Chapter 7
信号の無い交差点を一台の車が横切った。暗い夜道を照らすヘッドライトは、通り過ぎざまにガードレールの側で佇む一人の少年を照らし出す。
少年は、頭上に光る青黒い月を身動き一つせず見続けている。そんな少年を横目で見ながら、隣にいる内田が話しかけてきた。
「あの人、来るかしら?」
「来るさ」
内田の問いに、少年はジッと月を見ながら答えた。
「彼は来るよ。だって、彼には来なくてはならない理由があるからね」
自信ありげに答える少年の態度に、内田は解せない顔をしながら首をかしげた。その時だった。
「待たせたね」
歩道橋の袂で佇む少年に向かって、背後からやってきた男が話しかけてきた。
「わざわざ彼女の事故現場であるここに僕を呼び出すなんて、君はいい性格をしているな」
ゆっくりと振り向き、少年は男を確認すると頭を下げ軽い会釈をする。
その時、男は少年に違和感を感じた。彼が振り向いた瞬間、右目にぽっかりとした空洞があるように見えたのだ。男は、しばしばと瞬きをし目を擦った。
「ご足労頂いて申し訳ありません。これを辻さん、あなたにどうしても渡したくて」
少年は一枚の写真を懐から取り出し、辻に差し出した。だが、辻は先程の少年の目の事が気になり、写真を手にしたまま少年の顔を見つめている。
「辻さん?」
「あ、ああ……」
少年に呼びかけられ、我に返った辻は受け取った写真に目を落とした。そして、ピクリと眉をひそめた。
「……君は、これを何処で手に入れたんだい?」
それは、少年が加藤の家で見つけた三人の姿が写っている写真だった。
「彼女の家ですよ。彼女の部屋の机の上に飾ってありました」
少年は咄嗟に嘘をついた。さすがに容疑者の家で見つけたとは言えない。
「そうか……」
物思いに耽るように、辻は写真を見続けている。
暫くの沈黙ののち、少年は口を開いた。
「あなたと容疑者である加藤は友人関係だったんですね」
「……ああ。あいつは俺の幼馴染だよ。もう十年以上の付き合いになる」
写真を見ながら、辻は答えた。
「昨日、あなたは自分を伊東さんの元彼だと言っていましたね。だが、彼女が死ぬ直前まで付き合っていたのは加藤だった。そして、彼女はその恋人である加藤に殺された」
少年の瞳が、闇夜に光る猫の目のように妖しく光った。
「辻さん。もしよろしければ、知っている限りで構わないので、こうなるまでの経緯を教えてもらえませんか?」
「経緯?」
辻は顔をあげると少年を見つめた。
「ええそうです。繰り返しになりますが、あなたが伊藤さんと別れた後、あなたの幼馴染である加藤が彼女と付き合う事になった。当然、当事者であるあなたは彼女と別れた理由と、その後加藤と彼女が付き合う事になった理由を知っているはずです。そして、加藤が今回の事件を起こした動機についても、もしかしてあなたは何か知っているのではないですか?」
「……何故、そう思うんだい?」
「勘ですよ」
ジッと辻を見据えながら、少年は言った。
「大体それを君が知ってどうする。君には関係無い話だろ?」
「関係ですか。関係は……ありますよ」
辻の言葉に、少年は俯き加減に呟いた。
「実は、僕は彼女の事が好きだったんです」
「な?」
少年の後ろで内田が驚いた顔を見せた。
「でも、彼女は僕の気持ちに気付かず、いつも他の男との恋愛相談ばかりしてきました。そんな話を聞かされる度、僕は気が狂いそうになりましたよ。でも、彼女が幸せになれるならと思い、今まで我慢して相談に乗っていたんです。だけど、彼女はあなたと付き合っていた事も、その後あなたと別れ加藤と付き合う事になった事も何も話してくれなかった。僕は警察から話を伺うまで、彼女の付き合っていた人は別の人物だと思っていましたからね……」
少年は懇願するように辻を見つめた。
「辻さん、お願いです。なんでもいいんです。何か知っている事があるのなら僕に教えてくれませんか? 僕は、彼女の事なら何でも知りたいんです」
「本当、あなたって大した役者だわ……」
少年の迫真の演技に、内田は呆れ顔で呟いた。
「そうか、君も僕と同じ彼女に振り回された失恋組か……」
そう言うと、辻は人懐っこい笑顔で微笑み、少年の肩に手を乗せた。
「でも、残念ながら君が納得行くような答えは無いと思うよ。ただ単に、僕と彼女が付き合っていた所に、加藤が割り込んできた。そして、彼女は僕では無く、君でも無く、アイツを選んだ。男と女の間ではよくある話さ」
「それだけじゃないわ……」
辻の言葉に、彼の背後で佇んでいた伊東がポツリと呟いた。
少年は何事も無かったように辻を見つめ続け、耳だけを伊東の言葉に傾けた。
「彼女は僕と喧嘩するたび加藤に相談していた。きっとそうしている間に、奴に情が移ったんだろ。そして僕は捨てられたんだ」
「その喧嘩と言うのは、どんな内容のものですか?」
少年の言葉に、辻は首をかしげた。
「どう言う意味だい?」
「実は、僕は彼女からある相談を受けた事があるんです。誰とは聞いていませんでしたが、今付き合っている彼氏から日常的に暴力を受けていると……」
少年がそう言った瞬間、辻の顔から笑みが消えた。
「もしかして、その時彼女が話していた相手って、辻さん、あなたの事ではないですか?今思えば、彼女から相談を受けた時期と、あなたが彼女と付き合っていた時期が重なるんですよ」
辻は、光の無い暗く濁った瞳で少年を見つめる。だが、少年は気にした様子も無く、伊東から聞いた話を続けた。
「もしかしたら、彼女はその事を加藤にも相談していたのでは無いですか? そして、あなたの暴力から逃れるために、あなたと別れたんじゃないですか?」
「だったら何だって言うんだ?」
先程までの優しい口調とはうってかわり、辻は鬼の形相に変わると、怒声をはらんだ強い口調で言った。
「理由がなんであろうと、アイツは俺を裏切って加藤の元に走ったんだ。俺たちが別れる事になったのは、あの女が浮気したからなんだよ。それ以上でも、それ以下でも無い」
「あなたの暴力は関係ないと」
「そうだ。そもそも殴られる理由はあいつが毎回作っていたんだ。あいつは、俺に殴られて当然なんだよ。殴られたくなかったら、俺を怒らせなければ良かったんだ」
辻の言葉に、内田は蔑んだ目を見せた。
「サイテー。なんて自分勝手な奴なのかしら。こんなヤツ、伊東さんに呪い殺されちゃえばいいのに」
内田の呟きは結構大きな声だったが、幸いそれは辻には届いていなかったようだ。辻は、血走った目で少年だけを見つめている。
少年はコクリと納得したように頷いた。
「なるほど……あなたと彼女が別れた理由については良く分かりました。ですが、もう一つ分からない事があるんです」
少年は腕を組み、少しだけ考えているような素振りを見せた。
「何故、加藤は彼女を殺さなくてはならなかったのでしょうか? 親友との関係が壊れるのを承知で加藤は彼女を受け入れた。そこまで好きだった彼女を殺さなくてはいけない程の理由って何なんでしょうね。別れたあなたが殺したって言うなら動機も分かるんですよ。そう、例えば……逆恨みとか、嫉妬とか、ね」
少年は薄い笑みを浮かべながら辻を見つめた。
ジッと自分を見てくる少年の瞳に、辻は何かを見透かされたような気がして、思わず目を背けた。
「知らないな。どうせくだらない喧嘩でもして、カッとなった勢いでやっちまったんだろ。あの女は人を怒らせるのが得意だったからな」
地面に唾を吐き、辻は文字通り吐き捨てるように言った。
そんな辻を見据えながら、少年は肩からぶら下げている鞄から一冊の本をおもむろに取り出した。
「そうそう、忘れる所でした。実は、彼女の部屋で面白い本を見つけたんですよ」
少年は、その本をゆっくりと辻に差し出した。
ひったくるようにして本を手に取った辻は、表紙を見た瞬間目を見開く。
その本のタイトルは『コウノトリ』。それは、妊婦向けに発行されている月刊誌だった。
「彼女は妊娠していたんですよ。知っていましたか?」
少年の問いに、辻は手元の本を見つめたまま首を横に振った。
「加藤は、身ごもっていた彼女を自分の子供ごと轢き殺したんです。酷い話ですよね。普通、父親になろうとしている人間が、ここまで残酷な行為が出来るものなのでしょうか?」
少年は辻に向かって問いかけた。だが、辻は俯いたまま何も答えず押し黙っている。しばらくの間、少年は辻からの返答を待っていたが、反応が無いのでそのまま続ける事にした。
「ただ、ちょっと腑に落ちない点がありましてね。これは後から警察の調べで分かった事なんですが、実は彼女は妊娠して三ヶ月目だったそうです」
実際には、警察では無く伊東本人から聞いた話だが、この際関係ない。少年は目を細め、再度反応を確かめるように辻を見つめた。辻はわずかに体を揺らし震えていた。
「確か昨日の話では、あなたと彼女が別れたのは一ヶ月ほど前だって言ってましたよね。その後、彼女は加藤と付き合う事になった。おかしいですよね。計算が合わない」
「……何が言いたい?」
押し殺すようなドスの効いた声で、辻が呟く。
「いや、これはあくまでも僕の勝手な想像なんですが、もしかしたら彼女が身篭っていたのは加藤の子供ではなく……あなたの子供だったのではないでしょうか?」
少年の言葉に、辻はゆっくりと首をもたげるようにあげた。
互いを見つめ合う視線が交差し、暫しの時が流れる。
その時、遠くから一台の車が手前に向かって走ってきた。車のヘッドライトの光が、ガードレールの前で対峙する二人を照らし出す。運転手の男は、こんな時間にこんな所で佇む二人を見て不思議に思った。そして、通り過ぎ様に男は自分の目を疑って少年を二度見した。だが、確かめる間もなく車は少年の脇を通り過ぎていく。
あの目だ。
辻は、全身に悪寒が走るのを感じていた。
やはりあれは見間違いなんかじゃなかった。こいつの右目は、明らかにおかしい。ヘッドライトを浴びた一瞬の事だが、奴の右目に空洞が出来ていた。何だ、こいつは? 人間なのか?
辻の額から一筋の汗が流れ落ち、地面にポタリと落ちた。
そんな怯えた表情を浮かべる辻に向かって、少年は表情一つ変えずに話を続ける。
「せっかくあなたと別れ、新しい彼との生活が始まろうとしているのに、こんな事で台無しにしたくない。そう思った彼女はこの事実を隠し、自分のお腹に宿している子は加藤の子供だと彼に告げたのでは無いでしょうか。そして、加藤はその言葉を信じ、初めは彼女との子供を育てる決心をしたんだと思います。しかし、あなたはそれを心良くは思わなかった……」
少年の瞳から急速に光が失われていき、ただの黒い玉となった。そして、口元を避けんばかりにニィと広げ、少年はクククと含み笑いをこぼした。
「あなたは自分を捨てた彼女を恨んでいた。そして、自分から彼女を奪った加藤をも恨んでいた。あなたは考えた。どうしたら二人に対し復讐が出来るのか。そんな時、彼女が自分の子供を妊娠している事を知ったあなたは、ある計画を思いついた。自分の手を一切汚さず、二人を不幸に陥れる卑劣な計画を」
「お前……。何故、そこまで知っている?」
「聞いたんですよ、彼女に」
「なんだと?」
そう言うと、少年は静かに横へ移動した。
「さて、ここから先は直接本人に説明してもらいましょうか」
少年の背後に控えていた人物が音も無く前に歩み出る。その姿を見た辻は、驚愕の表情を浮かべた。
「さ、沙耶……!」
そこには左半分の頭が潰れ、脳みそを剥き出しにした血だらけの女、伊東がいた。伊東は、恨めしい目つきでジッと辻を見つめている。
「私が車に轢き殺されたあの日、私はあなたに呼び出された。『話がある。来ないとお前の腹の子供が誰の子か加藤に言う』と……」
「お、お前どうしてここにいる? お前は、死んだはずじゃ……!」
目を見開き呆然と佇む辻に、伊東は一歩近づいた。
「この交差点に呼び出された私は、あなたからの連絡を待っていた。しばらくすると私の携帯にあなたからの着信があった。電話に出て、言われた方を見るとあなたが反対車線の向こう側にいるのが見えた……」
首をゆらゆらと揺らしながら、伊東がまた一歩近づく。
青ざめた表情の辻は、ガクガクと膝を振るわせ後ずさる。
「あなたは、車道を渡って自分の元に来いと私に命令した。あなたの命令に従うしかない私は、道路を横切り反対側へ渡ろうとした……」
「嘘だろ? お前は死んだはずだ。あの日、加藤に轢き殺されたはずだ!」
伊東は辻の目の前にまで迫った。
あまりの恐ろしさに、足を縺らせた辻はその場にしりもちをつく。
「その時、私に向かって突然光が浴びせられた。振り返ると、暗闇から現れた車が私に向かって一直線に走ってくるのが見えた。轢かれる瞬間、私は運転席に座る加藤君の姿を見た。彼は楽しそうに笑っていたわ……」
「や、やめろ! ち、近づくな!」
倒れている辻の前で四つんばいになった伊東は、グロテスクな潰れた顔を彼の目の前に突きつける。怒りで歪むその顔は、美しかったあの頃の面影を一切残していなかった。
「あなたは、すでに加藤君に真実を伝えていた。そして、彼もこの交差点に呼び寄せいてた。あなたは、彼にきっとこう言ったんでしょ? 私とあなたの関係は今でも続いていると。その証拠を見せてやると。そして、あなたの元へと駆け寄る私の姿を見た加藤君は、その言葉が本当だと思った……」
ギラリと伊東の瞳が輝く。
「許さない……。加藤君がおかしくなったのは、あなたのせいなのよ! あなたさえ、彼に余計な事を吹き込まなければ、こんな事にはならなかった! 殺してやる! 殺してやるわ!」
血に染まった手を伸ばし、伊東は辻に覆いかぶさるように襲い掛かった。
暗く静かな交差点に加藤の叫び声が木霊する。
少年は満足げに頷くと、二人に背を向け内田に向き直った。
「さて、後の事は二人に任せて、僕たちは帰ろうか」
「そうね。どうやら私たちお邪魔のようだし」
少年は、もつれ合う二人を残しその場を離れる。そして、人気の無い交差点に一際大きい断末魔の叫び声が響き渡った。だが、その声を聞いた瞬間、少年は振り返った。
「今の声は?」
続けて内田も振り返る。何故なら、その声は辻では無く、伊東の叫び声だったからだ。




