第二話
ちょっと短いです
混乱する僕は、「え」だの「あ」だの意味のある言葉を吐く出すことが出来ずにいた。
「お、落ち着て、ね?傷は治したけれど、まだ動くと傷が開いちゃうかもなの…。まだ、熱も下がってないみたいだし…。」
女性もおどおどとして涙目になっているため、落ち着いて言うことを聞きたいが熱もあってか混乱しすぎてまともに考えがまとまらない。どうやら危害を加えてくるわけではなさそうだが、蜘蛛の下半身はちょっと怖い。
お互いが混乱してあわあわとしているとまた引き戸の扉が開く。
「おお!起きたか!恩人殿!」
今度はいったい誰だ。もうキャパオーバーでまた倒れてしまいそうだが、そんな僕の心情は誰も汲んでくれないのかどんどんと一つでも許容量オーバーの情報がやってくる。
女の人の後ろからやってきたのは、美しい銀髪を高いところで結った紺碧の瞳の青年でその姿はどこか既視感を覚える容姿だった。
「あ、もしかしてあの捕まっていた少年の…。」
「ああ!竹丸の恩人殿!此度は俺の一族の者が世話になった。俺の名前は吽矢だ。で、こちらで泣きそうになっているのは、この学園で保険医をされている陽菜先生だ。」
「あ、は、はい!陽菜です…。ごめんなさいぃ。」
「……えっと、茅野息吹です。」
溌溂とした吽矢と名乗った青年は、混乱するしかなかった状況をゆっくりと説明してくれた。まず、僕が助けた竹丸という少年は、無事に吽矢さんと彼の兄である阿門さんという人が救い出し今は里で療養中であるということ。また後日お礼が言いたいと抜け出そうとしたのを怒られているそうだ。次になぜ僕がここにいるかについては、これも療養のためであるらしい。僕はあの男にボコボコにされて瀕死の状態であったらしい。そんな僕を助け、ここまで運んで切れたのがこれまた吽矢さんと阿門さん。そしてどうやら特別な薬を使って本来なら死んでいたであろう僕を助けてくれたのが、そこで未だに涙目で自分の自己紹介すらまともにできなかったことに震えている陽菜先生だそうだ。この先生、頼りなさそうだけどもしかしなくても凄い先生なんじゃないか。あんなに頼りなさそうなのに。
そして、最後にもたらされた情報は、もうすでにいろいろ限界だった僕には抱えきれないほどのものだった。
「そして、ここは妖怪学園だ。ここには妖怪の血が入った13歳から16歳までの奴が通っている。俺もここの学生だ。純血の妖怪もいれば、半妖の者もいる。先祖返りもいたはずだ。」
そして吽矢さんは、さらに混乱するようなとんでもないことを言ってきた。
「お前はなんの妖怪の血が入っているんだ?」
「へ?妖怪…、ですか?」
「ああ、この学園は妖怪の血を持つ者と学園長が発行した特別な許可証を直接受け取った者しか入ることはできない。だから、お前にも妖怪の血が確かに入っているはずだ。…。妖力も感じるし間違いないと思うが、もしかして自覚していなかったのか?」
妖怪、溶解、熔解?…。妖怪?
まるで予想していなかったことに脳の処理が追い付かない。確かに思い当たる節しかなかった。風の声を聴き、草や木の声も聴くことが出来る力はおかしな力で妖怪のようだとからかわれたこともある。でも、まさか本当に妖怪の力だったなんてすぐには受け入れがたかった。
急に全く動かなくなった僕を心配したのか吽矢さんが大丈夫かと肩をなでる。なんだか喉の奥がしまり、泣きたくなる。その様子を一つとして間違えることなく理解したのか、吽矢さんは疲れただろうと僕を布団に横たわらせる。そして陽菜先生から受け取った桶の水で冷やした手ぬぐいを僕の額に置くと、ゆっくり休むようにと言い含めて先生と二人で部屋を出ていった。
「いったい、どうしたらいいんだろう…。」
妖怪とか学園とかいろいろ言われたが、まず大前提として僕はこの時代?世界?の住人ではない。このことはたぶん吽矢さんも知らないのだろう。死ななくてよかった。心からそう思う。殴られた痛みやあの熱さを思い出すと体が震えるが、竹丸なる少年を助けられたことは誇りにも思う。でも、でもやっぱりいろいろなことが起きすぎて、心が重たくなっていく。
自覚できるほどに自分が熱をもっている。自分がいま、熱で辛いんだと認識した途端に身体が重たくて目の端から涙が溢れてくる。その涙が耳の穴に入って気持ち悪いと感じるが、手を動かすことすら億劫でそのまま目を閉じた。
死んでしまいそうだったのに、その恐怖が遠く感じる。現実味が全くなくて、他人の人生を覗き込んているような心地だ。
寝て、目を覚ましたらすべてが解決していてほしい。忘れている友人たちについて思い出したい。あの小さな田舎に帰りたい。
もう、何も考えたくなくて、だるさからくる眠気に抗わず僕は意識を手放した。
息吹の眠る保健室の引き戸が少し開く。その隙間からは二人の子供が顔をのぞかせる。
眼を隠すほどの長い黒髪が特徴の少年と灰色の髪と瞳を持った背の高い少年は、布団で眠る息吹の顔を見るとぱっと表情を輝かせる。
「いたね、石蔵君。阿門先輩が言っていた僕たちと同じ年の新しい子。」
「ね、藤太郎。吽矢先輩は新入生とは言っていなかったけれど、あの子も妖怪の血が入っているんだよね。…仲間になってくれたら、うれしいよねぇ。」
「そうだね。でも…。」
「どうしたの?何か見ちゃった?」
「……ううん、なんでもない!あ、授業始まる!教室に帰ろっか!」
音をたてないように扉を閉める。子供たちは袖に草の葉や蔦の繊細な刺繍の施された若草色の羽織を揺らし、保健室を後にする。パタパタと廊下を走るさまはただの人間と違いは見られない。
先ほどの若干の気まずさはもう感じられず、二人は次の授業の内容はなんだっけと楽しそうに話している。羽織と合わせたオリーブ色の袴と相まって、まるで春の柔らかくなってきた植物のつぼみを思い起こさせた。
その姿はこの学園の温かさを表したようであった。
場所は変わり、吽矢は膝をつき頭を垂れていた。
凛とした空気の中、袴の擦れる音だけは響いた。常盤色の生地に刺繍された金色の穂草模様が陽の光に照らされる。表をあげなさいという言葉に吽矢は下げていた頭をあげ、目の前にいる学園長を力強い瞳で見つめた。
「―報告いたします。阿門によれば、天狗の里は人間への宣戦布告を取り下げ、一層の防壁を作ることに力を入れるそうです。また、里の子供を攫うように指示を出した人間も処理が完了しています。その人間の土地の主には警告を済ませてあります。」
「うむ、ご苦労だった。人間への警告はこちらの方でも手を回しておこう。しかし、今回は紙一重だった。あの息吹という少年がいなければ、妖怪と人間との戦争は免れなかっただろう。」
空いたままの窓から風が入り込む。風が来た方に学園長が視線を向けると、それを追うように吽矢も視線を動かす。その先には葉を一枚加えた雀がピピッと小さく鳴いていた。その様子にくすりと学園長が微笑むのを吽矢は首を傾げながら様子をうかがう。
「さあ、此度の風は学園にどんな変化をもたらすのやら。楽しみだ。」
吽矢
美しい白髪を束ねた紺碧の瞳の妖怪学園3年生の先輩。
風を操る天狗の一族の青年で、兄である阿門のことを尊敬している。息吹のことは、恩人として一目を置いており一緒に学ぶことが出来ればいいと思っている。単純だと思われることが多いが、この作品において一番考えすぎてしまう難儀な性格の持ち主である。
陽菜先生
艶やかな黒い髪を簪でまとめた、紫紺の瞳を持つ美しい女性。下半身は蜘蛛の姿であり、歩く姿は不気味な印象を受けるが、オドオドとしてどもってしまう様子や顔を直に赤らめてしまう様は大変可愛らしい。学園長先生のことを大変慕っている。