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お嬢様には絶対に言わないで  作者: renten
ACT 2
170/176

2-29-2

注:エディス・マウントバッテン=カイルイスク

英語表記は Edith Mountbatten-Caerwysg


注:イリィ・ヴォイジー

英語表記は Irye Voysey


注:テレッサ・バークレイ

英語表記は Teressa Barclay


注:すべての Caerwysg は カイルイスク と表記する

正午の鐘はとうに鳴り終わり、学院の小径は食堂へ向かう生徒たちで賑わっていた。

従者たちは控えめに二人一組で後ろを歩き、本や茶箱を抱えながらも、その視線は鋭く、静けさの中に油断はなかった。

中庭の隅々には王宮の近衛兵が鎧を輝かせ、剣を地に突き立てて直立不動の姿勢を取っている。その沈黙の警戒は、にぎやかな昼休みに長い影を落としていた。


その張り詰めた空気のただ中、エディス・マウントバッテン=カイルイスクが腰掛けるベンチの周囲だけが、ぽっかりと空間を開けていた。

テレッサ・バークレイが彼女の腕にしがみつき、泣き腫らした目を赤くしている。通りすがる生徒たちは歩みを緩め、会釈や一礼を送る――少女たち本人にというより、その背後にある名門の家柄へ向けて。


エディスの執事イアンは十歩以上も離れて立ち、無表情のまま周囲を見守っていた。対照的に、テレッサの侍女マーガレットは、ベンチのすぐ傍らで控え、慎ましくも気を張った姿勢を崩さなかった。


「セルヴィリア……」


「落ち着きなさい、テレッサ様。セルヴィリア様は危険などにさらされてはおりませんわ。」

エディスはきっぱりと言い、しがみつく腕をわずかにずらした。


テレッサは鼻をすする音を立て、エディスの袖に顔を擦りつけた。


「そんな振る舞い、淑女らしくありませんこと。」


「いいの……」テレッサは袖に顔を埋めたまま、くぐもった声で呟いた。


「あなたが気にしなくても、袖はわたくしのものですわ」

エディスは小さく溜息をつき、濡れた袖を指で払った。

「まったく……あなたは、わたくしの妹たちを思い出させますわ」


「妹さんがいるんですか、エディス様?」

テレッサはようやく顔を上げ、涙で濡れた瞳を瞬かせた。


「ええ。二人おりますの。双子の妹ですわ」


「じゃあ、わたくしがエディス様に拾われたのも納得だなあ」


「それは一体どういう意味ですの? ご自分でもわかっていないようですわね」


テレッサは鼻をすすった。「……あーあ。泣いたらお腹すいちゃった。今はポルケッタと赤ワインが食べたい気分」


ベンチ脇に控えていたマーガレットが一歩進み出て、恭しく頭を下げる。

「ただいまご用意いたしましょうか、お嬢様?」


「ええ、お願い、マーガレット」テレッサはかすかに笑みを浮かべて手を振った。


侍女はすぐに一礼し、食堂の厨房へと急いで行った。


エディスは瞬きをした。

「まったく我儘ですこと。ちゃんとしたローストなら五時間はかかりますのに」


テレッサはもう一度鼻をすすり、しぶしぶ腕を離した。

ハンカチを取り出して鼻をかみ、ポケットに戻すと、すぐさままたエディスの腕に抱きついた。


「……本当に、手に負えませんわね」

エディスは小さく呟いた。


メイとイリィがゆったりと歩み寄ってきた。その後ろに控えていたメイの執事レンは、すでに遠くに立っていたイアンを見つけると軽く会釈し、そちらへ向かっていった。


「随分と遅かったではありませんか」エディスが声をかける。


メイは扇の陰で微笑を隠した。「すまぬの。ベルのロッカーには思いのほか物が詰まっておったのじゃ」


イリィは首をかしげて眉をひそめる。「いつ研究なんかする暇があるんだろうな?」


エディスの表情がわずかに曇り、視線を逸らす。


メイは扇を開き、軽く仰いだ。「おや? テレッサ殿も、もう落ち着いたようなのじゃな」


イリィは笑みを浮かべた。「でもさ、高位貴族のバークレイが警備兵に放り出されるの初めて見たよ。この学院、世間で言われてるほど肩書き気にしてないんだな」


テレッサの目が翳る。「わたくしはただ……セルウィリアの傍にいたかっただけ。危うく――」声が途切れ、彼女は目を逸らした。


エディスの声は平静だった。「大げさですわ。ほんの些細な傷にすぎません。もっと酷い場面をご覧になったこともあるでしょう」


「ええ……」テレッサは目を伏せる。


メイは扇を弄びながら問いかけた。「こちらでは……貴族がそのような危険に遭うのも、よくあることなのじゃ?」


「珍しくはありませんわ」エディスはゆっくりと言葉を選ぶ。「最も卑しい男爵家の跡継ぎでさえ、いずれは避けられぬ試練です。わたくしも幾度となく目にしてまいりました……けれど、これほど近しく、これほど鋭く感じたのは初めてでした」一瞬、その目は遠くを見つめる。


「では、なおさら……テレッサ殿やセルウィリア殿、そしてベアトリスにとっては過酷なのじゃな」メイは扇の陰からつぶやく。


「だったらまず、庶民相手に偉そうな態度やめることだな」イリィがにやりと笑う。


パシッ、と音を立ててメイの扇がイリィの頬を打った。


「いっ……! 悪かったよ」


テレッサは背筋を伸ばし、柔らかくも確かな声で言った。「そんな単純な話ではありませんわ、イリィ・ヴォイジー。わたくしたちの王国の力は王権によって築かれております。庶民であるあなたのご両親ですら力を得て、あなたをこの学院に送り出し、バークレイやカイルイスクと同席させることができるのです。かつてなら夢にも見られなかったことでしょう。過激なのは民ではなく、調和を乱そうとする権力なのです」


イリィは頭をかきながら呟いた。「そうかもな。でもやっぱ、あたしからすれば遠い話だ。むしろ、貴族みたいに従者が一人ついててくれたらいいのにって思うくらいさ」


メイが眉を上げた。「そなたの家にも従者は大勢いるではないか?」


「そういうんじゃない」


「ほほう? 学院に連れて来られる特権のことを言っておるのか?」メイが問う。


エディスは首を振った。「特権ではございませんわ。それは伝統なのです」


「どのような習わしなのじゃ?」メイは扇を半ば閉じ、視線だけを向ける。


テレッサが少し身を乗り出し、静かに続けた。「従者にも様々ございます――メイド、執事、従僕。しかし家系従者は別です。雇われたのではなく、その一族が代々仕えてきた者たち。彼らにとって忠誠は契約ではなく血の証。その務めは幼少の頃から訓練され、仕えるだけでなく武をも学びます。多くは護衛としても信頼され、一部の家系はその名だけで小領主家に匹敵するほどの重みを持つのです」


イリィがうなずいた。「専用の学校まであるんだ。騎士みたいに認定されるんだよ」


メイの目が驚きに見開かれ、扇の陰で息を呑んだ。「学校……従者のためのものが? わらわは訓練場しか知らなんだのじゃ」


エディスの声音は冷ややかに、まるで格言を口にするかのようだった。

「貴族は西方の柱を成す。ゆえに仕える者は、その柱を揺るがさぬ献身を尽くさねばならぬのです」


テレッサがそっと言葉を添える。

「だからこそ学院は侍従の同行を求めるのです。便利さのためではありませんわ。私たちの家は、壁や衛兵よりもその絆を信じているのです」


イリィは口元を歪めた。

「だから学園内が二つの軍みたいに見えるのか。王の近衛と、家に仕える従者の連中と」


メイは扇を気まぐれにあおぎながら。

「わらわも侍従をひとり連れて来いと申されてのう、幼なじみを『従者』に仕立てただけに候。ここまで重き意味を持つとは知らなんだのじゃ」


「さすが海外育ちだね」とイリィが茶化す。「ここじゃ従者ですら身分を背負ってる」


メイは扇を下ろし、小さく息を呑んだ。

「では、エドワードまでも何がしかの貴に連なるのかえ?」


テレッサが首を傾げる。

「エドワード?」


イリィが笑みを浮かべた。

「ベアトリスの従者さ。あの変に堅苦しい執事」


テレッサは顔をしかめる。

「……あの怖い風貌の人ですね。そばに立たれたら、一日中気分が悪くなってしまいますわ」


エディスはわずかに顔をしかめる。

「……んぐ、また思い出させてくださいましたの。入学初日に講堂の入口を塞いでいた、あの無粋な男を。――メイ様、あんな者と親しげに見えるとは、意外でございますわ。」


メイはくすりと笑った。

「ふむ、上等の酒をわらわに授けてくれたのでな。だが、従者ごときに気品を感じるとは……思いがけぬことよ。」


テレッサがぷいと顔を背ける。

「もうよろしいでしょう。昼も過ぎていますわ。そろそろ私たちで食堂へ参りませんの?」


エディスは眉を上げる。

「お行きになりたいのなら、腕を放しなさいませ」


「行くのは“私たち”です、エディス様。約束したではありませんか、一緒に食事をと」


イリィがくすりと笑う。

「バークレイ家と同じ卓につくなんて、また学園の噂になるな」


テレッサは瞬きをした。

「また?」


メイが扇を下げ、口元に笑みを浮かべる。

「この子、昼食に誘ってきた貴族の坊っちゃんを殴ったことがあるのです」


イリィは声をあげて笑った。

「だって、あまりに鬱陶しかったからな」


テレッサも小さく笑いを漏らし、瞳をきらめかせた。


エディスは小さく息を吐き、ほとんどため息のように言う。

「……淑女らしからぬ」


それでもわずかな笑みを帯びながら、エディスは立ち上がった。テレッサはなおもその腕を離さず、共に立つ。


「そこまで無遠慮に縋られては困ります。わたくしはそのような親しさに慣れておりません。それに……なぜよりにもよって、わたくしなのです?」


テレッサはさらに腕を強めて抱えた。

「ベアトリスはキングズガードとご一緒ですし、ベルは学者の方々と。残るのはあなた様だけですわ」


「他が皆消えたときだけ思い出されるとは、実に光栄ですこと」エディスは皮肉めかして言った。


イリィが肩を揺らして笑う。

「じゃあ交友を広げた方がいいな、テレッサ嬢。エディス様までいなくなったらどうするんだ?」


「その時は、あなたに縋りますわ、ミス・イリィ。エディス様にまで捨てられたなら」


イリィは大仰に一礼してみせる。

「危険すぎる光栄だな」


テレッサの視線がメイに移った。

「もちろん、メイ様も候補に入っていますわ。安心なさって」


メイは扇の奥で乾いた笑みを浮かべた。

「わらわにとっては安んじる理由にはならぬがの」


エディスは小さく首を振り、ため息をもらす。

「サーヴィリア様も、よくぞ日々あなたの気まぐれに耐えておられるものです」


かくして四人は連れ立ち、笑い声を響かせながら食堂へと向かった。


その後ろでは、イアンとレンが一定の距離を保ち、主を見守り続けていた。

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