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学生会館は昔から「学生会マナー」と呼ばれてきたが、実際にはシャトーに近い代物だった。高窓の向こうには学園の私有ブドウ畑が整然と広がり、講義の合間にワイン醸造家気取りの学生たちが耕す遊び場となっていた。
客間もまた、誇示の色を隠そうとしなかった。天井は高く、宮殿の大広間を思わせる金装だが、不自然なほどに空虚で——その空白が、中央に置かれた円卓ひとつを際立たせていた。卓上には銀盆に載せられた茶器と砂糖菓子。整いすぎた配置は、舞台の小道具のようにわざとらしかった。窓の外では畑が風に揺れ、光と風が差し込むたびに、部屋の空虚さはいっそう増していく。
六人のキングズガードがその空間を埋めていた。二人は大扉の脇に、残り四人は部屋の四隅に。銀の甲冑は光を弾き、下ろされたバイザーの隙間から鋭い眼差しが覗いていた。
ベアトリスはふと、そのひとりに視線を流す。男の目が鋼の兜の下から返し、彼女と交わる。ベアトリスが柔らかな微笑みを返すと、兵は途端に身を正し、不始末を咎められたかのように背を伸ばした。その微笑みは、壊れそうに淡く脆いまま、彼女の唇に一瞬だけ残り、やがてカップへと伏せられる。
——もうすぐ、エドワードが来る。
そう自分に言い聞かせながら、ベアトリスは銀盆の菓子に手を伸ばした。甘さは舌に儚く残り、張り詰めた心をほんの少し和らげ、この日の出来事の棘を鈍らせていく。
白磁を取り上げる。手元に伝わる温もりが、指先を落ち着かせてくれる。
その時——軋む蝶番の音が響いた。
そして彼女は見た。ドロテアが入ってくるのを。
ベアトリスは凍りついた。息が詰まり、目に映ったものを信じられずに。
手は白磁を忘れ、ただ震えていた。そこにいたのは——憧れ続けた従姉。かつて誰より慕い、誰より仰いできた人。あふれるように記憶が押し寄せる。ドロテアに教わり、導かれ、遊んだ日々。そして——その後に訪れた沈黙。途切れた歳月。ドロテアが来なくなった理由はわかっていた。王家の務めがそうさせたのだと。だが理解は痛みを和らげてはくれ
唇が震え、それでも微笑みが生まれた。待ち望んだ再会に縋るような、
だが次の瞬間、彼女は見た。ドロテアの隣に立つエドワードを
その微笑みは広がった。記憶がやわらかく揺らぐ。困難な時にはいつもドロテアに寄りかかっていたエドワード。強さを持ちながらも、結局は妹のように従っていたアン。その姿が蘇る。二人が並んでいるだけで、胸の奥に喜
——もしかしたら夢が叶うかもしれない。
四人で、また一緒にいられるという夢が。
椅子を押しのけて立ち上がる。鼓動が早まり、今すぐ距離を詰めたい衝動に駆られる。微笑みを明るく染め、唇が名を形づく。願いを込めた囁き。
「ドッティ——」
「ごきげんよう、ベアトリス・カイルイスク様」
ドロテアは扉から数歩だけ進み、小さく正確な礼をとった。
その声は平板でありながら、ベアトリスには怒号のように響いた。
足が止まり、笑みが張りつく。あまりに形式ばった呼びかけ。冷たすぎる響き。しかし——きっと護衛の目があるからだ。儀礼のため、場のため。そう思えば納得できるはずだった。
だから彼女は笑みを保った。ぎこちなく、だが希望を含んだまま。場にふさわしい儀式の一環だと、そう信じるように。壊れやすい橋を架け、その先に温もりが渡ってくることを待つように。
「ご、ごきげんよう……」か細い声がようやく落ちる。
「ご無礼は不要です、ベアトリス様。どうぞお掛けください」
ベアトリスは立ち尽くした。頭を下げるべきか、歩み寄るべきか迷い、やがて小さく頷いた。笑みが戻る。早すぎて、明るすぎて、理解を乞うような笑み。きっと後でドロテアは「ベア」と呼んでくれる。そう信じたいから。
その時には、すでにエドワードが彼女の隣にいた。無言で手を取り、優しく椅子へと導く。ベアトリスは彼を見上げ、同じ笑みを向ける。答えを探すように。だが彼の目は閉ざされ、読み取れなかった。
「エド……?」震える囁きは、届かない。
ベアトリスが腰を下ろすと、ドロテアはさらに数歩だけ進んだ。しかしそれ以上は近づかない。二メートル。そこに線を引いたように。冷ややかで、揺るがない。
視線が交わる。
ベアトリスにとっては再会だった。胸に熱がこみ上げ、待ち続けた年月の痛みが希望とともに震える。笑みはまだ残っていた。脆く、必死に、崩れることを拒むように。
だがドロテアの瞳には、冷たく掴めないものしかなかった。
沈黙が伸びる。空虚ではなく、重みを持った沈黙。二人の心が、正反対の方向に引かれていく沈黙だった。