Chapter 2
病院から出ると、入り口に内田が居た。内田は、あからさまに不機嫌そうな顔をして少年を睨みつけている。
「遠慮しないで、君も一緒に来れば良かったのに」
少年がそう言うと、内田はぷぅと顔を膨らませた。
「あなたって、本当にデリカシーが無い人ね。あなたが別の女と逢引している所へ、私がどの面下げてノコノコ行けるって言うの」
「いや、僕は見舞いに行ってただけで……」
だが、少年が言い終わる前に内田はぷいっとそっぽを向いてしまった。
一体、僕の何が悪かったのだろう。彼女の怒る基準については未だ謎が多い。
「それに、病院って嫌いなのよ。なんだか不吉なイメージがあるわ……」
憂いのある暗い表情で内田は俯いた。
そんな内田の前を少年は無言で通り過ぎる。だが、背後から彼女の手が蛇のように少年の腕に絡み付いてきた。
「まぁいいわ。ここからは、私があなたを独占出来る時間だしね。少しぐらいの浮気は許してやるか。私の懐は、底無し沼のように深いのよ」
言いえて妙な内田の言い回しに、少年はクスリと微笑む。そんな彼を見て、内田は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そう言えば、あなたのこと噂になっているわよ」
帰り道で、内田が言った。
「僕の事が?」
聞きなおす少年に、内田が頷く。
「あなた、ナイトストーカーって知っている?」
内田の口から、その言葉が出たことに少年は驚いていた。毎度の事だが、彼女はこの手の情報を何処からか仕入れてくる。それは、彼女の七不思議の一つだった。
このS市では、あの事件を皮切りにここ一年で様々な事件が多発していた。
A区一家惨殺事件、H高校連続怪死事件、国道百七十六号交差点轢き逃げ事件、J線連続飛び込み自殺。いずれの事件も、あの事件にひけを取らないほど凄惨な内容だ。
ネット上では,このS市で連続で起きている不可解な事件の話題で持ちきりだった。中でも、不特定多数の人間が匿名で投稿出来る総合掲示板では、これらの事件のある共通性について議論されていた。それは、どの事件の犯人も未だに見つかっていない事である。
警察が調べ上げた重要参考人は、いずれも謎の失踪を遂げており、いまだ消息不明だった。ネットの住人達は、この不可解な失踪を疑問視し、実はこれらの犯人を誰かが密かに闇に葬っているのでは無いかと噂していた。その暗躍している者を、彼らは闇を徘徊する者と言う意味を込め「ナイトストーカー」と命名したのだ。
「あなたも随分と有名になったものね。今度サインでも貰おうかしら?」
どこまでも深い漆黒の瞳を輝かせ、内田が言った。
「それに、よくよく考えてみれば、あなたと関わった人達ってほぼ全滅でしょ? あなたって、まるで死神みたい。ナイトストーカーとは、良く言ったものだわ」
内田は目を細め、薄い笑みを浮かべている。
王子様の次は、ナイトストーカーか。
少年はフッと自嘲気味に笑った。
どちらかと言えば、僕にはこっちのあだ名の方がしっくり来る。だが、残念ながら彼女もネットの住人達も、これらの事件の裏で暗躍する本当の意味でのナイトストーカーの存在に気がついていない。
「奴と一緒にされるなんて侵害だな」
少年がポツリと呟く。
「奴?」
少年はそれ以上何も答えなかった。内田は、しつこく聞いてくるが少年は聞こえないふりをした。
その時、ぎゃあぎゃあと人の悲鳴のような鳴き声が上空から聞こえてきた。見上げると、無数の鴉が灰色の空を旋回し鳴いているのが見える。
「何なの、あの鴉の群れ……。気味が悪いわ」
怪訝な表情で上空を見上げながら、内田が呟く。
空を飛び回る黒い集団に、他からやってきた鴉が一匹、また一匹と加わっていく。その数は増え続け、いつしか空を覆い尽くさんばかりになった鴉の群れは、ある雑居ビルに群がっていた。
「ねぇ……あのビルに行ってみない?」
目を輝かせながら、内田が少年に聞いてきた。どうやら、いつもの彼女の悪い虫が騒いでしまったらしい。だが、少年は乗り気じゃなかった。あそこに行けば、またよからぬ物を彼女が見つけてしまいそうな予感がしていたからだ。
本人は気がついていないが、少年は彼女には死体や霊などそう言った類の物を見つけてしまう特殊な能力があると思っていた。少年が闇の徘徊者なら、彼女は闇の探索者と言えよう。
返事を待たずに、内田は少年の腕を引っ張り歩き出していた。やはり、今日も彼に選択権は無いらしい。少年は大きな溜息をつくと、意気揚々と進む内田の後に続いた。