Chapter 5
数日の間、少年は学校へ行く前にTVや新聞を見て、あの日の出来事が報道されていないか確認していた。だが、新聞にはそれらしき記事は載っておらず、今日のTVも、J線で起きた連続飛び込み自殺が、実はとある女子高生グループが引き起こしていた殺人事件であった事が報道がされているだけだった。どうやら、あの女の死体はまだ見つかっていないようだ。
学校内でも、TVで放映されていたJ線連続殺人事件の話題で持ちきりだった。
少年は左手でシャープペンシルを回しながら、周囲の話に耳を傾ける。
皆は、しきりにマスコミが流す情報を頼りに反芻作業を繰り返していた。想像の範疇を超えない意見交換をし、自分とは全くの無関係の人間についてあれこれと話し合っている。何故、人はこのような無駄な行為を好むのだろう。理解に苦しむ所だ。
彼女が人と違う所は、そこなのかも知れない。
少年は、ふと思った。
少なくとも彼女は、自分の頭で考え、足で行動し、あの手この手で事件を解決しようとしている。まぁ、多少見当違いな所があったり、その行動が結果に繋がらないのは玉に傷だが、少なくともここにいる連中と比べればずっと建設的と言える。
……でも、僕ならもっと上手くやるさ。
少年の口元に、細い笑みが浮かぶ。
餅は餅屋、蛇の道は蛇、そして、殺人の事は殺人鬼に聞けってね……。
放課後になり、少年の足は霧島病院に向かっていた。
「また今日も先輩とやらの見舞いに行くの? あなたも良く毎日行って飽きないわね」
「君も良く飽きないで、その台詞を言えるもんだ」
少年が霧島病院へ行こうとする度、内田は同じ文句を繰り返す。
だが、今回は先輩の見舞いが目的では無い。少年は、ある人物に会いに来たのだ。
「今日も君は中に入らないのかい?」
病院の前で少年は内田に尋ねた。内田は、コクリと頷く。
「病院は嫌いって言ったでしょ。それに、この病院は何か嫌な感じがするわ……」
彼女の能力は本物だ。
少年は心の中で確信した。何故なら、彼女が感じる不吉な存在、それは確かにこの病院に存在するからだ。
入り口に内田を置き去りにし、病院の中へと入る。
受付は珍しく空いていた。カウンターの奥に座る顔見知りの看護婦に声をかけ、彼の居場所を教えてもらう。彼はいつもの場所に居るとの事だった。
一階の突き当たりに目的の部屋はあった。
部屋の前まで辿り着いた少年は、扉を軽くノックする。
「どうぞ」
中からの声に、少年は扉を開け部屋に入った。
院長席に腰掛けていた男は、部屋に入ってきた少年の顔を見て顔を綻ばせた。
「珍しい事もあるものですね、君が私を訪ねてくるなんて。お姫様の見舞いは、もう済んだのですか?」
にこやかな表情で、霧島は席を立つと少年にソファを勧めた。言われるまま、少年は部屋の中央にあるソファに腰掛ける。霧島は反対側のソファに座った。
「お伝えしたい事があるんです」
霧島を見据えながら、少年は唐突に話を切り出した。
「なんですか、そんなに改まって」
テーブルの上に置いてあるポットのボタンを押し、霧島はお茶のパックが入った紙コップにお湯を注ぐ。
霧島の手を見つめながら、少年はゆっくりと口を開いた。
「レザーフェイス事件。あの事件が再開されました」
少年の言葉に、霧島の動きが止まる。
突然訪れたしばしの沈黙。まるで時が止まったかのように、その場を静寂が支配する。お湯を入れた紙コップから沸き立つ湯気だけが、時間が止まっていない事を証明していた。
「……まさか、君が犯人じゃ無いでしょうね?」
口元に笑みを浮かべ、霧島は少年を見つめる。だが、その目は笑っていなかった。
ゆっくりとした手つきで、霧島は左手に持つ紙コップを少年に差し出した。受け取ろうとした少年の手が彼の手に触れる。その手は、氷のように冷たかった。
「ええ。それが有り得ない事は、あなたが一番良く知っている事でしょう」
少年は、霧島の顔を見つめた。
「一年前のレザーフェイス事件。あの事件の犯人である、あなたならね」
瞬間、霧島の目から光が急速に失われ、ただの黒い玉となった。目は淀み、暗い底無し沼のように濁り始めている。この事実は、少年と霧島しか知らない事だった。
「話を聞きましょうか」
ゆっくりと、噛み締めるように、確かめるように霧島は言う。
少年は頷く。
「今回行われた殺人は、あなたの犯行を真似た模倣犯によるものです。しかもご丁寧に、死体はあなたの所持している霧島ビルに放置されていましたよ」
霧島の口元が、さもおかしいと言った感じに歪んだ。
「それは、また手の込んだやり方ですね。ですが、確かあのビルは誰も中に入れないように締め切っていたはずですが?」
霧島の目が少年を捕らえる。その目は『何故、そこに死体がある事を知ったのか?』と尋ねていた。
少年は、ニコリと微笑む。
「実は、僕の友人にそう言った類の物を見つけてしまう特異な能力を持つ子が居るんですよ。彼女は、非常階段の扉が開いていた七階から内部に潜入し、そこで死体を発見しました。顔の皮が無い、顔無し死体をね」
「ほう、それは面白い能力を持った子ですね。ぜひ一度お目にかかってみたいものです」
ズズッと茶をすすり、霧島はソファに深く腰を沈める。
彼は既にその少女と出会っていた。だが、別段言う必要も無いので、少年はそれ以上言及しなかった。
「しかし、何故君はその人物を殺した犯人が私じゃないと? 私の所持しているビルで、顔の皮が無い人間が殺されていた。普通に考えれば、そんな事をするのは私しか居ないと思うのがセオリーなのでは?」
霧島の質問に、少年はゆっくりと首を横に振った。
「僕は、この目でその死体を見て来たんですよ」
その時、少年は一体どんな顔をしていたのだろうか。霧島は、まるで悪魔でも見たような目で少年を見つめていた。
「酷いものでしたよ、顔の乱暴な切れ目に、雑な皮の剥がし方、およそ整形外科の名医である先生の仕事とは思えませんでした」
「お褒めに預かり光栄ですね」
霧島は、薄い笑みを浮かべた。
「ですが、納得が行きました。それで、あなたは私の所へ来たんですね。あなた以外に、私が一年前のレザーフェイス事件の犯人である事を知っており、なおかつあのビルに侵入できる人間を見つける為に」
少年は、ニヤリと肯定の笑みを見せた。
「先生の秘密を知る者に、誰か心当たりはありますか?」
「僕の秘密を知っている者?」
腕を組み、少しだけ考える素振りを見せた霧島だが、すぐに感情の窺えない昆虫のような目で少年を見つめた。
「君以外の人間は、全員始末していますよ」
そう言って霧島は席を立つと、背後にある壁に埋め込まれた簡易金庫の前に立った。
霧島は、懐から財布を出すと中から一枚の紙切れを取り出した。それを見ながら、手馴れた手つきでダイヤルを右に左に複数回動かす。するとすぐに、カチッと開錠を示す音が部屋に響き渡った。
金庫を開け中身を確認した霧島は、静かに首を横に振った。
「やはり無いですね」
「あのビルの鍵は、その中にあったのですか?」
少年の問いに霧島は頷く。
「その金庫の番号を他に知る者は?」
「いや、この番号は私しか知らないはずです」
「そうですか……」
組んだ指を顎に当て、少年は考える。
霧島が、一年前のレザーフェイス事件の犯人である事を知る人物。恐らく、彼の言う通りこの事実を知っている人間は僕以外居ないだろう。用意周到な彼の事だ、証拠を残すような真似はしていないだろうし、なにより警察が彼を捕まえていない事が、それを証明している。
であれば、考え方を変えればどうか? 例えば、今回の犯行を『霧島が行ったように思わせようとする』人物が居るとしたら?
一年前のレザーフェイス事件が起きた当時、顔に入れられた鮮やかな傷口から、素人の犯行では無いとされ、医療関係者が真っ先に疑われた。当然、その中に整形外科の第一人者である霧島も含まれていた。しかし、結局決め手となる証拠が見つからず、未だ彼は警察の手から逃れている。だが、もし今回の事件が明るみになったとしたら、警察はどのように思うだろうか? 当然、そのビルの持ち主である霧島は真っ先に疑われるだろうし、前回の犯行の証拠が無いとは言え、厳しい取調べを受けるのは間違い無い。何処からボロが出るか分からないし、例え今回も逃げおおせる事が出来たとしても、彼の地位や名誉は地に落ちるに違いない。
ビルの鍵は、この院長室から何者かに持ち去られていた。であるならば、犯行を行った人間は、この病院の関係者である事はほぼ間違い無いだろう。そう考えれば、大体の目星はついてくる。この病院の関係者で、霧島を恨む人物、もしくは霧島が失脚することで利を得る人物を探せば良いのだ。
「ありがとうございました、先生」
少年は頭を下げ、席を立つと扉へと向かう。
「役に立てなくてすまなかったですね。で、あなたはこれからどうするおつもりですか?警察に、死体を発見しましたとでも報告に行きますか?」
目を細め、ほくそ笑みながら霧島が言う。少年がそんな事をするはずが無い事を、彼は知りながら聞いているのだ。
「とりあえず、もう少し自分で調べてみたいと思います。死体の処理については、先生にお任せしますよ」
「全く、やっかいな物を残してくれたものですよ」
そう言う霧島の声には、楽しそうな響きがあった。きっと、今の追い詰められているこの状況を楽しんでいるのだろう。
「ああ、そうだ」
部屋を出て行こうとドアノブを掴んだ所で、少年が振り向く。
「最近、先生は……」