第五章 プレゼント
「ハッピーバースデートゥーユー。ハッピーバースデートゥーユー。ハッピーバースデーディア美穂ちゃん。ハッピーバースデートゥーユー」
拍手と歓声が沸き起こり、続いてクラッカーの弾ける音が部屋に響き渡った。
テーブルの上に置かれた豪華なバースデーケーキの前で、家族に囲まれた美穂は満面の笑みを浮かべている。
「十六歳の誕生日おめでとう美穂ちゃん」
「おめでとう美穂」
「おめでとうお姉ちゃん」
優しい両親、姉思いの可愛い弟。絵に描いたような幸せな家族に囲まれ、今美穂は最高に幸せな気持ちに包まれていた。
「さぁ美穂、火を消してごらん」
父に言われるがまま美穂は頷くと、ケーキの上に立てられたローソクの火に向かって思いっきり息を吹きかけた。十六本のローソクの火が、風に煽られ次々と消えていく。だが、残念ながら一本だけ火が消えずに残ってしまった。
「お姉ちゃん、おしい!」
お調子者の弟が、残ったローソクの火を指差しながらはしゃぐ。
照れた笑いを浮かべ、再び美穂は息を吸い込み残ったローソクの火に向かって吹きかけようとした、その時だった。
――ピンポーン。
突然チャイムの音が鳴り響き、皆の視線が一斉にドアに向かって注がれた。
その瞬間、美穂はすぐに慌てて息を止めた。このまま火を消すのは、なんだかもったいない気がしたからだ。どうせなら、皆が自分に注目している時に吹き消したい。そう、今日は私の誕生日。今日の主役は私なのだから。
「あら、お客様かしら? ちょっと見てくるわね」
そう言って、母は席を立つと部屋から出て行った。
妙な間が訪れ、一瞬だけ部屋が静寂に包まれる。緊張の糸が切れたように、美穂はフゥと溜息をはいた。
全く、一体誰なのかしらこんな時に。本当、タイミング悪いわね……。
せっかくの楽しい時間を邪魔され、美穂は空気を読まない来訪者に少しだけ腹を立てた。
――ピンポーン。
再びチャイムが鳴り響く。
「はいはい、今開けますよ」
階段を降り、玄関までやってきた母は、そのままドアを開けた。
「どちらさま……」
返事は、振り下ろされた金属バットで返された。
ぐしゃりとスイカを割ったような音をたて、母の頭は陥没した。
泉のごとく頭から鮮血を湧き立たせ、母は叫ぶ間も無くその場に崩れ落ちる。その血を玄関前に佇んでいたフルフェイスの男が無言で受けとめた。
身に纏う黒いレーシングスーツを返り血で真っ赤に染めあげたその男は、血溜まりの中で倒れている母親の髪の毛を無造作に掴みあげた。そして、そのまま家にあがりこみ、死体をズルズルと引きずりながら階段をゆっくりと登り始めた。
「お母さん、遅いね」
目の前のケーキが早く食べたい弟は、ソワソワしながら美穂を見上げた。
「きっと、お客さんと話が長引いているのよ」
美穂は優しい笑みを浮かべながら可愛い弟の頭をそっと撫でた。
「せっかくの美穂の誕生日なのになぁ。ちょっとお父さん見てくるよ」
そう言って今度は父が部屋から出て行った。そして、その直後にぐしゃっと言った何かが潰れたような音がドアの外から聞こえた。
「何の音? お父さん」
ドアの外にいる父親に向かって美穂が話しかける。だが、返事は無かった。代わりに、ズルズルと何かを引きずるような音が聞こえてきた。音は部屋の前まで来るとピタリと止まった。
「おとう……さん?」
再び美穂がドアの外にいる父親に向かって話しかける。だがやはり返事は無い。
なんだろう。なんだか胸騒ぎがする……。
美穂はドアの向こう側にいる禍々しい何かがいるのを捕らえていた。本能が彼女に告げている。この幸せな一時を破壊し尽くす何者かがドアの向こう側にいる事を。
やがて、ガチャリとドアが開き、続けてドサドサと何かが部屋の中に投げ込まれた。
突然目の前に投げ出された肉塊を見て、美穂は一瞬何が起きたのか分からなかった。頭が回らない。一体目の前の物体は何なのだろう?
「う、うわあああああああっ!」
そんな美穂を弟の叫び声が現実に引き戻した。我に返った美穂は、その時初めて目の前の肉塊が変わり果てた両親の姿である事に気がつく。そして、空気を切り裂かんばかりの声で叫んだ。
全身に返り血を浴びたフルフェイスの男が、のそりと部屋に入りこんできた。その右手には、真っ赤な血に染まった金属バットが握られている。
男は泣き叫ぶ弟の前までゆっくりと歩み寄ると、その手に持つ金属バットを無言で振り上げた。そして、躊躇無く弟の腕に向かってそれを振り下ろした。
明らかに骨が折れた事を告げる耳障りな音が部屋中に響き渡る。弟は、一際大きい叫び声をあげ、その場でのたうちまわった。
「た、助けて……お姉ちゃん……」
弟は、泣きながら姉に向かって救いを求める手を伸ばした。だが男は、その手に向かって無情に金属バットを振り下ろす。
「ぎゃっ! ぎゃっ!」
バットが打ち下ろされる度に、幼い弟のくぐもった声が漏れる。美穂は、あまりの恐ろしさに声もあげられず、目の前で起きている惨劇をただ見ている事しかできなかった。
やがて、その声も聞こえなくなり、弟はピクリとも動かなくなった。それでも男は何の恨みがあるのか、動かない弟に向かって執拗に金属バットを振り下ろし続けている。その間も、美穂は口を抑えながら恐怖に体を振るわせ、潤んだ瞳でその光景を見続けていた。
荒い息遣いで背中を上下させながら、男は真っ赤な肉塊と化した弟の死体を踏みつけると、部屋の隅で縮こまる美穂に向き直った。
「ゆ、許して……。こ、殺さないで……」
やっとの思いで、美穂は消え入りそうな声でそれだけを言葉にした。
男はゆっくりと美穂の前までやってくると、彼女を見下ろした。そして、そのまま前かがみになると、彼女の顎を掴み自分の方へと引き寄せた。
ガタガタと全身を震わせながら、美穂はフルフェイスの奥に光る二つの目を見た。
感情の伺えない、まるで底無し沼のように暗くて濁った瞳。その目は、自分を人として見ておらず、単なる物として捉えている。果たして、人間がこんな目を出来るものなのだろうか。今自分の目の前にいる人間は、本当に人なのだろうか。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
暫くの間美穂を見つめ続けていた男は、スッと手を離すとその場に立ち上がった。
「今日は君の誕生日だ。だから君だけは殺さないであげるよ。そう、これは僕から君へのプレゼントだ。ハッピーバースデー、美穂ちゃん」
男はそう美穂に告げると、そのままカラカラと金属バットをひきずりながら部屋を出て行った。後には彼女一人だけが残された。
「夢よ……これは悪い夢なの……。今日は私の誕生日なのよ。誕生日にこんな事が起きるはずが無いわ……」
家族の死体に囲まれながら、美穂は虚ろな目でテーブルの上に奇跡的に残った真っ赤なバースデーケーキを見つめた。その上には、消せなかった一本のロウソクの火が静かに揺らめいているのが見えた。