Chapter 4
今から約一年前、ここS市で、突如訪れた殺人鬼に一家が皆殺しにされると言う凄惨極まりない事件が起きた。「A区一家惨殺事件」と呼ばれるこの事件は、その残虐性の高さから当時大きな話題となった。
だが、実はこの事件が起きるさらに半年前、同じS市内でこの事件にひけを取らない程の残酷で恐ろしい連続殺人事件が起きていたのだ。
今だに謎の多いその事件は、日本中を恐怖の渦に陥れた。特に若い女性達は、身の安全を守るため夜遅く出かけるのを控え、社会全体に大きな影響を与えた。それ程この事件は異質で、かつ猟奇的だったのだ。
殺害された被害者達には、ある共通点があった。一つは、いずれも美しく若い女性だったと言う事。そしてもう一つは、被害者は全員顔の皮を剥がされていた、という事だ。
過去にアメリカで、殺害した人間の顔の皮を剥がし自らが被ると言う恐ろしい殺人鬼がいた。それをモチーフにした映画の名前から、この事件をマスコミは「レザーフェイス事件」と命名し、連日連夜取り上げ報道していた。
同じやり口で繰り返される殺人に、警察は同一犯であると断定し、他県にも応援要請を行って大々的に捜査に乗り出した。だが、それをあざ笑うかのように犯行は繰り返され、発見されているだけでも、計十四人が殺害されている。
だが、最初の被害者が発見されてから半年ほど過ぎた頃、突然犯行がピタリと止んだ。
警察が本気で乗り出した事に危険を感じたのか、それとも犯人の身に何か起きたのか、真相は分からない。その後もマスコミは、暫くの間この事件を取り上げていたが、人々の関心は新しい事件「A区一家惨殺事件」に移り、この事件は過去のものとして風化していった。
だが、あれから一年経った今、人々の記憶から消えかかっていたあの事件が、再びこの街で動き出そうとしている。
「レザーフェイス事件。あの事件が再び動き出したのよ」
横たわる女の死体を見つめながら、震えた声で内田が呟いた。
少年は、虚ろな瞳で横たわる顔無し死体を見つめている。
確かに、顔の皮が無い死体が見つかるなんてそうそう無い話だ。彼女の言う通り、あの忌まわしい事件が再開されたと考えるのが普通だろう。だが、僕はこの事件、いや正確には、この死体に気になる点があった。
「どうしたのよ、変な顔して。何か気になる事でもあるの?」
浮かない様子の少年に、内田が聞いてくる。
少年は、ゆっくりと頷いた。
「この女性を殺した犯人は、一年前のレザーフェイス事件の犯人とは全くの別人だね」
少年の言葉に、内田は目を丸くした。
「センセーショナルな事件が起きると、それに触発されて同様の事件が引き起こるケースは少なくない。この殺人は、一年前の事件を装った模倣犯の仕業だよ」
「ど、どうして……」
内田が口を開くと同時に、少年は三本の指を立てていた。
「一つ目の理由。まず、被害者の顔を良く見て見ようか」
「あまり見たくないんですけど……」
内田は、おっかなびっくりしながら死体の顔を覗き込む。
少年は被害者の耳元、続いて額を指差した。
「ここを見てみなよ。良く見ると顔の皮の一部が残っているだろ?」
「確かにそうだけど、それに何か問題でもあるの?」
「あるさ」
少年は頷く。
「一年前、あの事件の被害者全ての顔の皮は一寸の狂いもなく綺麗に剥がされていた。その正確無比な手際のよさに、当時の警察の検視官も仕事を忘れて感心したらしいよ。それに比べてこの死体は仕事が荒い。顔の皮が残っているのはもちろんの事、切れ目もボロボロだし、犯人のこだわりを感じないんだ」
「殺人に、こだわりなんて必要なの?」
内田は、理解できないと言った表情を浮かべている。
薄い笑みを浮かべ、少年は内田を見つめた。
恐らく彼女は、殺人犯の思考を理解することは一生出来ないだろう。何故なら、根本的に彼女は、彼らとは異なる人種だからだ。
この世界には、二つの人種が存在する。それは、殺される人間と、殺す人間だ。
残念ながら彼女は、殺される立場の人間、狩られる側の人間だ。だが、僕は違う。僕には、彼らの考えている事が良く分かる。何故なら、僕は彼らと同じ、人を殺す事に何の躊躇いを持たない、狩る側の人間だからだ。
「こだわりの有る無しなんて、本人が決める事さ。だが、少なくとも僕はこの死体にはこだわりがあるようには感じない。それに、何より犯人の利き手が違うんだよ」
「利き手が?」
「人の顔の皮をはがす場合、まず脳天側に立って顎から額に向かって剥がしていく方がやりやすい。であるならば、右利きの人間なら左顎から切れ目を入れるだろう。実際この被害者もそうだ。だが、過去のレザーフェイス事件の被害者達は、全て右顎から切れ目が入っていた。ようするに一年前の犯人は左利きで、今回の犯人は右利きと言う事だよ」
そこまで説明した所で、少年は内田がジッと自分を見つめている事に気付いた。
「どうかした?」
「……いや、よくそんな事まで知っているなって思って。まるで、実際に人間の顔の皮を剥がした事があるような言い方だわ」
思わぬ内田の言葉に、少年は一瞬真顔になった。ゆっくりと内田に気取られないよう、顔を俯かせる。
「それに……」
「それに?」
表情を悟られないよう、俯き加減に少年が聞き直す。
「確か、あなたって左利きだったわよね?」
今日は冴えているな……。
いつも的外れな事ばかり言う内田が、妙に鋭い意見を言うので少年は感心していた。だが、彼女にこれ以上感づかれるのはまずい。
「今の話は、警察がネットで公開している情報をまとめただけだよ」
少年は咄嗟に嘘をついた。しかし、それはちょっと厳しい言い訳だったかもしれない。そんな情報は、何処を探しても存在しないからだ。だが、彼女に調べる術は無い。恐らく、この嘘がばれることは無いだろう。
少年の言葉にすっかり騙された様子の内田は、ホッとした表情を見せた。
「なんだ、そう言う訳か。一瞬私ったら、あなたが犯人じゃないかって思っちゃったわよ。そうよね、いくらあなたでも実際に人を殺したりなんかはしないわよね」
内田は納得したようだった。少年から三つ目の理由を聞くのも忘れ、一人腕を組んでうんうんと頷いている。
そんな内田を見ながら、少年は思わず笑みを浮かべた。
世の中には、知らなくても良い事がある。もし、三つ目の理由を彼女が知ってしまったら、きっと面倒な事になるだろう。彼女を余計な事に巻き込みたくはない。
少年は、足元に転がる顔無し死体を見つめた。
顔の筋肉と神経がむき出しになったその死体は、うつろな眼球で少年を見つめている。彼女は、少年に語りかけていた。自分を殺した犯人を見つけてくれ。そして、惨たらしく殺してくれと。
「あいにく、僕はボランティアじゃないんでね」
「何か言った?」
「別に……」
少年は、死体に背を向け扉へと向かう。
「ねぇ、あの死体ほっといていいの?」
「そのうち、誰かが見つけてくれるよ。今は寒い季節だし、暫くは持つでしょ」
だが、内田は気になるのか、チラチラと後ろを見ている。
そんな内田を見つめながら、少年はやはり三つ目の理由を言わなくて良かったと思った。
好奇心旺盛な彼女の事だ。絶対に突き止めようとするに違いに無い。一年前に起きた、レザーフェイス事件。あの事件の犯人が一体誰かと言う事を……。