの一部を打ち明けることにしました。
「実はですね、最近クロシュさんが屋敷をよく空けていまして……」
「ほう、あの聖女殿には、ミリアを放っておくほどの重要な用事でもあるのか?」
「あ、いえ、違います。それはきっと私のためですから」
私は以前、もっと相応しい自分になるために強くなりたい、とクロシュさんへ相談した内容をフォルティナにも説明しました。
そのための方法を探してくれているはずです、と。
「もっと相応しい自分か……」
不意にフォルティナの口元が笑ったように見えました。
「だがミリア、実は聖女殿に関して気になる噂を耳にしてな」
「気になる噂ですか?」
「あれの正体が、元は人間……つまり転生者だというんだ」
えっ!? どうしてフォルティナが知っているのでしょうか!?
平静を装おうとしましたが、その驚きのほうが勝ってしまったようで、フォルティナは私の反応から満足気な顔をします。
「もちろん単なる噂ではないぞ。私の兄上たるジノグラフから問い詰……聞かされた話だからな。確証あってのものだ」
「そうですか……」
「ふふふ、まさか聖女殿にこんな隠し事があったとは思いも――」
「フォルティナだけではなく、ジノグラフ殿下も知っていたんですね」
「……は?」
彼女が兄であるジノグラフ殿下から聞いたということは、クロシュさんは殿下には打ち明けた、という意味でしょうか?
私にも話してくれていないのに……。
「え、えーとだな、ミリア……そ、そうだ! 提案があるんだ!」
私が落ち込んでしまったのを察してくれたのでしょうか、唐突にフォルティナは旅行へ誘ってくれました。
それは帝都より北上した先、永年凍土の大地にあるという遺跡の観光です。
なぜそんな場所なのかと言えば、私が所有している螺旋刻印杖の出所が、その遺跡だと判明したからだそうです。
夏季を迎えれば永年凍土も比較的、寒気が弱まるから安全だとフォルティナは旅行計画を話してくれました。
ですが私は、つい見当違いの考えを口から出してしまいます。
「それはクロシュさんも同行できますか?」
「……な、んでだ?」
「螺旋刻印杖の扱いもクロシュさんのほうが上手ですし、遺跡の調査が終わっていてもクロシュさんなら新発見ができるのではと思ったのですが……すみません」
話しているうちに自分のおかしな発言に気付きました。
クロシュさんのことで落ち込んでいる私を励ますためのお誘いなのに、そのクロシュさんを巻き込むのは少し矛盾しています。
「いや、ミリアがそうしたいのなら構わないさ……いいとも」
やはり呆れてしまったのでしょうか。先ほどよりも元気を失った様子でしたが、それでもフォルティナは賛同してくれます。
で、ですが、この旅行でクロシュさんともっと仲良くなれば、もしかしたら秘密を打ち明けてくれるかもです!
だからまったく考えなしの言葉じゃありませんよ!
そう言い訳してみましたが、フォルティナには届いていないようで残念です。
せめてフォルティナの提案に感謝しつつ、本日のお茶会はお開きになりました。




