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馬車の車輪が石畳を転がるリズミカルな音が、港へ続く道を淡々と進んでいく。後方の別の馬車には従者たちが乗っているが、この馬車に同乗しているのは、ベアトリス、ベル、メイ、そしてエディスだ。
向かい合わせの席に、ベアトリスとベル、そしてメイとエディスがそれぞれ腰を下ろしている。車内の雰囲気は軽やかではあるものの、目的地である港の視察を前に、どこか静かな期待が漂っていた。
メイは扇子をゆったりと仰ぎながら、横目でエディスを見やると、軽く首をかしげるように言葉を投げかける。
「そなたがわらわたちと一緒に来るなんて、珍しいのじゃ、エディス様。しかもわざわざ馬車を合わせるとはのう?」
エディスはどこか余裕を感じさせる仕草で座りつつ、口元にうっすら笑みを浮かべた。
「あなたがたが課題に港を選んだと伺いましたの。どのような視点をお持ちか、興味がありましてよ。」
すると、ベアトリスが嬉しそうに声を弾ませる。
「はい! 事前に互いの考えを共有すれば、より良いアイデアが浮かぶかもしれませんから。」
一方、ベルは少し縮こまるように肩をすぼめている。エディスのような貴族相手だと、まだどうしても気後れしてしまうのだろう。
そんな様子を横目に、メイは扇子をくるりと回し、気の抜けた調子で続ける。
「ま、先に港を見て回ってから決めればいいのじゃろう?」
エディスの視線がすっと鋭くなる。
「本気でそうお考えですの、メイ様?」
メイは目を瞬かせ、意外そうな声を上げた。
「ほえ? 何かまずいのかの? まずは港を見て問題点を探して、それから対策を考えるのが自然じゃないか?」
エディスは小さく息をついて、わずかに首を振る。
「つまり、まだ具体的に何をしたいか考えていらっしゃらないのですわね?」
メイは首をかしげたまま、妙にあっさりと返す。
「ん〜? わらわは何かおかしなことを言ったかの?」
そこでベアトリスが、場を和らげるように微笑む。
「いいえ、間違いではありませんが、わたしたちは事前に港のことをいろいろ調べてきたのですよ、メイ。」
エディスはベアトリスのほうへ視線を戻し、再び笑みを浮かべた。
「そうですわね、ベアトリス様。では、あなたはどんなことを考えていらっしゃるの?」
ベアトリスは背筋をすっと伸ばし、はきはきと答える。
「はい。港の近くに、最初の航海者たちが建てた古い修道院と、ヴィーキングの碑石があると聞きました。わたくしはその二つの史跡に関心があります。」
エディスは興味深そうに片眉を上げる。
「文化的なアプローチというわけですわね。跡地の保護を強化したいと?」
ベアトリスの瞳には、さらに熱意がこもった。
「はい、でも単純な保存活動だけが目的ではありません。新聞でも何度も取り上げられていましたが、コールドランドの出身者たちは、修道院の修復によって碑石が破壊されるのではないかと懸念しているそうです。両方をきちんと守る方法を探りたくて。」
エディスはくすっと笑みを漏らす。
「なるほど、ベアトリス様らしいお考えですわね。」
メイは扇子の端で顎のあたりをとんとんと叩きながら、ゆるい声を上げる。
「わらわも、港にはいろいろ問題があると思うのじゃが、まだ詳しいところまでは分からぬのう。そなたはどう思うのじゃ、エディス様?」
エディスはわずかに背をもたれかけ、腕を組んだ。
「わたくしは、交易の輸送コストに注目しているのですわ。物流の効率が悪いと思いません?」
メイはその言葉にわずかに扇子の動きを止め、
「ふむ…そうなのかの。」
とだけ応じる。
エディスは続ける。
「川を利用した運搬システムを整えれば、コストを削減できるのでは、と考えていますわ。今回の視察で、もう少し具体的な案が練れるといいのですけれど。」
ベアトリスはぱっと顔を輝かせる。
「川運用といえば、この辺りだとイシス川のことでしょうか?」
エディスはうなずいた。
「ええ。でも単純な話ではないのですわ。詳しいことは、明日わたくしの案をお見せしますわね。」
するとメイが目を瞬かせ、肩をすくめた。
「ほえ? 明日なのかの?」
エディスはくすくすと笑い、
「まさか、二日間だけの課題ということを忘れてはいませんわよね?」
と、半ば呆れたように問いかける。
ベアトリスは小さく笑って、口元を手で覆った。
「ふふ、メイ、モーガン教授のお話をちゃんと聞いていましたか?」
メイは扇子を小さくぱちんと閉じ、嘆息混じりに言う。
「ふむ、こんな大きな課題なら一週間は欲しいところじゃが…」
そんなやり取りを聞いていたベルが、くすっと笑い声を漏らした。
「メイさん、先生が説明してたとき、多分ぼーっとしてたんだよ。」
ベルはあくまで軽い冗談のつもりだった。だが、その瞬間、エディスの視線がさっとベルに向けられたのを感じる。
まるで、今まで見落としていた駒を見つけたように、興味を帯びた眼差しだ。
「ところで、セイント・スカラーのあなたはどうお考えかしら?」
エディスの声音は柔らかいが、意図を持った問いかけに思える。
ベルははっと背筋を伸ばす。あまり目立たないようにしていたつもりが、ほんの一度の笑い声で注目を引いてしまった。
それでも、黙っているわけにはいかない。
「え、えっと…港の事故率とか、船が停泊するまでの時間を改善できないかと思ってます。少し手を加えれば、安全性と効率が上がるんじゃないかと…」
エディスは興味深そうに首を傾げ、少し考えるそぶりを見せた。
「何かを…変えたいと?」
“変える”――その言葉は、ベルの心に小さな衝撃を与える。入学初日のスピーチを思い出すような感覚に、胸が少しざわついた。
「は、はい…」
エディスはしばしベルを見つめ、それから評価するとも否定するともつかない、ただ小さなうなずきを返す。
「……せいぜい頑張るといいですわ。」
嘲笑ではない。かといって、はっきりとした激励でもない。
馬車は変わらず心地よく揺れ続けているはずだが、その瞬間だけ空気が重く感じられた。
そして、再びエディスの声が場を引き締めるように響く。
「わたくしが考えている案も、ある意味では大きな変革が必要なのですわ。もっとも……いずれ“未来の女王”様が何とかしてくださるかもしれませんわね?」
大げさなアクションはせず、エディスはわずかにベアトリスのほうへ顎を引く。ほんの少しの動作ではあるが、意味するところは明白だ。その口調は一見軽やかで、ポーズも優雅なまま。しかし、その目の奥には、揶揄とも賞賛ともつかない光が揺れている。
ベアトリスは一瞬、何のことかと目を瞬かせたが、すぐに微笑んで応じた。まるで冗談を受け流すような、柔らかな仕草。
「まあ、そう聞くとずいぶん重い責務のように感じますわね。ふふ、もしそうなら大変そうですわ。」
しばしの沈黙が、その軽いやり取りを余韻のように包み込む。すると、どこか気の抜けた表情をしていたメイが、ようやく首をかしげて口を開いた。
「――未来の女王、か?」




