Chapter 4
一階の一番奥には校長室があり、その一つ手前の部屋が進路指導室になっている。
通常の教室に比べ、大きさが二分の一にしか満たないその部屋はこじんまりとしており、あるものと言えば窓の前にある大きな長机と、いくつかの乱雑に置かれた椅子だけだ。
「で、僕に話ってなんだい?」
その椅子に腰掛ける少年に向かって、部屋に入ってきた信一が話しかけた。
少年は、音も無くゆっくりと振り返る。
「実は、先生に渡したいものがあるんだ」
少年は、足元に置いてあった大きな箱を取り出した。箱は、最近流行っているやる気の無いクマのキャラクターが描かれた包装紙に包まれており、その上には大きい真っ赤なリボンが巻かれていた。
「君が? これを僕に?」
目を丸くして驚く信一に、少年は首を横に振った。
「クラスの生徒、全員からだよ。僕は代表で持ってきただけだから。確か今週末は先生の誕生日だったよね。誕生日、おめでとうございます」
少年の言葉に、信一は驚きの表情を浮かべた。そして、それはすぐに満面の笑みへと変わった。
まさか自分に、クラスの子たちがプレゼントを用意してくれていたとは。
春にこの学校へ着任したばかりの信一は、なんとか生徒達との距離を縮めるためこの半年間自分なりに頑張ってきたつもりだった。だが、思春期である生徒達との距離は中々縮まらず、それどころか煙たがられて余計に溝が深まった事も多々あった。何度も挫けそうにもなった事もあったが、今日その苦労が報われた。今までの事は無駄ではなかったのだ。自分の気持ちは皆に伝わっていたのだ。
思わず涙ぐみそうになった信一は、ぐっと堪えた。そして、無理やり笑顔を作り、少年からプレゼントの箱を受け取った。ズシリと重い。一体、中には何が入っているのだろうか?
「開けてみてよ。きっと気に入るはずだから」
信一は頷くと、ゆっくりとリボンを解き、丁寧に包装を剥がしていった。そして、箱を開いた瞬間、目を見開いて驚いた。
「こ、これは……?」
そこには、フルフェイスのヘルメットが入っていた。
「確か先生は、バイク通勤だったよね」
そう言うと少年は立ち上がり、窓から外を眺めた。進路指導室の目の前は駐輪場となっており、生徒達が登校に使う自転車や、教師達の車、そして信一のバイクが置かれていた。
「クラスメイトの一人が言っていたんだ、最近先生のヘルメットが変わったって。新しいヘルメットは普通のかぶるタイプの物だって言っていたけど、みんなの間では評判悪いよ。前のフルフェイスタイプの方が格好よかったってさ」
「あ、ああ……」
「確か、先生のヘルメットが変わったのは……そう、今から二週間ほど前からだよね」
そう言って、少年は振り返るとジッと信一を見つめた。
どこまでも深い、奈落の底に続くかのような黒い瞳。信一は、何もかも見透かしているような少年の目に焦りと同様を隠せず、思わず目を背けた。
「あ、ありがとう。凄く嬉しいよ」
「気に入ってもらえて嬉しいな。同じものを探すのは凄く大変だったからさ」
少年は信一の元まで歩み寄ると、彼の手にあるヘルメットにそっと触れた。
「でも、なんで変えたの? こっちのタイプの方が絶対に格好いいのに」
「あ、ああ、単なるイメチェンだよ。それに、だいぶ汚れていたしね」
「そうだよね。あれだけ派手にやれば汚れて当然だよね」
少年の言葉に、信一の動きが止まる。そして、暗く淀んだ瞳で少年を見つめなおした。
「……さっきから君の言っている意味がよく分からないんだが」
「あなたが、今世間を騒がせている一家惨殺事件の犯人だと言っているんだよ、先生」
その刹那、信一は目にも止まらないスピードで懐からナイフを取り出すと、少年の腹に突き刺した。少年は大きく目を見開き、何が起きたのか分からないと言った表情で信一を見つめる。そして、体をくの字に曲げその場に崩れ落ちた。
そのまま信一は、少年の背中に馬乗りになると、表情一つ変えずに彼をメッタ刺しにした。刺されるたびに、少年の体がビクンビクンと仰け反り、やがて少年はピクリとも動かなくなった。
荒い息遣いで信一はゆっくりと立ち上がると、倒れている少年を見つめた。
完全な骸と化した少年の背中を見ているうちに、信一の体から急速に熱が冷めていく。そして、彼の元に激しい後悔が訪れた。
……こいつがあんな事を言うものだから、つい衝動に駆られて殺してしまった。まさか、学校で殺人を犯してしまうとは。
信一は窓際まで近寄ると、注意深く外を眺めた。幸いな事に大半の生徒達は帰った後で、駐輪場には人影は見えない。信一は素早くカーテンを閉めた。
物言わなくなった少年の死体を見つめながら、信一は考える。
何故こいつは、俺が美穂の家族を皆殺しにした事を知っていたんだ? 証拠になるような物は何も残していないし、目撃者だって全て殺したハズだ。
だがそこまで考えた所で、すぐにそれはどうでもいい事だと気がついた。何故なら、あの事件の真相を知る人間は、たった今この手で始末したのだから。
それよりも、早くこの死体を始末しなくては……。
足で少年の体を転がしながら、信一は体育館の裏にある焼却炉の場所を思い出していた。
「満足した?」
その時、少年の目が突然見開かれ、信一の足を掴んだ。
いきなりの事に、信一は驚く。
「あーあ、服が汚れちゃったよ」
少年はゆっくりと立ち上がると、体についた埃を振り払った。
「ば、馬鹿な! あれだけ刺したのに……」
そこまで言った所で、信一は少年の体から血が一滴も流れていない事に気がつく。
少年は、何事も無かったかのように首をコキコキ鳴らすと、唖然とした表情で自分を見つめる信一に、ニヤリと不敵な笑みを見せた。
「そんなチンケなナイフで僕を殺すつもりだなんて、笑っちゃうよ」
信一の手に握られたナイフを指差しながら、少年はおかしそうにケラケラと笑った。
「お前、何者だ? 人間じゃないのか?」
「さぁ?」
そう言って少年は一歩前に出た。動揺を隠せない信一は後ずさる。
「僕、先生に一つ聞きたい事があるんだ」
無垢な笑みを浮かべながら、少年は信一を見つめた。
「何故、彼女の家族を皆殺しにしたの? 彼女って、先生にそんな恨まれるような事したっけ?」
少年の質問に、信一は口元を歪め邪悪な笑みを浮かべた。
「僕には、彼女の悲鳴が聞こえていたんだよ」
そう言って信一は、少年を見据えながらさらに一歩後ずさる。
「一見、彼女は幸せな家族に囲まれ何不自由なく見えたかもしれない。だが、彼女は孤独に打ち震えていたんだ。寂しい寂しいって心の中で叫んでいたんだよ。だから、僕は彼女を助けようと思い何度も話したんだ。君を理解出来るのは、この僕だけだって。君を救う事が出来るのは、僕だけなんだって。それなのに!」
とたんに信一の表情が険しくなる。何かに訴えるかのように、信一は天井を仰いだ。
「彼女は、いくら言っても僕の話を聞こうとしなかった。でも、それは彼女が悪いわけじゃないんだ。彼女があんな考え方になってしまったのは、親のせいなんだ。だから責任を取ってもらったんだよ。それに、頼るべき大人が居なくなれば、彼女は僕に頼らざるを得ないだろう?」
狂気の目を血走らせながら、信一は「ひひひ」とくぐもった笑い声を漏らした。
「弟まで殺したのは?」
「ああ、あれは単純にうるさかったからだ。僕はうるさいガキは大嫌いなんだ」
「なるほど、そんな理由で皆殺しにしちゃったんだ。本当、大した教育者だね」
少年の目が、悪魔のように赤く光り輝く。
まるで獲物を狙う捕食者のような少年の瞳に、信一は戦慄を覚えた。蛇に睨まれた蛙とは、まさにこの事だと思った。手足がすくみ、膝が恐怖でガクガクと震える。本能が目の前の少年を危険な存在だと告げている。
「まさか彼を狩る前に、こんな汚れきった魂にお目にかかれるなんて、僕はラッキーだよ」
少年は、ご馳走を目の前にした子供のように顔を輝かせると、ぺろりと舌なめずりをし信一に歩み寄った。
「僕に近寄るな!」
信一は、近寄ってくる少年に向かってナイフを一閃した。
瞬間、少年の首にスジが入りパクッと割れた。だが、そこから血は流れない。少年は笑みを浮かべたまま、両手を広げ近づいてくる。
「無駄だって言っただろ? そんな武器じゃ、僕を傷つけることはできないよ」
少年は信一の目の前まで辿り着いた。さらに後ずさろうとした信一の背中に何かが当たる。振り向いた先は壁だった。もうこれ以上逃げられない。
「う、うわあああああああ!」
恐怖に叫びながら、信一は少年の額に思いっきりナイフを突き刺した。ナイフは少年の後頭部まで突き抜けた。即死だ。そう、普通の人間ならば。
少年は、そのまま信一の肩をガッシリと掴んだ。
「は、離せ!」
信一は振りほどこうとしたが、人間とは思えない力で捕まれ身動きがとれない。
「先生に僕から誕生日プレゼントをあげるよ。これで先生は、全ての苦しみから解放されるんだ」
少年の口が、腹話術の人形のようにパカッと開いた。そのまま少年の口から顔全体に向かって亀裂が入り、まるで開花していく花のように少年の顔が開いていく。
「ひ、ひ……!」
目の前で起きている異様な光景に、信一は涙目になりながらガタガタと震えた。今まで味わった事のない恐怖が全身を襲い、頭からつま先までまるで金縛りにあったように動かなくなる。そして、開ききった少年の顔が突然閉まり、信一を頭から咥え込んだ。
「うわああああああっ! た、助けて!」
くぐもった信一の声が、少年の顔の中から聞こえてくる。必死に少年の口から出ようと、信一は体をジタバタさせるが、無駄だった。
悶える信一の体が、少しずつ少年の中に飲み込まれていく。やがて信一の体はぐったりとして動かなくなり、そして、そのまま少年の中に飲み込まれていった。
信一を丸呑みにし、満足気な表情を浮かべた少年は、ゲフッとゲップをすると口から信一が履いていた靴を吐き出した。
「ごちそうさま」