エピローグ
内田の家から帰る途中、少年は何者かに後をつけられている事に気がついていた。
日は既に落ち、辺りはすっかり暗くなっている。
少年は、近くに有る人気の無い児童公園に移動した。
少年は、辺りを見渡す。腐りかけたシーソーに、錆び付いて動きそうにも無いブランコ、濁った水溜りが出来ている砂場と、その公園はおよそ子供たちが遊ぶ場所とは思えない程に荒れていた。
朽ち果てた木のベンチまで移動し、少年は腰を降ろす。下半身から、ひんやりとした冷たさが伝わってくる。
その時、突然ギィギィと音を立て無人のブランコが動き始めた。続いて、誰も乗っていないはずのシーソーが、ゆっくりと上下に傾く。
少年はハァと深い溜息をついた。
「イタズラはやめて、出てきて下さいよ。ここなら誰にも見られる事もありませんから」
少年の声が公園内に響き渡る。ややあって、何の前触れも無く少年の目の前に人影が姿を現した。
「久しぶりだね」
少年とさほど年の変わらないように見えるその男は、屈託の無い無邪気な笑みを見せた。
「そろそろ来る頃だと思っていましたよ、先輩。いや、ナイトストーカーさん」
「ナイトストーカー?」
男は、首をかしげる。
「ええ、ネットの住人達がつけたあだ名で、夜の徘徊者と言う意味だそうです。闇に潜み、犯罪者達の魂を刈り取るあなたに相応しい名前だと思いますけどね」
少年がそう言うと、男は満面の笑みを見せた。
「ナイトストーカーか! それはいいね、響きがなんだか格好良いよ!」
男はその名前がよほど気に入ったのか、何度もその名を反芻し嬉しそうに小躍りをしている。少年は何も言わず、ただ黙って男を見つめていた。
突然、男はピタリと動くのをやめた。そして、キリキリと首だけを動かして少年に向き直り、目を大きく見開いた。その目には光が無く、腐ったドブのように濁っていた。
「君に貸してあげたその目も、そろそろ回収時かなと思ってね」
男は、少年の目を指差す。
「普通の人間なら、とっくにその目の狂気に犯されるハズなんだけど、君はなかなかの精神力を持っているね。まさか、本当に一年もの間耐えられるとは思ってもいなかったよ」
ケラケラと狂ったように男は腹を抱えて笑う。
少年も、自嘲気味に笑った。
「懐かしいね、つい昨日の事のように思えるよ。彼女が病院から突き落とされて死んだあの日から明日でちょうど一年。そして、その日は僕と君が出会った記念日でもある」
男は、お互いの唇が触れそうなぐらい顔を少年に近づける。
「覚えているかい? 彼女の死体を抱きしめながら、君が僕に言った言葉を」
腐った魚のような濁った眼球で、男は少年を凝視している。
「彼女を助けてくれるなら、君は何でもすると言っていた。文字通り、悪魔にでも魂を売ると。その熱意に動かされた僕は、君と契約をしたんだ。覚えているかい?」
少年は頷く。
「あなたは言った。一年の間、多くの人間の死に触れ、魂を集めろと。それも、極上の邪悪な魂を。そうすれば、彼女の魂を呼び戻してやると……」
「そうだ、その為の力は君に与えた。どうやら、僕の言いつけをちゃんと守っていたみたいだね。相当な数の魂が、その目に集まっているじゃないか」
人間とは思えないような長い舌で、男はペロリと舌なめずりをした。
「僕は約束は守る。君が集めてくれたその魂さえ渡してくれれば、明日にでも彼女は目を覚ますはずさ。でもね……」
そこまで言った所で、男は急に表情を曇らせた。
「一つだけ残念なお知らせがあるんだ」
男の口が、まるで腹話術の人形のようにパカッと開いた。
「その目なんだけど、どうやら君に馴染みすぎちゃったみたいなんだよね」
男の顔に亀裂が入り、まるで開花していく花のようにその顔が開いていく。その開いた先には、真っ赤に脈打つ不気味な赤ん坊のような顔があった。
「悪いけど、君ごと回収させてもらう事にしたから」
地の底から響くような声で、赤ん坊がそう言った瞬間、男の顔が少年の上半身をバクリと包み込んだ。少年の体が、少しずつ男の体に飲み込まれていく。
男の顔の中で、少年は冷たい眼差しで中にある赤ん坊の顔を見つめた。
「あなたは、最初から約束を守る気なんて無かった。犯罪者達にタリスマンを配り歩き、僕にけしかけ、僕の魂を汚そうとしていたんだ」
「流石だね、何もかもお見通しって訳だ」
赤ん坊の顔が、嬉しそうにくしゃっと潰れた。
「知ってるかい? 魂は汚れれば汚れる程、極上の味がするんだ。特に、復讐に狂った人間の魂が一番簡単に汚れてくれる。ちょっと僕が、復讐に力を貸してあげるだけでいいんだから楽なもんだよ。いやぁ、奴らの魂は皆とろけるような味がしたなぁ」
赤ん坊は、ベロリと舌舐めずりをした。
「だけどね、僕が一番食べたいのは君の魂さ。現実と狂気の狭間で、苦しみながら耐えた君の魂は、相当熟成されているに違いない。想像するだけで、よだれが出てきちゃうよ」
「……彼女はどうなる?」
「彼女? ああ、内田さんの事ね。大丈夫、彼女の魂ならとっくに自分の体に戻っているよ。彼女の魂はね、自分一人が生き残ってしまった事が後ろめたくて戻らなかっただけだから」
「そうか……、それを聞いて安心したよ」
少年は、フゥと安堵の溜息をついた。
「そう言えば、僕からも残念なお知らせがある」
「なんだい? 最後に聞いてあげるよ」
「悪いけど、あなたに食べられる訳にはいかない」
そう言って、少年は袖に隠し持っていたナイフを赤ん坊の頭に突き刺した。それは、辻が持っていたナイフ、クリス・ナイフだった。
◆◇◆◇◆◇
夢を見ていた。とても長い夢を。
それは、恐ろしい夢だった。
突然目の前に現れたフルフェイスの男に、私は底の見えない深い闇の中へと引きずり込まれる。そして、右も左も、上も下も、朝か夜かも分からない世界で、私は永遠に続くかと思うような闇の中を一人落ち続けていくのだ。
落ちていくさなか、胸を締め付けるような孤独感に私は襲われた。寂しさ、悲しさ、そして恐怖……。色んな感情が私の中で渦巻く。
ここは何処? 私は、何処へ行くの? 助けて、誰か私をここから出して!
叫びながら、私は救いを求め上に向かって手を伸ばす。その手を誰かが掴んだ。その瞬間、優しくて暖かい光に包まれ、私は目が覚めたのだ。
ぼんやりとした視界が、次第にはっきりとしてくる。最初に私の目に映ったものは、白い天井だった。私はベッドの上で寝ていた。
ゆっくりと首を動かすと、体から何本ものチューブが伸び点滴に繋がっているのが見えた。ここは病院だろうか? 一体、私の身に何が起きたんだろう。何も思い出せない。それに、凄く体がだるいし、頭も痛い。
「内田さん?」
目を覚ました私を見て、花瓶の花を取り替えていた看護婦らしき女性が、驚いた声を出した。看護婦は、私の元に駆け寄るとマジマジと顔を見つめた。
「先生、白雪姫が、内田さんが目を覚ましました!」
血相を変えて、看護婦は部屋を飛び出していく。
私は首をかしげる。白雪姫って……私のこと?
暫くすると、白衣に身を包んだ医師が部屋にやってきた。
優しい笑みを浮かべながら、先生は私の顔を覗き込む。
「初めまして、内田さん。私はあなたの担当医の霧島です。私の声は聞こえていますか?」
私は頷く。
霧島と名乗った医師も、嬉しそうに何度も頷いた。
「あなたは、一年前もの間この病室で眠り続けていたんですよ」
「一年……」
先生の言った言葉が、私の頭の中で反芻される。
一年。それは、決して短く無い時間だ。だが、何故か私は一年も寝ていた気がしない。色んな事がまるで昨日の事のように思い出す事が出来る。黒いラブレターの事、赤い女の事、J線で多発した飛び込み自殺の事、レザーフェイス事件の事、そして、自分の家族が皆殺しにされた事……。
「大丈夫ですか?」
暗い顔をしていたのだろうか。私を気遣い、霧島先生が優しく語り掛けてくれた。
だけど、なんだろう。悲しくて寂しいけど、心の何処かに救われたような気持ちがある。
少しずつだが、記憶が蘇ってくる。
あの忌まわしい事件で家族を皆殺しにされ、私は一人生き残ってしまった事をずっと後悔していた。だけどあの時、一年越しの誕生日で家族は私に言ってくれたのだ。助かった命を大事にして欲しいと。私達の分まで生きて欲しいと。
「君が目を覚ました事を知ったら、きっと王子様も喜ぶと思うよ」
「王子様?」
一瞬首をかしげた私だが、すぐに霧島先生の言う王子とは誰の事なのか分かった。
一年もの間、彷徨い続けていた私を彼は救ってくれた。あの夢に出てきた手は、彼の手なのかもしれない。だけど、彼は王子様ってガラじゃない。思わず私はクスリと笑ってしまった。
「彼は、何処ですか?」
「ここに居ますよ、先輩」
聞き覚えのある声に振り向くと、部屋の入り口に彼が佇んでいた。右目に眼帯をした彼は、相変わらずのだるそうな顔で私を見つめていた。
「やっと目が覚めましたか、内田先輩。一年間も寝続けるなんて、寝坊にもほどがありますよ」
彼の憎まれ口も相変わらずだ。だけど、その言葉には優しい響きがあった。
彼は私のベッドまでやってくると、薄い笑みを浮かべた。
「先輩。お久しぶりですね。僕の事、覚えてますか?」
私は、クスリと微笑んだ。
「何を言っているの。ついこの間、私の誕生日を祝ってくれたばかりでしょ」
私の言葉に、彼が珍しく驚いた表情を見せた。
「先輩、記憶が……」
「ええ、あなたと過ごした一年間、ちゃーんと覚えているわ」
どうやら、彼は私が生霊となって彷徨っていた時の記憶を覚えていないものだと思っていたらしい。気まずそうに、ポリポリと鼻の頭を掻いている。
「でもね、頭がハッキリしないし、体も思うように動かないの」
「寝起きですからね。まだ寝ぼけているんじゃ無いですか?」
「そうかも。でもね……」
腕を掴み、私は彼を強引に自分に引き寄せる。
「お姫様はね、王子様のキスで目が覚めるのよ」
驚いている彼の唇に、私はそっとキスをした。
――少年A 完




