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お嬢様には絶対に言わないで  作者: renten
ACT 2
115/176

2-10-1【The Rumor】

 イアンはエディスの執事。

 レンはメイの執事。

 エドワードとアンは、その向かいに腰掛けていた。


 彼らの主人たち――ベルを含む一行は、別の馬車に先乗りしている。


 道を走る車輪の音が、微かな振動とともに馬車の中に響く。心地よい揺れ――とは言えないほどの重さが、その空間を覆っていた。

 だが、それは暑さや居心地の悪さといった外的要因ではない。もっと言いようのない圧迫感、まるで名もなき重圧がのしかかっているような沈黙だった。


 会話がないから黙っているわけではない。

 “ためらい” から生まれた沈黙。


 エドワードが、背もたれにややもたれかかりながら、それを破った。声は淡々としているが、どこか静かな威圧感をはらんでいる。

「話せよ。……話したいことがあるって言ってただろう」


 その鋭い視線は、さほど気にしていない様子を装いつつも、イアンへと真っ直ぐ向けられていた。


 イアンはそれを受けとめ、戸惑いを隠せない。メガネを押し上げる仕草は、迷いや不安を糊塗するための癖でもある。

「え、ええと……やっぱり、また今度――」


「は? それはなしだろ」

 エドワードはわずかに口元を歪めた。小さくてもはっきり伝わる嘲り混じりの笑み。

 そして迷うことなく、上着の内ポケットから小さな手帳を取り出す。その姿は妙に悠々としている。

「ずいぶん前からずっと『相談したい』って、しつこく言ってただろ。……この手帳の件だって、そうじゃないのか?」


 その言葉には重みがある。だが、その重みすらも、今この馬車内で最も大きな圧力というわけではない。


 エドワードとアンの間に座るのは、静かな威圧感を漂わせるオフィーリアだった。

 彼女は何も大きな声で主張するでもなく、存在をひけらかすような態度を見せるわけでもない。だが、その存在感は確かに感じられる。冷気がじわじわと体に染み込むように、その場にいる全員を静かに侵蝕しているようだった。


 レンも、いつになく落ち着きがない様子だ。

 普段なら動じないはずの彼が、ごくわずかに背筋を張り詰め、動くたびに躊躇するかのように見える。

 やがて、そっとエドワードに身を寄せ、声を落とした。

「私……御者の隣に座ればいいのでしょうか……?」


 だが、エドワードはそうした懸念を取り合わず、あっさりと笑ってみせる。まるで、余計な心配だと言わんばかりに。

「 別にいいだろ。お前のご主人様が何か新しいことを学ぶの、俺は好きだからな。」


 レンが答えかけるより先に、ある気配が横切った。


 わずかな視線。それだけでレンは硬直する。


 オフィーリアが、ちらりと彼を見た。それは問いかけでも注意でもない。ただ“そこにいること”を認めた、という程度の視線。

 しかし、レンは息をつまらせたように姿勢をさらに固くする。


「……い、いえ。気にせず、ぼくは何も見てませんし、聞いてませんから。」


「……ぼく?」

 エドワードの眉がわずかに動いたが、すぐに何もなかったかのように表情を整える。


 それで満足したのか、オフィーリアはイアンへと視線を戻した。


 わずかな空気の流れ。息を詰める音。

 すると――


 ドスッ。

 馬車の側面に足が当たる鈍い衝撃が走る。大きくはないが、意図的なのが見てとれる。


 アンが退屈そうに前の席を軽く蹴り、そのまま靴を前方の空いたスペースに投げ出したのだ。

 相変わらず腕を組んで姿勢を崩し、だるそうに身じろぎする。その動きは小さなアクションだが、周囲に反応を迫った。


 レンはそれにつられて体を少し横にずらす。結果、エドワードのほうへ向き直る形になった。


 イアンもまた、逃げ場を失い、まっすぐオフィーリアの正面に視線を合わせざるを得なくなる。


 さらに、狭い車内が一層狭く感じられる。


 オフィーリアは身動きひとつせず、微笑みもしない。ただ、確信めいた声で口を開く。

 先ほど別れ際に名乗ったときの、礼儀正しくよそよそしい雰囲気は消えていた。今は偽りのない圧力――自分が話を主導するという意思が、言葉の節々に込められている。


「構いませんよ、イアンさん。エドワードと話をすればいい。わたしはただの傍聴人。港へ用事があって同乗しているだけです」


 一見、穏やかな物言い。しかし “ほとんど脅迫” とも取れる圧力が、そこにはあった。


 そして、わずかに首を傾げて言う。

「それとも……わたしも交ぜてもらえますか?」


 軽く問いかけるように聞こえるその言葉が、馬車の中の空気をさらに重くしたのは言うまでもない。

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