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お嬢様には絶対に言わないで  作者: renten
ACT 2
113/176

2-9-2

 メイはカッシウスに目を向け、手にした扇子をわずかに傾けた。

「アイリャは普段、ああいう態度じゃないのじゃ。おぬしと同じく“商売人の性分”を持っとる。家の仕事をよく手伝っておるし、きょうは何か悩みでもあるのかもしれんのう。」


 カッシウスは思案げに頷き、落ち着いた口調で返す。

「なるほど。取引の世界では、そういうことは珍しくありませんね。いろいろな形で重圧がかかりますから。」


 メイは扇子を静かに閉じ、微かな音が空気を切った。

「さて、カッシウス殿。ここ最上段の席、わらわとご一緒してもらうが構わんかの?」


「ええ、もちろん構いませんよ。」カッシウスは丁寧に答える。


「それはよかったのじゃ。」

 メイの淡い笑みには、どこかくすぐるような面白みが宿る。「もっとも、わらわがここで誰かと並ぶのはめずらしいのう。」


 カッシウスは眉をわずかに上げ、「わたしにとっても、誰かと最上段を共有するなんて聞いたことがありませんね」と、困惑と興味が入り混じった声で返す。


 メイは笑みを少し深め。

「ほう、ではさらに驚くことがすぐ起きるやもしれぬのう。“平民”とこの列を共有することになるやも知れんのじゃ」


 カッシウスの表情がわずかに揺れ、落ち着きの中に驚きが浮かぶ。

「平民……? もしかして“セインツ・スカラー”のことですか?」


「そうなのじゃ。」メイは視線を外さずにうなずく。


 カッシウスは少し身を引き、思案を巡らせるような口調になる。

「わたしとしては構いませんが――貴族に見合う資質さえあれば、ですがね。」


「なるほどのう。」

 メイは優雅に肯定すると、扇子を片手に静かに示した。「ところで、まだ授業開始まで少しある。立ちっぱなしというわけでもあるまい?」


 カッシウスは彼女の言葉を受けて小さく会釈し、メイの左隣の席に腰を落ち着けた。動作は落ち着きと品を伴い、手荷物から小さな本を取り出してページをめくり始める。


 メイはちらりと扇子の奥から彼をうかがい、鋭い眼差しに静かな興味を宿していた。


 時が経つにつれ、教室には次第に生徒が増えていく。


 やがてドアの開く音がし、メイはそちらへ一瞬だけ目を向ける。入ってきたのはエディス・マウントバッテン=カエルウィスク。いつもと変わらぬ自信に満ちた歩調だが、小ぶりの本を数冊重ねて持っている様子は珍しい。その落ち着いた表情には、普段と変わらぬ余裕が感じられるものの、そこまで本を抱えるのはめずらしい光景だった。


 彼女が中段の席へ向かう途中で目にしたのは、机に片肘をついてふてくされているアイリャ。まるでやる気のない態度に見える。


「まあ、これは珍しいですわね。」

 エディスは穏やかながら、どこかからかうような笑みを浮かべながら近づく。


 アイリャは顔を上げ、乾いた声で答える。

「アンタがそんなに本を抱えてるほうが珍しいんじゃないの?」


 エディスはくすっと小さく笑みをこぼし、その笑顔にはいくらか傲慢さが混じる。「ごきげんよう、アイリャ。たしかにわたくしがこんなに資料を持つのは滅多にありませんわ。普段はそこまで追加の勉強など要りませんもの。でも、これらは――」彼女は本を少し持ち上げ、「次の課題のため、ですわ。」と付け足す。


「課題って何? あたし聞いてないんだけど。」アイリャは怪訝そうに眉を寄せる。


「“イノベーション・ペーパー”ですわ。公共の場所を選んで観察し、改善案を提案する――という内容になるはずですのよ。」

 エディスは淡々と言い放つ。


 アイリャは首を傾げ、「いつそんな話あったっけ?」と不思議そうに問い返す。


「まだよ。わたくしの推測では、きょうの授業で出されるはずですわ。」

 エディスの笑顔が自信に満ちて広がる。


「どうしてそんなことわかるわけ?」アイリャはうんざりした様子で息をつく。


 エディスは片手を軽く広げるようにして、「学院ですもの。少し先読みしてみたり、上級生に確認すれば、予想は簡単ですわよ。そこまで難しいことかしら、アイリャ?」と答える。


 アイリャは椅子にもたれ直し、ため息を漏らす。「アンタ、本気でやりすぎじゃない?」


「怠けるのは勝手ですわよ。でも、その結果“失敗”するのは自業自得ですわね。」

 エディスは満足げにそう言うと、本を机に並べ始める。


 そして、その視線は何気なく上段へ向けられ、彼女の動きが一瞬止まる。メイの隣で本を読んでいるカッシウスの姿を見つけたのだ。


「まさかノーサム卿がもう来ているとは思いませんでしたわ。」

 エディスは軽く会釈し、彼に声をかける。


 カッシウスは本を閉じ、落ち着いたまなざしを彼女へ向けた。



 エディスは礼儀正しく微笑み、「ノーサム卿がきょうこのクラスに加わることは存じておりましたが、先生が何かご紹介なさるかと思っておりましたのに。」と言葉を続ける。


「紹介の機会をいただきましたが、断りましたよ。ここはもともとわたしのクラスですから。家の事情で遅れていただけで、特別なことではありません。」

 カッシウスはあくまで穏やかに答える。


「公爵家の正式な継承者となるのを、ただの“家の事情”とは言えませんわよ。何しろ王国創設時から名を連ねる家柄ではありませんか。」

 エディスは涼やかな笑みを浮かべるが、その瞳には確かな探る光が見える。


 カッシウスは控えめな笑みで返し、わずかに頭を下げる。「ですが、わたしにとっては変わらぬ事実です。戻るべき場所に戻っただけだと考えています。」


 エディスは口元の笑みをやや和らげ、机に置いた本を見やる。「そうですの。すっかり席がお似合いですわね。きっとこのクラスもノーサム卿には刺激的でしょう。楽しんでいただけるとよろしいのですけれど。」


「いまのところ、わたしも確かめたいところですね。あなたのお名前は……?」

 カッシウスは穏やかだが探るような口調で尋ねる。


「わたくし、エディス・マウントバッテン=カエルウィスクと申しますわ。ご存じかどうかわかりませんけれど、そう大した名ではないのですわよ。」

 エディスは慣れた優雅さで自己紹介をする。


 カッシウスは小さく頷き、その瞳に考え込むような色が浮かぶ。「とんでもありません。マウントバッテン=カエルウィスク家の逸話は、アルヴィオンの守護者たちや、民にとって希望を示すものと聞いています。」


 エディスは目を細め、わずかな愉悦をにじませる。「褒め言葉か、それとも社交辞令かしら?」


 カッシウスが答えようとする前に、彼の視線がふとエディスの背後――扉のほうへ向いた。その表情は変わらぬままだが、何かに意識を引かれたのは明らかだ。


 エディスはそれに気づき、同じように顔を向ける。しかし、何がカッシウスの目を奪ったのか、彼女にはよくわからない。「まあ……」とわずかに呆れた声で続ける。「ここでの人間関係を把握するには、まだまだ時間がかかりますわ。このクラス、少し……“独特”ですもの。」


 カッシウスは答えず、視線を教室へ入ってきた三人に注いでいた。彼らは穏やかで優美な足取りで会話をしながら進んでくる。ベアトリス、セヴィリア、そしてテレッサ。貴族らしい華やかな空気をまとう彼女たちの笑い声は、柔らかくも存在感があり、周囲の目を引きつけていた。


 エディスの声が徐々に背景へ溶けていく中、カッシウスは三人を注意深く観察する。静かな威厳を醸すベアトリス、セヴィリアとテレッサの仲の良さ、その姿を生徒たちは自然と認めている。

 そしてカッシウスの目は、セヴィリアの上で一瞬止まる。ごく短い間、何か懐かしさめいたものが表情に浮かんだが、すぐに彼の普段の沈着へと消えていった。


「ノーサム卿?」

 エディスの声が意識を引き戻す。彼女は片眉を上げ、カッシウスが上の空だったことに気づいているようだ。


「失礼」

 カッシウスは謝罪するように微笑み、再びエディスへ注意を向ける。「お話の途中でしたね。」


 エディスは意味深に口元を吊り上げ、冷ややかな輝きを瞳に宿す。「いえ、別に大したことではありませんわ。ただ、もう“興味の対象”は見つけたご様子ですわね、このクラスで。」


 そう言うエディスの言葉には、どこかからかうような余裕が含まれていた。

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