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お嬢様には絶対に言わないで  作者: renten
ACT 1
76/176

1-27-3

メイは鋭い視線を足元へ送り、一瞬動きを止めた。扇子が宙で静止したまま、机の下にひそむエドワードを目にとらえる。


(まだおるのか、あやつは…)メイは内心舌打ちしたい衝動をこらえる。会話に没頭しているうち、彼の存在を完全に忘れていたようだ。


エドワードは声を出さず、「これを使え」と言わんばかりに小さな裁縫道具を差し出す。その落ち着き払った態度が、かえってメイの苛立ちを刺激するが、彼女は表情に出さなかった。


メイは眉をひそめつつも、瞬時の速さでキットを掴む。その動きはあまりに自然で、ベルもベアトリスも怪しむ様子はない。


「何かあったの?」ベアトリスが首をかしげ、軽い好奇心を滲ませる。


「なんでもないのじゃ。」メイは涼しい声で答え、軽く扇子で空気を払いのけるようにする。背筋を伸ばし直し、何事もなかったかのように裁縫キットを掲げた。「さっき、汝は『裁縫道具があれば直してやれる』と言っておったろう?ほれ、これを使うがよい。」


ベアトリスの顔がぱっと明るくなる。「まあ!ぜひ使わせてちょうだい。」その声にははっきりとした歓喜とやる気が溢れている。


メイがキットを渡そうとすると、ベルが先に手を伸ばし、興味深そうにそのケースを見つめた。滑らかな表面には繊細な模様が刻まれ、中央には「ヴォイジー」の頭文字を示す「V」の刻印が光る。その名は品質と希少価値で知られるブランドだ。


「これ、すごく高価そう…」ベルは戸惑いがちに呟く。「本当に使っていいの…?」


メイは肩をすくめ、唇を扇子で隠す。「道具は使うためにあるものなのじゃ。飾りではない。」


ベアトリスはベルからキットを受け取り、嬉しそうに微笑む。「ヴォイジー製なのね!うちの使用人も同じものを持っているわ。」


机の下では、エドワードがメイの足を軽く叩いた。視線を下げると、彼は小さく親指を立てている。まるで「よくやった」とでも言わんばかりだ。メイは微かな苛立ちを感じ、ほほ笑みながらも足先でエドワードを軽く蹴る。その動作に動揺を見せず、エドワードは相変わらず泰然自若としている。親指を引っ込める前に、さらなる得意げな表情さえ浮かべてみせた。


メイは乾いた笑いを漏らし、扇子で顎先を軽く叩く。「ふむ、その執事、なかなか趣味がよいようじゃな。」


ベアトリスはくすりと笑い、今度はベルへ視線を向ける。その瞳には穏やかで、だけど何かを願うような光が宿る。何も言わずとも、その視線は「任せてほしい」と語っていた。


「本当に直してもらうの?」ベルは戸惑いを含んだ声で尋ねる。ブレザーのボタンに指をかけ、頬を赤らめながらゆっくりと脱ぐ。「大丈夫、本当は自分で後で直せるから…。」


「構わないわ。」ベアトリスはもう針に糸を通しながら答える。その動作には熟練者の自信が満ちている。「私はこういうの得意なの。見ていて。」


ベルは目を伏せる。「本当に?裂け目、けっこうひどいのよ?」


ベアトリスは視線を針仕事に戻し、穏やかに微笑む。「初心者には難しいかもしれないけど…」一瞬、顔を上げ、誇らしげな光を宿した瞳でベルを見つめる。「わたしは初心者じゃないもの。」


ベルは瞬きをし、微かな笑みを浮かべる。「すごい自信ね。」


ベアトリスは黙々と針を運びながら頷く。「あとでわかるわ。きっと元通りになる。」


針を進めながら、ベアトリスはぽつりと呟く。「こんな時間、まるで夢みたい。」


「裁縫が夢なのかえ?」メイは扇子の奥から眉をひそめる。


ベアトリスは小さく笑い、首を振る。「そうじゃなくて、こういう何気ない瞬間が、友達と過ごす時間っていうのが、嬉しいの。」


メイは気恥ずかしそうに扇子を揺らし、「ふん」と鼻を鳴らす。「わらわらに友達呼ばわりとは大胆じゃな。」


ベアトリスは彼女に眩しい微笑みを向ける。「違う?私たち、もう友達なんじゃない?」


メイは思わず扇子で顔を隠す。「そのような顔で言われると、否定しづらいのじゃ…。」


ベアトリスは上品に微笑みながら、小さく笑った。それからベルにも目を向ける。「ベルも、もちろん友達よね?」


しかしベルはそちらを見ていなかった。視線は教室の扉のほうへ向けられている。そこには今朝舞台裏で出会った教授らしき人影が、ほかの学生と話し込んでいた。


ベルの胸がぎゅっと収縮する。あの記憶が、まざまざと蘇ったのか、その呼吸は乱れ始める。


突然、ベルは立ち上がった。その動作は唐突で、教室の二人を驚かせる。


「ベル?」ベアトリスが戸惑いを隠せずに尋ねる。メイも扇子を下ろし、目を細める。


「ご、ごめん…」ベルは声を震わせ、言葉を呑み込みながら続ける。「ちょっと、用事があるの。すぐ戻るから。」


二人が何かを言うより早く、ベルは教室を飛び出していった。その足取りは慌ただしく、不安定だった。


メイとベアトリスは顔を見合わせ、沈黙が落ちる。得体の知れぬ空気が二人の間に流れ、疑問を呼び起こす。


メイは首をかしげ、乾いた調子で言う。「ふむ、厠にでも行きたくなったのかの?」


ベアトリスは扉を見つめたまま、静かな声で答える。「そう……なのかしらね。」

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