Chapter 9
私は振り向く。
「お父さん……」
そこには、青白い顔をしたお父さんが立っていた。お父さんは、感情の窺えない虚ろな瞳で私を見つめている。
予感はあった。
法子がホームに落ちた時、真由美が車道に飛び出した時、一瞬だが私は彼女達を襲ったお父さんの姿を見ていたのだ。
私は、お父さんは自分の無念を晴らすために二人を殺したのだと思っていた。だが、虫も殺せない程優しかったお父さんが、人間を殺せる訳が無い。そう、お父さんは復讐を行っていたのでは無い。お父さんは……。
その時、突然の衝撃が私のお腹を襲った。
慶子に思いっきり腹を蹴られた私は、勢いよく吹き飛び転がる。
「やってくれるじゃない」
ケホッと咳き込みながら、怒りを露にした慶子が私を見下ろす。
痛む腹を押さえながら、私は慶子を睨み付けた。
「……お父さんに、何をしたの?」
だが、慶子は私の質問に答えず、首からぶら下がっているペンダントに触れている。
「お父さんに何をしたのって聞いているのよ!」
慶子はクスリと微笑んだ。
「いいでしょ、このロボット」
「……ロボット?」
慶子の意味不明な回答に、私は一瞬困惑した。
「そう、これは私のロボット。だってそうでしょ? こいつには感情が無いし、自分で考えて動く事も出来ない。その代わり、主人である私の言う事は何でも聞くの。それって、ロボットって言わない?」
「ふざけないで!」
怒りの感情を露にする私を見つめながら、慶子は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「こいつを手に入れたおかげで、私は自分の手を汚さずにゲームを楽しむ事が出来たわ。その分、スリルを味わう楽しみは半減しちゃったんだけどね」
慶子は、ケラケラと無邪気な子供のように笑っている。
……狂っている。
単純に私はそう思った。
前から思っていた事だが、慶子には良心というものが欠如している。善悪の認識が私と、いや人とは明らかに違うのだ。彼女にとって、きっと他の人間は自分の欲求を満たすための道具に過ぎないのだろう。
「……そうやって私のお父さんを操って、あの二人も殺したのね」
その言葉に、慶子はピタリと動きを止めた。
光悦に光り輝いていた瞳は急速に光を失い、ただの窪んだ黒い穴となった。
ゆっくりと、慶子が私に向き直る。
「へぇ……気がついていたんだ」
私は携帯を取り出し、慶子から届いたメールを突きつけた。
「あなたから送られてきた、この人だかりが出来ている画像。これは、私と法子が居た駅のものでしょ? あなたはこの時、私たちと同じ駅にいたのよ」
「何故そう思うのかしら? 理由を聞かせてもらいたいわね」
私は、画像のある部分を指差した。
「ここに映っている大型量販店の看板に私は見覚えがあった。あの店は、この市内じゃ、あの街にしか無い。他の駅で撮ったのなら、この看板が映る訳は無いのよ」
私の答えに、慶子は何も反応を示さない。ただ黙ってその場に佇んでいる。
暫くの沈黙の後、一陣の風がマンションの屋上を通り過ぎた。
風になびいた髪が慶子の顔を覆い隠し、血のように赤い唇だけが残された。その口が邪悪に歪み、肯定の笑みを見せた。
「……さすが優等生。良く、そんな所に気がついたわね」
感情の無い声で、慶子がポツリと呟く。
「あなたは、他の駅に行ったフリをして、私たちの後を追ってきていた。そして、お父さんを操って法子をホームに突き落とし殺した。真由美の時もそう。あなたは、彼女も車道に突き飛ばし殺したのよ。なんで? なんで二人を殺したの? 彼女たちはあなたの友達だったんじゃないの?」
「友達?」
慶子が首をかしげる。
「だっていつも一緒に居たじゃない。ご飯食べたり買い物したり、あんなに仲良さそうにしていたじゃない。そう言うのって、友達って言うんじゃないの?」
「へぇ……。あなたにとって、それが友達って言うんだ」
慶子が私を見つめる。
「だったら、私とあなたは友達って事よね?」
「え……?」
「だって、私たちと一緒にご飯食べに行ったよね。買い物だって一緒に行った。あなたにとって、そう言う行為を共にする相手が友達って言うんでしょ? でも、あなたは私たちを殺すつもりだった……」
慶子の瞳が、まるで悪魔のように光り輝く。
「友達である私たちをあなたは殺すつもりだったんでしょ? ねぇ、教えてよ? あなたと私、何が違うって言うの?」
私は言葉を失った。
確かに私は、復讐のため慶子たちに近づいた。彼女達と、表面上は仲良くなったフリをして、隙を見せた時に殺すつもりだった。そんな私の姿は、傍目から見れば仲の良い友達のように見えたに違いない。
答えに窮する私を慶子は哀れんだ表情で見つめた。
「ごめんね、答えに困るような質問をして。でも、安心して。私もあなたと一緒だから。私もね、あなたの事も、あの二人の事も友達だなんて思った事なんて一度も無いの。今までそう言うフリをしていただけ……」
冷たい笑みを浮かべながら、慶子が私に歩み寄ってくる。
「私ね、そろそろこのゲームも飽きたから終わりにしようと思っていたの。警察も何だか動き出しているみたいだったし、そろそろ潮時かなって。そうなると、邪魔になるじゃない? あなた達の存在って」
一歩ずつ、まるで死を伝える死神のように、ゆっくりと慶子が私に近寄ってくる。
慶子から伝わってくる静かな殺意を感じ、私の手足が恐怖に震えた。
「どこから私の名前が漏れるかも分からないしさ、そうなると色々面倒なのよ。だから、殺しちゃおうって思ったの。ホラ、昔から言うじゃない? 死人に口無しって」
慶子の光の無い瞳が私を捕らえる。きっとこの瞬間、彼女は私を人間では無く、単なる物として認識していたに違いない。
殺される……。
恐怖に耐えられなくなった私は、その場から逃げようとした。だが、私の両肩をお父さんが掴んだ。
「お願いお父さん、助けて!」
私は必死にお父さんに懇願した。だが、お父さんはあらぬ方向を見つめているだけで、何の反応も示さない。
「お父さん!」
「無駄よ」
慶子が冷たく言い放つ。
「いくら叫んだって、あなたの声は届かないわ。だって、そいつは死んでいるのよ。死人に言葉が通じるわけ無いじゃない。無駄よ、無駄無駄」
「無駄なんかじゃない!」
私は慶子を睨みつけた。
「私には分かるわ! あなたに無理やり操られ、苦しんでいるお父さんの気持ちが! 私の声だって、お父さんに絶対に届いているはずよ!」
その言葉に、慶子はニヤリと怪しい笑みを見せた。
「そこまで言うなら分かったわ。死人に言葉が伝わるって言うなら、あなたの声をこいつらにも聞かせてあげてよ」
そう言って、慶子がパチンと指を鳴らした。すると、彼女の背後に無数の人影が音も無く現れた。
「ひっ……!」
その姿を見た私は思わず息を呑む。
そこには、明らかに普通の人間ではない者たちが佇んでいた。
手の無い者、足の無い者、体から内臓が飛び出している者、顔がつぶれ人とは思えない姿をしている者。そう、そこに現れたのは慶子に殺された人間たちだった。そして、見覚えのある二人の姿もそこにあった。
「法子……。真由美……」
青白い顔で、法子と真由美は佇んでいる。そんな二人に向かって慶子が話しかけた。
「どう? 法子、真由美。和美の声は聞こえるかしら? 彼女、助けて欲しいんですって。あなたたち友達でしょ? 助けてあげたら?」
だが、法子と真由美は何の反応も示さない。光の無い淀んだ黒い瞳で私をジッと見つめているだけだ。
慶子はフッと鼻で笑った。
「やっぱり無駄だったみたいね」
目の前までやってきた慶子は、身動きが取れない私をマジマジと見つめる。そして、冷たい指先で私の頬にそっと触れた。
「今まで殺してきた人間って、電車や車に撥ねられて一瞬で死んだから、きっとそんなに苦しんでいなかったと思うの」
一瞬私は、慶子が言わんとしている事を理解出来なかった。だが、すぐにその言葉の真意に気付き、ハッとする。
「だから今度は、生きたまま苦しんで死ぬ姿を見てみたいわ」
底無し沼のような、何処までも深く暗い瞳で慶子が私を見つめる。
私は、その場から逃げようと、必死に体を動かしたが無駄だった。私の体はお父さんにガッシリと捕まれ身動きが取れなかった。
「まずは指を一本ずつ千切り落とそうかしら。次に耳と鼻を削ぎ落とすわ」
ガタガタと私の手足が恐怖に震える。カチカチと私の歯が掻き鳴らす音が、夜の屋上に木霊する。
「冗談は、やめて……」
「私が言っている事が冗談じゃ無い事は、あなたが一番良く知っているでしょ?」
ニィと慶子の口元が邪悪に歪む。
「友達である私を裏切ったんですもの。あなたには、普通の殺し方じゃ飽き足らないわ。文字通り、あなたの体を細切れにしてあげる。それに、すぐには殺さないわ。あなたは、自分の体が分解されていくのをその目に焼き付けながら、苦しみ悶えて死んでいくのよ」
慶子が首元のペンダントを握り締める。すると、背後に控えていた亡者の群れがゆっくりと私に向かって歩き始めた。私は、これから自分の身に起こる事の顛末を想像し、あまりの恐怖に失禁した。
「た、助けて! 助けてお父さん!」
思わず目を瞑り、私がそう叫んだその時だった。ヒュッと風を切る音の直後に、続けて何かがボトリと落ちる音が聞こえてきた。私は、恐る恐る目を開いてみる。私の足元には、赤い何かが落ちていた。よく見るとそれは、人の手首だった。その手首には、ペンダントが握り締められていた。
私に迫ろうとしていた亡者たちの動きがピタリと止まり、続いて恐ろしい程の静寂がその場に訪れた。一瞬、私は何が起きたのか分からなかった。
「ぎゃあああああああっ!」
その静寂を引き裂くような叫び声が屋上に木霊する。慶子だった。
「な、何をするのよ! 私じゃないわ、切り刻むのは和美よ!」
右手首を押さえながら、激しい怒りをその目に宿らせた慶子が私を睨みつける。いや、その視線の先は私ではなく、後ろに居るお父さんに向けられていた。お父さんは右手を前に突き出した状態で佇んでいた。
拘束を解かれた私は、一瞬の隙をついてその場から離れる。すると、まるでそれを待っていたかのように、亡者たちが一斉に慶子に襲い掛かった。
「や、やめ……」
声をあげる間も無く、慶子の体は一瞬にして亡者達に飲み込まれた。
私は呆然となりながら、慶子が亡者達に襲われる様を見つめていた。
亡者達はまず、慶子の指と言う指を千切り落とした。続けて彼女の耳と鼻を引き千切り落とす。亡者達は、彼女の言っていた事をそのまま実行していた。叫びながら慶子はその場に倒れ、のたうちまわる。
「許して! お願い許して!」
血の涙を流しながら懇願する彼女に、亡者達は容赦なく襲い掛かる。亡者達は次に彼女の手足を掴むとそれを無造作にもぎ取り、その体から腸を引きずり出した。
慶子の断末魔が夜の闇に木霊し、細切れにされた彼女の体が宙を舞う。一方的な解体作業が続き、彼女の体のパーツが次々と屋上から投げ出されていく。そして、最後に胴体と首だけになり、芋虫のように横たわる慶子の姿がそこに残った。
「か……、か……、か……」
まだ息のある慶子に、お父さんがゆっくりと歩み寄る。そして、慶子の体を担ぎ上げると、ゆっくりとフェンス向かって歩き出した。
慶子から流れ落ちる血が、一本の線を作り出す。それは、まるで死刑場へと続く赤い絨毯のように見えた。
「……や、やめて……た、助けて……」
かすれた声を出して慶子が許しを請うが、お父さんは何も答えず無言で歩き続ける。そして、フェンス際までやってくると、慶子の髪を鷲掴みにしそのままフェンスの外に吊るし出した。ダラリと彼女の腸がだらしなくぶら下がる。
さらに、お父さんは乱暴に慶子の体を上下に揺らした。すると、引き裂かれた彼女の腹から腸だけでは無く、他の内臓も飛び出し下に落ちて行った。
「あ……あ……」
意識が朦朧とし、視点が定まらない慶子をお父さんは自分に引き寄せた。そして、何かを呟くと同時に、その手を離した。ゆっくりと慶子の姿が私の視界から消える。慶子は暗くどこまでも深い闇の底へと落ちて行った。
「お父さん……」
私は、お父さんの背中に話しかけた。
お父さんは、ゆっくりと私に振り返る。そして、あの優しい笑みを浮かべると、そのまま姿を消した。気がつくと他の亡者達の姿も消えていた。
あまりの出来事に、私はしばらくの間動けずその場に座り込んでいた。あれほど強かった風はピタリと止み、屋上は静寂に包まれている。
ぼんやりと街のネオンの光を見つめながら、私はあの時お父さんが慶子に向かって呟いた言葉を思い出していた。
「ありがとう、お父さん……」
その時、私の携帯が突然鳴った。いきなりの音に驚いた私は、震える手で携帯を開く。そこには一通のメールが届いていた。
差出人の名前は……慶子。それは、慶子から届いた最後のメールだった。
私は、そのメールを中身も見ずに消去すると、ゆっくりと携帯を閉じた。