Chapter 5
「先生!」
叫びながら美穂が進路指導室に飛び込んできた。だが、部屋の中には誰も居なかった。
二人は何処へ行ったのかしら……?
焦る気持ちを落ち着かせながら、美穂はキョロキョロと部屋を見渡す。
とその時、美穂の目に窓の外の駐輪場を横切る少年の姿が映った。少年は、何かを両手に抱えながら、そのまま体育館の裏側へと歩いていく。
少年の抱えている物を見た美穂の顔から、サッと血の気が引いた。そして、彼女の脳裏に恐ろしい予感がよぎる。
慌てて部屋を飛び出した美穂は、少年の元へと向かった。
「待って!」
必死で追いかけ、やっと美穂は体育館の裏庭にある焼却炉の前で少年に追いついた。
少年がゆっくりと振り向く。その手には、見覚えのある衣服と靴が抱えられていた。
「その服は先生の……」
怯えた表情で美穂が呟く。
少年はニコリと微笑むと、そのまま目の前にある焼却炉の中にドサドサと信一の残骸を投げ入れた。
「……あなた、先生に何をしたの?」
少年は何も答えず、懐から取り出したマッチに火をつけると、焼却炉に投げ入れた。途端に激しい火が巻き起こり、焼却炉はゴウゴウと唸り始めた。少年は微動だにせず、燃え盛る炎をジッと見つめている。
「あなた、まさか先生も殺したんじゃ……」
「先生も?」
その言葉に、少年はキリキリと首だけを真後ろに回転させた。
人間とは思えない少年の動きに、美穂が目を見開いて驚く。
「さっきから君は、何か勘違いをしているよね」
少年は、体を回転させると美穂に向き直った。
「君の家族を殺したのは、僕じゃない。日下部先生だよ」
「先生が? まさか!」
少年はクスリと微笑むと、目を丸くしている美穂に歩み寄った。
「思い出してごらんよ、あの時の事を。生き残った君は、あの後どうなったんだい?」
暗く淀んだ底無し沼のように暗い少年の瞳が美穂を捉える。
その瞬間、美穂に原因不明の頭痛が襲った。頭を抑え美穂がうずくまる。思い出したくも無い忌まわしい記憶が、美穂の頭を蝕んでいく。
「あの日、家族を皆殺しにされた君は、奇跡的に一人生き残った。そして、あの凄惨な現場で発見された君は、すぐに病院に運ばれ精密検査を受けた……」
「やめて……」
頭を抱えて苦しそうにうずくまる美穂を見ながら、少年は嬉しそうに話を続ける。
「その後、病院に入院する事になった君の元に、一番初めに見舞いに来た人がいたよね。その人って、いったい誰だったっけ?」
「あ……あ……」
美穂の脳裏に、あの時の記憶が蘇る。
……見える、白い何かが。
そう、あれは病院の天井……。
あの日、ベッドに横たわっていた私の元に、あの男がやってきた……。
ベッドで横たわる美穂の元に、一人の男が尋ねてきた。それは、美穂のクラスの担任である日下部信一だった。
「具合は大丈夫か?」
信一は、心配そうな表情で美穂の元に歩み寄った。美穂は力なく頷く。
「大変な目に会ったな。なんて言えばいいか、先生には言葉が見つからないよ」
信一は俯きながら力なく言った。
美穂は瞼を閉じた。思い出したくも無いが、あの時の事は目を瞑れば鮮明に思い出す事が出来る。無残な姿となった両親。助けを求めながら、目の前で惨殺された可愛い弟。
――助けて、お姉ちゃん!
弟の最後の言葉が美穂の頭の中でリフレインする。
弟は手を伸ばして必死に私に助けを求めていた。なのに自分は何もできなかった。怖くて恐ろしくて、ただその場で震える事しかできなかった。
罪悪感と寂しさ、そして恐怖とが入り混じった複雑な感情がこみ上げ、美穂の目からいつの間にか涙が零れ落ちていた。
「ごめんね……ごめんね……」
泣きながら美穂は死んだ家族に謝った。一人生き残ってしまった事を謝った。何も出来なかった自分を許して欲しいと謝った。
そんな美穂の目の前に、スッと青いハンカチが差し出された。
「これで涙を拭いて」
言われるがまま、美穂は信一からハンカチを受け取り目頭を押さえた。すると、とたんに溢れんばかりの涙がこみ上げてきた。一人生き残った美穂は、ずっと寂しかったのだ。人の優しさに触れ、感情が一気に爆発した美穂は信一の腕に抱きついた。
病室に美穂のすすり泣く声が木霊する。
美穂が泣いている間、信一は何も言わず彼女の肩を抱きながら慰め続けた。
「……ありがとう、先生」
ややあって、泣き止んだ美穂は鼻をすすりながら信一に頭を下げた。
その言葉に信一は、パッと顔を輝かせた。
この事件が起きる以前、信一は美穂に嫌われていた。暑苦しい教師と思われ、彼女に煙たがれていたのだ。だが、やっと美穂が心を開いてくれた。やはり、彼女の家族を皆殺しにして正解だったと信一は思った。
「ごめんね、ハンカチ濡れちゃった。ちゃんと洗って返すからね」
「いいんだよ。それは元々君のために買ってきたものだからね」
「私のために?」
優しく微笑みながら、信一が頷く。
「確か昨日は君の誕生日だったろ? そう、これは僕から君へのプレゼントだ。ハッピーバースデー、美穂ちゃん」
その言葉に、美穂は一瞬違和感を感じた。美穂はその言葉に聞き覚えがあった。それも、つい最近聞いた覚えが……。
「あ……」
美穂の顔がサッと青ざめる。
そうだ、その言葉はあのフルフェイスの男が最後に残した言葉だ。まさか……。
「どうした? 変な顔して。先生の顔に何かついているのか?」
信一が美穂の顔を覗き込む。その目にも美穂は見覚えがあった。そう、あのフルフェイスの奥にあった目も同じく暗く淀んで濁った目をしていた。あんな目をした人間が、そうそういる訳が無い。
「近寄らないで!」
思わず美穂は信一の頬を引っ叩いた。
いきなりの事に、信一は頬を押さえながら唖然としている。
美穂はベッドから降りると、急いで信一から離れた。
「ど、どうしたんだいきなり。別に僕は何も……」
「あなただったのね! 私の家族を殺したのは!」
その言葉に、信一の動きが止まった。そして、目から急速に光が失われていき、瞳はただの黒い玉となった。
「……何を言っているんだ? 悪い冗談はやめてくれよ」
「冗談なんかじゃないわ! その声、その目! 誰が忘れるもんですか! この人殺し!よくも、よくも私の家族を! 警察に訴えてやる!」
そう言って美穂は、部屋から出ようと扉へ向かった。だが、その目の前に信一が立ちはだかる。信一は、扉を開けようとしていた美穂の腕を掴んだ。
「離してよ!」
「離すと思うかい?」
無表情に自分を見つめる信一。その殺意を潜ませた暗く淀んだ瞳に、美穂の中にあの時の恐怖が蘇る。
信一は、嫌がる美穂を無理やり窓際まで引きずり寄せた。そして、そのまま無造作に窓を開けた。
「残念だよ。僕は君の理解者になりたかったのに」
「な、何をする気なの? や、やめて……」
信一は、乱暴に美穂の首元を掴んだ。
「寂しかったんだろ? 一人生き残った自分が許せなかったんだろ? 分かってる、僕には全部分かっているから」
うんうんと一人頷きながら、信一は力任せに美穂を窓の外へと押しやろうとグイグイ押してくる。
必死に抵抗する美穂だが、少しずつ彼女の上半身が窓の外に追いやられていく。チラリと下を見下ろすと目が眩むような高さだ。
「だったら、僕が家族に会わせてあげるよ」
邪悪な笑みを浮かべた信一は、美穂を思いっきり窓の外に突き飛ばした。
空中に投げ出された美穂の目に、遠ざかっていく信一の姿が映る。
落ちていく最中、美穂は家族の事を思い出していた。
大好きな家族に囲まれた、人生で一番楽しかった誕生日。そして、私のこの世で最後の誕生日。
ハッピーバースデートゥーユー。ハッピーバースデートゥーユー。ハッピーバースデーディア美穂ちゃん。ハッピーバースデートゥーユー。
頭の中であの曲が鳴り響く。その曲に誘われながら、美穂の意識は暗い奈落の底へと落ちていき、そして閉ざされた。
「思い出したかい?」
「嘘……」
自分の体を自分で抱きしめながら、美穂は打ち震えていた。
陽は既に沈んでおり、辺りはすっかり暗くなっている。薄暗い体育館の裏庭をゴウゴウと燃え盛る焼却炉の火が照らしており、少年の影を大きく体育館の壁に映し出していた。
「君は……」
「嘘よ!」
少年の言葉に、美穂は耳を押さえながら首を横に激しく振った。
「嘘よ、そんなの嘘よ! 私は生きている。だって、こんなに意識だってはっきりしているし、物にだって触れる事も出来る! あなたが何を言おうと、私は生きているのよ!」
「それは、君がそう思いこんでいるだけだよ」
美穂の元に歩み寄った少年は、彼女の肩に手を置くと顔を覗き込んだ。
「それに、君はおかしいと思わなかったかい? 生徒達やクラスメイト達が誰一人として君に話しかけなかった事に。君は自分が無視されていただけだと思い込んでいたみただけど、それは違う。彼らは見えていなかったんだよ、君の姿が」
「信じない! そんなの信じないんだから!」
両手で耳を塞ぎ、頑なに話を聞こうとしない美穂に、少年は呆れた表情を見せると深い溜息をついた。
「そんなに疑うなら、証拠を見せてあげようか?」
そう言うやいなや、少年は懐から取り出したナイフを音も無く美穂の胸に突立てた。
自分の胸に突き刺さるナイフを見て、美穂は驚愕の表情を浮かべた。だが、何の痛みも感じないし、血も一滴も出ていない。
「これで分かったでしょ? 君はもう、この世の存在じゃないんだ」
「そ、そんな……」
青ざめた表情を浮かべる美穂から、少年は静かにナイフを引き抜いた。
「わ、私は死んだの? あいつに窓から突き落とされて殺されたの?」
美穂の問いに、少年は意味ありげな笑みを浮かべた。
「世間では、君は家族を殺されたショックで窓から飛び降りた事になっている。全部日下部先生のでっちあげた話だけどね」
少年の言葉に、美穂は愕然とした。
少年は話を続ける。
「この世に未練を残した君は、その後日下部先生に取り憑いたんだ。だけど、君は忌まわしい事実を忘れるために、一部の記憶を自ら封印してしまった。結果、恨むべき相手を見失った君は、何を考えたのかこの僕が家族を殺した犯人だと思い込んだ。まぁ、認めたくない気持ちは分からないでも無いけど、勝手に犯人にされるのは心外だなぁ」
クククとくぐもった笑い声を押し殺しながら、少年は美穂を見つめる。
その時、少年の目を見た美穂は驚いた。少年の目が、まるで燃え盛る炎のように爛々と赤く光り輝いていたからだ。やはり、あの時見たのは見間違いでは無かったのだ。
「でも安心してよ。君の恨むべき相手は、この僕が美味しく頂いておいたから」
「……どう言う事?」
「そのままの意味さ。食べちゃったんだよ、美味しく頭からパクリとね」
亀裂のような笑みを浮かべ、少年はペロリと舌なめずりをした。
人とは思えないほど広がった口に、細長く伸びた舌。少年のその姿を見た美穂は、彼の言っている事は冗談ではなく、本当の話だと理解した。
「さっき食べた魂は、本当極上の味がしたよ。まさか、何の手も加えずにあんな邪悪な魂にお目にかかれるなんて思ってもいなかった。何せ僕は、邪悪な魂を食べ続けないと、この世に居続ける事が出来ないんでね。毎回手に入れる為に苦労しているのさ」
美穂は、少年の言っている意味が良く分からなかった。だが、今自分の目の前にいるのは人では無く、この世の物では無い得体の知れない存在である事だけは分かっていた。
「……あなた、一体何者なの?」
「僕? 僕は、単なる君のクラスメイトさ」
そう言って少年は、怯えた表情を浮かべる美穂の横を静かに通り過ぎていく。
「待って! 私は……、私はこれから一体どうすればいいの!」
立ち去ろうとする少年の背中に向けて、美穂が悲痛な声で叫んだ。
少年は振り向くと、おどけたように手をあげ首をかしげた。
「さぁ? 自分の事は自分で考えなよ。僕には関係の無い話だ」
「そんな……」
力なく美穂はその場にへたり込んだ。
そんな美穂を置き去りにし、少年はその場を後にする。
「まぁ、君の居場所なんて何処にも無いだろうけどね」
そうポツリと呟き、少年は闇の中へと消えた。