第八章 骸の王国
1
「昔、ここには大きな国があった。今みたいな樹海はなかった。高い建物や橋、自動車、列車、飛行機、川や草木の自然、大勢の人、そして、有り余るほどの金塊があった」
「その人達が“錬金術師の末裔”だったのね」
ジャミロは頷いた。「彼らは、周辺の貧しい町々にもタダ当然で与えていた。決して、驕らず、欲張らず、妬まず。それらが彼らの美徳だった。金を生成する術は、貧しき弱き者を助けるために、神様が与えてくださったのだと固く信じていたからだ。周辺の小国も彼らを尊敬し、共存共栄の関係を築いた。ちょうど、ここに描かれているように」
ジャミロは絵本を差し示した。その目はどこか悲しげだった。
「ある時、彼らの黄金時代は終わりを告げた」
彼は本のページをめくった。絢爛豪華なパレードと打って変わり、見開きに描かれていたのは、目を覆いたくなる地獄絵図だった。
「金を生成する工場で事故があったんだ。精密な機械の中に小石ほどの異物が紛れ込んだ。その年は、建国記念日で国中が祝賀ムードに沸いていた。技術者達は事故の拡大を防ごうとしたけど手遅れだった。途方もないエネルギーが瞬く間に膨れ上がって破裂して、工場を、王国を覆い尽くす火柱になった」
王国を包み込む、巨大な赤い火の玉。ニーナは戦慄を覚えた。
「大勢の人が死んだ。生き残った人達は国外に避難しようとした。でも、周辺国は王国を丸太の高い壁で囲って、外に出られないようにした」
「どうして、外の人達はそんなひどい事をしたの?」
「隔離か?」ノリスが小さくつぶやいた。
「そうです。爆発に巻き込まれた者は毒に侵されている。伝染すると体が腐って死んでしまう。誰かが言った根も葉もないデマが広がった」
「無知とエゴ。大馬鹿者が垂れ流した、風評という名の疫病だな」
ノリスが憎々しげに言い放った。
「水も食べ物も灰となり、生き残った者達は途方に暮れた。待っているのは死。生き残るのに手段は残っていなかった。やがて、彼らは……彼らは……」
ジャミロは唇を噛みた。涙が顔を伝い、絵本の上に落ちた。
「共喰いを始めたんだ! 自分よりも弱ければ、家族や友人、恋人までも餌食にした。そこには絆も道徳もなかった。共食いの末、僕の祖先、ナギン一族が生き残った。彼らは、壁の内側にある辺境の村々を襲い始めた。特に、肉の柔らかい子供を、ナギン一族は好んだ。やがて、時のリーダー格が村人達に提言をした。子供を差し出せば、その分、金塊を与える。だから、子供を産んで増やせ、と。王国の滅亡で金の流通が止まり、村々は長い窮乏に喘いでいた。金塊の山を前にして、当時の村長達は飴と鞭の要求を受け入れた」
小さな子供を掴み上げては、次々と口に放り込む黒い怪物。金色に光る部屋で、怪物と握手を交わす村人達の絵に、ニーナは怖気を走らせた。
「あんまりだわ、そんなの!」
「落ち着いて、ニーナ。子供を餌として差し出さなくてはいけない。けれど、自分の子供を生贄にはしたくない。村の大人達は考えた。村にいないのならば、外から連れてくればいい。村人達は森の外にある街へ繰り出すと子供を誘拐したり、金で買ったりした。彼らを自分達の子供として育て、人喰い達に生贄として捧げた。そうやって、ナギンと村人達は互いに共生関係を築いた」
まるで鶏小屋だと、ニーナは思った。毎朝卵を産む鶏と、それを毎朝取る人間。鶏は自分の卵を惜しみ、他の鶏から奪ったそれを差し出す。
「唯一の問題は、樹海の中に影憑きという生物がいた事だ。そこでナギンが自分の血を染み込ませたマントを、生贄の子供が着るようになった」
影憑きに襲わなかった理由がそれなのだ。当然、ナギンの血が流れているジャミロも言うに及ばずである。
「やがて血を節約するために、大人は同伴しなくなり、子供が一人で樹海に分け入るようになった。誰が言う事もなく、この習わしは、いつかしオツカイと呼ばれた。子供に愛情をかけて“良い我が子”に育て上げる、育ての親役。子供を樹海まで連れて行く、見送り役。親の愛情を信じた子供達は、人喰い達が待ちうける《ガイコツ帽子の塔》へと向かっていく」
屋根は雨音が叩き、雨漏りが落ちる以外、小屋の中は重い沈黙が包んでいる。クリスより年上の女の子が、部屋の隅ですすり泣いていた。
「これが『錬金術師の末裔』の末路と、オツカイの真相だ」
赤い月の下、朽ち果てた建物が墓石のように並び、その周りを瓦礫の山が覆い尽くす風景で絵本は終わっている。作者の名前はなかった。
「じゃあ、わたしのパパとママは? まったくの赤の他人だというの?」
「ああ」ジャミロは苦い顔をしながら答えた。
「嘘だ!」アンディが怒鳴った。「オヤジとオフクロが、今までオレを大事に育ててくれた。欲しい物はなんでもくれたし、いじめっ子と喧嘩して泣いていたら、いつでも慰めてくれたんだ。おれを怪物の餌にするかよ!」
「育ての親役が撒いた餌だ。君達の心の拠り所を、すべて自分達に向けさせるためにね。親に泣きつきように、純粋な村生まれの子供達をけしかけたんだ。理由もなく、こっぴどくいじめられると、両親はいつもに増して異様なほど優しかったはずだ。心当たりはあるだろ?」
「てめえ、デタラメ言いやがって、ぶっ飛ばすぞ!」
アンディはジャミロの胸倉を掴んでくってかかろうとしたが止まって、やがて、嗚咽を漏らして泣き崩れた。何も分からないクリスは寄り添い、彼の頭を優しくなでた。
「あんまりだ、そんなの……おれ達はあんな化け物に喰われるために、今日まで生かされてきたのかよ?」
「そうはならない」ジャミロは立ち上がった。「来て」
彼に連れられ、一行は小屋を出た。再び小雨の中を駆ける。時々、怪物が建物の通路を走るのが見えた。何かを叫んでいる。脱走がばれたのだろ。ニーナたちは山の斜面の前まで辿り着くと、前方の小さなトンネルを見た。
「あそこから森の外へ出られるんだけど……」
トンネルの入り口付近、怪物の見張りが四体もいた。
「僕が奴らを引き付ける。その間に、トンネルに入って」
「トンネルの中に奴らがいたら?」と、アンディが口を挟んだ。
「あそこは立ち入り禁止なんだ。誰も入ろうとはしないよ」
「何かおっかない化け物がいるのかよ?」
「何もいない。ナギン一族は、あそこから外へ出ると死んでしまう呪いをかけられている。だから、一族の者は誰も入ろうともしないはずだ」
「待って」行こうとするジャミロを、ニーナが止めた。「あなたは家族を裏切る事になるのに、どうして、私達を助けようとするの?」
「約束を果たすためだ」
ジャミロは足に巻かれた包帯代わりの布を取った。数時間前に負ったはずの怪我は嘘のように消えていた。
「ナギンの者は銃では殺せない。元気でね、ニーナ」
さっきの言葉の意味を聞こうとする前に、ジャミロは駆け出していた。見張りに何かを言うと、彼らを連れて別の建物へと向かっていった。
「今は彼を信じよう」
ジャミロの嘘かもしれないと、ニーナは疑った。一族に認められたいからこそ、自分達を一網打尽にしようとしないか?
ノリスが辺りをうかがい合図すると、一行はトンネルの方へ走った。一斉に張られた縄を越え、ノリスを先頭に、その次にニーナと子供達が続いた。
トンネルの中はじっとりと冷たく、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。固い石畳の床は所々にひび割れが走り、その隙間から水滴を養分とする細いツタが途方もなく伸びきっている。結露の溜まった壁面は落書きが延々と続く。低い天井が今にも押し潰そうとしているような圧迫感を与えた。
どれだけの時間が経っただろうか、しばらくして、先に小さな点が見えた。近づくにつれて大きくなる。
やがて、出口が見えてきた。先に子供達が駆け出していく。
「森の外だ。あの人が言ったのは本当だったんだ!」
アンディが歓喜を上げる。他の子供達も笑っていた。ジャミロは本当に自分達を助けてくれたのだ。
「ニーナも早く来いよ」
彼女は首を振った。二人の顔が曇る。「なんで?」
「わたしは、ジャミロを助けに行く」
踵を返すニーナ。ノリスも一緒に着いて来ようとするのを止めた。
「ノリスさんは、この子達を安全な場所へ連れて行って下さい」
「ならば、なおさら戻ってはいけない。ジャミロ君の覚悟を無駄にするのか? 死地に向かうのは、私だけで十分だ」
「わたしは……ジャミロを疑ってしまったの。彼が私達を助ける事で、どういう目に遭うのか分かっていながら」
「君の気持ちは分かる。しかしだね――」と、言葉を続けようとする冒険家の鼻先を、彼女は手で制した。
「今回の事で分かったの、わたしは何も考えずに生きていた。でも、今のわたしには意志がある。彼を見殺しにして逃げたら、死ぬまで後悔する」
過去の闇に消えた兄。あの時、自分は追いかけるべきだったのだ。
「もう、わたしはジャミロを助けたい。彼と一緒に、必ず生きて帰りたい。もう、甲羅の中にこもったままなのはイヤ」
身代わりに消えた少年。甲羅のままうずくまる自分の姿。自分が為すべき事を初めて知ったのだ。
「子供達の安全を確認したら、絶対、君達を助けに行くからな」
「ありがとう。“夕餉の間”の場所が分かったら、必ず連絡します」
「分かった。だが、無茶はするな。サバイバルの鉄則を忘れるんじゃないぞ」
少女は静かに頷くと、今しがた来たばかりの道を引き返した。
2
トンネルの入り口に出ると、ニーナは草むらに身を潜めながら、さっき閉じ込められていた《十二》番の建物に向かった。草むらは大人の腰ぐらいに茂っており、隠れながら進むには好都合だった。建物に着くと、通路を逃げる時に見えた、二つの光のある方角を意識しながら進んだ。
しばらく行くと、集落が途切れて、石段を見つけた。この上と光りの位置は同じはずだった。不安定な石段を上がりきると、ニーナは高台に出た。そばに二階建てのやぐらが建っている。高台の奥には岩壁がそびえ、そこに小さな洞穴があった。入り口の両端にかがり火が立てられている。
通路で見た二つの光りの正体が、かがり火だったのだ。目の前の洞穴は“夕餉の間”の入り口に間違いない。
確信があるわけでもなかった。恐ろしい罠が待ち受けているかもしれない。だが、ジャミロはこの奥にいると、ニーナは直感で思った。
ニーナは早速ノリスに連絡を入れようと思ったが、肝心の方法を考えていなかった。相変わらずの無計画性を後悔した。
何かいい方法はないかとポケットを探ると、例の手鏡が出てきた。ノリスが言うところの、昔の通信機器。確か、通話だけじゃなくて手紙も送れると言っていた気がする。一か八か試す価値はあった。
手鏡の上を軽くタッチすると、標識や紋章に似た絵がいくつも表示される。ニーナはその中で、便箋の形をしたやつを見つけ、そこを指でなぞってみた。すると、空白の画面と、下部にアルファベットが表示された。試しに『A』に触れると、真っ白な画面の端に『A』が浮き出た。同じ要領で『D』まで順番になぞると、『ABCD』と出た。
間違いない。字を書く代わりに、アルファベットをタッチして、打ち込んだ文字を相手に送られる仕組みになっているのだ。ニーナは同じ要領で文字を打っていった。さらに面白い事を発見した。文字だけではなく記号や絵も入力できるようになっている。こんなに小さいのに便利な機械を作ってしまうなんて、昔の人は本当に人間だったのだろうか?
ノリスへの手紙は完成した。文字だけではどうしても緊迫感が弱まってしまうので、何か相応しい絵はないものかと探してみたら、人喰いの怪物に似た絵があったから、それをメッセージの後に追加してみた。
『“夕餉の間”は高台の近くにあります。かがり火のある洞窟がそこです。きっと、ジャミロもそこにいると思うから、わたしは先に入ります。
追伸 あいつらに見つからないように気をつけて! ┌(┌ ^o^)┐ 』
……何かがおかしい。無事にここを出た後で考えようと決めて、ニーナはメッセージをノリスに向けて送信した。間もなく、『送信しました』と表示される。
よし、これで大丈夫、かもしれないと無理やり安心すると、彼女は勇気を振り絞って、洞穴の奥へ足を踏み入れた。狭い通路はつづら折りになっていて、右から左へと曲がるかと思えば、上から下へと降りて行く。
洞穴の終着点は、頑丈そうな鉄扉だった。僅かな隙間から光が漏れている。恐る恐る部屋の中を覗いた。直後、思わず目を閉じた。
そこは、大きな空間だった。岩壁や天井を隙間なく覆い尽くす、黄金色。地下水を満たした穴が所々にあり、底がまぶしく輝いている。
《夕餉の間》には、人間の手では運ぶのにどれだけの時間、年月を必要とするのか、およそ見当もつかないほどの金塊で埋め尽くされていた。足元にも、拳ぐらいの大きさをした金色の石があちらこちらに転がっている。
まさに、『錬金術師の末裔』が築いた文明の遺産であり、忌まわしいオツカイの対価でもあった。
部屋の中には誰もいない。ニーナは部屋の圧迫感に戦慄を覚えつつも、ジャミロの姿を探し出した。彼は奥にいた。柱に括りつけられ、少し垂れた顔は腫れ上がっている。一族から制裁のリンチを受けただろう。彼の後ろには金色の壁から浮いたように古びた扉があった。そこに書かれた札にはこうあった。
【火薬庫 火気厳禁】
ニーナは少年の元に走り寄った。安否を確かめるために脈を取った。大丈夫、気絶しているだけだ。彼女は胸をなで下ろしたが、安心してはいられなかった。デルザ達が戻って来る前に、ここから逃げないといけない。
「起きて、ジャミロ」
少年は「ううう……」と痛みで声を漏らした。助けるチャンスは今しかない。彼に掛かった縄をほどこうとした時――。
「利口なのか、馬鹿なのか、人間のガキは分からないねえ」
耳元のささやきに反応する直前、小枝のように細い手が少女の首を絞めて、そのまま軽々と持ち上げた。ナギン一族の刀自、デルザが目の前にいた。
「人間のくせに、よくも息子をたぶらかしてくれたね」
デルザの背後からゾロゾロと現れた人喰いの怪物達に混じって、ニーナの“育ての親役”、ヴィクターとエブリン夫妻が震えるように立っていた。
3
捕えられたニーナは、ジャミロと並んで柱に括りつけられた。
「さて、他のガキをどこへ逃がした?」
デルザは長い爪でニーナの頬をさすった。骨のように細い指先から伸びる爪は鋭く尖っており、力の入れ具合では骨ごと引き裂いてしまうだろう。
それでも、少女は目をつぶりながら沈黙を貫いた。
「ふん。立派に育てたものだ」
「私達は関係ない。余計な入れ知恵などせずに育てたつもりだ」
ヴィクターは動揺を隠さずに言った。エブリンはただ、泣きながら顔を隠しているだけだった。
「いずれにせよ、埋め合わせしてもらうよ。このままでは、あたしらは冬を越せない。仕切り直しとして、七人を新しく連れてきな」
「そんな……いくらなんでも多過ぎる!」
「期限は次の夜だ。数が足りないなら、自分達の子供を差し出すなりして調達するんだね。ガキは腐るほどいるんだろ? 断る理由はないはずだよ。赤の他人とはいえ、この賢しい小娘はあんた達が育てた。こいつのおかげで、今夜の食事は台無しになった。子の責任は親にある。違うかい?」
「だが、私の一存で勝手には決められない」
「では、ナギンに刃向うか?」
ヴィクターは、息をつまらせたかのように咳込みながら否定した。
「こちらもただでとは言わない。今年の報酬は、逃げた分と小娘も足して十三人分やる。この事態が不可抗力だというぐらい、我々も承知している。ぜひ、穏便に済まそうじゃないか。お互い損をしないためにね」
「分かった。村長や他の村にも伝えよう」
「待ちな」
デルザは、爪を自分の細腕に軽く走らせた。黒い血の線が浮き出ると、それを夫妻にめがけて振り撒いた。突然の出来事に二人は絶叫が上げた。周りの洞穴から人喰い達の嬉しそうに嘲笑が轟かす。
「影憑きは我々の血を嫌う。それと、足代を受け取れ」
そう言うと、拳ぐらいの大きさの袋を投げて寄越した。ヴィクターは中を検めて、手の平に溢れるぐらいの砂金をすくい上げた。
「しかと承った。追加の十二人はすぐ連れてくる」
父親だった男の顔は、おかしいほどに緩み歪んでいた。
「これが人間の本当の姿だ」今度は爪の先を少女の瞳に向けた。「今度は脅しじゃないよ。さあ、答えな! ガキ共をどこに隠した?」
ニーナは頑なに口を閉じた。爪は近づき、ギリギリで下に反れて、彼女の首筋で止まった。鼓動が段違いに上がっていく。
「怖いのだろ。いつまで強がるつもりだい? お前の脈拍や鼓動が叫ぶのが聞こえる。死にたくない、怖いと言っているぞ。人間など追い詰められれば、最後には自分の子共さえ見捨てる。こいつらみたいにね」
彼女の後ろで所在な下げに佇む、ヴィクターとエブリンの夫妻は、ニーナを見ようともしなかった。
「逃がした奴を教えたら、代わりにお前を逃がしてやる」
逃がしてやる。その言葉に、ニーナは飛びつきかけたが、ニーナは思わず唇を締め、目の前でせせら笑う魔物の女と対峙した。
「わたしの名前はニーナ」
「それがどうしたっていうのさ?」
自分を巡る状況は悪化するのは明白だった。黒い恐怖とは違う、言い表せない赤い感情が、ニーナの心から迷いを打ち消した。
「あなた達の言いなりにはならない。なってやるものか、この化け物!」
デルザの白い顔がしだいに赤みがかり、ヒステリックに叫びながら、少女の頬に平手で叩いた。予想以上の痛みに、少女はただ耐え続けた。
「人間の小娘の分際で逆らいやがってからに!」
唇が切れて、口の中に鉄の臭いがしみた。だが、怪我はいずれ治る。今、彼女が我慢する理由は、一度傷つけられれば二度と治らない、大切なものを守るためであった。両親だった二人は病気だ。二度と治らない、服従という名の不治の病にかかっているのだ。
――わたしは、彼らとは違う。
「もうやめてよ、ママ!」ジャミロが叫んだ。「ニーナを逃してあげて」
「あんたは一族の恥さらしだ。人間ごときの何が良い? 誇り高きナギンの血に背いてまでなぜ裏切った?」
「僕の意志だ。心だけはまだ人間のままでいたい」
「ジャミロ……」
ナギンの血を引く少年の手を握った。彼の意志と同じ熱が伝わる。
デルザは呆れたように肩をすくめ、高い声を上げた。それは合図だった。壁の穴倉から、何匹も異形の人喰いが這い出て、ニーナとジャミロを取り囲んだ。
「お前の望み通り、人間らしく悶え苦しんで死ぬがいい」
その時、どこからともなく聞き慣れた笑い声が採掘場を埋めた。ナギンの怪物達は騒然とする。
すると、どこからともなく、ロープにつかまった人物が躍り出た。
「大冒険家、ノリス・ジョーンズ、颯爽気ままに参上!」
「ノリスさん!」
彼は約束通り、自分達を助けに来てくれた。ここにも一人、大切なものを持ち続ける人間がいるのだと、ニーナは胸が熱くなった。
大冒険家は派手に登場したまではよかったものの、振り子の原理で揺られるまま、怪物に囲まれた少年少女を通り越し、待ち構える岩壁に避ける間もなく衝突した。
壁から滑り落ちたノリスは、千鳥足でよろめいた末、その場に卒倒した。
「ふん、間抜けな助っ人を呼んだものだね」
ニーナとジャミロの間に挟まる形で、ノリスも生贄の柱に加わった。
4
「いつまでそこに突っ立てるつもりだい?」
デルザに指摘され、夫妻は逃げるように鉄扉に向かおうとした。
「待って」ニーナの声に母親の背中が止まった。「今まで、わたし達を騙していたの?」
妻が何か言うとする前に、ヴィクターが止めた。
「もう知っているのだろ。私達はお前の親ではない。ブライアンと一緒に、道端の浮浪児だったのを、村人が連れて来て、“育ての親役”として私達が選ばれた。すべてはこの日のためだった。初めから愛情などない」
「ふざけるんじゃない!」いつの間にか目覚めていたノリスが吼えた。「血は繋がっていないとは言え、十数年も育てた子供に愛情も持てんのか?」
「本来ならば、彼らは赤ん坊のまま、どこかの道端に餓死する運命だった。親が捨てなくとも、地獄の人生が待っていたはずだ。それを十二年間も物を買い与え、見せかけの愛情を注いでやったのだよ」
ヴィクターの詭弁に、ノリスはただ唖然とするだけだった。
「あんた達はそれでも人間なのか?」
「勝手気ままに生きる放蕩者に、明日を生きるために、すべてを捨ててきた人間の気持ちなど知るまい。人間の幸福は、他の者が不幸になる事で成り立っている。オツカイがなくとも存在する、世間のルールだ。私達は不幸の側にはなりたくはなかった。村に認められるために、実娘のキャサリンをオツカイに出した。他の子共も同様だ。双子のパーシーとジャスティンも、ブライアンもその妹も、私達が幸福な側で居続けるのに必要な人柱だ」
「あんたらのために、一体何人の子供を犠牲になったと思う? 周辺国の街々で続出する子供の神隠しや人買いは、あんたらの仕業だな」
「ただのトレジャーハンターではないようだな」
「昔、貴様らに子供を誘拐された友人に頼まれたのだ。長年、調査をするうちに、やっとここまで辿り着いた。貴様らの巨悪も明るみにしてやる」
「オツカイは露見しない。三人の目撃者はじきにこの世から消える」
「ひとでなし……」ニーナの目から涙が流れ、嗚咽が漏らした。「お兄ちゃんを、ブライアンを返してよ……わたしのたった一人の家族を……返せ!」
無言を貫いたまま、夫妻は鉄扉の向こうへと消えた。鉄扉がゆっくりと閉められる寸前、ノリスは「待ちたまえ」と叫んだ。
「あんたらはいつか後悔する羽目になるぞ!」
ほとばしる大冒険家の警告は、鉱山内を幾度も反響した。