1:そし天使は召喚されるⅡ
いつまでも座り込んでいるわけにもいかない。腹の虫が鳴くのを無視して、俺も教室へと戻ることにした。ガラリと扉を開けると、教室の中は賑やかなものだ。声を掛ける相手もいないし、俺が入ったことにも気付くことはなさそうだ。
俺は人の間を縫うように、後ろのスペースを通る。一番扉から遠い、窓際最後尾にある自分の席に向かった。腰を掛けて、あと五分ちょっとで昼休みが終わるのを待つことにしよう。お腹空いたと机に突っ伏しそうになったところ、人の影が俺の視界を暗くさせる。
視線を上げると、何とそこには女子がいた。
「大丈夫だった?」
「あ、ぅ……」
黒のロング。くりっとした大きな瞳。整った小顔。誰もが認める美少女。この学校のアイドルとも言うべき箕島絵梨みしまえりが、俺の前にいた。
「血出てるよ。良かったらこれ使って」
「で、でも……」
既に俺が不動たちにやられていることは知れ渡っている。教室から連れ出されていたのも目撃されていたはずだ。
当然ながら助けようする者などいない。気遣う者もいない。皆無視を決め込んでいた。もし助けようものなら、そいつも不動たちに標的にされるに決まっている。俺だってそんなことはしない。
だから、元から期待なんかしていない。それでも、箕島さんだけは俺を気遣ってくれていた。
「……よ、汚れるよ」
差し出された淡いピンクのハンカチ。箕島さんらしい綺麗な色をしていた。そんなものを俺の血で汚すわけにはいかない。振り絞った震える声で、俺は何とか言葉にした。
こんな可愛い娘を相手に、まともに喋ることなんか出来ない。ちゃんと伝わったのか不安だったが、彼女はにっこり微笑んだ。
「いいから。使って」
「ぅ、あ、ありが……と」
箕島さんの笑顔に何も言えなくなってしまう。何とかありがとうとだけ言って、ハンカチを受け取る。
「あ、ち、ちゃんと、洗って……返すから……」
「うん」
そう言って箕島さんは微笑んだあと、友達の和に戻ってゆく。
その中でちょっと……と彼女は呼ばれていた。
「やりすぎじゃない?」
「あんたまで目つけられるよ」
「よくやるわね」
などと言った声が聞こえる。小声でも意外に聞こえたりする。箕島さんはそんな忠告にも、こんなことしか出来ないからと答えていた。
今時珍しいと思う。大袈裟かもしれないが、天使のようだと思えた。
彼女がいなかったら、俺はとっくに不登校になっていた。何とか学校に来られているのも箕島さんのおかげだった。
申し訳無い気持ちと、嬉しい気持ちで俺はハンカチを使わせてもらう。
その時、ほんのり香る箕島さんの匂いに感激した。切った顔の傷口を拭っていただけなのでたまたまだ。悪意はない。いや、全くないと言ったら嘘になるけど。
不動にやられた痛みと、空腹で辛い目にあったが、箕島さんのおかげで何とか今日も耐えられそうだ。
空腹を紛らす為、鬱憤を誤魔化す為、俺は自分の鞄を漁った。俺にとっては、こいつも気を紛らせることが出来る相棒のような存在である。
手に収めたのは小型ゲーム機。大きな液晶画面がゲーム機の大半を占める。最低限の幅でボタンが配置されており、あらゆるゲームソフトに対応出来るようになっている。
すぐさま起動して表示されるのは「Mythical Age Online」というタイトルの文字。名前の通りオンラインゲームであるが、あまりの人気作のためにパソコンでも、スマホでも、ゲーム機でもプレイ出来るという中々ない代物だ。
俺自身ドハマりしてしまい、常に携帯してプレイし続けている。
大体のゲーム要素は既存のものと変わらないと思う。剣と魔法の世界観で、自分の好きなキャラをカスタマイズしていく。やることといえば、凶悪なモンスターを協力して倒したり、レアアイテムを集めたり、ギルドを設立したり、プレイヤー同士で結婚なんかも出来る。もちろんゲーム内でだが。
大きく違うところといえば、剣と魔法の世界観に加え、タイトル通り神話をモチーフにしているところか。
特にギリシャ神話を投影していて、ストーリー的には、天界を統括する神ゼウスと、冥界を支配する神ハデスとの因縁が背景にある。討伐するモンスターはハデスの配下に当たる奴らで、プレイヤーはゼウスに協力する形で色々なスキルを授かることが出来る設定だ。
天界と冥界の冷戦なんて、如何にも取って付けたような背景であるが、面白いのは常に色んな要素がアップされていく点にある。
武器やスキルもどんどん更新されていくし、敵となるモンスターもインフレだろって思うほど強力なのが出てきたりする。やればやるほど、潜れるダンジョンが増えたり、強力なボスがイベントで出現したりと、飽きることがないように思う。
熟練者への配慮だと思うが、最高レベルが99から999に上がったのは笑ってしまったが。
今日は何のイベントがあるのか楽しみにしながら、俺はスタートボタンを押してゲームを開始する。リアルに友達なんかいない。昼休みは、Mythical Age Onlineをプレイするのが俺の日課だった。