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ダーク・フォレスト  作者: 周防 まひろ
4/11

第四章 禁じられた家




           1

 

 ノリスが何か言った気がしたが、山間から吹き荒れる風に吹き消されてはっきりと聞こえなかった。ニーナは構わず淡々と歩き続けた。

 樹海の中では、熔岩石の影響で磁石が狂ってしまうという噂があるが、俗説に過ぎない。実際は、方位が分からなくなるほど針が動く事はなかった。ノリスからもらった磁石は、今もまっすぐ北を指している。

 しばらく歩いていると、樹海の風景も少しずつ変わってきた。森に入った人間を寄せつけないように、複雑に入り組んでいた木々の根っこや凹凸の岩肌はなりを潜め、平らな地面を踏むのが多くなった。

さらにもう一つ、ある発見をした。地面を走る古い線路の跡を見つけたのだ。確か、ノリスがいた河原にも、同じものがあった気がする。

 ニーナは線路を目印に前進した。線路があるという事は、汽車が走っていて、その先には駅があり、さらに人がいるかもしれない。

相変わらず生き物の気配はしない。ノリスの言う通り、この森に大きな動物はいないのだろうか? それならそれでよかった。危険な獣がいないのなら、黒い影に操られたハンスに遭遇しない限り、命を落とさず《ガイコツ帽子の塔》に行き着くのは難しくない。

 まっすぐ。ただ、まっすぐ行けさえすればいい。寄り道なんてする余裕はもうない。ニーナの足は自然と速まっていく。足の裏が痛むが我慢した。一刻も早く、塔で自分を待つ両親に会いたかった。

七年前、ブライアンのオツカイが失敗に終わってからというもの、ニーナの家族は村から仲間はずれにされていた。いわゆる村八分というやつだ。挨拶をしても無視され、後ろ指を差され続けた。買い物もろくにできず、家は貧しくなった。ダルトン達からのイジメもいっそう激しさを増した。

兄妹そろって塔に着けなければ、どうなるかは明白だった。残された両親は、あの小さな村の中で、肩身の狭い余生を強いられるだろう。それは、自分が死ぬよりも辛い未来に思えた。

 おかしくなったハンスから助けてくれたジャミロも、大冒険家ノリスの優しさも、すべてを心の奥底にしまい込んで、ただ一つの行動――歩く事の一点に神経を集中させた。数時間前に別れて、すでに恋しくなった両親と再会の抱擁を交わすのを思い浮かべながら。

 ノリスが忠告した家に、少女が差しかかるのは間もなくであった。


           2


 木々の並びが途切れた先で、その奇怪な家はあった。

 傘のように垂れ下がった屋根、丸く膨らんだ壁面は、赤と黄色の水玉模様に塗られている。寸胴なキノコをイメージさせる家だ。ニーナは辺りに気を配りながら、雑草が生え放題の家の前まで近づいた。手紙がギュウギュウに詰め込まれたポストが直立し、ポストの表札は《オズワルド》とある。

 ポストのそばには、三両編成の古びたトロッコが止まっている。河原や森にあったのは、トロッコの線路だったのだ。線路は家の広場を横断し、樹海の先へと続いている。

ニーナは窓ガラスの汚れを拭いて、家の中を覗いてみたが、外と同じ真っ暗闇で何も見えなかった。

「ニーナ?」

 後ろから呼ぶ声に、彼女は叫びながら振り返った。ハンスから助けてくれた、あの少年がいた。

「あなたは……ジャミロ」

「ここに来ちゃダメだ!」

 その時、ハンスの笑い声が聞こえた。こちらに近づいて来る。

「ここに隠れよう」

 ジャミロはニーナの手を引くと、家のドアが開けた。家の中に飛び込むと、急いで扉を閉める。

 直後、草を踏む足音と共に、荒い呼吸が広場を通り過ぎる。こっそりと窓から窺うと、銃を持つハンスがちょうど家の方を向いていたので、慌てて顔を引っ込めた。もしも見つかれば、おしまいだ。何も気づかずに行ってしまうように祈った。

 やがて、ハンスの足音は森の中へと消えていった。静けさが戻り、少年少女は同時に安堵の息を漏らす。

 自分達が災難の檻の中にいる事に、彼らはまだ気づいていなかった。


           3


 外と変わらない暗闇の中に目が慣れてくると、家の中の様子が徐々に見えてきた。小ぶりなテーブルと暖炉、さらに奥には、天蓋付きの大きなベッドが鎮座している。どれもクモの巣とホコリにまみれている。なぜか、壁には赤い頭巾が何着も掛けられ、床にはフルーツバスケットが散乱していた。人が住んでいる気配はない。

「どうして、森を出なかったのさ?」ジャミロが低い声で囁く。「ここが危険なのは分かったはずなのに……」

「わたしのパパとママが、わたしが来るのを待っているの」

「ガイコツ帽子の塔で?」

「そうよ」

「あそこへは絶対に行っちゃいけない」

 少年はそれだけ言うと、生傷の目立つ顔を伏せた。息づかいが荒い。薄っすらと汗の玉が浮いている。

 ニーナは何かに気づいた。彼が足を慌てて隠すより先に、ランタンを照らした。膝から血が流れ、石畳の床が赤く染めていた。

「大変! 速く手当しないと」

「あいつから逃げる時、流れ弾をかすったんだ。平気だよ、ただのかすり傷さ」

 平然と答える少年に、ニーナは呆れた。何がかすり傷なものか。

 彼女は、ちょうど良い大きさの器を見つけると、水筒に入った湯茶を注いだ。紙包みから乾燥させたオトギリソウを取り出す。それを粉々にすり潰し、器に入れてかき混ぜた。オトギリソウは外傷に効く薬草だ。資源の乏しい村では、街から仕入れなければ手に入らない高級品である。

 怪我人を実際に手当てするのは初めてだった。ニーナはお湯にひたしたハンカチを、ジャミロの傷口に押し当てた。唇を噛みしめて耐える顔を確認しつつ、マントの切れ端を包帯代わりに巻きつけていく。

「わたしが塔へ行かないと、パパとママは村を追い出されちゃうの」

「でも――」

 ジャミロの言葉を遮るように、ニーナは包帯を力一杯に締めた。彼は顔を一瞬しかめる。応急処置は大丈夫だろう。後は、細菌が傷口に入らないうちに、ちゃんとした医者に診てもらえばいい。

「ありがとう。まるでお医者さんみたいだ」

「ジャミロはどこの村の子? あなたも、オツカイに選ばれたの?」

 少年は首を振った。「僕はこの森に一人で住んでるんだ。だから、ここが危ない場所だってちゃんと分かってる」

「じゃあ、あなたこそ、森の外に出たらいいのに……」

 意地悪な言い方になってしまった気がした。

「出たくても出られない」

「どうして?」

「僕の体は呪われるから」

 ジャミロの体が呪われてる……?

(キイイィィィィンンンッ!)

 けたたましいサイレンが前触れもなく部屋中に響いた。二人は耳を塞ぐ。天井のシャンデリアや置物が振動するぐらいだった。

(人感センサー感知。ミセス・オズワルド、再起動します。バッテリー残り、三十パーセント。活動可能時間十二時間二十一分と0秒。ミセス・オズワルド、ただいま起動します)

 生気のないアナウンスが淡々と解説する。ミセス・オズワルド? 再起動? 聞き慣れない単語を聞きながらも、嫌な予感だけはした。

 部屋の奥にある、天蓋付きベッドで何かが動いた。さっきまで、寝息一つ聞こえなかったはずなのに。住人らしき人物はぎこちない動きで毛布をはねのけて、天蓋のカーテンを払うと、困惑する二人の前に現れた。

 住人の正体は、白髪の老婆だった。しわだらけの顔は人形のように無表情で、瞬きすらしない瞳は生気を感じさせない。

「あの、おばあさん、勝手に家の中に入って、ごめんなさい」

 訳も分からず、ニーナはとりあえず勝手に家に入ったのを謝った。老婆はぎこちない動きで首をめぐらせると、二人を交互に見比べた。

「可愛い赤ずきんちゃんや、こっちへおいでな……」

 ――赤ずきんちゃん……。

 戸惑う二人をよそに、老婆はゆっくりと近づいて来る。後ろに下がると何かにぶつかり、ニーナは驚きの声を上げた。振り返った先には壁があり、そこに人形が立て掛けられていた。赤い頭巾をかぶった女の子だった。

 老婆は二人をすり抜け、赤ずきんの人形に抱き着いた。骨ばった手で、その小さな頭を可愛がるようになでつけて――パキパキパキと音を立てて、老婆の手は赤ずきんの頭を押し潰した。砕け散った歯車やネジに混じり、ガラス細工の眼球が床に落ちて粉々に割れた。

 ニーナは悲鳴さえ忘れていた。代わりにその場でへたり込んだ。

「赤ずきんや、こっちに来ておくれ」

 老婆は頭の消えた人形から、二人の方を向いた。

「ここから逃げよう!」

 ジャミロがテーブルをひっくり返し、老婆の行く手を遮ると、すっかり腰の抜けたニーナを助け起こして家の外に出た。

 家の外に出た途端、目を開けていられない程、強力なスポットライトの光が照りつける。

 途端、ジャミロがうめき声を上げ、顔を隠しながら地面に倒れた。

「どうしたの!」

「逃げて……“影憑き”が戻って来ないうちに」

「影憑き?」

「銃を持った人に憑りついている奴らだ。あいつらに影を乗っ取られたら、体を操られてしまう」

 後ろのドアを老婆が叩いている。その度に木製の扉が歪み、メキメキと板の折れる音が響く。このまま、じっとしているわけにはいかない。

「しっかりして! 早く、一緒に逃げないと」

「僕はもうダメ……光が怖い。ニーナだけでも逃げて。早く……」

 人を見捨てて逃げられるわけがない。ニーナは少年の肩を持った。

 いつの間にか、広場を黒い壁が包囲していた。影憑きに寄生された木々が互いに絡まり、二人の逃げ道をことごとく塞ぐ。仕方なく引き返そうとした直後、家の扉が吹き飛んだ。中から、怪力の老婆が躍り出た。

「よく来てくれたね。バアバは嬉しいよお!」

 ジャミロは足元に落ちていた太い木を拾い上げ、顔を光から隠しながら、まっすぐ老婆に向かっていった。振り下ろされた枝は老婆の頭に当たったが、呆気なく折れた。

 そこにすかさず、老婆の手が伸びた。彼の首を掴むと、小枝のようにか細い腕は、少年の体を軽々と持ち上げてしまう。

「こっちへおいでな、赤ずきん」

 ジャミロは抵抗するが、滅茶苦茶に振る両手は空を切るばかりだった。しだいに顔が青白くなる。このままでは、彼が殺されてしまう。

 ふと、老婆が線路の上にいるのに気がついた。その先に停車する、三両編成のトロッコ。ニーナは老婆をすり抜け、先頭のそれに飛び乗った。操縦席の中で最初に目を止めた、大きなレバーを迷う間もなく一気に下ろした。

「お願いだから、動いて!」

 彼女の想いが通じたのか、トロッコはゆっくりと動き出した。

 ニーナが飛び降りた後、金属の軋みを上げて速度を上げ始めたトロッコは、ミセス・オズワルドに衝突した。衝撃でジャミロは近くの原っぱに落ちた。老婆を押しまま、トロッコは広場を横切って黒い壁を突き破った。

 ニーナはジャミロの元に駆け寄ると、彼を助け起こした。

「さあ、逃げましょう」

 まだ塞がりきらない壁の隙間に向かう二人――その矢先、銃を背負うハンスが裂け目から現れた。二人に向かって、ニヤリと唇を歪める。

「今度は逃がなさねえぞ、子ウサギどもめ!」

 銃口を構えるハンスの背後にある壁を、何かが突き破った。さきほどのトロッコが戻って来たのだ。なぜか、老婆の姿はない。

 トロッコはハンスの真横を過ぎた。通過するタイミングを見計らい、二人は一斉に駆け出して、そこへ飛び乗った。

 また壁を突き破り、二人を乗せたトロッコは暗い森に突入した。


           4


 いったん森を抜けると、見覚えのある河原に出た。

「ここって確か――」

 トロッコは、前方にある大冒険家のテントに突っ込んだ。

「ノリスさんをひいちゃった!」

 テントやその他諸々の荷物と共に寝間着姿のノリスは宙に飛ばされたが、放物線を描きながら、上手い具合にトロッコの中に着地した。さきほどまで熟睡中だったらしく、牛の抱き枕を片手に寝ぼけ眼を二人に向ける。

「やや、ニーナじゃないか。そちらは新しいお仲間かね?」

 初対面のジャミロは、豚の顔をしたノリスに呆然とした。さすがに状況が状況なので、軽い挨拶に留めて悲鳴を上げるのを我慢してくれた。

「ところで、これはどういう事なのか説明してくれないかね。もしかして、我々は今、トロッコに乗っているのか?」

「はい。その……ごめんなさい」

 申し訳ない思いだが、適当な言い訳が思い浮かばない。とりあえず、二人で頭を下げた。関係のない人を、オツカイの騒動に巻き込んでしまった。

 しかし予想に反して、ノリスは次第につぶらな瞳を輝かした。 

「すばらしいじゃないか!」

「え?」

「トロッコや悪漢とのカーチェイスと言えば、冒険の定番だ。私も一度は体験してみたかったシチュレーションだよ。夢が叶って幸先が良い。欲を言えば、丸い大岩が転がって来てくれたら、もっと迫力が出ると思うのだが――」

 足元に衝撃が走り、ノリスは前につんのめった。後ろから、黒い玉が木々をなぎ倒して追いかけてくる。影憑きだ。

 三人を乗せたトロッコは坂道を疾走する。急カーブする度に車輪から火花が散った。レバーを前に倒すと、さらに加速した。

「大変だ! 前を見て」

 前方の先には大木が待ち構えている。このままでは直進してしまい、正面衝突は避けられない。直前で二又に分かれているのが見えた。ニーナは咄嗟にレバーを横に倒そうとしたが、ビクともしない。ジャミロも加勢するが、まだ動かない。ノリスも手伝い、レバーがやっと軋み始めた。分岐点がすぐそこまで迫っている。

「せえの!」と掛け声と共に、彼らは力を入れた。

 ポイントが切り替わり、トロッコは左へ進んだ。

 安心したと思いきや、前方に断崖が待ち構えていた。今度は分岐がない。このままでは奈落へ真っ逆さまだ。ブレーキを掛けるしかない。

 三人は「せえの!」の掛け声でレバーに力を入れる。ポキンと乾いた音がした。力の抜けた手元を見ると、レバーが根元から折れていた。

 呆然とした三人は、同時に絶叫を上げた。

 背後の物音が追い打ちをかけた。後ろを振り返ると、なんと、あの老婆が最後尾のトロッコにしがみ付いているではないか。

「元気なご老体だ。君らの御婆様かい?」

「違います!」

 トロッコが断崖を越えるまで、もはや時間がない。

「こうなったら飛び降りるぞ、二人とも!」

 ノリスは飛び降り、続いてニーナ、ジャミロが続いた。地面に何回か叩きつけられ、何度も転がった末に断崖ギリギリのところで止まった。

 トロッコはミセス・オズワルドを乗せたまま、千尋の谷へと消えた。


           5


 森をかき分け、あの黒い玉が三人の前に転がり出た。黒い玉は二つに割れ、そこから影憑きに操られたハンスが顔を出した。

「なんだね、あいつは?」

「わたしの“見送り役”のハンスです」

「見送り役?」とノリスが聞き返した。

「影に憑りつかれて、まるで、気違いみたいになってしまって……」

「さっきから聞こえていた銃声は、あいつの仕業だったのか」

 黒い影をまとったままのハンスは、標的が一人増えた事に歓喜を上げる。

「おや? ブタが一匹増えたか。家に待つカカアとガキが喜ぶぞ」

 銃口がニーナとジャミロに向いたが、ノリスが盾になって阻んだ。

「子供に銃を向けるとは、それでも大人の男か! 私の命に代えても手出しはさせん!」

 ハンスは狂ったように歓喜の声を上げた。

「こりゃあ、たまげた! 喋るブタなら不味くて喰えねえな」

 銃口の標準が、ニーナとジャミロからノリスへと変わる。

「やめて!」

 ニーナが叫んだ時、ジャミロはハンスに向けて、力一杯に石を投げた。

 その直後、銃口から火花が放たれた。

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