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女の国 -The Matriarchate-  作者: 三浦 蝶形骨
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第一幕:聖母の国-2

聖母学園の制服は、白地に藤色の襟がついた、無垢さと品位を象徴する仕立てだった。

七月の陽差しが、その柔らかな布地の上にくっきりと影を落とし、イリの腕に淡く汗の膜をつくっていた。


校庭に並んだ整列の列。今日は社会科見学の日だ。行き先は「母の胎内」――この国に住む誰もが一度は訪れる場所であり、国母、榊サヨの裁判が行われた、国家の聖域。


引率のヤナギ先生の声がスピーカーから流れる。


「歩行隊列は二列で。語らず、整えて。無駄口は『混乱の種』です。」


言葉に重さはない。けれど、皆は従った。


イリは、列の中央にいた。暑さと無音に閉じ込められるような行進。隣を歩くアカリが、無言でハンディファンを差し出してくれる。イリは礼も言わず、少し頷いてそれを受け取った。


やがてバスに乗り込むと、空調の冷気がほっとするほど冷たい。

「本日は特別授業です。“母の胎内”への見学に際し、皆さんは襟を正し、心を澄ませること。過去の混沌を知り、現在の秩序に感謝をしましょう。」ヤナギ先生が皆に向け、車内で静かに言った。


動き出したバスの中では、ヤナギ先生より一通りの注意事項の説明があった後、これから行く"母の胎内"についての紹介ビデオが流されていた。

“母の胎内”──それは、旧中央裁判庁跡に建てられた巨大な記録保存施設であり、同時に宗教的な意味も帯びている。サヨ裁判をはじめとした「革命の記憶」が展示されているのだ。正式名称は"聖母革命記念館"であるが、通称"母の胎内"と呼ばれるようになったのは、国家を産み出した“母なる思想”が完成し、それを象徴する場だからである。コンクリートの外壁にはツタひとつ絡まず、白く荘厳な立方体が上映されている。


バスで走ること1時間ほどで、聖母革命記念館へと到着する。

入り口の金属製の扉が無音で開き、少女たちは、胎内へと呑み込まれていった。


バスを降り館内へと入ると、中はひんやりとしていた。

外の光は遮断され、青白い照明が床下から照らしている。

広いエントランスには大型の映像パネルがずらりと並び、スピーカーがガイド音声を流している。

『……女の声だけが、革命を可能にした……』

『……男たちは最後まで嘲り、否定し、そして滅んだ……』


記念館の天井は高く、白く、よく磨かれた床が少女たちの靴音をよく響かせた。展示室の入り口には、黒曜石のような艶を持つ石碑がそびえ、その中央にサヨの金属製のレリーフが埋め込まれている。

正面には、荘厳な文字が浮かぶ。


『私たちは、生まれ変わった。母なる革命の子として。──榊サヨ 最期の演説より』


案内役のガイドが淡々と解説する。


「ここは“聖母サヨ”がいかにして〈男による支配の時代〉を終焉させ、母なる国の礎を築いたかを学ぶ区画です。」


展示は時系列で構成されていた。最初は、サヨが家庭内暴力を受けていた少女時代の再現ジオラマ。次に、彼女が地下組織で活動していた頃の密談シーンを描いたホログラム映像。

場面が進むにつれ、サヨの表情はより厳しく、神秘的になっていく。


壁には、名言が大きく刻まれていた。


「女の子よ、怒れ。あなたの涙を誰も見ていないのなら、それは武器だ。」

「国家は母でなければならない。父である国家は、つねに暴力に傾く。」

「礼節こそが女の矜持。」


イリは、その言葉に既視感を覚えていた。

学校で何度も暗唱させられた、倫理の授業の一節だ。


記念館の第3展示室「再教育と粛清」の途中で、イリはふと腹部に鈍い痛みを覚えた。緊張が緩んだのか、冷房の冷えが原因か──どちらにせよ、トイレに行きたい。


「先生、すみません、トイレに...。」

「うん、案内係さんに聞いてね。すぐ戻るのよ」


展示室の奥まった通路を出ると、薄くセンサー音が響く。記念館のスタッフの案内で、白く清潔な通路を歩く。壁には監視カメラとサヨ様の肖像が飾られていた。


トイレに到着する。個室には便器の他に、壁際に整然と並べられたトイレットペーパーとナプキンのストックがある。便座は体温に反応して温かくなるタイプだ。


用を足しながら、イリはふと昔の授業を思い出す。


(そういえば、かつて“女子トイレが混んでいた時代”があったってアカリが言ってたっけ。)


歴史オタクのアカリはよく、男性時代の話もしていた。授業で見せられた映像の一部部分を、アカリが解説してくれた。休憩の時間になるたびに、女子トイレの前には長蛇の列。せっかくの休憩時間が無駄になるほどの混雑。男子トイレはすぐ入れるのに、女子は10分以上並ぶのが当たり前だったという。学校だけでなく、ありとあらゆる施設でそういった状況だったというのだから驚きだ。


(本当に?男子の方が少なかったのかな...。いや、そもそも“共学”で同じくらいの数だったんだっけ?)


思い返してみても、何がそんなに非効率だったのか、よくわからない。ただ、アカリの言っていた「旧時代は女性にとって不便で不当な構造が山ほどあった。」という言葉だけは耳に残っている。


(でもそれって、工事すればよくない?わざとだったのかな。誰かが不便にしてた?)


イリは少し首をかしげたが、手を洗い、静かにトイレを出る。


再び展示室へ向かう途中、壁に貼られたポスターが目に入った。


「不便は支配の第一歩。快適は革命の成果。」


なるほど、とイリは思う。今は快適だ。だからこそ、私たちは正しくある。女たちの手でこの快適が築かれた。そう信じるに足る歴史を歩んできたのだ。

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