白い塔の屋上へ
僕と少女は今白い塔の入り口に立っている。僕は上を見上げる。塔の頂上は見えないといってもいいほど高くにあった。少女は戸惑いなく塔の扉を開け中に入る。僕も少し塔の高さに気圧されながらも後に続く。中は、中央を広い空洞とした螺旋階段が延々と続いていた。さらに僕は塔の高さに気圧されながらもこの現実ではありえないつくりの塔に胸が躍っている。ただ一つ気がかりなこととして。
「えと、ここの屋上に行くの?」
「ええ、そうよ」
「だいぶ上らないとだね……」
僕は頬を掻きながら少し困ってしまった。いったいどれくらいかけて登ればいいんだろう。僕の足疲れないかな……。
「ねえ私ね、この屋上で見せたいものがあるんだけど……ただ登っていくより」
少女は軽快なステップをその場で踏み始めた。次第に彼女から不思議と風が吹き始めた。
「ルンルン、ワクワクしながら向かいましょ!」
少女はふんわりと跳躍し、階段を何段も飛ばして登っていった。僕はぞわぞわと感動が体に走った。僕もあんな風に、この世界なら、思うが儘に動けるのかな。
「少年くん、きみにもできるわよ!」
少女が僕の前に宙を舞って帰ってきた。
「え、ほんと! どうやるの!」
少女は相変わらずの笑顔。ただ今はより嬉しそうに微笑んでいる。
「そうね、コツは風に乗るイメージだけど……まずは」
少女が僕の両手を包むように掴む。僕はそのひんやりとした感触にドキマギしてしまう。
「この世界の不思議な力をあなたに分けてあげるね」
彼女の手の感触が芯の方から次第に熱が伝わってきて、その熱が僕の体の中に流れ込んでくる感覚を味わった。その熱は次第に僕自身の中に溶け込んで、僕のものになっていく。
「どう? 感じた?」
彼女があざとく首を傾げ尋ねてくる。
「うん、感じた」
「なら、行きましょ!」
少女は再び風を纏い、ふんわりと螺旋階段を飛んで駆けていく。僕も、彼女から流れる風を感じながら、自分からもその風が吹いているイメージを抱く。僕からも風が吹き出した。その風に乗るように大地を軽く蹴って、僕も飛ぶ。飛べた。ふんわりと。体が軽い。僕は飛んでいるんだ。本当に。この感覚に、僕は熱い感情を抑えられなかった。鼓動が昂る。熱い鼓動と爽やかな足取りで果てしなく続く白い塔の螺旋階段を上へ上へと何段も飛ばしながら昇っていく。
「あは、あははっ! すごい! 僕にもできた!」
僕は少女を追いかけながらもこの浮遊感を満喫していた。少女は僕よりもうまく宙を舞い、踊るように飛んでいく。
「当り前よ。少年くん。だって」
「だって?」
少女は僕の目の前に飛んできて僕の手を握る。そして一緒に宙をくるくる回りながら舞い上がる。
「あなたもこの世界が好きなんだから」
「……うん!」
僕と少女は追いかけっこをするように宙を舞い、一段一段登っていたら途方もなく遠い屋上までみるみる近づいて行った。
僕はこの不思議な跳躍にだんだんと慣れていって、風に乗るというイメージを強く意識しなくても宙を舞い、駆けることができるようになった。それは純粋に、とても嬉しい上達だった。この世界に僕が迎え入れられている気がしたからだ。
無限に続くとも思われた螺旋階段も終わりへと僕と少女は到達する。そこには屋上へと続く白い扉が。彼女はその扉の前に立って僕の方を見ながら楽し気に微笑んでいる。
「この先に見せたいものがあるの?」
「ふふっ、そうよ」
「じゃ、はやく行こうよ!」
「あわてなくても、この世界は逃げないよ」
僕は白い扉のノブに手をかける。少女は僕の半歩後ろで僕を見守っている。
「開けるよ」
「さぁ、何が待ってるでしょう!」
扉を開く。仄かに暗かった塔の内部と異なり、眩しい明るさが射し込んできた。僕は眩しさに目を細めながら扉を開きその先へと足を進める。
そこに広がる光景は、爽快な空の青さと、眼下に広がる白い街並みと、生い茂る自然の緑。そして屋上の中央にあるものが一つ。とても大きなものだった。それはガラスのように、いや、透明な宝石のように光を受けて輝いていた。
「これは……ピアノ?」
僕はそれに目を釘付けにしたまま少女に尋ねる。少女はふふっと微かに笑い声を漏らしてから、僕の問いに答えてくれた。
「これはパイプオルガン……かな? 見た目はね」
「パイプオルガン……」
その形状を僕は改めてよく見てみた。透明な輝く素材でできた、よく見るピアノのような鍵盤に音が響くのであろうパイプが幾本も繋がっていた。それは大きさも相まって重厚で荘厳な印象を受けもしたが、その透明さのせいか透き通るような不思議な爽快感も僕には感じ取れた。
「少年くん、せっかくだから弾いてみない?」
少女が僕の手を取りパイプオルガンの方へと連れて行こうとする。
「え、弾いてみたいけど……僕ピアノも弾けないんだけど……」
生憎現実での音楽は苦手である。しかし少女はそんなこと、とでもいうように笑い飛ばし、僕の指をパイプオルガンの鍵盤に触れさせる。結晶のようなその素材は触れた僕の指に透明でいて形容しがたい不思議な感覚を与えた。ひどく指になじむ。そんな感覚だった。
「あなたが思うように弾けばいいのよ。そうしたらこの子も応えてくれるわ」
「うん……それじゃあ……」
恐る恐る人差し指で鍵盤の一つを押し込む。そして発せられた音色は、結晶が弾かれたような弾む透明感のある音色だった。僕の体の芯から体を巡る神経すべてに浸透し心地よさを透過させる。そんな幻想の世界での僕が直に感じる、不思議な現実だった。
その一音だけで感動している僕を嬉し気に微笑みながら少女も僕の隣で鍵盤に優しく触れる。そして流れるように指を動かし、透き通る音色を奏でてく。「真似してみて」と呟く。僕は言われた通り彼女の指の動きをよく見て後からできる限り同じように指を動かす。少女の流れる音色の後に、少しぎこちない僕の音色がついていく。その繰り返しは、僕を無心に、しかし心の奥底に何故か泣きそうなくらいの感動を与えてくれた。繰り返される結晶のパイプオルガンの連弾。響く音色は白の塔の屋上から。空は次第に橙色に染まっていった。