Ep.1-01 目覚め
死んだ躰が命を吹き込まれ体温を持つ。
記憶には蓋をした。来るべき時が来て、真実を知った時にはきっと全てを取り戻すだろう。躰には剣術と魔術を残しておけば、この優しくない世界でも生きられるはずだ。魔術が変質したのは、暗闇が命を吹き込んだから仕方ない。
死んだ耳が音を取り戻し風の声を聞く。
この暗闇から出たコレが、カルチェ=ルクシアのどこに現れるのかはわからない。魔物の巣窟には手先が沢山いるので、文字通り手の届かない所にコレを飛ばすのが精一杯だからだ。ちょっとした贈り物として、服と鎧、剣を持たせた。剣も鎧も、表舞台に出すには目立ちすぎるので劣性贋作だ。
死んだ目が光をまた宿し目覚めを待つ。
暗闇ができることはもうなかった。微睡みの中で見守ることはできても、カルチェ=ルクシアに干渉することはできない。だからあとは、送り出した彼の旅路がより良いものであることを祈るだけだった。
(……さあ、見てくるがいい。春の緑を、夏の青を、秋の赤を、冬の白を)
微かに温みを持った、泥寧に似た闇に微睡む。夢の中で、彼の辿り着く先を共に見よう。微睡みの中の景色は、白に染まっていた。
◇◇◇
パチパチと火がはぜる音と温もりを感じる。雪を孕んだ冷たい風が瞼をくすぐった。
少年が目を覚ます。まず彼の瞳が映したのは、少女の赤い瞳だった。
「あっ……師匠、彼、起きました」
年の頃は15、6くらいだろうか。少女は黒い髪を長く伸ばしていて、片方の目を隠すような髪型をしていた。大きい瞳は紅玉や炎のような明るい赤色を湛えていて、雰囲気と相まって兎のような小動物じみた印象を与えている。服は簡素な青い木綿のワンピースに、革の胸当てと脛当て。腕には細い金属の腕輪をはめていて、獣の皮から作った外套を着ていた。
「あら、気がついたのね。自分の名前は言える? どうして雪原の中に倒れていたの?」
少女に師匠と呼ばれ少年に話しかけたのは、見る者に冷たい印象を与えるこれまた少女だった。色の薄い白金の髪と薄氷色の瞳、白磁の肌。まるで人形師が丹精込めて作った人形のような、作り物めいた冷たい美しさを持っていた。緑のワンピースは袖口が大きく刺繍もされていて、裾や襟にも同じ刺繍のある高価そうなものだった。胸当てと脛当てを彼女もしているが、銀でできていたそれもまた高価なものだろう。彼女もまた、細い金属を編んだ腕輪を2つしていた。
「俺の名前、は……ヘル。ここは、一体……?」
「私はフェリアンナ・ウィルヘイミア。今スープをよそっているのがアリア・ヘイルズ」
ヘルはそこで、少女の耳が何やら尖っていることに気づいた。スープを持ってきてくれたアリアの耳は、尖っていない。
「耳。…、尖って、る……?」
「妖精族を知らないの? あなたは人間族みたいだけど、話に聞いたことくらいはあるんじゃない?」
妖精族、人間族、と言われても、ヘルには意味がわからなかった。……それどころか、自分が何故こんな雪の中にいるのか、そもそもどこに住んでいたのか、それすらも思い出せない。
「あの、ウィルヘイミアさん」
「フェリでいいわ」
「じゃあ、フェリさん」
ヘルの顔は青ざめていた。困惑を浮かべた黒い瞳で、彼は気まずそうに言葉を紡いだ。
「俺……なんか、名前以外に何も思い出せないんです」