80品目・ホームシックな姫巫女と、和菓子の伝統(椿餅と、餡入り椿餅)
ウィシュケ・ビャハ王国王都ヴィターエに無事に到着して。
商業組合で露店の手配などを行った後、次は宿を探して人心地つこうと思っていた矢先。
アイラ王女が、俺たちを迎えにやって来たのですが。
まあ、ここで延々と断り続けていても話は進まないので、まずは王城へと向かう事になった訳で。
そしてあれよあれよという間に謁見の間へと向かい、今、国王陛下である バーンズ・エラ・ウィシュケの前で跪いている真っ最中。
「……まあ、頭を上げなさい。ユウヤとやら、ウーガ・トダールでは我が娘達が世話になったそうだな。なんでも、非常に珍しい料理を作れるとかで、来年の私の誕生祭では、料理を一品振る舞ってくれるとか。楽しみにしているぞ」
「はっ、かしこまりました」
顔じゅうから冷汗が噴き出しているものだから、ずっと下を向いたままでいる方が都合がいい。
誕生祭についても、以前から頼まれていた事なので問題はない。
出来るなら、これで話が終わって解散……っていう事にしてほしいのだけれどねぇ。
「さて、実は、そちには一つ、頼みたい事がある」
「……私で出来る事であれば」
そう告げるしかないよなぁ。
さすがに、一介の料理人に無茶ぶりはしないとおもうが。
そう思っていると、バーンズ陛下がとんでもないことを話し始めた。
「現在、この王都に倭藍波諸島王国から大和国の姫巫女が来訪しているのだが、どうにも我が国の食事が合わなかったらしく、数日前から体調が優れなくなってしまってな。神官などに容態を見て貰ったところ、心の病ではないかという事になったのだが……それを癒すためには、故郷を思い出せるような何かを用意した方がいいという話になって……」
その大和国から来た姫巫女というのは、このウィシュケ・ビャハに使節団としてやって来たらしく。その執務の一つとして、王都の大聖堂などで神に祈りを捧げるための儀式を一週間後に行うらしいのだが、どうにも体調がすぐれないという事らしい。
まあ、俺のいた日本でも、一昔前は海外からやってきた視察団や親善大使たちが気候や食事が合わず、体調を崩して臥せってしまうっていう事がよくあったからなぁ。
そんな感じだろうとは思ったんだが、どうして俺が指名されたんだ?
「お父様、ここからは私が説明しますわ……それで、姫巫女の体調について、偶然ですがこの王都に来ていた武蔵野国疾風丸という商人と話をする機会がありましてですね。残念なことに、彼が持ち合わせていた食材では姫巫女殿の気を癒すことが出来なかったのです。ですが、彼の口からユウヤという料理人の名前が出てきまして。という事なのですわ」
ああ、そういえば疾風丸さんは王都の商会に向かうっていう話をしていたよなぁ。
それで丁度よく俺がここに来たので、まっすぐに王城へと連れてこられたという事か。
「どうかな? 姫巫女の気を癒すことはできるか?」
「それにつきましては、やってみない事には分かりませんが。そうですね、まずはその姫巫女さんと話をすることはできますか?」
「それは大丈夫だ。では、この謁見が終わった後、使節団の責任者に話は通しておく。では、貴人の間を用意するので、そちらで待つがよい」
「ははーーっ」
そう返事をすると、バーンズ陛下は退室した。
これでようやく俺も緊張の糸がほぐれたようで、その場に座って深呼吸を一つしてみた。
「はぁ……なんだか知らんが、大変なことに巻き込まれてしまったなぁ」
「それで、ユウヤは今度はどんな料理を作るにゃ?」
「それはまだ分からないなぁ。そもそも、どんなものを普段から食べているのか、それが判らない事にはなんともいえん。それにしても……予想よりも慎ましいというか」
謁見室の中を改めて見渡すが。
王室の謁見室なんて、KHKの特番で見たキンギギンに華やかなものだという印象しかなくてね。
ここは大理石のような磨かれた床に絨毯、そして壁には何枚ものタペストリーが張り付けられている程度。
英国王朝の贅沢な装飾品なんてどこにも存在しない。
「まあ、そもそも華やかなりし時代っても意外と近世だったりするからなぁ。それでさっきからずっと、マリアンが沈黙しているのはどういうことだ?」
そう横に座って静かにしているマリアンに話しかけるが、頭をフルフルと左右に振っている。
「あ、あの……まだ宮廷騎士や執務官の方々が、この謁見室には滞在していますわ。それなのに……まあ、ユウヤさんはともかく、どうしてシャットはそんなに軽いのですか」
「にゃははははは。そういうのには疎いにゃ」
「はぁ……」
別に王様がここにいる訳じゃないのだから、あまり気にする必要はないと思うが。
――ガチャッ
そんなことを考えていると、白地に金刺繍をあしらったローブを身にまとった老人が室内に入ってくる。
「では、ユウヤ殿、シャットさん、マリアンさん、こちらへどうぞ。巫女姫の使いの者も、まもなくやってきますので、まずは貴人の間へご案内します」
そのまま王城の敷地内、離れにある豪華な建物へと案内された。
話によると、ここはいわゆるゲストハウス。
王城にやって来た上級貴族や近隣諸国家の重鎮などが宿泊するための施設らしい。
その二階にある二部屋続きの大きな個室に案内されたので、まずは椅子に座ってようやく一休みである。
「はわわわわわ……こ、ここって上級貴族が宿泊する施設ですわ。こんなところに、私のような者が宿泊してよろしいのでしょうか?」
「その上級貴族って、たしかこの王城のある場所に屋敷を持っているんだよな? なんでわざわざ、此処に宿泊する必要が?」
「そもそも、辺境伯などは王都には屋敷を持っていない方もいらっしゃいますわ」
「へぇ……そういうものかねぇ」
――コンコンコンコン
突然、扉がノックされると数名の女性が室内に入ってきた。
服装から察するに、恐らくは倭藍波諸島王国の関係者だろう。
白地に赤い刺繍が施された水干、緋色の指貫袴を身に着けた女性、恐らくは神職もしくはその関係者だと推測できる。
「失礼します。キルホーマン宰相から、貴方が巫女姫様の気の病を癒せるかもと伺いまして。それでですが、貴方は倭藍波の菓子をお持ちなのでしょうか?」
「菓子……ですか? その巫女姫さんが菓子を所望なので?」
「はい。実は……」
此度の使節団に同行した巫女姫は、まだ若干12歳。
しきたりにより生臭物を食べることは許されておらず、もっぱら食事は精進料理が主となるらしい。
だが、まだ若い姫巫女はそれだけでは満足できず、倭藍波からこの国に来る際に大量の菓子を持って来ていたのだが、そのほとんどが湿気で傷んでしまい、廃棄してしまったらしい。
それからというもの、巫女姫は臥せってしまっただけでなく、倭藍波に帰りたいと話すようになったとか。
「……なるほどねぇ。さて、廃棄した菓子というのは、どのようなものですか?」
「この国では手に入らないものでして……椿餅というものです」
「椿餅……ああ、なるほどね」
ちなみに、もしも日本でいう椿餅と同じであるとすると、これは結構簡単に解決できる。
というのも、椿餅というものは、実は日本の和菓子の歴史上もっとも古いものと言われているから。
それでいて、作り方についてはしっかりと現代にまで残されているので、俺としてもそれほど難しいものではない。
ただ、この国では恐らくは無理だろう。
「ということは……もち米と甘蔦が手に入らなかったので、この国で作ることも出来なかったという事ですか」
「ど、どうしてそのことを……いえ、まったくその通りです。それで、ユウヤ殿は材料をお持ちなのでしょうか?」
「さすがに甘蔦は無理ですけれど……椿餅でしたら、かなり似たようなものでよろしければご用意できますが」
現代では甘蔦なんて手に入れるのが難しい。
一説では、甘茶蔓が甘蔦ではないかともいわれているのだが、アマチャヅル茶ならいざ知らず、甘味料としてのアマチャヅルを手に入れるとなると無理である。
ということで、今回は麦芽糖で代用するか。
「では、こちらの屋敷の調理場で作ることはできますか?」
「まあ……なんとかなるとは思います。それじゃあ、さっそく試してみますか……」
「では、急ぎ調理場の使用許可を頂いてきますので」
一人の女性が急ぎ足でどこかに向かった。
そして5分ほどで戻ってくると、そのまま俺たちを調理場まで連れて行ってくれた。
まったく、気が早いたらありゃしないねぇ。
〇 〇 〇 〇 〇
――貴人の間・調理場
急ぎ足で案内されたそこは、しっかりとした料理設備が整っていた。
とはいえ、現代レベルの調理器具などがあるわけではなく、あくまでも綺麗に片付けられている、清潔そうな空間であるということ。
大きな石窯やかまどには火がくべられているし、水瓶の中には浄化の石板が沈められている。
「うん、これならいけるな。では、ここからは私の仕事となりますので……」
「監視役というわけではありませんが、一人、ここに置いて構いませんか?」
「それは構いませんよ。うちも助手が二人いますので……と、そうか、シャットとマリアン、ちょいとこれに着替えてきてくれ」
厨房倉庫から、二人用に購入しておいた作務衣を取りだして手渡す。
三角巾風の帽子と前掛けもセットで手渡したが、それを見て二人はキョトンとしている。
「これは何だニャ?」
「越境庵の従業員の制服だ。必要ならロッカーも用意するが、まずは着替えてきてくれ」
「あ、ありがとうございます!!」
「ちょっといってくるにゃ」
ということで、二人が別室に走っていったのを確認してから、厨房倉庫から『除菌スプレー』を引っ張り出して、今一度、調理器具やシンク、テーブルの除菌を開始。
そして俺も石鹸で手を洗うと、着替えて来た二人にも手洗いをするよう説明した。
「あ、ユウヤがいつもゃっている衛生っていうやつにゃ」
「ご名答。それでしっかりと手を洗ってくれ。今日のところは見ているだけでいいと思うが、何かあったら手伝いを頼むので」
「かしこまりました」
さて、まずは大きめのボウルを用意しておく。
そして道明寺粉を入れて、水を加えて軽くかき混ぜる。
和菓子については、とにかくレシピ通りに作ることが大切。
今回は道明寺粉4:水5の比率で混ぜ合わせ、そのまま水気を含ませておく。
その間に大きめの雪平鍋に水を張ってかまどに掛け、沸騰してきたら蒸し器を載せておく。
「晒……はあったな」
水に晒して強く絞った晒で道明寺粉を包み、そのまま蒸し器へ。
蒸す時間は強火で10分から15分、その時の量によって調節。
そして蒸しあがった道明寺粉を二つに分けてそれぞれボウルに入れて、一つには麦芽糖を加えてよく練り込む。
「これで、全体的に味が混ざったら完成なんだが……うん、いい感じだ」
少しだけ竹べらで切って口の中に放り込む。
米粉で作った餅っていう感じに仕上がったので、あとは椿の葉で挟んで完成だが。
もう一つのボウルに入れておいた道明寺粉、こっちの仕込みを始めるか。
「こいつは、細くのばして8つに切って……」
棒状に伸ばしたものを八等分にし、その一つを掌で潰すように広げる。
そして広がった道明寺粉を手に取ると、あらかじめ用意してあった(缶詰の)餡子をスプーンで掬い取り、道明寺粉の真ん中に乗せて包むように丸めていく。
「一つは正当派の椿餅、もう一つは餡入り……と、ちょいと遊び過ぎのような気もするが、これはこれでいいかんじだな」
幸いなことに、椿の葉は数枚だけ冷凍してある。
和食でも、料理のあしらいとして椿の葉は用いることがあるのでね。
とはいえ、うちではもっぱら笹の葉をつかっているので、椿の葉の在庫はほんの数枚程度。
「……よし、こんな感じだが……そちらの神職の……巫女さん? 毒見もしてみますか?」
「私は神薙と申します。姫巫女さまの身の回りの世話をしている女官です。では、毒見用に一つ頂いても構いませんか?」
「どうぞどうぞ。椿の葉は枚数が足りないので、餅の方だけ食べて頂けると」
そう説明しつつ、皿を3枚用意して、それぞれに椿餅、餡入り椿餅(さくらもち?)を乗せてから、神薙さんとうちのお嬢さんたちに手渡す。
ちなみにフォークではなく黒文字という、黒文字の木を削った菓子楊枝を添えておいた。
まあ、普段使いでは竹製の菓子楊枝を使うんだけれど、こだわるお客さんもいるからねぇ。
「それでは……失礼します」
――スッ
ゆっくりと黒文字で椿餅を切り分け、その一つを口に運ぶ。
「……大変おいしゅうございました。では、こちらは……あら? 餡子が練り込まれているのですか」
「ええ。椿餅にはあんこは入りませんからね。こっちもまた、遊び心があっていいかなと思いまして」
「姫巫女さまはあんこが大好物でして。そちらは傷んでしまう前に食べてしまったのですが……うん、こちらも上品な味です。これでしたら、姫巫女さまもお喜びになられるかと思います」
「ユウヤぁ、番茶が欲しいにゃ」
「だろうな……ちょっと待ってろ」
和菓子にはお茶が良く似合う。
うちの子たちは、もっぱら番茶かほうじ茶が好きだけれど、今度、抹茶でも用意してみるかねぇ。
そう思ってポットを取り出し、煮だしておいた番茶を湯飲みに注いで二人に手渡したが。
神薙さんが、こっちを呆然とした顔で見ている。
「あ、あの……ユウヤ殿。『みづのこ』もお持ちでしたら、少し分けて頂きたいのですが」
「みづのこ? それはどのようなもので?」
さすがに名前を聞いただけではよく分からないのだが。
そう思って説明を聞いてみると、麦の実を炒って粉にしたもので、それを煮だしてお茶にすると……ああ、麦茶のことか。
「みづのこはありませんが、こちらでしたらご用意しますよ」
ということで、薬缶に水を張って麦茶のパックを放り込み、強めに煮出す。
それを大きめの急須に入れて、湯飲みと一緒にお盆に乗せておく。
そこに椿餅と餡入り椿餅の乗せられた皿も添えておいた。
「では、こちらで。私達は片づけを終えましたら部屋に戻っていますので」
「ありがとうございます……これで姫巫女さまもお元気になられたらよろしいのですが」
「そうなるようにお祈り申し上げます……」
という事で、とっとと片づけを終えて、俺たちは部屋に戻る。
本当ならもう帰りたいところだが、出した椿餅の顛末だけは見届けておかないとねぇ。
それにしても……甘いものを食べていると、しょっぱいものも欲しくなってくるよなぁ。
なにか手軽に食べられる、しょっぱいものってなかったかなぁ。




