Chapter 3
少年と内田が学校から出た頃には、陽は沈み、辺りはすでに真っ暗だった。
二人は、轢き逃げ事件の現場である交差点へと向かっていた。
校門を出て少し歩くと、目的の場所である歩道橋が遠くにぼんやりと見えてきた。だが、その場所までは光が一切無い暗い夜道が続いており、外灯に照らされ浮かび上がる歩道橋は、まるで夜の海を彷徨う自分達を誘う灯台の光のようにも思える。
歩道にも外灯は設置されているのだが、少し前から消えたままになっていた。内田の話によると、業者の人間が修理のために何度か見に来ているのだが、いくら直してもまたすぐに消えてしまうらしい。ちなみに、外灯が消え始めたのは今から三週間ほど前であり、それはちょうど伊東が轢き逃げされた時期と重なっていた。
「前々から怪しいとは思っていたけど、今日やっと外灯がつかない原因が分かったわ。やっぱり私の考えは正しかったのね」
そう言いながら内田はチラリと後ろを見た。そこには誰もいなく、パチパチと点滅しながら辺りを照らす外灯が続いている。
「彼女、ちゃんとついて来ている?」
前を歩く少年に向かって、内田が尋ねた。
「ああ。君のすぐ後ろにいるよ」
振り向きもせず、少年が答える。
伊東は虚ろな表情でブツブツと何かを呟きながら、内田のすぐ後ろについて来ていた。
「今度から、外灯が突然ついたり消えたりしたら、そこに霊がいるって思うようにするわ」
まるで凄い発見をしたかのように、内田は満足げに一人頷いた。
「でもさ、なんでワザワザ事故現場にやってきたの? もう警察もあらかた調べただろうし、轢き逃げ犯の証拠なんて何も残っていないと思うよ」
「そんな事は最初から期待していないさ。でも、現場百回って言葉があるだろ? ここに来れば、何かに気がつくかもしれないし、彼女も何かを喋ってくれるかもしれない」
そんな会話をしながら少年が現場に辿り着いた時、そこには先客が居た。
男は、交差点の角にあるガードレールに向かってしゃがみ込み手を合わせている。その前には、少年が今朝通った時には無かったはずの花束が置かれていた。恐らく、その男が供えたものだろう。
少年に気がついた男は、立ち上がると軽い会釈をしその場を後にしようとした。だが、男の姿を見た伊東がポツリと呟いた。
「辻君……」
その言葉を聞いた少年は、立ち去ろうとしている男の背中に向かって声をかけた。
「すいません、あなたはもしかして辻さんですか?」
男は歩みを止め振り向いた。
「そうだけど、君は?」
少年はペコリと頭を下げ、自分は彼女の親戚の者だと自己紹介をした。
「以前に、彼女から辻さんの話を伺っていたんです。聞いていた風貌とあなたの姿が良く似ていたので、もしかしたらと思いまして」
落ち着いた様子で堂々と嘘を語る少年に、内田は呆気に取られていた。
少年の話を聞いた辻は、納得したように頷いた。
「じゃあ、君は僕と彼女がどう言った関係だったかも聞いていたのかな?」
「少しだけですけど……」
少年がそう言うと、辻は人懐っこそうな笑顔を見せた。
「前に僕は彼女と付き合っていた事があってね、いわゆる元彼ってやつさ。まぁ、一ヶ月程前に別れて、彼女とはそれっきりだったんだけどね……」
辻は、ガードレールの下に供えられている花束に目線を落とした。
「まさか、彼女があんな事件に巻き込まれるなんてね。彼女との再会が、葬式会場になるなんて思いもよらなかったよ」
「酷い事件でしたね。僕は彼女を殺した犯人が許せませんよ」
悲痛な表情を作り、少年は心に無い言葉を並べる。
その言葉に、辻は頷いた。
「ああ、僕も同じ気持ちさ。だが加藤は捕まったんだ。後は法が裁いてくれるさ」
そう言って、辻はその場を立ち去ろうとした。そんな辻の背中に向かって、少年が再び呼び止めた。
「すいません。よろしければ、辻さんの携帯番号を教えてもらえませんか?」
「いいけど、どうして?」
辻は不思議そうな顔をした。
「実は今、僕が中心となって伊東さんの遺品を彼女の友達に配っているんです。その中に、辻さんの分もあるかもしれませんので。例えば、彼女との写真とか」
辻はニコリと微笑む。
「彼女とはもう終わったんだ。そっちで勝手に処分してくれても構わないよ」
「念のためですよ」
少年は携帯を取り出すと、さっさと赤外線通信の準備を始めた。
強引な少年の行動に、辻は不思議に思いながらも自分の携帯番号を教え、その場を後にした。
辻が完全に見えなくなった後で、呆れた様子の内田が少年に話しかけてきた。
「よくもまぁ、あれだけの嘘八百を並べられるわね。大体あんた、彼女の住所すら知らないじゃない。何が『自分が中心になって遺品を配っている』よ」
「僕は単に、早くこの事件を終わらせたいだけさ」
冷ややかな笑みを浮かべながら、少年は携帯に登録した辻の電話番号を確かめている。
「それにしても感心な人よね。元カレなのに、別れた彼女のために花を供えに来るなんて。伊東さん、彼と別れたのは失敗だったんじゃない?」
「確かにね。彼と別れなければ、今頃まだ彼女は生きていたかもしれないのにね」
少年の意味深な言葉に、内田が首をかしげる。
「どう言う意味?」
少年は振り向くと、ニィと口元を歪ませ不気味な笑みを浮かべた。
「彼が伊東さんを殺した真犯人って事さ」
その言葉に、内田は心底驚いた顔を見せた。
「なんでよ? ちょっと話しただけなのに、なんでそんな事が分かるの? まさか、またあなたの勘だとか言わないでしょうね」
少年はクスリと微笑む。
「まぁ、それもあるけど理由は他にもあるんだ」
そう言って、少年は内田に三本の指を見せた。
「まず彼からは、本当に悲しいと言う気持ちが伝わってこなかった。彼の言葉は、上辺だけで感情がこもって無いんだよ。それに、別れたとは言え元カノだった人間が死んだんだ。その事故現場で、普通あんな風に屈託無く笑顔を見せられるものかい?」
「あなたなら平気で笑いそうだけどね」
少年はピクリと眉をひそめた。その顔を見て、内田はニコリと微笑む。少年は、コホンと軽い咳払いをすると話を続ける。
「それに、彼は話の中で加藤は捕まったと言っていた。僕は彼と話をしている時に、加藤と言う名は一切出していない。なのに、何故彼はその名を知っているんだ?」
「別に、普通にニュースとかで見たんでしょ」
それがどうしたと言わんばかりの内田に、少年は首を振った。
「残念だけど、それは無いんだよ。何故なら、加藤も伊東さんと同じで未成年なんだ。テレビはもちろん、どこのニュースサイトにだって加藤の名は発表されていない。全て大学生の男と記載されている。僕たちは彼女から聞いているから知っているけど、何故彼はその名を知りえたんだ?」
少年の言葉に、内田は目を丸くした。
「彼は、加藤が殺人の容疑で取り調べを受けている事を知っている。それは彼が、この事件になんらかの形で関わっている事を証明している」
「なるほどね。あなたの言う理由はよーく分かったわ。でもね、だからと言って彼が犯人だと決め付けるのは早いわよ。今までの話は、あくまでも憶測でしょ? ちゃんとした証拠が無くちゃ」
「証拠か……。証拠ならあるよ」
そう言うと、少年は内田を見つめた。
「犯人を見たと言う目撃証言がね」
「ちょっと何それ? 初耳なんですけど。一体誰が見たって……」
そこまで言いかけた所で、内田はハッと気がつき後ろを振り向いた。そこには誰も居ない。だが、彼女は居た。そう、少年は自分を見つめていたのではない。自分の後ろに佇む女、伊東を見つめていたのだ。
彼女は轢き逃げされて殺されたのだ。であるならば、車に轢かれる瞬間、運転していた犯人を見ていても不思議では無い。そして、その目撃証言は少年にだけ伝えられていた。
内田には伊東の姿は見えていない。だがその姿は見えないのは、彼女にとって幸いだと少年は思う。何故なら、怒りに醜く歪んだその顔が、ますます彼女をおぞましい化け物に変えていたからだ。