73品目・門外不出の清酒と、スカウトされたユウヤ店長(刺身の盛り合わせと、鮃の炊き込みご飯)
いつものように常連さん達で盛り上がっている店内。
そこに、一人の旅人がやって来た。
その客は来店するや否や、うちで扱っているものが倭藍波諸島王国の商品かどうかと訪ねてきたが、そこは上手くはぐらかして。
まずは注文にあった刺身の盛り合わせを造る事にしますか。
とはいっても、うちでは鮮度の良い刺身用の肴を鮮魚店に入れて貰っているので、それ程困る事は無い。
刺身の盛り合わせだって、もう何十年と造り続けているので、基本に忠実に、決して手を抜かず、一つ一つ丁寧に造ってお出しするだけ。
マグロは松前沖の本マグロ、寒ブリは余市の秋上がり。
鮃は岩内港の朝一で獲れたやつ、ボタンエビは噴火湾産。
どれもうちで契約している鮮魚店の目利き、基本は全てお任せしている。
だから、その日に何が入ってくるかなんて俺も良く分かっていない。
定番のメニュー以外の、俗にいう『本日のおすすめ』は、本当に当日でないと俺も分からなくてね。
「……お待たせしました。刺身の四点盛りです。本日は本マグロ、寒ブリ、鮃、ボタンエビをお造りにしました。山葵は大丈夫ですか?」
「ほほう、山葵まで用意されているとは……この魚達も倭藍波の近海産ですか? このあたりの漁場では見かけないものかと存じますが」
「まあ、そのあたりは秘密という事で……お飲み物は、何をお持ちしましょうか?」
そう問いかけてみると、ふと腕を組んで考えている。
「では、刺身に合う清酒でお願いします」
そうきましたか。
刺身の癖、臭みをさっと消してくれる酒となると、純米酒ではなく純米吟醸。
出来るなら無濾過あたりがいい。
ということは、確か一升瓶ではなく四合瓶で取り寄せていた物があったはずだなぁ……。
「……ああ、あったあった。では、お銚子にしますか? それとも枡でいきますか?」
「へぇ……枡まであるのですか。では、枡でお願いします」
ということで、皿の上に枡を置き、そこによく冷えた純米吟醸酒を注ぐ。
ちなみに本日のお勧め……というか、たまたまあった銘柄は、『鳳凰美田の純米吟醸・無濾過』。
ちょいとばかり他の酒よりは値が張るものの、刺身との相性については抜群である。
「おっとっと……では、ごゆっくり」
「ええ、ありがとうございます」
それで会話はおしまい。
ここから先は、お客さんが料理と酒を楽しむ時間。
余計な話など振らず、お客さんに問いかけられたら話に乗るか、合わせるだけ。
そんな感じでオーダーを出し終えると、ラフロイグ伯爵たちがこっちをじっと見ている。
「んんん、どうかなさいましたか?」
「いや……ユウヤ店長が倭藍波出身っていう噂もあったのだが、こうしてやり取りを聞いていると、本当にそんな感じがしてきてな。実際の所は違うと思うが……」
「ははは、その通りですよ。それで、お造り、お出ししますか?」
「うむ、頼もうかな。隣で旨そうに食べているのを見ると、どうしても腹が減って来るのでね」
そう問いかけると、ラフロイグ伯爵とディズィ、そしてシャットが刺身の盛り合わせを追加注文したので、同じものを用意すると目の前に並べていった。
それにしても、ちょいと小腹が減って来るころか。
それなら、〆に何か用意しておいた方がよさそうだな。
「鮃のアラがあったから……これを使うか」
最後に処理しようと避けてあった鮃のアラを取り出し、さっと酒を掛けて洗っておく。
そして水気を拭きとってからちょいと塩を振り、炭火でじっくりと焼き上げる。
生のまま使ってもいいのだが、やはり焼いた方が香りも良くなり、臭みも消える。
そしてこんがりと焼きあがった鮃のアラと昆布を大きめの鍋に入れて水を張り、弱火に掛けておく。
途中で灰汁もでるので、こまめに取りつつ、20分ほど火に掛けたら火を止めてそのまま冷ます。
「この状態でも、潮汁としては完成させられるけれどねぇ。今日はひと手間掛けて……」
次はご飯を炊く。
といっても炊飯器はここにないので、二人前用の土鍋に二つ、ご飯を炊く。
この時、水の代わりに先程の出汁を加え、薄口しょうゆと酒を加えてから炊くように。
「炊き上がるまでは、時間があるのでねぇ……」
刺身用に卸した鮃の半身に串を打ち、軽く塩を振って炭火でじっくりと。
強火の遠火もこれを忘れずに。
「あとは、炊き上がってから混ぜるだけなので……」
しばし炭の上の鮃に注意しつつ、お客さんの相手を続ける。
飲み物が切れそうなら、無くなる瞬間に声を掛ける。
その時、おつまみが残っているかどうかでタイミングも考えること。
まだまだ飲みそうか、そろそろ終わりにするのか。
毎日のように来ている伯爵たちだからこそ、酒量についてもある程度は熟知しているからね。
ただ、初めて来たお客さんつにいては、ちょいと注意して見ていないと。
そう思って、一人のお客さんの方をちらっと見ると、ちょうど俺と目が合ってしまった。
「店長さん、ここの料理は本当に凄いですね。素材の鮮度もさることながら、なんというか、包丁捌きもいい。そして道具についても、そんじょそこらの鍛冶師では鍛える事が出来ない包丁をお持ちのようで、感服しました」
「ありがとうございます」
素直にお礼を告げるが、男性客はまた腕を組んで何かを考えている。
「……一つ聞いてもいいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「まず、この清酒の件です。倭藍波の仕来りにより、王国外に輸出が許されているのはは濁酒のみです。でも、ここでは透き通った清酒が出てきました。もしもあなたが倭藍波の民ならば、これは国賊と呼ばれても仕方がない重罪です。噂が王国の耳に届いたら、すぐにでもあなたを捕えるべく公家検非違使が派遣されてくるでしょう……でも」
そう呟いてから、また腕を組んで考えている。
もしもこの人の言うことが真実であり、俺が国賊として疑われたとしたら、すぐにでもその公家検非違使とやらが俺を捕まえに来るのかもしれないが。
「分からないのですよ。料理の盛り付け方、包丁捌き、その全てが公家式ではないのです。これだけの腕前がありながら、庖丁式に記された技術とは異なる技巧を用いる料理人……倭藍波の民でないのなら、納得できるのですけれど……そもそも、この清酒の醸造所はどこなのでしょうか?」
「仕入れその他については秘密ですが。まあ、倭藍波から流通してきた物ではないという事は自信を持ってお答えします」
そもそも、俺は酒の作り方についての知識はあるけれど、それを実践できるかどうかと聞かれると、ほぼ不可能と答える。
日本でそんなことをしたら、無免許醸造に該当するので逮捕されること間違いなし。
唎酒師としての知識は持っているので、作り方を問われると答えることは出来るのだが。
「そうですか……では、貴方にお願いがあります!!」
いきなりカウンターに両手をつくと、深々と頭を下げた。
一体、何がどうなっているんだ?
「倭藍波の武蔵野国にある、私の実家で料理人として腕を振るっていただけませんか?」
「申し訳ありませんが、それはお断りします」
あっさりと返答を返すと、男性が『何故?』という顔でこっちを見ている。
いや、二つ返事で『構いません』とでもいうと思ったのかねぇ。
「あ、あの、理由を聞かせていただいても?」
「理由も何も、私が倭藍波に移って料理人をする理由が無いからですが」
「ああ、そうですよね。私とした事がとんだ失礼を……私の名前は武蔵野国疾風丸、武蔵野国を治める国主・宗忠の長子で、国元の台所を取り仕切る料理人を求めて、この国までやってきました」
「ほう、武蔵野国の国主の長子ですか、それは遠路はるばる、ご苦労様です」
疾風丸さんの自己紹介に、ラフロイグ伯爵が反応して挨拶を返している。
まあ、伊達に伯爵位についている訳ではないという所ですか。
「いえいえ、長子といっても、台所を取り仕切っているだけですから。それで、店長はいつ、この店を畳んで我が国に来ていただけますか?」
「いえ、ですから先ほどもお断りしましたが」
「え? 武蔵野国の台所長になるのですよ? 断る理由があるのですか?」
さも、俺がなるのが当然という雰囲気で話を続けているのだが、どうにも話がかみ合っていないように感じるのだが。
「ああ、ユウヤ店長。倭藍波の職人にとっては、その腕を認められて国主や天子の元で働けるということはこの上なく光栄なことなのよ。今の話しから察するに、倭藍波の南方の武蔵野国の国主が治める城で、料理人を統括する立場になってくれますよね? っていう事なのよ」
「ええ、そちらの森人の仰る通りですが。随分とお詳しいことで」
「だって、私、武蔵野国にも親善大使として数年程住んでいた事がありますからね。今から100年近く昔ですけれど」
「ああ、なるほど」
ディズィの説明で、倭藍波の民の性質というのが嫌というほど理解できたが。
残念ながら、俺はそんな性質を持っていない。
よって、やはりこの話は無しだな。
「それで、来てくれますよね? 料理人にとっては、国主の元で働くというのは名誉なことであり、喜ばしい事なのですから」
「残念ですが……俺は倭藍波の民ではないので、そのような地位や名誉は必要ありません。こうやって、親しい人たち相手に料理を振る舞い、酒を飲み語らう。そういう地に足の着いた生き方が好きなもので……」
「そうですか……残念です」
疾風丸さんがそう呟くと、目を閉じて頭を振っている。
国や大陸が違うと、文化や人の考え方、価値観も変わってくる。
今回のケースも、恐らくはそういうものなのだろう。
「まあ、倭藍波の民とは価値観が違う、この大陸に住まう人ならば当然でしたね……いえ、これは私の早とちり、大変失礼しました」
再び両手をカウンターに載せて、頭を下げて謝罪の意思を示している。
うん、一方的な物言いではあったけれど、彼の話の通り、価値観の違いに気付かなかっただけだな。
「いえ、頭を上げてください。ここはのんびりと、楽しく酒を飲み語らう場所ですから」
「ありがとうございます……では、先程とは違う清酒を一合、頂けますでしょうか? それと、ちょっと腹に溜まるものが欲しいのですが」
「ああ、少々お待ちください……では、先に腹に溜まるものを」
ということで、ちょうど炊き上がった『ヒラメの炊き込みご飯』の準備に入る。
すでに炊き込みご飯は仕上がっているので、蓋を開けて丁寧に焼いた鮃の切り身を載せ、ゆっくりと混ぜ合わせていく。
それを茶碗によそってから、上に刻み三つ葉を軽く散らして完成。
出すときは、別に温めておいた潮汁と、漬物を添えておくことも忘れずに。
「では先に……〆の『鮃の炊き込みご飯』です。隣には潮汁を、手前には香の物を添えてありますので。好みで、潮汁を炊き込みご飯に掛けて頂いても構いません。茶漬けにもできるように仕上げてありますので」
ということで、疾風丸さんの次に、みんなの分も用意して差し出す。
「これは……お茶漬けにゃ!! それも鮃を使った高級な奴にゃ。鮭の山漬けのお茶漬けとは違うにゃ」
「まあ、あっちはササッと食べて終わらせるもの、こっちはゆっくりと食べて名残を楽しむものだからな」
「う~にゅ、ユウヤが難しいことを話している気がするにゃ」
「はは、ようは、美味しく食べてくれっていうことだ」
そう説明すると、シャットも納得したのでいきなり潮汁をぶっかけて食べ始めた。
いや、そこは少しずつ……まあ、いいか。
そして皆が炊き込みご飯を食べている中、やはり疾風丸さんがウーーンと唸っている。
「これだけの腕があるのなら、国元の台所長ではなく天子様の賄番にもなれるというのに……う~む」
「まあまあ、今はそんな難しいことは考えないで。ユウヤ店長、あのシュワシュワするお酒、もう一本あるかしら?」
「一ノ蔵のスパークリングですか。あれは一本しかなくてですね、その代わりでしたら……」
ということで、微発泡酒ではない、一ノ蔵の発泡酒を取り出す。
「この小瓶は、さっきの酒と同じ蔵元で作った酒です。名前は『すず音』といいまして、こっちの方がスカッとさわやかですよ」
「そうなの? それじゃあ、それを頂くわ」
「わしにも、そのすず音とやらを頼む」
「私には普通に純米酒の冷をください」
「はいはい、少々お待ちくださいよっと」
追加の酒を一通り出す。
シャットたちもボトルが空になったので、追加でもう一本入れるらしい。
ほんと、この二人を見ていると昔を思い出すよ。
そのあとは疾風丸さんもディズィたちと仲良くなり、色々と話に花が咲きつつ酒を飲み交わしている。
今夜は、いつもよりちょっとだけ長く営業する事になったのは、言うまでも無いだろう。




