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ダーク・フォレスト  作者: 周防 まひろ
5/11

第五章 錬金術師の末裔


 

           1


 ジャミロが投げた石は、ハンスが持つランタンのガラスを割り、中のロウソクの火を打ち消した。

 一方、発射された弾は、ノリスの帽子を飛ばすだけで済んだ。撃たれたと勘違いしたのか、大冒険家は大袈裟に呻いて、胸を抑えながら倒れた。

 周りに闇が落ちた事で影が消えた途端、ハンスは苦悶の声を上げた。その背中から黒い物体が逃げるように離れていく。

「影憑きが逃げていくわ」

「宿主の影がなくなれば、奴らは動かなくなる。だから、影憑きは明かりのない森の中では仮死状態のままだ。明かりも持った人間がやって来ると、目を覚まして彼らに寄生する」

「ここは天国なのか?」

 ゆっくりと起き上がったノリスのつぶらな瞳が聞き返した。

「ハンスさんの方は大丈夫かな?」

「死んではいない。すぐに気がつくと思うよ」

 そう言っていると、“見送り役”のハンスは起き上がり、周りを見渡した。

「俺は今まで何を……上から何かに覆い被さってきて……」

 ノリスの顔が視界に飛び込んだ瞬間、彼は大柄に似合わない悲鳴を上げた。

「ば、化け物!」

「自分を棚に上げてよく言う」

 ノリスは呆れながら言った。ハンスは腰を曲げて後ずさりながらも、目ざとくニーナを見つけると、打って変わって怒鳴りつけた。

「お前はまだこんな所にいるのか! おまえはオツカイに選ばれたんだぞ。 さっさと塔へ行ったらどうなんだ!」

「おつかい?」

「こいつが塔の行かなければ、七つの村は終わりだ。先祖代々、脈々と続いてきた約定が、たった一人の余所者のせいでなくなるんだぞ。俺の家族もみんな死ぬ! “連中”に一人残らず……」

彼は滅茶苦茶に喚きながら、ノリスの制止を振り切ると、樹海の中へと走り去っていった。

「そろそろ教えてくれないか、ニーナ」ノリスはこれまでにない真剣な眼差しを向けた。「オツカイとは一体何だね?」

 もはや、オツカイを秘密のままにしておく理由はなかった。ニーナは観念して、自分の知る限りの事情を説明した。兄の事も含めて。

 すべてを聞き終え、腕を組んでいたノリスは、一言だけ漏らした。

「なるほど。イニシエーションというやつか」

「イニシエーション?」

「通過儀礼という意味だ。出産や成人、結婚など人生の節目に行われる式典のようなものだよ。古代には、成人を迎えると体に刺青を彫る土人もいたらしい。オツカイもまた通過儀礼の一種だろう。だが、妙だな」

「妙、ですか?」

「独り立ちのための通過儀礼だというのに、年に一人しか選ばれないのはおかしいじゃないか。君以外にも同年代はいるのだろ?」

「はい」

 ニーナの知る限り、同年代は二十人以上いるはずだった。

「君が行く予定の、《ガイコツ帽子の塔》とはどんな場所だろうな?」

「わたしにも分からない。ただ、塔に着いた子供は、自分達の村をつくって、二度と故郷の村へは戻れない。親から、そう聞かされただけです」

「君のお兄さんも塔にいるのか?」

「兄は森の中で死にました。わたしはそうなりたくない。だから、わたしは行かないといけない。パパとママのために」

「だめだよ!」さっきから沈黙を守ってきたジャミロが、いきなり叫んだ。「君は森の外に逃げないと――」

「わたしは役立たずになりたくないの、ジャミロ。塔に行けば、一人前に認められる。パパやママが村の人から仲間はずれにされずに済む」

「君のお兄さんがここにいれば、きっと反対していたよ」

 噴き上がる感情を抑えられなかった。ニーナは彼に歩み寄ると、その頬を叩いた。乾いた音が樹海の中に響いた。

「分かったような事を言わないでよ。あなたに兄の何が分かるの? 今日まで、わたしがどれだけ辛い目に遭って来たかなんて……何も知らないくせに!」

 ジャミロは黙り込んで顔を伏せた。怒りに身を任せてしまった後悔が湧き上がった。

「やめたまえ。君達に喧嘩は似合わん」

 ノリスは二人の仲裁に入ると、リュックからパイ皿ほどの巨大な方位磁石を取り出した。

「これなら紛失する心配はない。さてと……北はこの方角だ。前人未到の地特有の臭いがする。危険な香りだが、遺跡特有の匂いも混じっている」

「遺跡?」

「左様。君達は、“オーバーテクノロジー”という言葉を聞いた事はあるか?」

 首を振る二人に、大冒険家はがっかりした様子を見せたのも束の間、すぐに調子を取り戻す。

「今の時代では不可能な技術を意味する言葉だ。例えば――」と、ノリスは一枚の写真を取り出した。砂漠から飛び出した、巨大な女神の胸像。片手に松明を持った手を上に突き上げている。

「こいつは“自由の女神”と呼ばれ、はるか昔に建造された形跡がある」

 もう一枚には、長細い鉄塔。夜景の中、その塔は燦々と輝いている。

「こっちは、とある島国で見つけた。全長はなんと約634メートル! にもかかわらず、いたって頑丈だ。しかも、人間が中に入れるようになっていた。つまり展望台だ。さらに、こいつに設置された数百のガラス玉は、夜になると自動で点灯する仕掛けになっていて、何百年も光り続けている。昔、私が撮影した時も、この有様だった」

「わたし達が生まれるずっと昔から、こんな物が……」

 生れてからずっと、狭い村の中で育ってきたニーナにとって、大いに興味深い話だった。

「うむ。我々の文明では、これらの建造は絶対不可能だ。基本となる鉄骨自体、現在の建築技法にはない。これらの遺跡やそこから見つかった出土品はオーパーツ、または場違いな遺物と呼ばれ、世界各地で発見されている」

「どうして、そんな物が見つかるのですか?」

 ノリスはちょうどいい大きさの岩に腰を下ろした。

「はるか昔、この世界には、我々をはるかに凌駕した文明があった。天まで届く塔を建造し、鉄の鳥が大勢の人を運び、小さな鉄板を使って、遠くから会話や手紙のやり取りをしていたという。この写真に写っている建造物も、彼らの足跡だろう。だが、洪水か、地殻変動か、戦争か、はたまた隕石の落下か。何らかの原因でその文明は滅び、あらゆるものがゼロに戻った」

「でも、生き残った人もいたのね」

「その通り。わずかに残った人類は一か所に集まった。長い冬の時代を耐え続け、滅亡の脅威が去った後、彼らは文明の再生を目指して世界中に散らばり、新たな文明を築いた。それが我々の祖先に当たる者達だ」

 そして、一五〇〇年後の今に至ったのだという。

「そろそろ、本題を言おう。この樹海は、地図にも載っていない前人未到の地、ロストワールドだ。ロストワールドには、先史文明の遺物が多く残っている。残念ながら、今ではそのほとんどが発見され、発掘され尽くされた感がある。つまりだ。我々が目撃したトロッコの乗り物や老婆の家が“オーパーツ”ならば――」

「この樹海に昔の遺跡があるかもしれないって事?」

「そうだ。世界でここが秘境と呼べる最後の地かもしれん。ロストワールドならぬ、ラストワールドだ」

 一旦言葉を止めると、ノリスは鼻を膨らませて息を思いっきり吸った。

「私はそれを確かめに樹海の奥地へ行くつもりだ。ニーナ、君は塔へ行きたい。ジャミロ君は彼女が行くのに反対だね。多数決を採れば、ニ対一だ。私からの提案なのだが、もしも、ニーナが両親らと落ち合い、安全が確保できれば、すぐに塔を後にする。君の言う通り、塔が危険な場所ならば、ニーナを待つ両親もまた危険な状況にあると言える。それとも、君は何か知っているのかね?」

「それは……」ジャミロは言葉をつまらす。やがて、あきらめたように肩をすくめた。「皆で行こう。ニーナが一人で行くよりは安全だ」

 ジャミロの条件で、彼が先頭を歩く事となった。ニーナとノリスは彼の持つランタンで、自分達の影ができないように用心した。三人を囲む形で、影憑きもついて来ているからだ。

「きっと、わたし達に憑りつくチャンスを狙っているのね」

「僕から離れて歩いて。近づきすぎないようにね」

 樹海の中を進むうち、ニーナはある事に気がついた。今まで適当に歩いているような感じだったのが、一本の決まった道を歩いている。木々の枝がきれいに切られて、地面は平らに変わりつつあった。

 薄明りに照らされ、ジャミロの痩せた背中は淡々と前を歩く。心配する彼は真実味があり、嘘とは思えなかった。しかし、逃げ出したくない気持ちもある。両親のためであり、二人に報いる自身のためでもあった。

 少年の後姿が、昔、森へ消えた兄と重なる。思えば、初めて会った時、本当にブライアンが助けに来てくれたと勘違いしたのを思い出した。

 ふと、ジャミロの足を見た。包帯が緩んでいないか不安だったが、ちゃんと巻かれているようだ。

 あれ? どうして、ジャミロは影憑きには平気なのだろう?

 ニーナは、ふとそう思った。ハンスの時はすぐに襲いかかった影憑きも、やけにおとなしく、じきに追いかけて来なくなった。

 僕の体は呪われている――ふと、彼の言葉がよぎる。

 だが、気になっていた事がもう一つある。その答えが何かを考える前に、一行の足は巨大な建築物の前に到着した。

 彼女がその正体に気づくのは、あと少し先である。


           2

 

 それは巨大な水車に似ていた。さらに近づくと、巨大な歯車に見える。鉄骨で作られた丸いオブジェだ。歯車の周りには、人が乗るゴンドラがぶら下がっている。ゴンドラは全部で十二あった。

「これは観覧車というものだ」

「観覧車?」

「空を眺望できる乗り物だよ。子供の遊具と思ってくれればいい。これも古の人々が作った物だ。おや?」

 ノリスは双眼鏡を取り出して、観覧車を観察した。ニーナとジャミロも代わる代わる眺めた。観覧車の上に橋が架かっているのが見えた。橋は山の中腹へと伸びているようだ。

「どうやら、こいつはリフトの役割も担っているのだな」

「リフト?」

「観覧車は、真ん中の歯車がゆっくりと回転する事で、人を乗せたゴンドラも一緒に動くのだ。こいつの場合は、一番上が橋の降り場になっていて、そこから山腹の方へ一気に移動する装置になっていたのだよ」

 ニーナは観覧車の真下へ向かった。

 あれが動いてくれたら、山腹までロッククライミングなんてせずに済む。塔へは絶対に辿り着きたいが、生まれてから木登りさえできない自分には、高い場所は苦手だった。おまけに樹海の中を歩き続けて、疲労は限界に達しつつあった。今から引き返して、違う道を探すのはあまりにも億劫だ。

 観覧車の真下に小屋があり、開け放たれた窓の向こうに、精巧な人形が鎮座する。青い制服を着た、中年の人形はこちらに止まった笑顔を向けていた。

 小屋の隣には、ボタンが並ぶ機械の箱が置かれ、箱の口から小さな紙があふれ出ていた。観覧車に乗るために、必要な切符だと直感で分かった。

 ニーナはそれを受け付けの方へ差し出した。

「さすがにそいつは無理だな。こんなポンコツが動くわけ――」

 金属の軋む音と共に、観覧車がゆっくりと回転し始めた。同時に、受付のロボットが目を開く。それはパチクリと瞬きをすると、三人の乗客を見渡すと、(皆様、おはようございます)と機械の声で会釈した。

「何て事だ……そうか、こいつは人感センサーが組み込まれているのか」

 ノリスが言うには、人の気配を察知すると起動する仕組みになっているらしい。 受付ロボットは、自分達がここを通るまでずっと眠っていたのだ。

(いらっしゃいませ。何名様ですか?)

 ニーナは二人に目配りし、「大人一名と子供二名です」と切符を差し出す。

(どうぞ。ごゆるりと空の旅をお楽しみくらはい)

「くらはいだとよ。やっぱりポンコツだ」とノリスは一人で吹き出した。

 ちょうど、地上に降りたばかりのゴンドラに乗り込む際、(あ、ちょっと!)と受付が待ったをかけた。ノリスの方を指差している。

「まだ何か用かね?」

(ペットの持ち込みは禁止です。ブタは柱に繋いでおいてくらはい)

 ノリスは顔を紅潮させると、受付の頭に拳骨を食らわした。

「私はこれでも人間だ!」


           3


 小部屋が地上から離れるにつれて、ニーナの不安は膨らんでいく。さびた鉄骨の軋みで揺れる度に、彼女は小さくなっていく森を見下ろした。

「落ちないかな、これ……」

「大丈夫だよ。あのロボットもしっかりしていたし、案外丈夫かもしれない」

 そう言うなり、ジャミロは軽くジャンプしてみせた。ニーナは恨めしげに睨むと、申し訳なさそうに黙って着席した。しばらくして、今度は、ジャミロの方が、落ち着かない様子で貧乏ゆすりを始めた。

「もしかして、ジャミロも高い所が苦手なの?」

 少年は苦笑いしながら、ノリスに話題を振った。

「ノリスさん、さっきの話をもう少し聞かせてよ」

「待っていたよ、その言葉。実もここに座った時にすごい物を見つけた」

 彼は背中を向けた。裾の隙間からクルリと回った尻尾がはみ出ているのも愛嬌だが、そのズボンに金粉みたいな粒がたくさん付着していた。

「驚くなよ。これはすべて砂金なのだ。君達の席にもついている」

 ノリスの言う通り、両端の席や床には細かな輝きが所々にあった。

「でも、なんで、こんなに砂金が?」

「先ほどの話の続きだが、古い文明が滅亡した後、世界に散らばった我々の祖先は、徐々に部族を形成するようになり、独自の共同体を築いていった。そこから様々な種族が枝別れした。牧畜と農耕を得意とする土の民。漁業で七つの大洋を統べた海の民。鉄の鳥を駆り、空を飛んだとされる翼の民。他にも百以上あるが、今は割愛させてもらう。時代と共に国々が勃興し、人々の交易が始まると、そういった技術はすたれいった。最初の五百年のうちに、ほとんどの種族が消えてしまった。しかし、ある種族だけが一千年以上生き残った。彼らこそ、『錬金術師の末裔』と呼ばれた者達だ」

「錬金術師の末裔?」

「錬金術師って、あの、関係のない物から金を作るという、あの?」

「そうだ。もちろん、彼らは魔法使いや超能力者ではない。れっきとした科学と機械の力で金を生成する術を持っていた、と古い文献には書かれている。一説によると、彼らの国土は一面が黄金に覆われ、本物の土や石を掘り当てる方が難しかったとか」

 金で一杯になった街や家など、ニーナには想像できない光景だった。

「だが――彼らは忽然と歴史の行間から姿を消した。十世紀も栄えた国にもかかわらず、どの歴史書をひも解いても、五百年前から一行も言及されなくなったのだ。あまりにも奇妙奇天烈と思わんか?」

「何かの原因で衰退したのでは?」

「そう、この世は諸行無常、始まりがあれば必ず終わりが来る。例えば、はるか昔の古代、ローマ帝国という大陸をした国があった。一時は世界の最先端を誇った、この先進国は、やがて、財政難や外敵の侵攻が原因で、東西に分かれ、そして滅亡した。始まりと終わりは双子であり、これらは一から十に至るまでの成り行きという糸でつながっている」

 三人を乗せたゴンドラは歯車の中間を過ぎた頃だった。

「だが、『錬金術師の末裔』は違う。ないのだよ、消えた原因とその経緯が。十二ダースを越える、始まりを描いた書物はあっても、滅亡史はたったの一、二冊しかなく、どれも読んだが、残念ながら仮説の域を出ない」

「誰も知らないのね」

「まさに歴史の謎だよ。煙のように歴史の闇に消えた先進文明は、かくして、夢と神秘の幻となった。……しかし!」

 ノリスはイスの上に立った。小部屋が左右に大きく揺れた。「我々は今、『錬金術師の末裔』の遺跡にいる! この大量の砂金こそ、その証だ。我々三人は最初の発見者だぞ!」

「ノ、ノリスさん、落ち着いて!」

 心の中にくすぶっていた不安は的中した。観覧車が動きを止めた。室内に重い沈黙が落ちた。ノリスは窓を開け、受付係に向かって叫んだ。

「おい、観覧車を動かしてくれ!」

(お客さん、危険だから窓から手や足を出さないでくらはい)

 ロボットの返事はそれで終わった。観覧車は動かないままだった。

「申し訳ない。つい興奮してしまった……」

 ノリスはすっかり意気消沈していた。さっきまでの興奮が嘘のようだ。

「下を見て! 何かいるよ」

 ジャミロが突然叫んだ。眼下に映る、受付の前を人影が通り過ぎた。その人物は観覧車の柱に手を掛けて、なんと、ゆっくりと登り始めたのだ。

 顔の輪郭がはっきりすると、ニーナは信じられない思いに駆られた。鉄骨をよじ登って来るのは、トロッコと共に谷底へと消えたはずの老婆、ミセス・オズワルドだった。

 このままここにいたら、どのみち捕まってしまう。バラバラになった赤ずきんの頭部が自分のそれと重なった。

「君達は、木登りは好きかね? いや、今は好き嫌いの問題ではないな」

 ノリスはそう言うと、ジャミロに自分と一緒に馬になるように命じ、ニーナには二人の上に乗って、天井の窓を開けるように言った。

 ニーナは観念した。彼らの上に馬乗りすると、天井のパネルを開けた。ゴンドラの上に出ると、強風が顔を叩き、柱がキィキィと軋む音を立てる。床にへばりついたままでないと、安定感が保てない。

「僕の手に捕まって」

 次に上がったジャミロが手を伸ばす。彼に支えられながら、ニーナは鉄柱に手をかけた。観覧車の骨組み多く、はしごの要領で、片足を上げて足場に置きつつ、手に力を入れて一段上がるという動作を交互に繰り返えした。柱自体も頑丈で体を固定してれば落ちる心配はない。

 三人は間もなく、観覧車の上にある橋に到達しつつあった。このまま一番上にある端に到達すれば、《ガイコツ帽子の塔》はすぐそこにある。ニーナの心は躍った。ゴールは近い。

 突如、柱のスピーカーからファンファーレが突然流れ出した。ニーナはすんでのところで足を踏み外しかけた。

(本日は満員御礼でございます! 夜のライトアップを点灯します。皆様、どうぞ、素晴らしいナイトショーをお楽しみくらはい)

 ――ナイトショー……ライトアップ?

 ニーナは背中を震わせた。災難が起こる気がしてならない。

 観覧車を、周囲の森を、強烈なスポットライトが一斉に点灯した。太陽の間近にいるみたいにまぶしい。ジャミロが苦痛の声を上げ、柱にしがみ付いたまま硬直してしまう。

 森のあちらこちらが波打った。黒い塊が群れをなして、観覧車に向かってくる。影憑きだ。強烈な照明が奴らを寄せ付けてしまっている。

「速く上へ逃げるのだ、二人とも!」

 ニーナは柱にしがみついたままのジャミロに言った。

「しっかりして、ジャミロ! 一緒に逃げましょう!」

「ダメだ……光が怖い。手が震えて動けないんだ」

 少年の体は震えている。その手を掴み、肩の上に乗せた。

「あなたは目をつぶっていて。わたしはあなたの目になる」

 危険なのは承知の上だった。彼を補佐する事で、自分は片手で支えねばならない。二人三脚で動く事になる。ノリスはすでに橋の縁に手をかけようとしている。ジャミロは目をつぶったまま、ニーナの先導を聞きながら柱を上がる度に、彼女は母親のように優しくほめた。 

 一方、老婆は三人のいたゴンドラに到達した。地上はすでに影憑き達によって覆い尽くされている。(本日は閉店。皆様、さようならぁぁ!)と受付ロボットの断末魔がスピーカーから漏れた。もう後戻りはできない。

 二人は一段一段に腕をかけ、足を乗せながら上を目指した。

「いいぞ、その調子だ」

 ノリスの励みがすぐ近くに聞こえる。そんなに遠くはない。実際、あと一メートル進めば、橋の縁に手が届くぐらいまで、二人は来ていた。

 その時、土台にまとわりつく影憑きの重さで、観覧車が前後に揺れた。轟音と共に骨組みが抜け落ちていく。二人の位置が橋の縁から離れた。ノリスは橋の欄干にロープを巻きつけ、ニーナ達の方へ垂らす。ロープは太く頑丈そうだが、手が届きそうで届かない位置にあった。

 このままでは橋へ辿り着く前に、ミセス・オズワルドか、影憑きの餌食だ。跳躍してロープにつかまるしか、助かる方法はない。観覧車が再び揺れた。手元に捕まる骨組が少しずつ緩んでいく。

 地上で待ち受ける影憑き達が形を作り、巨大な口に変わった。大口を全開させて、落ちてくる獲物を飲み込もうとしている。

 もはや考え悩む暇は残されていない。

「ジャミロ、目を開けて。一緒にジャンプして、ロープに掴んで」

 ニーナは少年の長い前髪をかき上げた。傷だらけの顔をなでる。

 彼女のすぐ足元には老婆が迫りつつあった。観覧車が右に傾いた。小部屋が一つ柱から外れ、地上へ落下する。

「あなたなら、きっとできるわ。わたしもきっとできる」

少年がその眼を薄く開けた。黒く綺麗な瞳がニーナを見た。

「いい?……一、二の三!」

ミセス・オズワルドが手を伸ばして、ニーナの足首を掴む直前、少年少女はほぼ同時に柱を蹴った。

重力が一瞬消え、彼らは空中に舞った。ジャミロ、次にニーナもロープを掴んだ。老婆を巻き込んだまま、観覧車の骨組みは前のめりに倒壊した。 

二人はお互いに支え合った。どちらも黙りこくっていたが、ノリスの助けも借りて、橋の上に立った途端、抑えていた感情が一気にあふれ出る。笑いと涙だった。恐怖と理由の分からないおかしさがくすぐった。

「二人とも、よくやった。見たまえ、塔は目の前にある!」

 橋から山の斜面へ続いた先に広がる別世界に、ニーナは言葉にならない、かすれた声を漏らした。何度も夢にまで見てきたゴール、たどり着けないと諦めていたはずの《ガイコツ帽子の塔》がすぐ目の前にあった。

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