すごいよ実況者
まず前作「がんばれ実況者」「負けるな実況者」をお読みいただくと、本作をよりお楽しみいただけるのではないかと思います。
「あ……おはようございます。もう大丈夫なんですか?」
朝、ゴミを捨てに表に出ると、ちょうど隣に住む彼女も部屋から出てきた。彼女はまだ少しくたびれたような顔をしていたけど、血色はかなり良くなったようだ。
もう大丈夫だ。ほどなく彼女は動画の投稿を再開するに違いない。
彼女の下手くそなゲーム実況動画、僕はなぜかその新作を楽しみにしていた。それに気付いた僕は、自分自身がおかしくて苦笑してしまう。
~~
「あ……あの……」
恥ずかしい。彼と顔を合わせられない。せっかく親切な言葉をかけてくれたのに、面と向かってお礼も言えず、顔を真っ赤にしてうつむきながら通り過ぎる事しかできなかった。
だって、彼は私の秘密を全部知っているんだもの。会社の同僚も、家族も知らない、もう一人の私の事を。
十七歳、女子高生ゲーム実況者。それが私の演じたもう一人の私だった。普段はこんなに内気で不器用な私が、ゲームの画面に向かうと突然人が変わったように明るくなる。それはまるで、かけられていた悪い魔法が解けて自分がゲームのヒロインになったかのような錯覚を覚える瞬間だ。
最初は一人でつぶやきながらゲームをしているだけだった。けれど、動画サイトを見ているうちに、自分も名うての実況者たちのようにちやほやされたい、いいえ、私にもできる、そんな根拠のない自信がどんどん膨らんで、いつからか自分で動画を投稿するようになった。
びくびくしながらコメントを待った初投稿時の私。誰かが一言コメントをくれた時は、うれしくって部屋中を跳ねまわったっけ。
……だけど、それももう終わり。私の動画なんて誰も待ち望んではいなかった、という事をこの前知ってしまったから。
私はもう、動画は作らない。前のように、つまらない日々を直視して生きていこう。
……はぁ……つまらないのは、周りじゃなくて、私なんだろうな。
~~
更新ボタンを押す。もう一回。
やっぱり、まだ投稿は止まっている。彼女が投稿した最新動画の紹介文に記された「次回は未定」の文字。いつまでたっても未定のままだ。
「おっかしいなあ、病気だってもうとっくに治ってるはずなのに」
僕はこちらと隣の部屋を隔てる薄い壁を見つめた。ちょっとだけ耳を澄ましてみても、何も聞こえない。最近は動画を収録している様子もない。僕は再び不安になった。
「まさか、飽きちゃったんじゃないだろうな」
彼女がより質の高い動画を作れるようになるためコメントでアドバイスしようと新作投稿を待っているのに、彼女は病気で寝込んで以来一本も動画を投稿していない。
腹を立てるのも変な話だが、こちらが乗り気なのに突然止められたら、何だか少し失望してしまう。
「……まあ、いいや。これでまた隣も静かになるだろう。あー、せいせいした」
僕は床に大の字に寝転んで、天井を見つめた。
「……くそっ……」
~~
「……あ……」
私が静かに彼の部屋の前を通り過ぎようとしたら、彼が突然部屋の扉を開けた。
「……ひっ……」
隣に男の人が住んでいるって知った時、怖くてたまらなかったっけ。彼は気さくで人当たりのいい男性だって分かったけれど、今でもこうして不意打ちで出くわすと少し怖い。
「おはようございます」
彼はこわばった表情で私を見ながら言った。何だろう……怖い……。
~~
僕は決心していたのだ。続きの動画を上げてもらうように直接お願いしようと。
気になる。気になってしょうがないのだ。もうアドバイス云々の問題じゃない。彼女ががんばっている姿を見られない事が、僕には寂しかったのだ。彼女の動画には同情心程度で励ましのコメントをしていた僕だが、それはいつしか僕の中で心の底からのエールに変わっていたらしい。
「あの……お元気そうですね」
動画の件についてどう切り出していいか全く見当がつかなかった。僕が彼女の動画を観ている事を彼女が知っているのかどうかがわからない。もし知っていれば話は早いけど、恐らく知らない確率の方が高いだろう。こんなにおどおどしている彼女が僕の前で女子高生を演じ続けられるはずがない。
「ええと……ですね、ああそうだ、お料理とか、また作ってくれたらなあ、とか……」
~~
「……えっ……」
思わず顔が赤くなった。昔ドラマで観たプロポーズの言葉みたいで、私は自分の心臓がどきどきと激しく脈打つのを感じた。だけど、すぐにもう一人の私がブレーキをかける。
当然だ。彼は私がたまにおすそ分けする料理の事を言っているだけなのだ。彼が関心を持っているのはお料理。私じゃない。
「あ、はい……また……お持ちします……」
~~
いやいや、そうじゃない。頼むのは料理じゃなくて動画だろう。でも、どうやって……。
女子高生になるの、やめたんですか? なんて言えるわけがない。ここに来て彼女の年齢詐称がこれほどまでに僕を苦しめる事になるとは夢にも思わなかった。
そう、彼女はただの実況者じゃない。十七歳女子高生実況者なのだ。彼女の動画を待ち望むという事は、すなわち女子高生の彼女の登場を待ち望んでいるという事だ。これを直接本人に伝えるのは並大抵の事じゃない。ああっ! 考えれば考えるほど分からなくなる!
「ええと、ゲームの、その……」
~~
「……うう」
恥ずかしくてその場を走り去りたい衝動に駆られ、必死になってそれを押さえつける。頭に血が上って目がくらくらする。彼は私の下手な演技を知っている。そして、今まさにそれを私に指摘しようとしているのだ。彼は笑っているんだ。いえ、軽蔑しているだろうか。
ああっ……死にたい……消えてしまいたい……。
~~
「ゲームの、その……この前届いたゲーム……どうでした?」
「えっ? この前の? ああ……」
「やっぱり買ったからにはやらないとね、もったいないっていうか……」
「あの……本体、持っていないので……」
「ああ! そうでしたそうでした! はは、バカだなあ俺」
「………………」
「いや、僕、実はこの前ゲーム機買ってたんですよ、偶然」
「……あ、そうですか……」
「だから、お貸ししてもいいかなって。どうです?」
「……ええと、いえ、お気持ちだけ……」
「ああ、やっぱり興味なくなりました? ゲームなんて」
「えっ?」
「ゲームなんて、しょせんゲームですもんねえ!」
「………………」
「途中で終わっても別にいいですよねえ!」
「……あの」
「でも、投げ出すのってよくないですよねえ!」
「………………」
「そういう中途半端なのって、一番嫌われますよね!」
「……失礼します」
「ゲーム機借りたくなったら言って下さいねえ!」
~~
「やっちまった……」
僕は頭を抱えた。
彼女は泣いていた。ああ、もうこれは決定的だ。彼女はもうゲーム実況動画を投稿しないだろう。いや、動画などどうでもいい。彼女の心を深く傷つけた自分の言動を思い出し、己の軽率さを深く恥じた。
「謝ろう……彼女に……」
~~
彼は私を責めた。偽りなど続かないことを指摘された私は、図星を突かれてその場を逃げ出す事しかできなかった。
彼の言う通りなのだ。こんな中途半端に止めるようなら、最初からやるべきではなかったのだ。動画の中でついたたくさんの嘘を思い出し、私は己の軽率さを深く恥じた。
「もう……彼に会わす顔がない……」
~~
彼は仕事を早退し家に帰りつくと、自分の部屋の前で彼女が帰宅するのを待った。ちょうど日が暮れかかるころ階段を上ってくる彼女に気付いた彼は、急いで彼女に駆け寄り誠心誠意謝ったが、彼女は何も答えずうつむき加減でそそくさと自分の部屋へ入って行った。
完全に嫌われた、彼はそう感じてひどくショックを受けている自分に気付いたのだった。
彼女はひどく困惑していた。自分を嘲笑しているに違いないと思っていた彼からの予想外の謝罪に対し、無言を通す事しかできなかった。
彼女が部屋の中に入った後も、彼はしばらく表で立ち尽くしていた。そんな彼の人影を見た彼女は、彼の意図する所がわからずただうろたえるばかりであった。
そうして日も落ち、彼と彼女はお互いの部屋を隔てる薄壁を挟んで向き合った。
~~
「ええと、独り言ですけど。ゲームの動画を観るのは好きです。最近ずっと見続けている実況者の動画があって、その人、最近更新が止まって……」
「………………」
「……とても、寂しいです」
「……おかしいです。嘘ばっかりの、上手でもない実況者の動画を待つなんて」
「独り言ですけど。でも、待ってる人がいます。全然おかしくないです」
「……ほんのはずみで……たくさん見て欲しくて……嘘ついてしまったんです」
「嘘など存在しないと思います。動画の中では投稿者が全能だから」
「下手くそでしょ……私……バカにされてるのも気付かずに、浮かれちゃって」
「………………」
「間の抜けた実況者だって、思ったでしょ」
「……ほんの少しだけ思いました、しかし! 一生懸命さは伝わります!」
「………………」
「その実況者が引退するつもりなら僕はそれでいいと思います。ですが、今やっているゲームだけは完結してほしいと思っています」
「……なぜですか」
「今のゲームは、最初からずっと応援し続けてきたからです。そのためにゲーム機もソフトも買いました。一緒にプレーしてきたんです」
「……うっ」
「一緒にクリアしたいと思っています」
「………………」
「あのう」
「……一週間、その実況者は一週間後に新しい動画を投稿すると思います。お待ちいただけますか?」
「そうですか! 楽しみに待っています」
「ありがとうございます……」
「ええと、独り言です」
「はい……」
~~
彼と彼女は一週間顔を合わせなかった。それでも彼は、彼女が壁の向こうで言った事を信じ、指折り数えて動画が投稿される日を待った。
そして一週間後。一本の実況プレイ動画が投稿される。彼は期待に胸を膨らませながら動画を再生させた。
すると。
「皆さん。最初に謝らなければならない事があります。私はたくさんの嘘をつきました。実は、私は女子高生ではありません。皆さんがコメントされるように、本当はBBAそのものです。私は、ビューティフル・バトル・エンジェルだと思って、浮かれていたんですけれどね」
「何だよこれ……」
「お詫びとして、このゲームを終えたら、実況は引退したいと思います。ですが、残りの動画、全力を尽くして頑張りたいと思います。こんなつまらない動画でも待っていてくれる人がいるのは、本当に幸せな事です。では始めたいと思います」
そうして始まった彼女のプレイを見て、彼は驚愕した。
「う……うまい」
彼女は一週間特訓を重ね、どの他実況者よりも華麗なプレイで視聴者を魅了できるまでに成長していた。彼はすっかり彼女の超絶プレイのとりこになり、コメントを書き忘れて動画をもう一度始めから再生させなければならない程に見入ってしまっていた。同じゲームをプレイしてきた彼には、彼女の努力がいかに凄まじいものであったかがはっきりと分かる。
彼女の投稿した新しい動画は、彼女の謙虚さに加え、女子高生時代の動画とのギャップも相まって話題を呼び、投稿当日のうちに十万再生を超えた。
もちろん彼女の動画では断トツ新記録の再生数である。
彼は打ち震える感動を覚えながら、何度もコメントを書いた。
「ずっと応援してた、応援してて本当によかった」
~~
数日後、BBAという言葉にもう一つの意味が加わった。新しい方は、彼女のみに与えられた称号である。
BBA(天使)。
古い意味とはカッコ付けで区別される。彼女はその称号を得て、惜しまれつつゲーム実況を引退した。
~~
「いいえ、惜しんでくれたのはあなただけ」
彼女は僕の隣で笑いながら言った。
「そうかなあ。すっごいうまい女性実況者って、話題になってたけど」
彼女の作ってくれた料理を食べ終え、テレビの前に座る。僕は今自分の部屋で、彼女がやっていたゲームをプレイ中なのだ。とても難しいゲームで、全然進まない。
「上手な人はこれからもどんどん出てくるもの……あ、違うわ。そこはね、ちょっとコツがいるのよ」
彼女がゲームの攻略法を逐一僕にアドバイスしてくれる。何だか立場が逆になってしまった気がするけど、悪い気はしない。
「さすがだね、『BBA』」
尊敬の意を込めて彼女にそう言うと。
「それ止めてください!」
彼女が真っ赤になって怒った。
「じゃあ、『永遠の十七歳』の方がいい?」
そう訊くと。
「そっちはもっと嫌です!」
今度は真っ赤になって恥ずかしがった。
というわけでハッピーエンド、自分的には