1:そして天使は召喚されるⅥ
頭に響く。ジリリリ……という聞き慣れた音。そうか、目覚ましだ。起き上がるのも目を開けるのも面倒だ。手探りに音のするほうへ手を伸ばす。が、中々捕まらない。
時間を掛けてようやく音の元を絶つ。引き寄せて時間を見ればいつも通りの時間だ。学校に行かなくてはならない。
重い瞼をやっとの思いで開いた。鉛のような体。ベッドに繋がれたように動けなくて、いっそこのまま二度寝してしまいたい欲求に駆られる。そんな小競り合いをしていると、再び目覚ましが動き出す。早くも五分を要したようで、さすがに起きないといけない。自分の代わりに目覚ましには寝てもらい、ようやく体を起こした。
「ふぁ」
欠伸を噛み締めながら俺は相棒を探す。黒縁の眼鏡だ。昨夜は確か、ゲームをやって倒れるように寝てしまった。何処かに飛んでいってるかもしれない。目覚ましと違い、音を発することもないので手探りで探す。その時、妙な感触に触れた。
「……ん?」
手の内に綺麗に収まるフィット感。とても柔らかく触り心地が素晴らしい。例えるなら、おっぱいマウスパッドよりも、さらなる上位互換ともいうべき代物……。
「うわああぁぁぁぁぁl!?」
まさかと思い、びっくりして大声を上げてしまった。誰かがいる。誰かが俺の隣に寝ている。慌ててベッドの上に転がっていた黒縁眼鏡を手に取ってかける。
「いっつ……!」
かけた瞬間、立ちくらみのようなものに襲われた。それに目が痛い。とてもかけられたものじゃなくて俺はすぐさま眼鏡を外す。目を擦ってもう一度しっかり開けると、そこはいつも通りの明瞭な世界だった。
「あれ……」
眼鏡がなくともしっかり見える。久しく忘れていた感覚である。コンタクトしてたっけ。
戸惑うなか、視界で拾うのは先程触れた膨らみの正体である。
「ね、姉ちゃんっ!」
何と俺の隣で姉ちゃんが潜り込んでいた。長い黒髪をボサボサにしてすや〜と寝息を立てている。というか、何て格好で寝てるんだ。
下は桃色の下着だけ。白いワイシャツを羽織っているが、ボタンを閉めてないため肌色がしっかり見える。ブラもしてないから大きなおっぱいが零れそうである。……ちょっとくらいいいかな。
「……あんた、何やってんのよ?」
「……え?」
ちょっとくらい拝んでもバチは当たらない。そう自分に言い聞かせたところ、何と寝入っていたはずの姉上様はパッチリと目を開けておられるではないか。
少し伸ばした手が空を掠める。というか、行き先を見失って悲しく留まってしまった。
「いや、その……何も」
俺は慌てて言葉を選ぶ。まさか自分の姉のおっぱいに興味があると知られては変態のレッテルを張られてしまうかもしれない。そうなれば終わりだ。下手すりゃ家族会議。俺の家族内でのカーストは最底辺へと堕ちてしまう。いや、今も底辺ではあるけど。
「いや、姉ちゃんが寝てたら起こそうと思って……」
「……それにしては、その右手の手付きが何かいやらしいんだけど……」
ぅぐ……。姉ちゃんの刺さるような疑わしい視線が俺の右手に注がれる。俺は慌てて右手を背中に回す。居た堪れなくてつい隠してしまった。
「いや、ていうか。そもそも何で姉ちゃんが俺のベッドに……」
「全然起きてこないから起こしに来たのよ」
むくりと起き上がった姉は、どうにも煽情的な格好で今にもおっぱいが見えそうだ。
「起こしに来て一緒に寝てたら意味がないだろ」
「うっさいわね。私だってあんま寝てないから眠いのよ。私は昼からだから別に朝に起きなくてもいいの。それより、朝作ったから早く食べなさいよ」
「……あぁ、うん。ありがと」
神楽燐。正真正銘俺の姉である。俺とは違って出来が良い。良すぎるくらいだ。今は寝起きで髪もボサボサだが、一時間もかければそこらのモデルに負けない美貌に変身する。
さらさらとした長く染め上げた茶髪。大きな眼。白い肌。もう少し鼻が高ければなんて言っていたこともあるが俺から見れば十分である。
洗練された顔立ち。清楚な雰囲気もあり、それでいてコミュニケーション能力も高い。昔から告白されただ何だと話題に事欠かなかったな。
体つきもぶっちゃけ姉ながらエロい。俺の目測ではきっとEに違いない。
今は有名国公立大学に通っていて、現役女子大生。頭も良いし、剣道で全国にも出たことがある。一体何処の超人様だろうか。こんなのが身内にいるんだからたまったもんじゃない。
「てか、また夜遅くまでゲームばっかりやってたでしょ」
「べ、別にいいだろ」
姉ちゃんは全てを見透かしたかのように指摘してきた。事実、俺の考えや行動などお見通しである。小言を言われる前に退散しようと、俺は部屋の扉に手をかける。
「ま、ゲームは構わないけどね。ほどほどにすれば。けど、あんまりくだらない怪我は作らないようにね」
「っ……」
姉ちゃんの言葉が背中に刺さる。びくっと震えてしまった。きっと姉ちゃんは、俺の怪我の原因に薄々気付いているんだろう。昔から筋が通っていないことには拳が飛んできたものだ。それはつまり、昔から何かと目をつけられてしまう俺の周りにも影響した。
俺には、それがありがたいなんてことはなく、むしろ煩わしいだけだ。昔から完璧である姉に、俺は劣等感しかない。それ以上何か言葉を紡がれることのないように、俺は「気を付ける」とだけ返して部屋を出た。