64品目・口の堅い騎士と、越境庵ふたたび(フィリーチーズステーキとフライドポテト)
いつものように、静かな朝。
朝6つの鐘が鳴り響く頃に、街の人達は動き始める。
農夫達は南と北の城門から外に向かい、田園地帯で仕事を始める。
時を同じくして、冒険者組合や狩人組合には討伐依頼や採取依頼の受注書が掲示され、割が良く手軽に稼げる依頼の争奪戦が始まる。
そして市場では、昨日搬入された食材が並び、都市内にある酒場や食堂、宿の厨房責任者たちがこぞって良質な食材を買い求めにやってくる。
「そして俺は、日光を浴びて身体を活性化させている……と」
昼前にはマリアンたちがやって来て掃除を開始するので、その前に軽く空気を入れ替えておく。
水については井戸まで向かい、桶に汲んで大甕に蓄えるのが普通なのだが。
うちは、越境庵の厨房からホースを伸ばし、店内に備えてある大甕に水を入れるだけ。
ちなみに大甕の中には、マリアンが施した『浄化の術式』が書き込まれた水晶板が沈めてあるため、料理にも飲用にも使える新鮮できれいな水になっている。
「まったく、魔導具っていうのは、こういう時は便利だよなぁ。北海道の水はそれほどカルキ臭くないので、料理に使ってもそれほど気にはならないんだけれどね」
ちなみに水質は軟水、料理に適している水質であり、旨味をより引き出すことができ、口当たりもよく胃腸に優しい。
ちなみに面白い話が合って、けっこう前、親方衆と料理の勉強のために京都に行ったことがあってね。まだ若い衆だった俺は酒を飲むわけにはいかず、コーラを注文したんだけれど。
いまはそれほどでもないが、昔は地域ごとに味が違っていてね。
北海道で飲んでいるコーラはやや甘口で炭酸がやや弱い。
それに対して東京以南は甘さ控えめ、炭酸強めの場所が多い。
先ほど話した京都のコーラだが、どうにもぬるく感じてしまってね、店員さんに聞いたところ『お客はんはどこから、来はりましたか?』と言われて、札幌ですっていうと、何か納得していたんだよ。
それで後から調べてみたら、水質によって感じる温度に違いがあるらしく、あらためて水というものは料理にとっては大切なんだと実感したんだよ。
「さて、そろそろいいかな」
一度ユウヤの酒場の鍵を掛けて越境庵に戻る。そして水道を止めてホースを回収した後、本日の仕込みを始めることにした。
「カレーや麻婆豆腐とかのストックは、この前作ったばかりだからなぁ。さて、今日は何を作るかねぇ……」
ここ最近は、二人に作れる物で昼のメニューを組み立てていたのだが。
たまには俺が主導でやるものも用意した方がいい。
そうなると、手間が掛かっても美味いものを作りたいというのが料理人の性であり、こんな事もあろうかと用意しておいた厨房倉庫で時間停止処理されている素材を生かすチャンスでもある。
「それじゃあ、まずはタマネギから始めますか」
本日のメニューは、フィリーチーズステーキ。
アメリカはフィラデルフィア発祥のホットドックで、ソーセージではなく炒めたタマネギとリブロースを使ったもの。
まずはタマネギを大量にスライスしたのち、飴色手前までよく炒める。
それをバットに入れて、まずは時間停止。
「次は、リブロースのスライスをよく炒める……か」
薄くスライスしたリブロースを、とにかく炒めまくる。
コツとしては、大きめのフライパンではなく鉄板の上で、小手を使って叩くように焼く。
こうすることで、大きめの肉もある程度小さくなるので、食べやすくなる。
味付けは塩コショウ、胡椒多めで塩少な目。
上からチーズを掛けるので、あまりしょっぱくしないことがコツでね。
これもバットに移して厨房倉庫で時間停止。
フィリーチーズステーキは、下ごしらえさえ終わらせてしまえば、あとは盛り付けるだけなので昼営業にはもってこいの一品だからな。
あとはチェダーチーズを溶かす。
これは湯煎したチェダーチーズにアルコールを飛ばした白ワインとコーンスターチを少々加えて練り込み、あまり緩くなり過ぎない程度に仕上げておく。
「パンは……まあ、いつものではないが、これで代用するとしますか」
使うのはデニッシュ。
これを長さ20センチにカットし、横半分に切れ目を入れておく。
こうすれば、作り終わってもパンがバラバラにならないのと具材が零れにくくなる。
今回は焼く必要が無いので、これで終了。
ちなみに、どうしてこれがフィリーチーズステーキというかというと。
元々は焼きタマネギと細かく刻んだステーキ、チーズが挟んであったため『チーズステーキ』という名前になったとか。
「しっかし……本当に、アメリカンスタイルの料理になってしまったよなぁ。肉とチーズと、炒めたタマネギだけ。実にマッチョな料理だな……付け合わせも少し、用意しておくか」
付け合わせと言えば、フライドポテト。
丁寧に洗って土を落としたジャガイモ(メークイン)を、皮つきのままナチュラルカット。
これを少しだけ水に晒して置いた後、水気をよく切って片栗粉をさっと塗し、中高温(170度前後)で綺麗に揚げる。
あとは仕上げに塩コショウを振って、バットに入れて空間収納へ。
「ま、こんなところでしょう。それじゃあ、後片付けをして酒場に戻るとしますかねぇ」
ちゃっちゃと片づけをして、あとは越境庵から酒場に移動。
カウンターの中に直接出てみると、すでに店内の掃除を終えてまったりとしているマリアンとシャット、そしてアイリッシュ殿下と護衛が二人。
「なんだと、貴様、何処から出てきた!!」
「どこからも何も、俺のスキルだから秘密ですよ……と、それよりも店主不在だったのに、どうして関係者以外が店内に入っているのか、それの説明を求めたいのですが?」
面倒くさいから、驚いている護衛は無視してアイリッシュ殿下に直接訪ねる。
「はい。実は、私としても外で待っている予定だったのですが……」
「ユウヤぁ、いきなり雨が降って来たので、一時的にお姫様には避難して貰っているだけにゃ。あたいとマリアンが勧めたにゃ」
「申し訳ありません。でも、流石に王族の方に雨降りの中、外で待っていて下さいとは言えませんでした」
そうシャットとマリアンも頭を下げているので、炭焼き場前の鎧戸を跳ね上げて外を見てみる。
もしも本降りだったら、今日は暇になるに違いないが……。
「ああ、通り雨のようですか。まあ、そういうの理由なら止む無しという事で。二人とも頭を上げてくれ」
「うにゅ」
「はい……」
まあ、事情も判ったので、まずは昼の準備を。
といっても、炭は少しだけ起こしておく程度で、あとは鉄板の上にバットを次々と並べていくだけ。
そして試食用にフィリーチーズステーキを5人前用意するとしますか。
開いたデニッシュの中に炒めたリブロースとタマネギを入れて、そこにチーズをこんもりと盛り付けて完成。ラディッシュやレリッシュも用意しておいたが、これは好みでいいだろう。
そして皿に乗せて、横にフライドポテトを盛り付けて完成だ。
「よし、まずは腹ごしらえ。今日はシンプルだけれど、俺が作る。マリアンはポテトの盛り付けと、このレリッシュ……ピクルスのみじん切りが欲しい人には添えてやってくれ。シャット、クーラーボックスにジュースと、あとはエビスもいれておいてくれ。今日は忙しくなるぞ!!」
「畏まりました」
「了解にゃぁ」
早速試食を始める二人。
その横から、アイリッシュ殿下と護衛二人にも、同じ物を用意して差し出す。
「毒見が必要でしたらどうぞ。でも、冷める前にお願いしますね」
「いえ、ユウヤ店長の作る料理については、毒見不要であると理解しました。一週間もここで食事をしていましたし、なによりアイリッシュ殿下が信頼している方なので」
「先ほどは、大声を出して申し訳ない……」
「いいですって、護衛の仕事を全うした、そういう事ですよね。アイリッシュ殿下もどうぞ」
「はい、それではいただきます」
楽しそうに食事を始める王女ご一行。
すっかりうちの店に馴染んでしまっているのはいいんだが、手紙を届けてからもう結構立つんだけれど、いつ王都に帰るのだろうか。
「これはなかなか、単純で、でもしっかりとした味付けですね……」
「んみゃぁ……ユウヤ、ラムネを開けていいかにゃ?」
「ラムネですって!!」
――キラーン
アイリッシュ殿下の瞳が輝いた……っていうか、瓶ラムネじゃなく缶を開けているのを見て、がっくりと肩を落としている。
ま、必要でしたら帰りに数本、持たせておくことにしましょうか。
それじゃあ、開店するとしますかねぇ。
〇 〇 〇 〇 〇
予想通り、いつもより客の回転速度が速い。
これは当然なのだが、それにしてもマリアンとシャットの動きも手早く、ウーガ・トダールで手伝っていたころとは比べ物にならない。
そのためか、昼2つの鐘が鳴ったころには品切れ。
ここで店を閉めるべく、シャットが外に出て看板をしまおうとしている。
「さて、アイリッシュ殿下は、この後は予定でもあるのですか? 王都に戻る都合などもあるでしょうが、また俺に用事でもありしまたか?」
これが気になっているところ。
毎日昼に来ては値ずっと俺たちが料理を作るところをじっと見ているだけ。
あとは途中で食事を取ったり、片づけをじっと眺めていたり。
とにかく、俺たちを観察しているのが見え見えなんだが。
「いえ……あの……実は……」
何か言いたそうで、それで話し出すことができない。
こっちとしても察してあげたいところではあるのだが、特に何も思いつかないんだよなぁ。
「ユウヤぁ、アイリッシュさまは多分、越境庵にご招待して欲しいんじゃないかにゃ?」
「ん? そうなのですか?」
そうアイリッシュ殿下に問いかけると、力いっぱい頭を縦に振っている。
ああ、それならそうと、先に話してくれればよかったのに……と思ったが。
今の護衛は、以前ついてきていた二人とは違う。
配属が違うのか、それとも受けている命令が違うのか、とにかく硬い。
職務に忠実なのは理解できるが……。
「そうですねぇ……俺としては、開けること自体は構わないとは思っていますが。でも、あの場所は秘密ゆえ、関係者以外は、口が堅い人でなくては入れることはできません。そしてそちらの護衛についてですが、口は堅いでしょうけれど……王女よりも上の存在に問いかけられたとしても、秘密を守り切れるといえますでしょうか?」
つまり、国王や王妃に問われたとして、秘密を守り通すことができるかどうか。
そういう意味で、護衛たちに話しかけてみたが、やはり困惑した表情になっている。
「……か、可能な限り約束するが」
「王族の方々に詰問されると、秘密にし続けることはできない」
「……でしょうねぇ」
そうなると、やはり開けることはできないか。
「ユウヤ店長、騎士の方々にはアイリッシュ殿下よりの直々に勅命をしていただければよろしいかと」
「んんん、それってどういうこと?」
「王家の勅命は、強制力を持ちますわ。そうすることで、護衛の方々は、越境庵の事を問われたとしても口に出すことは出来なくなります。あとはアイリッシュ殿下に上手く誤魔化していただければよろしいかと」
マリアンのアドバイスに、アイリッシュ殿下も頷いている。
「では、護衛士のジョージとアレクに、アイリッシュ・ミラ・ヴィシュケより勅命。今日これより、日が変わるまでに見聞きしたことについては、外に漏らすことを禁じます」
「ジョージ・ウォーカーが拝命しました」
「アレク・ウォーカーが拝命しました」
ガシャッとその場に跪き、胸に手を当ててそう告げる護衛たち。
まあ、それならいいでしょう。
「そけれでは……日が暮れる前の方がいいですね。シャット、戸締りは大丈夫か?」
「バッチグーだにゃ」
「それじゃあ、ちょいと時間が早いですが開店するとしますかねぇ」
右手を厨房倉庫に突っ込み、暖簾を取り出す。
それを壁に掛けて固定すると、その場に越境庵の入り口が姿を現わした。
「こ、これは一体……」
「ユウヤ殿、危険ではないのですな!!」
「ええ。ここがアイリッシュ殿下の来たかった、秘密の場所です」
――ガラガラッ
ゆっくりと扉を開けて先に入ると、すぐにマリアンとシャットも中に入り、王女さまご一行をお迎えする。
「ようこそ、隠れ居酒屋・越境庵へ」
「まずはお席にご案内します」
「おしぼりとお茶をお持ちしますので、少々お待ちくださいにゃ」
マリアンとシャットが動き始めたので、俺は厨房へ移動。
そして呆然としている護衛たちを置いて、アイリッシュ殿下が店内に入ってきた。
「よろしくお願いします。今日は軽いもので、ティータイムを楽しめるような料理をお願いしてよろしいでしょうか」
「畏まりました。では、デザートバイキングとまではいきませんが、軽食をご用意します」
さて、それじゃあ王女様相手にアフタヌーンパーティーセットを提供するとしましょうか。




