Chapter 2
○○年九月十二日午後八時十五分ごろ、S市の国道百七十六号の交差点で、大学生である女性が横断中に車にはねられ、底部に巻き込まれた。女性はそのまま約三キロ引きずられ死亡した。警察は黒っぽいステーションワゴンタイプ車を容疑車両とみて捜査本部を設置し行方を追っていたが、犯行車両と見られる車をS市西部で発見、押収。所持者である大学生の男を九月二十日に逮捕した。男は容疑を認めており、現在殺人と轢き逃げなどの罪で取調べを受けている。
「……以上が、現在分かっているおおまかな情報だ。一週間前の記事だけどね」
少年はノートパソコンを閉じると、内田に向き直った。
「え? 犯人はもう捕まっているの?」
内田はきょとんとした表情を見せた。
少年が頷く。
内田は、納得行かない様子で眉をひそめると、首をかしげた。
「だったら、何故彼女はあの場所で彷徨っているのかしら? 私、てっきり自分を殺した轢き逃げ犯を捕まえて欲しいからだとばかり思っていたわ」
「だったら直接本人に聞いてみようか」
そう言うと、少年は振り返った。だが、そこには誰も居ない。しかし、少年には見えている。赤い血に染まった服を着た恐ろしい顔をした女の姿が。
少年はゆっくりと口を開いた。
「あなたの名前は?」
「……伊東。伊東沙耶よ……」
消え入りそうな声で、女が呟く。その声は、少年の耳だけに聞こえていた。
「では伊東さん、今の僕たちの話を聞いていましたね。ならば教えてください。何故、あなたはあの場所に居続けるのですか? 何か未練でもあるのですか?」
感情の無い声で、少年は淡々と誰も居ない空間に向かって一人話し続ける。その姿は、端から見たらこっけいに見えるに違いない。だが、事情を知っている内田は、見えない女の姿を想像し思わずブルッと身震いをした。
「……はず無いわ」
伊東は微かな声で呟いた。
「聞こえません。もっとはっきりと喋ってください」
「加藤君が、そんな事をするはずが無いわ!」
伊東の悲痛な叫び声が少年の耳だけに響き渡る。
少年はその言葉に、ピクリと眉をひそめた。
「加藤? それは、轢き逃げ犯の名前ですか? もしかして、あなたと轢き逃げ犯は以前からの知り合いだったのですか?」
「え? そうなの?」
少年の言葉に、内田は驚いた顔を見せた。
「そんな事するはず無いもの……。加藤君がそんな事をするはず無いモノ……。加藤君がソンナ事スルハズガ無いもノ……」
伊東は少年の質問に答えず、自分の体を抱きしめながら同じ言葉を繰り返す。
霊には心があり、感情もある。だが、その思考は非常に不安定で、また直情的だ。生前、強烈に残った記憶を頼りに、同じ行動を繰り返す傾向にある霊たちは思い込みが激しく、それが間違った方へ向くと危険な事件を巻き起こす事もある。その事を良く知っている少年は、彼女にこれ以上質問するのは危険だと判断し、聞くのをやめた。
「彼女は何だって?」
質問を終えた少年に、内田が尋ねる。
「彼女の口調や素振りを見る限り、その加藤と言う人物とは、知り合い以上の間柄だったみたいだね。彼女が言うには、その男は轢き逃げするような人間じゃないと言っているよ」
「ふーん、なにやら訳ありみたいね。もしかして、二人は恋人同士だったとか?」
内田がクフフといやらしい含み笑いを見せる。
少年は肩をすくめた。
「さぁね、これ以上聞いても彼女は教えてくれそうにも無いし、本当の所は分からないよ。とりあえず、彼女と加藤の身辺関係を洗う事から始めるしかないな」
そう言って少年は、ノートパソコンを鞄にしまうと席を立った。
中間テストも近いってのに、本当に面倒な事に巻き込まれた。あの時、あの女と目さえ合っていなければ、こんな事にもならなかったのに。
そう思いながら、少年はチラリと内田を見た。内田は腕組をしながら、難しい顔をして何かを考えている様子。きっと彼女の頭の中には、中間テストの事など片隅にも無いに違いない。
そんな内田を見て、少年はどのみちこうなる運命だったのかもな、と考え直す事にした。そうでも思わないと、とてもじゃないがこんな忙しい時期に、こんな事件に巻き込まれた事に納得ができないからだ。
とにかく、今自分が出来る事はこの事件をさっさと解決し、自分に取り憑いたこの女を引き離す事だ。
そう自分に言い聞かせ、少年は図書室を後にした。