窒息する樹の下で
桜の季節はすこし過ぎてしまいましたが、投稿しておきます。昨年の4月ごろに書いたものを、修正したものです。ソメイヨシノの自家不和合に感銘をうけて出てきたお話です。
桜の花弁はかつて、純白だった
桜の花弁の薄紅は、生命の色なんだ
桜の木の下には斃体が埋まっているの
でもしんでなんかないの
私たちが生かしているのです
ね、ねえ、くすくすくすくす……
風が連なる桜の間を駆けると花弁がふれあう音だろうか、花弁たちのさざめきが、すっかり円やかになった闇に満ちる。ざあっとつよい風が時折押し寄せてくるけれど、七分咲きの今夜に落ちてしまう花弁はまだほとんどいない。
桜の花びらたちは、一瞬の盛りを過ぎれば散るだけね
木の下でなまじろく体を光らせた女が、首を絞められながら、掠れたあまい声で呟いた。
散るだけだって
わたしたちがちるだけだって
でも私たちは死になどしない
花弁たちは、くすくす笑うことしかしない。
一瞬の生命?
太古より紅の血がこの身を染める
私たちが一瞬の?
木の下では未だ男が暗い月だけを双眸にうつし女の首を絞めていた。
また吹き付けたなまあたたかい風が、むせかえるような水のにおいを運んでくる。
鯨みたいね、あの雲
気持ちよさそうに喘ぐように、女はかすかにささやいた。対岸の工業団地の光を照り返して、ギラギラした鯨が黒い空に浮いている。
くじら
くじら、くじら
くじら
くじら……
俄かに桜が、風もないのに騒ぎはじめた。
私たちの足元
地下の奥深くに
くじら、くじら
おおきなおおきな斃体
しんでないの、
硬い黒い皮の奥に根を伸ばし
まっかな、血
私たちのからだを巡る
だから、くじらはいきてるの
知っていたかい。桜、ソメイヨシノは、ソメイヨシノ同士での生殖ができないそうだ
男はなおも女の首を絞めたままひとりごちた。
すべての樹はクローンで同じDNAを持つ、
世界中のすべての樹でひとつの個体なんだよ
それならば何故、桜は意味もなく、こんなにも儚い花で誘うのだろうか
男はやっと女の首から手を離した。前髪をそっと掻き上げて、女の額にくちづける。
女は男を、もう見ることもしなかった。
花弁はくすくす笑うことしかしない。
桜の木の下には斃体が埋まっている。
満開の日の後の風は、純白の桜吹雪を舞わせるだろう。
人に見せると詩のような作品だね、と言われることが多いです