ヒロインはメタい「ユールは可愛いお嫁さん」
オノマトペ祭りです。
後書きはヒロイン祭りだわっしょい!(ネタバレしかないです、ご注意を)
効果音を付けるなら、ドパッ!で、あるだろうか。
「ど、どうしたんだいユール。すごい汗、って、顔色真っ青じゃないか!」
「い、いいえ女将さん。何でもないわ。オーダー取ってきます」
「無理をするんじゃないよ、ちょっと裏でやす…ユール!ちょっと話を聞きな!」
そう言って背中を噛み付かんばかりに私を心配してくれるのは恰幅のいい、この食堂の女将さん。さっきまではいつもと変わらぬ健康優良児であった私のただならぬ変化の瞬間を目撃してしまったのだ。
まあ、それは確かに驚かせてしまったでしょうよ。
「…お待たせしました。ご注文は?」
呼ばれたからには仕方無いのだ。ヒクリ、と引き攣る頬の軟弱な筋肉に鞭を打ち、私は初めて見るその客の傍らに立った。
「君、可愛いね?」
「っ、ありがとう、お客さん。そそ、それでご注文は…」
「君の名前は?ねえ、歳は幾つ?」
つつつ、とメニューを書く為のメモ帳を持つ腕を人指し指でなぞられた。
その瞬間、正に、毛穴が、そう!毛穴が!全身の毛穴が開いた音がした!
「ご注文は?」
それでも私は食堂の給仕。嫌悪感に負けてお客を殴りつけるなんて暴挙が許される訳がない。
ただ、それも制限時間がありそう。だって今にも、右手が折らんばかりにペンを握り締めている。どうしよう、サーシャに15の誕生日に貰ったお気に入りなのに。
「注文…じゃあ、」
私はこの台詞を知っている。そう、知っているのだ。この一見さんがこの次に紡ぐ台詞の事も。
「じゃあ、君を注文しようかな?」
はい来た!これは来たね!嫌な予感を感じる余裕もへったくれもないね!どうすんのよ、これ、完全にユール(わたし)のルートじゃないの!
なんて嘆きは億尾にもちらつかせず、私はユールとしてクスクス笑った。興味があるかも…と、態々期待を持たせるように。
「嫌だわお客さん。私にソースを掛けても美味しくないわ。そうね、お客さんはこの店初めてみたいだし…オムレツがお勧めよ」
褒められて悪い気はしませんよ。でもさっさと注文を寄越せや!暗にそう告げても目の前のお客は眉間に皺を作り訝しむだけ。
「あれ…ユールルートじゃこれが最善選択肢…」
小さくもないはっきりとした独り言だ。私にもはっきりと聞こえる。この男は馬鹿なのか。そうなのか。態々私にユール(わたし)の最善選択肢云々と語ってくれるとは。
「…注文は決まってないみたいね。決まってから声を掛けて下さい」
「え?え…いや!ちょ、」
私を引き留めようにも、このくそ忙しいお昼時である。ユールを呼ぶ声はあちこちから聞こえているのだ。さっさとそちらに向かった方がお店の売上に貢献してくれると知っている。
そう、私はユールであるが純粋にユール(わたし)ではない。
「何でだよ…この後デートイベントだろ…!?」
馬鹿が。
どうして食堂の給仕である私がこの稼ぎ時に男とデートをしなければならないのか。
「女将さん、オーダー!」
「はいよ!いや、ユール、アンタちょっと裏で休むかい?やっぱり顔色が…」
「大丈夫よ女将さん!稼ぎ時に休んでられないわ」
確かに未だ顔色は優れていないのだろう。私自身も気分は悪いし毛穴は開きっぱなしだ。
だけれどユールを追い掛ける視線1つで逃げる訳にはいかないのだ。何故なら、ユールは稼がないといけないから。
***
そう、私はユール。ユール・キリグランル。
王国城下に住む、元気で素直な可愛いキャラクター。それがユール。
身寄りのない彼女は冒険者ギルドに勤めるギルドマスターの屋敷で奉公しつつ、お昼時は食堂でアルバイトに精を出す。
アニマルドール~君の尻尾を捕まえる~
このセンスも捻りもないギャルゲーの題名を日本語でメモ帳に書いてみて、本当に久方ぶりの日本語の羅列に違和感を覚えてメモを破ってゴミ箱に落とす。
家族を欲したギルマス、ディアール・キリグランルに守られて、まるで本当の娘のように可愛がられるユール。
その、ディアールへの大恩の為毎日を明るく献身的に過ごすユールは、マルドー(ゲーム)内でどのルートを選択しても必ず登場する。
そして、攻略対象の一人でもある。
「ないわ、絶対ない!」
使用人が使うには些か贅沢過ぎる一人部屋の天蓋付きベッドに夢遊病患者のようにフラフラとした足取りで近付いてパタリと倒れる。
枕の柔かな綿の肌触りはこれが現実であると訴えてくるから、私はユールの身の上を思い出しては悶絶していた。緩く握り締めた両手で枕を叩くが、ポスポスと情けない音しかしない。
「何だってあんな、あんなっ!」
昼間の食堂での出来事を思い出して、私は身震いをする。頭の先から足の指先までがもれなく鳥肌を浮かべる。
「何だってあんな、あからさまにデザインの手ぇ抜いてんのよ!へのへのもへじって!へのへのもへじって!」
そうなのだ。
昼間、食堂に現れた流れの冒険者風の青年の顔はへのへのもへじだったのだ。どうせゲーム内では一人称視点だからって製作側遊んでんじゃないわよ!
そして、マルドー主人公である筈の男は顔だけでなく姿もおぞましいばかりであった。
「駄目だわ、思い出すのも恐ろしい…!」
ぞわぞわと走る悪寒に体を自分で抱き締めて、私はマルドーを思い出していた。
「でも…確かに…いや、あのユールの時は、えっと…」
各キャラクターの様々な一枚絵を思い出す度に、あの男はあの姿が正解なのだろうと結び付く。
そう、あの男は中途半端に人間だった。
例えば、一枚絵に男の腕がユールを抱き締めている姿が端に写っていたとして。
その、写っている部分(腕)だけが人間なのだ。それ以外の部分は人間の姿ではない。それこそ、見た目は棒人間である。
中途半端に人間の姿、あれでは人として扱うのも憚れる。
「ない、ないわ、絶対…」
これが乙女ゲーであったならば主人公にもさぞ可愛い姿が与えられた事だろう。世の女性は、可愛い姿の主人公が、素敵な攻略対象のイケメンに抱かれている図に満足感を得るのだから。
だが、ギャルゲーに於いてはそれは全部が是とも言えない。あくまでイケメンないしはフツメンの設定は一枚絵で活かされても精々後ろ姿が良いところだ。何故なら、可愛い女の子が頬を赤く染めてこちらを見詰める一人称視点に世の男性は萌えるのだから。
よって、マルドーでも主人公の姿がまともに出てこなくてもおかしくはない。おかしくは、ないのだ。
「でもだからって…私、恋するの?」
棒人間に?
「どうしよう…」
マルドー主人公は、明らかにユールを攻略しに来ていた。それは自然な道理だろう。マルドーの物語の流れ的に、ユールは初心者向けなのだ。攻略し易いキャラクター、ちょろまかし易いその性格と尻尾を振って媚びを売るその姿は正に忠犬。
「忠犬ゆる公とか言われたらどうしよう、殴っちゃう…絶対、いや、殴り倒したい…」
作品ファンには、頭も股も緩そうなユールと揶揄され呼ばれたその呼び名。
実際のユール(わたし)はそんな事はないのだが、誰もが私を知っている訳ではない。
「それに、尻尾を振るなら…」
ブツブツと恨み節を枕にぶつけていると、部屋の扉をノックされて私は焦って飛び上がった。
「ユール、ちょっといいかな?」
「ひゃい!あ、ディアール…様…ですか…?」
耳に心地好い私を呼ぶ声はとても落ち着くけれど、今日に限ってはその魔法や媚薬の効果は正反対。
「どう…されました…?」
恐る恐る扉を開けて見上げると、夜の静寂に融けそうな空気を擡げる(もた)美丈夫がいる。背の小さなユールを囲うように扉の縁に掛けた腕に体重を預けていたようで、必然的に私は上から見下ろされてしまう。
「ああ、休んでた?」
「い、いいえ。起きてましたよ」
そう言えば夜だったと呟くディアール様は、普段の飄々とした雰囲気の彼とは違い疲労を浮かべている。珍しい事もあるものだ。
「お疲れのようですね…あ、ど、どうぞ」
慌てて部屋に招き入れると、小さく驚いた彼は足音もなくスルリと部屋に入る。ユールの手を取ってソファにエスコートする様はお見事である。貴族のようだ。
「飲み物は…あ、お酒を取りに」
「大丈夫、大丈夫だから座りなさい」
長い足を優雅に組んだディアール様が革張りのソファをポンポンと叩く。
「はい…」
消え入りそうな小さな声で私も座るけれど、使用人の私に隣に座れとはこの人は意地悪である。
意地悪であるし、目を泳がせて少し遠くに座り直した私を見て手を伸ばしてくるから心臓に悪い。
「ユール?」
「は、はひ…」
「どうして遠ざかるんだい?」
「うえっ?あ、えっと…私、使用人、ですし…」
同じソファに座る事など、使用人としてあるべき姿ではない。私だってそれ位弁えている。
「じゃあ、使用人であるユールは…主人から顔を剃らすのが礼儀だと言うのかな?」
「そ、そんな事!」
慌ててディアール様に弁解しようと首を向ける。ぐりんと、ぐるりと効果音が付きそうな勢いで。
だけれど、私は失敗してしまった。
「そんな事?」
悠然と私に微笑み掛ける、冷徹に魔物を狩るその姿からは想像も付かない程蕩けそうな笑顔がそこにはあった。
「ユール?」
「な、なんでもっありっ、まひぇん!」
く、くぅ。くそぅ。
何だってそう、ディアール様はユール(わたし)をそんな甘やかすのか。甘々でデロデロでドロドロな笑顔じゃないか。
「ん、よしよし。ユールは可愛いね」
「まっ、毎日そんな冗談を言わないで下さいって言ってるじゃないですか…」
「冗談じゃないんだけどなぁ」
「ディアール様っ!」
楽しそうに私の頭を撫でるのは、安心感を与えてくれる唯一の手。この手に、私は生かされて助けられたのだ。ギルマスになった今でもペンより武器を持つ事の多い節くれだった大きな手。
私の頭に生えているピンと立った三角形の耳。その柔い所を丹念にふにふにとされてみなさいよ。蕩けるしかないじゃない。
「で、ディアール…様…」
「うん、何かな?」
勘弁して!勘弁してくれよぅ!
大量な魔物に襲われて潰れた犬獣人の村の生き残りである私。獣人は高く売れるからと、一度は奴隷商人に捕まった所を助けてくれたディアール様。
決して安くない金額を容易く支払ったディアール様は命の恩人で、あの時のお金を返すのが今の私の目標なのだ。
「ところで、ユール」
「は、い…」
「今日ね、ギルドに流れの冒険者が来たんだ」
「はい…」
あら、嫌な予感がするわ。
相変わらずふにふにとしている手のお陰で大人しく堪えているしかない私に、ディアール様は爆弾を落とした。
「その冒険者ね、ユールに惚れちゃったんだって」
「は…はいぃぃ!?」
ちょっと待って!あの馬鹿!
よりにもよってディアール様にそんな事をどうして宣言してくれるんだ!
今の私には、ディアール様にお金を返す事しか頭にないって言うのに。
「紹介して欲しいって頼まれたんだけど…ねえユール、君はあの男と番たいのかな?」
「な、つ、つがっ!?」
「どうしたい?」
穏やかに、凪いだフレメード湖の湖畔のように深い黒に近い瞳は私をじっと見詰めている。
ああ、ディアール様。貴方はちっとも分かっていない。
「ディアール様は意地悪です…」
私は生かされた事を忘れていない。恩を仇で返す無礼をするのかと聞かれれば怒りたくもなる。
「わ、私は!私は、貴方にとても大きなご恩を感じています」
「うん、でもお金は返してくれなくていいって言ったでしょ?それに僕は君を買ったつもりでもない」
ディアール様は私の耳をふにふにし続けるから、いくら私が怒ろうとしても様にならない。くそぅ。
「で、でも。いえ…だからこそです!」
熱弁する私の姿は、傍から見ればきゃんきゃん吠えているようにしか見えないのかもしれない。
「私には夢があるんです。ディアール様にお金を返して…いつか…」
「いつか?」
ディアール様の視線に剣呑な空気が孕む。
でも、ここで伝えねばもしかしたらマルドー主人公に攻略され兼ねない。それは断固拒否をする!
「わ、私はいつかディアール様にお金を返して自由になりたいのです」
「別に今も君を縛り付けるつもりは…」
「そうじゃありません!ですから、自由になったら、自分の足でまたこのお屋敷の門を叩くのです!」
「……は?」
たっぷり10秒。
固まったディアール様が私の耳をふにふにとしていた手を止めたから、立ち上がって熱弁を続ける。
「私は貴方からのご恩を忘れません!忘れてあんなっ、あんな無礼な男と番たいなど…そんなっ、そんな事は!」
あ、まずい。
小さな体では興奮すると涙の膜がすぐに張られてしまうみたいで、ふるふると体は震えてワンピース型のパジャマの下に隠していた尻尾は逆立ち始める。
「わ、私は…後ろめたいのです!貴方の優しさに浸け込むような無礼を私が許せないのです。ですから、やり直したいのです…」
ポロリと一筋頬を流れた涙はじわりと白いパジャマに吸い込まれる。
ああ、子供みたいに喚くだなんて本当に…
「ユール」
愚図る私は乱暴に涙の筋を擦り、ディアール様から離れようとしたんだけど、足の長い人って得よね。足も長けりゃ手も長いんだから。
私は呆気なく捕まってしまう。
「すまない、泣かないでユール」
「ない、泣いてません!」
「そうだね、ごめんね。ほら、可愛い顔が台無しだ」
「こんな時までからかわないで下さい!」
「からかってないからね」
「ディアール様っ!」
いい加減に甘やかし過ぎだ。どうして私の主人はこうも優しく労るように、涙の筋を親指の腹で撫でてくるのか。
しかも、膝の上に乗せられてしまった。これでは完全に子供扱いだ。
「うん、分かったよ。あの冒険者を君に紹介しない。紹介しないし、食堂でのアルバイトでも君に近付く事がないようにしよう。そうだ、送り迎えもしないとだね」
「へ?」
ディアール様が私の耳をふにふにとするのを再開しながら何やら嬉しそうである。
いや、あの棒人間を視界に入れると全身の毛穴は開くし冷や汗はドパァッと流れ始める。精神衛生を鑑みると極力接触したくない。
でも、ディアール様ったら食堂にまで制限を掛けるなんて…。この城下でディアール様が出すお触れは冒険者を従わせるには充分すぎる。王族以外に冒険者が従うのは彼への畏怖と尊敬だ。
「ねえユール、ここを撫でられたんだってね?」
「ふへ?っ、ひゃい!」
つつつ、と。
あの棒人間と同じように人指し指で腕をなぞられたけれど、嫌悪感はない。あるのは、擽ったさだけ。
ピクリと耳が震えてしまった。恥ずかしい。
「僕のユールに、酷いよねぇ?」
「そ、うです?」
「うん、そうです」
僕のユール、だなんて言うからどんな傲慢な表情をしているかと思いきや。満足そうに微笑むディアール様を見上げて居たら、何だかどうでもよくなってきた。
「そうだなぁ、ユールは可愛いからなぁ…」
「だ、から…そう言う…」
ディアール様が満足するまでぐりぐり頭を撫でられたり耳をふにふにされていたら、いつの間にか眠ってしまっていたみたい。次の日起きたら太陽が随分高かった。
慌てて辺りを見回すと、何ら変わりない自室だったけれど。夢だったと思い込むには、耳の感触も部屋に充満する彼の残り香も心臓に悪い。本人の姿はもう、ここにはないけれど。
「あ、食堂のアルバイト!」
寝坊をしてしまった失態とディアール様の前で眠りこけてしまった恥ずかしさで顔色を忙しく変えながら身支度を調えて部屋から出る。
使用人頭のサリーさんを見付けて駆け出すと、私のその品性をピシャリと叱った。
「走るんじゃありませんよ、ユール!」
「ひゃい!す、すみません!」
「はぁ…全く貴方は…」
何かを言いたげなサリーさんが娘のサーシャと馬番のウェッジを呼びつける。
「全く、せっかく用意されていた逃げ道を自分で嬉々として捨てるだなんてね、本当にお馬鹿か素直…いや、馬鹿正直か…」
サリーさんの姿勢の良い後ろ姿を追い掛けながら、歩いて居たら、昨晩ディアール様が言っていたように送迎の為の馬車が屋敷の前に用意されていて、気付いたら乗り込んでいた。
「これから毎日、馬車での送迎です。良いですかユール。きちんとお勤めなさい」
「は…はあ」
「返事ははい、でしょう!」
「はい!」
あれ?なにこれ?
マルドーでこんな展開あったっけ?
なんてお気楽に考えていた私は、それから3年程お屋敷と食堂のアルバイトで貯めた貯金をディアール様に差し出した。決して簡単な事ではなかったけれど、それでも棚ぼた収入も何度かあったりした。
***
「ありがとう、ユール」
とてもとても満足そうに微笑むディアール様に、嬉しい気持ちをスカートに隠れる尻尾を振って表す私。これでディアール様を、獣人奴隷を囲む下劣…だなんて噂する人も居なくなるはず。
「えっと…では…お世話になりました」
はにかみながら屋敷の門の前で振り返った私。視線の先のディアール様は忙しい合間を縫って見送りに来てくれた。
まあ、お屋敷を一歩出たらまた振り返ってディアール様に敷居を跨ぐ許可を貰うのだ。
それが私の望みだし、生きる希望なのだから。
コツコツとショートブーツのヒールが鳴る。一歩ずつ、お屋敷の門は近付いてくる。
「長かったような…短くはなかった、かな…はは…」
最近では馬車の中で潜っていた門。振り返るにはまだ早い。私はその一歩を踏み出した。
「ああ、ユール…!」
一歩だけだ。その一歩が、3年前の悪夢のような邂逅を思い出させた。何せ目の前には、マルドーの主人公が居たのだから。
「ユール!」
重なるように背後のディアール様と目の前のマルドーの主人公が私を呼ぶ。
どうしてよ!どうして棒人間がここに居るのよ!
「ユール、やっぱりユールだけだよ!俺を好きって言ってよ!ユール!」
ぶわわ!
全身毛むくじゃらな獣だったなら、きっと総毛立っていたに違いない。だけど私は獣人だから、耳が緊張からピンと立って、帽子がポトリと落ちる。スカートの下の尻尾が逆立ってしまって、もしかしたらドロワーズが後ろのディアール様に丸見えかもしれない。
「い、嫌…」
微かな声を、表情や口の動きで察したのかもしれない。へのへのもへじが怒りに歪んでいる。まさか拒絶されるとは思わなかったのかもしれない。
いや、どう考えても棒人間に好意を寄せる要素はなかったでしょうよ!
たじろいで後退ろうとするけど、門の敷居が邪魔で後ろに倒れそうになる。棒人間がその体でどこから出ているのか不明な速度で私に手を伸ばしながら走り寄ってくる。
「門番!取り押さえろ!」
私のすぐ近くで、ディアール様の声がする。門番の、サーシャの恋人のケインが手に握っていた長槍が掲げられて降り下ろされる。
ゴツン!
何かが何かを殴る音の後がしたけれど、恐怖で棒人間のやけに生々しいだけの腕から視線を剃らしていた。だから視界は暗かった。
ただ、目を瞑っていただけではなくて。
「どこから話を聞き付けたんだか…」
呆れるように、威嚇するような唸る低い声が、背後から私の目元を覆っていた。この節くれだった手を私はよく知っている。
「ディアール…様…」
思いの外弱々しく響いた自分の声に驚いたけれど、守ってくれたディアール様のお顔が見たい。大きな手をずらすように退けると、短く息を飲むディアール様が居る。
「ユール、怪我を?」
「い、いいえ」
ふるふると首を横に振ると、ディアール様は安堵してくれた。違うのです、ちょっとアクシデントに容量過多で涙が出ただけですってば!
ただ、恐る恐る視線をディアール様から棒人間に向ける。その、少し気になるし。
そこには、ディアール様のブーツの靴底に熱烈にキスをするへのへのもへじの顔と、ケインの長槍の柄の部分が鳩尾にいい具合に入っていた。
「ユール見ちゃ駄目。目が腐る」
「腐りは…しないかと…でも…ふふ…」
ちょっと、いや、すごい。
この一枚絵があったらすごく欲しい。
乙女ゲーだったなら、きっとこれはいいイベントだったに違いない。
「ユール?」
「ふふ、ディアール様って本当に…」
ディアール様ったらいつかの私を捕まえた時に思った事をまたしてくれるんだもの。
あれかしら、王道?天丼?まあ、いいわ。
「ディアール様、足が長いから…ふふ!」
笑う私に戸惑うディアール様に向かい合うように姿勢を正すと、考えを読み取ったらしい長身の元主人はこちらの出方を楽しみだと微笑んで見せる。
良かった、棒人間の襲来で門の敷居を跨いでいたら台無しだった。
「ディアール・キリグランル様」
「何かな?」
どうしよう、すごく照れ臭い。おままごとに興じているみたいでちょっと恥ずかしい。
「私、ユール・キリグランルと申します。同じ姓だなんて奇遇だと思いませんか?」
「ああ、そうだね?」
クスクスと笑うディアール様。もうちょっと辛抱してくれたっていいものを。まあ、いいわ。
ねえ、貴方は知っていますか?伝えたら煩わしいと言いませんか?
「私、貴方の姓を頂いて幸せです。あの時に散った同胞の弔いの時も、奴隷商人に売られた時も…貴方が全て救って下さった。どれだけ…貴方を敬愛していたかご存じでした?」
唐突に始まった私の演説に、屋敷の周りに野次馬が集まってくる。騒ぎを聞き付けた屋敷の使用人達まで出てくるから、きっと私の顔は耳まで真っ赤に違いないわ。
「どうか、獣人奴隷を買い囲うなどと下劣な与太話に貴方の誇りを傷付けるような事はしてはなりません。貴方はお優しい、だから、私はその優しさに甘えてはいけないのです。貴方がキリグランルの誇りを守る事を…そのお手伝いをさせて頂きたいのです。」
「どういう意味かな?」
一歩、ディアール様から離れる。気障ったく見えたら、逆に野暮ったく見えたらどうしよう。
そんな事を考えつつも、最高敬礼のお辞儀を敬愛するディアール様に向ける。
瞬間、短く息を飲む声がする。
「私は獣人、奴隷の身分で御座います。それは、これからも変わる事はありません。貴方はそのような卑しい身分の私に自由を選択する自由を与えて下さった。畏れ多くも、貴方は私に貴方に仕える為に必要な、ちっぽけな私に誇りを与えて下さった。だから私は…貴方にキリグランルの姓をお返ししたいのです。そして…ただのユールとして、貴方に…キリグランル家に仕えて…」
私の一世一代の口上は、何故か途中で遮られてしまった。誰に?勿論ディアール様に。
「それは認められない話だね」
はっきりと、だけれどきっぱりとした拒絶だった。そうね、そうよね。態々キリグランルの姓を与えた奴隷が熨斗付けて返すって宣ったら怒って当然よね。
きっと断られるんだろうなってわかって居たから…あんまり悲しくはない。何て言うのは嘘だけど。
ああ、どうしよう。このお屋敷で働けないのは悲しいな。ここなら、ディアール様のお側で仕える事かも出来るんだけどな。お屋敷が駄目ならギルドかしら。
なんて考えて居たけれど、ディアール様と私の論点はずれていた。そう、ずれていた。
「顔を上げてくれるかな」
「…はい」
促されるまま見上げると、怒りを称えて頬を膨らませるディアール様の顔があって目が点になった。
ちょっと、なんですかその顔。冷徹のディアールと城下のお嬢様方の黄色い声を背負うお顔じゃないですよ。ちょっと、ほら、顔戻して下さい!
「あ、あの…」
「実はね、ユール。君はまだ本当の意味でキリグランルの姓ではないんだよ」
「はぁ…え?」
なんですと。え?なんですと?
ディアール様の爆弾は随分久しいかなぁ、なんてお花畑にお出掛けしたいところだけど。ちょっと頑張って私。
「これを見てくれる?」
コホン、と咳払いをしたディアール様が、懐から大事そうに折り畳んだ一枚の紙を差し出した。
見覚えはあった。人の文字の読めない頃、養子縁組の書類だからとサインをした書類だ。今の人の世に慣れた私は獣人癖の荒い自分の筆跡に恥ずかしさを覚える。
ディアール様から受け取った紙をまじまじと見て、そこに書かれていた文字に耳と尻尾が逆立った。
「こ、ここ!婚姻っ、これ!婚姻届じゃないですか!」
「そう、婚姻届」
「う、嘘です!こんな、これじゃ、これじゃ、まるで…」
慌てる私の目の前のディアール様は、門の敷居越しに跪いてまたもや爆弾発言をする。
「愛しているよ、ユール」
「な…!」
ボフン!
何かが破裂したみたいな音がさっきからずっと顔中からしている。
冷徹のディアールがまさかの人の目がある場所で愛の告白だなんて!
「う、嘘です!嘘です、こんな…あい、愛など」
「ごめんね?でも勝手に役所に出さなかっただけ、僕も良識的だったと思うんだ。ほら、君は未成年だったしね」
パクパクと金魚が空気を求めるみたいに口から出るのは言語と言うには拙いみたいだけど、さっきから後ろで悲鳴と共にバタバタ倒れているお嬢様方が多数居るらしくってそちらもある意味阿鼻叫喚。
「それでね?ユール」
「は…はい…」
どうしよう、この言葉の先を聞いたら引き返せそうにないじゃない。さっきからボフンとうるさいのは私の心臓みたい。どうしよう、壊れちゃったら困る。
「君がこの屋敷の敷居を跨ぎたいのなら、まずは僕と役所に行かないかい?」
「っ、ディアール…様…!」
「何かな?」
「っ!…はぁ…もう、もう、もう!」
恥ずかしいやら悔しいやらで、ポスポスとディアール様の肩を叩くと、まるでじゃれているみたいで余計に恥ずかしくなる。
「最初から、このつもりだったのですか?」
「ああ、そうだね」
「私は獣人奴隷です…」
「そうだね、でも、それは関係ないじゃない?」
「私は…私は、恋も、愛も、よく分かっていないかもしれません」
「それなら、全部僕と経験したらいいだろう」
「とんだ殺し文句です!」
「そうだね、だけど君には僕と末長く生きてもらわないと」
「だったら成人した時に命令して下さったら、こんな、回りくどい…」
「それじゃあユールの心は手に入らない」
「ディアール様は意地悪です!」
「ユールを愛しているからね」
「っ、もう…」
ふるふると震える体からくたりと力を抜く。すんすんと鼻を啜ると思い出したみたいに涙が溢れる。
「触れても?」
この涙の原因がとっても愛おしげに私を見上げてくれるから、たじろいでしまいそうになる。でも駄目。逃がしてくれそうにない。
「それが、貴方のお仕事です!…これからも、ずっと…です…」
「ああ、愛しているよユール!僕のユール!」
「きゃー!ディアール様、た、高い!」
がばり!
なんて効果音付きで私を抱き上げて涙を拭ってくるもんですから、黄色い悲鳴と野太い歓声に私は顔をディアール様の肩口に押し付けて隠す。
「恥ずかしいです…」
ああ、もう。計画大失敗。
本当ならあの演説で成長と見せて、後ろ暗い獣人奴隷と主人という立場を変えたかっただけなのに。まさかのお嫁さんポジションだなんて!
流れで敷居を跨いじゃったし…ううん、まだ自分の足では跨いで居ないからセーフかしら。
「キスをしても?濃ゆいやつ」
「こ、婚姻届を先に届けて下さい!」
「そうだね、それじゃあ急がないと」
「え、ちょっ、今から!?」
「行こうユール、僕の可愛いお嫁さん」
「っ、おろ、下ろして下さいディアール様!」
アニマルドール~君の尻尾を捕まえる~
こんな馬鹿みたいなギャルゲーが世の中にはあるみたい。だけどその中身は、果たしてゲームの登場人物は、主人公が思っていた通りの人間なのかしら。
ユール(わたし)は主人公には惚れないし、ちゃんとこの世界で生きているわ。
そう、あの頃の主人公はここには居なくて、居るのはただの棒人間と、ただのユール(わたし)。
「ディアール様、擽ったいですぅ…」
「ユールが可愛いから仕方ないよね?」
私に旦那様が出来ました。
冷徹のディアールなんてちょっと恥ずかしい二つ名持ちの冒険者ギルドのマスターです。
今日も私は旦那様にふにふにと耳や尻尾を可愛がられる、愛しい愛しいお人形。
アニマルドール~君の尻尾を捕まえる~
「ユール」
流れの冒険者である主人公に親切にしてくれる元気で明るい、素直な少女。実は魔物に襲われ滅んだ犬獣人の村の生き残り。いつも被っている帽子の下には三角形の耳が、スカートの下には尻尾が隠れている。ちょっと小柄なのがコンプレックス。
「ハロルド」
冒険者ギルドのAランク冒険者。女だてらに斧や弓を駆使して魔物を狩る勇ましい女性。面倒見がよく、豪快な性格だがケーキやお菓子が好きなど意外な一面も。実は鳥獣人で、長い黄色と碧のグラデーションの髪の毛は鶏冠。空は飛べないらしい。
「メローダ」
王国屈指の美姫と噂される王女。傾国と呼ばれる自身の見た目を利用して王国転覆を目論む。冒険者である主人公に何やら依頼があるらしい。実は猫獣人で、灰鋼の髪の毛にはまだら模様が混ざっているが、それを知るのは王族と一部のみ。高飛車な性格だが世間知らずなだけで嫌味のつもりはない。
「リアリー」
城下の歓楽街にある店の踊り子。妖艶な仕草と美しい姿に骨抜きにされる男達の数はしれない。実は蛇獣人で、水場では嬉々として泳ぐ姿が見られたりするかもしれない。
***
「この他にも、シークレットヒロインが多数…多数!?ちょっと兄貴、Wikiどこよ!」
「うるせぇ!何が嬉しくて妹からの誕生日のプレゼントがギャルゲーなんだよぉ!」
「るっさいわチェリ男!ちょっとはこれで女を学べ!」
「こんなゲームやったら後戻り出来ないじゃんか!どうすんだよ、二次元にしか興味がなくなっちまったらどうすんだよ!ってそんなはしたない単語を叫ぶんじゃありません!お兄ちゃん泣くぞ!?」
「うわ、きんも、きっも、ないわ、ないわー」
「お兄ちゃんは、お前の行く末が心配…」
「るっさい。…ねえ、この煽り文マジウケんだけど。全国のケモナーに捧ぐって、ケモナーのケの字しかないじゃんね、この見た目じゃ」
「やだ、この子怖い!怖い!」
***
こんなやり取りを思い出して、もしかしてあの棒人間の正体は…と、考えてユール(わたし)は震えた。
「どうしたのユール、風邪引きさんかな?」
「い、いえ!いいえ、違います!大丈夫です!」
今日も今日とて、ユール(わたし)は旦那様の膝の上である。彼の毛繕いは往々にして気持ちがいいから仕方ないわよね。ツボを外さないディアール様、素敵かもしれない…。
それにしても…どうしよう、あれ、妹だったら。
2015.2/17
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